第11話 夕焼けに輝く雫

 現在時刻は午後四時。辺りは暗くなり始めている。

 そんな中、僕は帰りの道をたどっていた。

 大学には戻りたくない。頼りのお店は休み。そうなると帰るしか無いからだ。

 すでに最寄り駅から自宅まで歩いている最中で、もうじき家に着くだろう。

 そんな僕に、心にずしりと鈍く襲いかかってくる、精神的な重み。

 しかし、これは今まで起きた出来事によるもの……ではなかった。


 ――後ろに感じる、誰かの気配だ。


 どんなに歩いても、それが消えることはない。

 明らかに誰かが僕の跡をつけている。それも長時間、ずっとだ。

 ……さて、どうしようか。このまま無視を貫くのは得策ではない。

 僕にストーカーする酔狂な人なんていないと思うが、それでも知らない誰かに家を知られてしまうのは心地よく無いからだ。 

 好都合なことに、この先は曲がり角。試しに角の向こう側で立ち止まってみた。


「…………」


 どうやら僕の目論見は成功したのか、相手は気づかない。

 すぐ近くまで迫ったところで……僕は勢い良く振り返った。


「誰だ!?」

「きゃあぁぁっ!?」


 僕の大声に驚いたのか、僕の跡をつけていた奴は盛大に転んだ。

 その時に聞こえてきた叫び声。……聞き覚えがあった。


「し、雫?」

「う、うん。そうだよ、誠くん」


 そこには、やはり尻餅をついていた雫がいた。


「何で、雫がここにいるんだ?」


 家の方向は違う。距離だって離れている。

 問い詰めるような視線を送ると、雫はお尻を擦りながら口を開き初めた。


「せ、誠くんが心配だったから……。それで、帰り道で見かけて」

「まさか、今までずっとつけてきたのか……?」

「な、中々話しかけるタイミングが掴めなかったから。……あ、あはは」


 目眩がしたが、天然な雫ならおかしくない話だった。

 まあとにかく変質者とかではなくて良かった。一先ずほっとする。


「そうか。だが、とりあえず僕は大丈夫だ。迷惑をかけた」

「そ、それは良かった……! あっ。あとね」


 僕の答えを聞いて、安堵したように顔を綻ばせる雫。

 しかし、すぐに何か言いにくそうなことを話すように目を伏せた。


「ここまでの道のり、わからなくなっちゃった」

「…………」




 雫と一緒に来た道を戻る。

 要するに道案内だ。流石に道だけ教えてさよなら、はできなかったし。

 それに雫のことだ。……また迷ってしまうかもしれない。


「…………♪」


 ちなみに当の雫は、どこか嬉しそうな様子だった。

 理由はわからなかったが……。まあ、特に気にすることじゃないか。


「聞くのを忘れていたが、体調はどうだったんだ?」

「もう大丈夫だよ。昨日はぐっすり眠ったから!」


 変な夢も見なかったし、と腕を振り回して元気良いアピールをする。

 外から見た時点で判断はできたが、やはり本人の口から聞けると安心だ。

 店主さんの言っていた通り、呪いの箱から逃れることができたのだろう。


「あ、そういえば。聞きたいことがあるんだけど……」


 僕の胸のつかえが取れたところで、雫が言いづらそうに質問してきた。


「夕闇倶楽部に新しく入ってきた狂花月夜って娘、いるよね」 

「…………!」


 まさか、こんなところで出てくるとは思わなかった名前。

 聞きたくなかった名前だけに、無意識の内に体を強張らせてしまっていた。


「……いるな。それがどうかしたか?」

「とおのんやちなっちゃんは、気に入ってるみたいだけど……誠くんは、どう思ってる?」

「僕には彼女が良い人とはまったく思えなかった。個人的に好きじゃない」


 嘘をついてもしょうがないので、思っているままを伝える。

 これで何か変なことを言われたとしても……どうでも良く思えた。

 雫も狂花月夜の支配下であって、違うのは僕だけ。それだけの話なのだから。

 しかし、そんな投げやりな気持ちとは裏腹に、雫は顔を曇らせ頷いていた。


「……うん。私もそう思うかな」


 反応を見る限り、どうやら雫も狂花月夜の影響を受けてないようだった。

 本当に良かった。夕闇倶楽部の中で僕だけという事態に陥らなくて。


「どこか変というか、怖いというか。そんな感じかなって」

「僕も同じだ。だから僕は狂花月夜を怪異だと思っている」

「か、怪異?」


 雫が驚いたように声を上げた。その反応は普通のものだ。

 現実に存在する人物が怪異なんて馬鹿げた話だし、信じられるものではない。

 根拠こそあるが、これは僕の中での空論でしか無いのだから。


「でも……そ、そうだよね」


 しかし、彼女はこの意見を完全には否定しなかった。

 というより、反応を見る限りだとできなかった、が正しそうだ。


「あの娘を見かけるようになってから、みんな変わっちゃったし」

「そうだな。学校の人間も、遠乃も千夏も……変になった」

「怖いよね。何気ない日常が変わっていくような気がして」

「…………」

「夕闇倶楽部で色んな怪異と出会ったけど……。こんなの初めて」


 僕たちの心細さを表すように紡がれた雫の言葉。

 本当にその通りだ。こんな怪異は、僕たちでも経験したことがない。

 夕闇倶楽部は、日常に潜む怪異を暴くサークルである。

 必ず帰るべき日常があり、だからこそ安心して怪異を探求できる。

 ――しかし、今回の怪異は日常を侵食するもの。

 落ち着く場所である日常を壊して、怪異との境界線を無くすもの。

 そうなったら、もはや『夜』だ。光が残される『夕闇』ではなくなってしまう。

 それは、まるで底のない真っ暗闇。

 永遠に続くかもしれないそれに、ちょっとだけ怖くなっていた、その時だった。


「でも、きっと大丈夫だよ。私は誠君を、夕闇倶楽部を信じているから」


 聞こえてきた言葉に対して、心を打たれるような感覚を受けた。

 隣を見ると、そこには黄金の夕焼けに照らされた雫の柔らかい笑顔があった。


「それに、あの人は怪異なんだよね」

「……まあ、そうだな」

「だったら暴けるよ! 私たちはたくさんの怪異を乗り越えてきたんだから!」


 変に堂々としていて、自信に満ちあふれたような言い方。

 それでいて危険や心配なんてないと伝えてくれる安心感のある言葉。

 まるで、どっかの誰かを思わせる雫の姿に。


「ああ、そうかもしれないな」


 納得したように、そう呟く。確かに、悲観的になりすぎていた。

 呪いの箱に、狂花月夜に。振り回され、疲れていたのもあるけど。

 だが、一時の感情に駆られ、否定的な思考に陥る必要はないはずだ。

 彼女の言葉で、ちょっとだけ心が落ち着いた気がする。


「分かったよ。やるだけやってみようか」


 それに目の前に怪異があるかもしれないのに、何もしないのは性に合わない。

 怪異であるのなら、好奇心が趣くままに探求し尽くす。

 それが夕闇倶楽部のポリシーであり、僕の行動原理でもあったはずだ。


「うん。その意気だよ、誠くん! 私で良ければ手伝うよ!」

「しかし、どうしよう。他に情報がないんだ」

「見つからないなら、今までのことを思い出してみて。手がかりがあるはず」


 この世に完璧な物や人なんて存在しないもん! と雫。

 今までのことに手がかりか。だが、そのようなものなんてあったか? 

 前触れもなく現れた彼女のことを知る機会なんてほとんど……。

 ――いや、待てよ。不可解なことが、一つだけ無かったか?


「小説……?」

「んっ? 小説って、何が?」

「あれが秋音に自作の小説を見せてきたんだよ。……しかし、何だったんだ?」


 あの時に起きた暴動のインパクトで、気づけてなかった。

 狂花月夜が何でこんなことをしたかという理由も意図も不明だということを。

 見えてきた謎に思考を巡らせていると、雫が思いついたように話し始めた。


「うーん、私が思うには、自分の作品に自信があったのかな」

「じ、自信?」

「だって卯月さんって小説家の娘なんでしょ。私なら遠慮しちゃうな……」


 ……遠慮か。あんな悪い意味で常識外れの人間にそんなものは無さそうだ。

 だけど秋音に見せた小説に何らかの感情がある。その考えは間違ってないはず。

 中身の無い笑顔を撒き散らす彼女が、取り巻きを通してだが、唯一見せた感情なのだから。

 加えて、それ抜きで考えたとしても、狂花月夜の唯一と言っても良い失敗。

 完璧であるはずの人物の汚点。詳しく調べてみる価値はありそうだ。


「なるほど。雫のおかげで打開策を見つけられた」

「本当!? 良かった……!」


 見えにくい闇夜に、見えてきた一つの光明。

 やはり一人で考えている時よりも、ずっと頭が働いている気がする。

 まさに三人寄れば文殊の知恵だな。……僕たちは二人だけど。


「誠くんみたいな知識、とおのんみたいな行動力、ちなっちゃんみたいな情報収集力はないけど……。私も夕闇倶楽部のメンバーなんだから誠くんも頼ってよ?」


 ただの雑用係じゃないんだから、と意気込み腕を捲くる雫。

 そんな可愛げのある仕草が、何とも雫らしい。


「ああ。頼りにしてるさ」


 呟くように放った僕が視線を向けると、雫は満面の笑顔を浮かべた。

 それはあらゆる恐怖を包み込んでしまうような、優しさに満ち溢れた笑顔。

 不意に吹いた風に揺れる艶やかな茶髪は、まるで豊かな麦畑のようで。

 ……ちょっとだけ、ときめいてしまった。




 色々と話していると、見慣れた駅の姿が見えてきた。

 流石にここまで来れば、雫でも迷うことはないだろう。


「じゃあ、ここでお別れだね。またね~」

「ああ、またな」


 簡単に別れの挨拶を交わすと、雫が小走りで改札口へ駆けていく。

 そして、通ろうとした改札口から警告音が発せられた。


「…………」

「…………」

「……お金足りなかった」

「……そうか」


 何というか、締まらないな。

 そう苦笑いをして、僕は券売機に慌てて駆けていく彼女の姿を見送った。

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