6. ここにしか咲かない花
6. ここにしか咲かない花
本格的に梅雨入りをした。夜空は朝早くから雨の降りしきる外の景色を窓から眺めている。しとしとと激しくはないものの降り続く雨を夜空はぼんやりと眺めていた。
師範の覗きの一件から夜空はあまり道場に寄りつかなくなっていた。それは師範にロリコン疑惑が浮上したからではない。あの日の花火の様子が気になり、けれども声をかけることもできず、悩んでいたのだ。道場で師範に会えばその件が嫌でも頭に浮かぶ。学校に行くのも夜空は嫌になっていたが、頑張って足を運んでいた。
花火との一件の後、夜空は花火と口を聞かなくなっていた。ばったりと出会っても互いに視線を逸らす。すれ違った後、夜空は花火の様子が気になって後ろを振り向いたりしたが、花火は夜空のことなどおかまいなしにそのままどこかへと去っていく。
「雨が止んだら」
もうすぐ夏が来る。プールの授業や夏休みが待っている。花火大会もあるし、どこかに家族でキャンプに行くのもいい。
「家族で……」
花火が一人で暮らしているということが夜空には気になって仕方がなかった。けれども、誰にもそのことを聞けずにいた。
「私は、弱い。怖いんだ。真実を知ってしまうことが」
ともだちならば、話を聞いてあげるべきなのだろうか。それとも聞かないでいるべきなのだろうか。夜空は惑い悩む。けれども時間は待ってはくれない。
「夜空ちゃん。そろそろ学校に行った方がいいんじゃない?」
少し心配そうな目で灯は夜空の部屋を覗き込む。
「うん……」
こんな顔をしていてはいけないと思いながら、夜空は無理に笑顔を作ることもできず、沈んだ顔のまま姉とともに家を出る。
「夜空ちゃん。何を悩んでいるの?」
だが、夜空は答えられなかった。自分がこんなにちっぽけなことに悩んでいるということを知られたくない自尊心から来た行動であった。
夜空は水たまりを踏んでしまい、靴下に水がかかる。
「本当に大丈夫?最近ご飯も食べられていないみたいだけど」
夜空は灯の心配が嬉しかった。けれども今の夜空には傘に打ち当たる雨の音さえ億劫に思える。
「うん。大丈夫だから――」
すると、夜空は道の先でポニーテールの少女を見つける。光花火だった。
(どうしてこんなところに?)
花火の家はもっと先にあり、学校に向かうには逆方向に花火はいたのだ。花火は傘をさしながら道端にうずくまっている。
不審に思った夜空は花火に声をかける。
「ねぇ、アンタ――」
大丈夫、という言葉を夜空がかけるより先に、花火が顔を上げる。そこには濡れて血走った花火の目があった。
「ツキ!ツキ!」
花火は夜空の腰のあたりに突然抱きつく。傘を落として、すがるように夜空に抱きついていた。
「どうしたのよ」
「ツキ!猫が!猫が!」
花火は感情が抑えられなくなり、大粒の涙を落とす。夜空には何が起こったのかよく分からなかった。花火のいた場所を見るとそこにはもう一つ傘があり、その傘の下に雨でふやけた段ボールがあった。
「あいつらが、動かないんだ!息もしてない。そんなの、嫌だ!なんで、なんでこんなことに――」
「落ち着いて!」
夜空は雨に濡れた花火に傘をさす。
「とにかく、どこか病院に――」
「待って。夜空ちゃん。まずは屋根のある場所に連れて行った方がいいよ。動物病院は遠いし、きっとこのままだとすぐに――」
「俺の家に運んでくれ……」
猫は任せて、という風に灯は猫の入った段ボールを抱える。夜空は花火を連れて花火の家に向かった。
夜空は花火の頭をタオルで拭く。バスタオルの数は思った以上に少なく、それが花火が一人で暮らしているという裏付けになった。
「ほら。ちゃんと拭かないと」
「それより、猫は!あいつらはどうなったんだ!」
「今、お姉ちゃんが面倒を見てるけど……」
ただ、雨に濡れているという事実と息をしていないという花火の言葉から、助かる見込みは薄いと夜空は思っていた。
「俺が悪いんだ。無理矢理にでもあいつらを家に連れて行けばよかった。家を追い出されても、あいつらを――」
「それじゃあ、意味がないでしょ」
夜空は花火の言葉に少し腹を立てた。けれども、弱っている花火の姿を見て怒る気など少しも湧いては来なかった。
「夜空ちゃん。ちょっと」
灯が夜空を呼ぶために手招きをする。
「ちゃんと髪の毛を拭きなさいよ」
恐らく夜空に抱きつく以前から雨に濡れていたのだろうと夜空は考えながら、花火を置いて灯のもとに向かう。
灯は夜空に段ボールの中身を見せる。
そこには雨に濡れてピクリとも動かない子猫が四匹横たわっていた。
「無事なのはこの子だけなんだけど……」
灯の腕の中にはタオルを巻かれた子猫がいた。その子猫は息をしているものの、泣き声をあげることもできていない。夜空は灯の暗い口調から、猫がもう長くはないのだと悟る。
「一応、食事はとれるころなんじゃないかと思う。ミルクを卒業するころに親から引き離されて捨てられたのかもしれない」
「どうして――」
どうしてこんなひどいことをできるのか、と夜空は怒りで体を震わせる。夜空の目から涙がぽとぽと流れ出た。
「育てられなくて捨てる人は多いの。だから――」
子どもだけで生きていけるはずがないことを知りながら飼い主は捨てたのだろう。死ぬことが分かっていながら――
「そんなの、そんなの!」
夜空は気がついていたのだ。
この子猫たちは花火と似ていることに。親もなく一人で生きているという花火とそっくりだった。
「だから、なの?」
だから、花火は必死だった。自分の境遇を重ね、自分のことを顧みずに子猫を助けようとしていたのだ。
夜空は灯から子猫を受け取る。風が吹いただけでもすぐに消えてしまいそうな弱々しい灯がその腕にはあった。
「お姉ちゃんは、学校に行って」
「でも……」
この雨の中、病院に連れて行くということは子猫にとっても危険な状況だった。だから、夜空は子猫を腕の中で温めてやることしかできないことが分かっていた。
「分かった。お姉ちゃんは学校で夜空ちゃんたちが休むって言ってくる。家にも連絡する。そうしたら、すぐに戻ってくるから」
そう言って灯は足早に花火の家を出て行く。夜空は腕の中の命が消えてしまわないように必死で子猫を見つめていた。
しばらくすると花火が居間に顔を見せる。夜空は花火の表情を見てドキリとしてしまった。
「大丈夫?」
「それよりも、猫はどうなんだ!」
花火は死にそうな顔で夜空に訴えかける。夜空は腕の中にある一匹の猫を見せる。
「もう、この子たちしか……」
「そう、なのか」
花火はその場でへたり込んでしまった。
「俺が悪いんだ。俺がもっとこいつらのことを気遣ってやれていれば――」
「悪いのはアンタじゃない」
夜空は奥歯を噛みしめる。
「私はこの子たちの存在すら気付いてあげることができなかった。アンタが悪いなら、私はもっと悪い」
こみ上げてくる罪悪感に夜空は吐き気を催す。しかし、花火はこんな罪悪感の中頑張ってきたのだと思うと夜空は頑張ることができた。
「きっと、この子も長くない。だから、私たちが最後まで一緒にいてあげよう。親のいないこの子たちのために」
花火は静かに頷いた。
「ねえ、なにか話してくれない?静かだと気が滅入るわ」
降り注ぐ雨の音が子猫の命を奪っていくような気がして夜空にはつらかった。
「人に頼むときは自分から何か言えよ」
「そんな急に言われても困るわよ」
けれども、それは花火も同じなのだろうと思い、夜空は何か話そうと必死に考える。
「えっと、今日は卵焼きを食べたの」
「そうか。何味だ?ガーリックか?それともバーベキュー味か?」
不意打ちだった。
夜空は思わず笑いだしてしまう。
「そんなに笑うことかよ」
「ずるいわ。本当に」
夜空は腕に子猫を持ったままであることを思い出し落ち着く。
「ちょっと甘い感じの卵焼き。ふわふわで美味しいの」
「ふーん。俺はしょっぱめの方が好きだがな」
「そんなんだと、高血圧になるわよ。だからいつもカリカリしてんのね」
「お前にだけは言われたくねえよ」
花火は恥ずかしそうに視線を逸らす。その姿が夜空にはより面白かった。
「そう言えば、着替えた方がいいわよ。服、濡れてるでしょ?」
「俺は風邪を引かねえよ」
「バカだから?」
「うるせぇ」
花火はじっと夜空の腕の中の子猫を見つめる。
「俺はさ、小さい頃から一人なんだ。親はママだけ。ママも長い間入院しててあまり会うこともできねえ。ほとんど一人で暮らしてる」
「そうなのね」
「だからなのか、こいつらが可哀想でならなかった。こいつら、捨てられたんだろ?俺はママがまだいるけど、こいつらはそうでもねえ。だから、何とかして助けてやりたかったんだ」
「いいところあるじゃん」
その言葉は間違っていると夜空は分かっていた。花火は本当は優しく、そして、そちらが本当の花火だった。
「アンタももっと素直になればいいのに」
「うるせぇ。俺はいつも素直だ」
夜空はまたしても笑ってしまう。その笑い声に反応して腕の中の子猫が小さくにゃぁ、と鳴いた。
「おい、コイツ、鳴いたぞ!今日は赤飯だ!」
「子どもが生まれたことに喜ぶ父親か」
花火はぷっと噴き出す。夜空もそれにつられて笑った。
「どうなんだろ。この子、ご飯食べられるかな?」
「分からねえが、ちょっとやってみようか」
花火は立ち上がり、棚から猫缶を取り出す。
「知ってるか?猫缶ってのはツナ缶より高いんだ。大してうまくもねえのに」
「え?食べたの!?」
夜空は目を丸くして驚く。
「ちげぇよ!ちょっとつまんだだけだ!こいつらがうまそうに食ってたから――」
花火は濡れた段ボールを見つめる。
「こいつらの墓を作ってやらないとな」
「手伝うわよ」
夜空は腕の中の子猫に視線を落とす。まだ、碌に動けない状況のようだった。
「お前が手伝う、とか気色悪いな」
「どういう意味よ」
夜空はふっ、と微笑む。なんだかこういうやり取りに慣れた気がする、と夜空は感じていた。
「アンタだって、もっと素直になりなさいよ。本当は優しいくせに」
「二度も同じことを言うなよ。俺は優しくなんかねえ」
「嘘ばっかり」
ったく、と花火は猫缶を切り、中身の少し抓んで子猫の口に運んでやる。子猫は花火の差し出した中身を必死で食べていた。
「おぉ!?食うな!じゃあ、もっと――」
「ダメよ。それほど食べられる状況じゃないもの」
ちぇ、と花火は言った後、夜空の傍に腰を下ろす。
「なあ、夜空。お前、俺のこと、重荷じゃないか?」
「重荷だけど?」
何を今さら、という風に夜空は言った。
「すまねえ」
「アンタらしくないわね。もっとシャキッとしなさい。いつもみたいに俺様は神だ!みたいに振舞いなさいよ」
「いや、そんなこと言ったことねえからな!」
そう言い終わると花火は大きくくしゃみをする。花火の鼻の穴から噴き出した粘液が夜空の頭に降りかかる。
「うん。怒るわよ?」
「怒ってから言うなよ」
花火は夜空の気迫に思わず仰け反っていた。
「早く着替えなさい。バカが移る」
「悪かったな!バカで!」
夜空は襖を開け、隣の部屋に入っていく。襖越しに衣擦れの音が夜空の耳に入って来た。
「ねえ、
「寂しかねえよ」
「辛かったでしょ」
「辛くねえよ」
「泣きたかったでしょ」
「泣きたくなんかねえよ」
夜空は深くため息を吐く。
「寂しくなかったでしょ」
「寂しかった」
「辛くなかったでしょ」
「辛かった」
「泣きたくなんかなかったでしょ」
「泣きたかったよ」
襖越しに花火が鼻をすする音が聞こえてきた。夜空は必死で涙をこらえる。
「苦しくなかったら、私になんでも相談しないでね。だって、私たち――」
抑えようとしても抑えられるものではなかった。
「ともだちなんだから」
「なんだよ、それ――」
花火は裸のまま隣の部屋で泣き崩れた。ずっとずっと我慢してきたものが涙とともに流れて行った。たった一人で生きようとして、意地を張ってきた。一人で生きていく強さを身に着けるために、周りを遠ざけた。
けれどもそれがバカな行為だと分かって、花火は泣きじゃくった。
「ホントバカね」
「ホント、バカだな」
ははは、と花火は笑う。生まれて初めてできたともだちがコイツで良かったと思いながら。
灯はしばらくして戻ってきた。
「大丈夫?先生とお母さんには連絡しておいたけど」
「多分……」
子猫は息をしていた。けれど、動きはせず、寝ているのか意識を失っているのか分からない状況だった。
「誰だ?」
花火は襖を開ける。
上半身は裸で、下には湿ったパンツを穿いている。
「ちょ、夜空ちゃん!?わたしのいない間に二人で何をしていたの!?」
「誤解だよ!お姉ちゃん!」
「ただ、肌を寄せ合って笑いあってただけだが?」
「
「だから、下の名前で呼ぶんじゃねえ!」
「しもの名前……ごめん、夜空ちゃん。わたし、邪魔だったみたいね」
灯は青ざめた顔でそっと扉を閉めた。
「「だから!シタだ!した!」」
夜空と花火の声は雨の中よく響き渡った。
次回予告☆
「ということで、木曜日の猫とキッチンと境界線上のホライゾンのパクリでした☆」
「さっきまでの感動を返せよ!」
「まあ、それがこの作品のあれみたいな感じだし?」
「いつものやくそくってか」
「でも、ほんともうすぐ終わりそうね。長くて後3話かな」
「まだ続くんかい」
「やっと
「何がだよ」
「あれ?いつものお約束は?」
「さっきやったばっかだろうが」
「ホント、ルビ振りって大変なんだからね☆一々《ファイアーアーツ》って打たないといけないし」
「じゃあ、呼ぶなよ」
「最近、本編やら外伝も手直しを始めたから、ちょっと大変。時々間違えてることもあるから」
「誤字を少なくしろよな。表現がおかしいのはもうある意味作者の作風になりつつあるが」
「そうね。適当に書いて、「これが新しい日本語だ!」って図に乗るタイプだから」
「クソだな」
「さて。これからクライマックス☆どうなっていくのかは作者にも神にもわかりません☆」
「いいのかよ、それ」
次回、『パクって何が悪い!』
「叩かれんぞ、バカ」
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