寝物語
彼女は
『起きて、起きて、起きてったら! これは夢です! 起きてよ!』
おかげで、オーランドは悪夢に敗北することはなくなった。
カーラが起こしてくれるならば、自分は夜でも次期領主であることができる。現実の自分は、母親のなぐさみ物の子供ではないとカーラは教えてくれるのだ。カーラは女だが、俺を次期領主にしてくれる存在だ。彼女がオーランドとともに夜を過ごしてくれる限り、悪夢におびえる小さな子供ではなく、次期領主でいられる。オーランドにはカーラなしの眠りは考えられなくなっていた。
ある夜、彼女はオーランドを起こして言った。
『起きた? おはようございます、まだ夜中だけど』
「……起きた」
オーランドは額の汗をぬぐいながら小さい声で言った。寝室には誰も近づけないようにしているが、それでもはたから見たら一人で話しているだけだと思うと、あまり大きな声では話したくない。
『あのう、ちょっとおしゃべりしてもいい?』
「何だ」
『私、いつも言われた通りあなたのこと起こしてるけど、あなた起こされた後、あんまり眠れてないよね? 寝不足とか、大丈夫?』
「…………」
あまり大丈夫ではなかった。悪夢に敗北して目覚める時は、目覚めてもどこか疲れていて、始末をした後すぐに寝てしまっていたが、悪夢の途中で叩き起こされた時はそうでもなく、なかなか寝付けない。酒に頼るにも、翌日に残りそうな微妙な時間だ。
『子守唄でも歌う?』
「いらん、俺はもう二十四だ」
『でも眠れないんでしょ?』
「それは……」
『じゃあ、眠たくなるような難しい話してあげようか』
「何の話だ」
『えーと、カイコ-バキュロウイルス発現系を用いた糖タンパク質の発現と糖鎖構造の改変とか』
「何だそれは」
『カイコ感染症モデルを利用した微生物資源からの抗生物質の開拓とか』
「何だそれは」
『えー、こういうの話せないんだったら私、遺伝子組換えカイコの拡散防止措置を執った大量飼育技術の開発とかしか話せなーい』
「だから何だそれは!」
知らず知らずのうちに声が大きくなっていることに気づいて、オーランドは口を抑えた。
「……どうせなら、旧世界時代の何か面白いことを話せ」
『面白いこと?』
「今よりずいぶん色々なことが出来たと聞くぞ、馬より早く移動できたとか、帆船より早い船があったとか、空を飛べたとか」
教会は旧世界に立ち返ってはいけないと言うが、旧世界の時代を生きた人間が目の前にいるとなれば、少し聞いてみたい事柄だった。
白い蛾に宿る声は答えた。
『自動車とか、エンジン船とか、飛行機とか? 確かに全部出来たけど……どれも石油がないと無理じゃないかしら。あとエンジン』
「石油? エンジン?」
『えっと、石油っていうのは地下深くにある油のこと。食べられないけどね、燃やすのにはすごく都合がいいの。エンジンっていうのは石油なんかを効率よく燃やして動力を得る機関。その動力で車や船を動かしたり飛行機を飛ばしたりしてたの』
「ふーん……」
『簡単なエンジンなら今でも作れそうな気がするけど……原理をよく知らないのよね、私』
「作ったりしたら、教会が黙ってないだろうな」
『教会って本当に旧世界時代が嫌いなのね。エンジンくらいなら役に立つと思うんだけどなあ、電気もダメなのかしら』
「電気?」
『うーんと、今この時代で目に見える電気は雷かな。磁石とタービンを使ったり、それ相応の機械があれば日光から取り出したりも出来るんだけど……とにかく、電気を使えばいろんな事が出来るの。明かりをつけたり、暖房を動かしたり……多少だけど車も走らせてたなあ』
「雷を灯りに使うのか。眩しそうだな」
『ちゃんと調整できるもん、そのへんは平気。……ねえ、いいの?』
「何がだ」
『旧世界に興味持つのって、教会が禁止してるんでしょう? 私はいくらでも話すけど、あなたは聞いてもいいの?』
オーランドは黙り込んだ。旧世界の文明は大罪の悪魔を呼び寄せたと教えられている。それにオーランドが興味を持っていることを、ただでさえ摩擦が起きている教会に知られたら、面倒なことになる。
だが、オーランドは言った。
「……教会の教えで、おかしいと思うことがある」
『何?』
「聖書は、産めよ増やせよ地に満ちよと言う……だが、少なくとも俺の領地では、今いる人間を養うだけで大変だ」
オーランドの領地は豊かなほうだ。海に面しているので魚もとれるし、作物も
そもそも土地あたりの生産量には限界がある。今の人口より人間が増えたら、維持していくことが難しいだろうということは、領主としての仕事をこなして来て実感していた。
「だが、旧世界時代は、もっとたくさんの人間が同じ土地にいたはずなんだ。人間の増えすぎが世界を汚したと、教会は言っている。しかし、人間が増えて地に満ちていたのは明らかに旧世界の方だ」
一体、どちらが正しいのか。
「旧世界がたくさんの人間をどうやって養っていたかは、正直、興味がある。どうしていたんだ?」
『うーん、ぱっと思いつくのはカガクヒリョウだけど……』
「何だ、それは?」
『水素と窒素からアンモニアを作って、それを肥料にするの』
「水素? 窒素? 肥料が作れるのか?」
肥料があれば、土地あたりの麦の生産量はもっと増えるだろう。今よりもっと多くの人口を養うことも不可能ではないかもしれない。
『うん、作れるの。水素っていうのは水を作ってる物質で、窒素は空気に含まれてる物質で……もっとわかりやすく言えば、水と石炭と空気とから肥料を作れたのよ』
「そんな方法があったのか!?」
『でもごめんなさい、今の技術じゃ再現は難しそう。今できるのは、人間の糞尿を発酵させて撒いたり、干し魚や家畜の骨の削り屑を土に混ぜるくらいかなあ』
「糞尿? 魚? 骨? そんなものが肥料になるのか?」
『全部本当にやってたことだもの。今だって家畜の糞尿は土に混ぜてるでしょ』
オーランドは畑を耕す領民たちの姿を思い出した。土を耕す牛や馬の糞尿はたしかに垂れ流しで土に漉き込まれているが、にわかには信じがたい。
『ウソだと思うならやってみてよ。きっと効果が出るはずだから』
「……骨の削り屑くらいなら、試してもいいが……」
そんなことを話しているうちに、東の空がうっすらと白んできてしまった。
『あ、ごめんなさい、全然寝かせてあげられなかったわね』
「……今から寝る、太陽が全部見えたら起こせ」
『はーい』
そうして、オーランドはわずかな眠りに落ちた。
今の話がどれだけ貴重なものだったか、数年後に思い知るなどとはまるで想像もしないまま。
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