#random

@pokkero

『中身のない作品の中身』

『中身のない作品の中身』(2018年)

 素材: 中身のない作品

 作者: 譁?ュ怜喧縺


 簡潔なキャプションが添えられたそれは、分厚いアクリルガラスでできたケースに収められていた。ケース内部の中央、白い台座の上にある人の頭くらいの大きさの物体。ちょうど私が持っているスマートホンくらいの厚さの外皮に切れ込みが入っていて、ぱっくりと開いている。その内側には人間の前腕部から先の形をしたものがびっしりと生えていた。人間のものよりも小さく、ゆらゆらと揺れている。何に反応しているのかはよく分からないが、人間が近づくとその腕は一気にこちらに伸びてくる。

 もし、こちらとあちらを隔てる透明な板がなければ無数の腕に掴まれ、引き込まれてしまうのではないか。

 そんな恐怖を喚起させるには十分な光景だ。


 この展示会場のいたるところには、存在感の希薄な黒い服を着た男が立っている。どの男も同じ背格好をしていて、身長は2m30cmほどあり、身体は細い。どのような顔をしているかは認識できない。男の顔を直視した時は確かに見ているはずだが、視線を外した途端に印象イメージが揮発してしまう。こっそりスマートホンのカメラで撮影を試みたが、後で画像を見返すと顔の部分だけがぼやけている。

 この男たちは展示会のスタッフではないそうだ。美術館のスタッフに尋ねたところ、「私たちにもよく分からない」「開館すると気づいたらそこにいて、閉館するといなくなっている。誰も建物に出入りしているところを見ていない」「話しかけると展示品について解説してくれることがある」とのことだ。


 そこで私はこの奇妙な『中身のない作品の中身』の展示について何か教えてくれることを期待して声をかけてみた。

「あの、こちらの展示品について解説が聞きたいのですが」

 男はこちらを一瞥した後、視線を正面に戻した。こちらを見ないまま正面を見据えているので、これは何も話してくれないなと思った矢先、

「アハ、アハアハアハ、ウウウッ、ウオッウオッウェッ!!!オッオッオッ!!!ウォーン!!!ウッウッウオッ!!!」

 男は表情を変えず、目線を動かさず、微動だにせず、笑い声のような呻き声のような奇声を発した。静謐な美術館に男の声が響く。さすがの私もこれには閉口したが、15秒ほど声を上げ続けた後にピタと止んだ。何事もなかったかのような静寂がフロアに戻り、30秒ほど経つと、突然、

「これは中身のない作品の中身ですよ」

 と、急に畏まった流暢な日本語で話をはじめた。

「はあ、それはまあキャプションを見たら分かります」

 男は目線を正面に保ち続けているため、こちらとは目線が合わない。

「分かるのですか。なるほど。それは大変結構なことです」

「どうも」

 会話が成立しているのか、いまひとつ自信が持てない。

「では、あなたがキャプションを読んで分かったことを話してください」

 美術展では展示されている作品の解説を行う音声ガイドが貸し出されていることがあるが、これはインタラクティブな音声ガイドといえるかもしれない。

「キャプションを読んで分かるのはこの作品のタイトルが『中身のない作品の中身』ということと、2018年に作れらたこと。それと、この作品の素材が中身のない作品ということですね。作者は……これはちょっと読めないですね」

「ええ、結構です」

 本来、この文脈だと相手の言ったことを承認する時に発される言葉である。ならば、会話の中では多少そのようなニュアンスが出て然るべきだろう。だが、そのような発声の抑揚はつけられていないため、その差分で男が少し不機嫌なように認識される。恐らく男にそのような意図はない。私たちが身に着けたコミュニケーションのテンプレートが正しく機能しているために起こる不具合だろう。

「ところで、あなたは作品に中身があるというのはどういう状態を指していると考えているのですか」

 作品の解説を求めたのに私の方が質問ばかりされている。

「作品にテーマがあり、それが十分に表現されているという状態、ですかね。改めて問われると言語化に難儀します。あるいは作者なり制作チームなりのやりたい事が伝わってくる、という要素もあるかもしれません」

「ハハーン」

 こいつ、今ちょっとだけ語尾を上げなかったか。やや馬鹿にされたような気がしてならないが、私の勘違いかもしれない。価値中立的な刺激に対して私たちは何らかの価値を見出そうとする。私の認識はそのようなバイアスに陥っているのか、あるいは本当に馬鹿にされているのか。どらちとも定まらないまま沈黙があり、やがて宙に浮いているような居心地の悪さがやってくる。

「作品の中身とは!!!!!」

 突然、これまでの平坦な喋りとは打って変わって、男が野太い声で叫ぶ。フロアに男の声が響き渡り、大人しそうな美術館のスタッフがびくっと肩を震わせる。他の客が何事かとこちらを注視する。

「あなたがたが認識しているよりもはるかに!!!!!物理的、実体的な現象なのです!!!!!!」

「あの」

 声を落としてもらおうと発話を試みるが、一時停止ができない動画のように私の呼びかけを無視して男は続ける。相変わらず目線は正面で固定されたままだ。

「すなわち!!!!!中身があるとは!!!!!!中身と称され得る構造が作品の内部に物理的に存在することに他ならないのです!!!!!!!!」


 ――沈黙。


「ええと、『中身と称され得る構造が作品の内部に物理的に存在すること』を中身があると言うのは論が循環していませんか」

 私は男の発話を受けて返答をする。もはや男との問答が何らかの意味を成しているとは思えない。そもそも、意味を成すとはどういった状態を指しているのか分からなくなってきた。

 私たちが普段行っている発話は意味を伴うことが多いが、それ自体は意味そのものではない。

 では、意味とは一体どこにあるのか。

「ハハーン」

 男はまた私を小馬鹿にした(と私が感じる)音を発して停止した。

 

 しばらく立ち尽くしていると、向こうから髭の男とボブの女が歩いてきた。順路に従って展示を見て回っているらしい。二人は『中身のない作品の中身』の前で足を止めた。ボブ女が顔を歪め、不快そうな表情をする。気持ちは分かる。私も最初にこの作品を見た時はこの女に近い表情をしていたかもしれない。

 一方、髭男は作品を眺め、少し何かを考えるような仕草をした。

「なるほど。この作品は鑑賞者のヴォオオオゥェェェェェェェ!!?」

 突如、髭男が嘔吐した。ボブ女が短い悲鳴を上げ、男の背に手を当てる。

「何、どうしたの!?大丈夫!?」

「ヴェェェぇぇ!!!!!???」

 髭男はひとしきり胃の内容物をフロアにぶちまけた後もまだ何かを吐き出そうとしていた。美術館のスタッフが駆け寄ってきて声をかけ、急病人への対応フローが実行される。

 ここまで目線を正面に固定していたままの黒い服の男が、ふとこちらを一瞥した。だが、何事も無かったかのように視線を正面に戻す。黒い服の男はしばらく沈黙していたが、また何の前ぶりもなく、

「アハ、アハアハ、ウウウウウウウッ、ウオッオッオ!!!!!オオオン!!!!!!ヒヒウェッ!!!!!オオッオ!!!!ウォォォン!!!!!!」

 ひときわ大きな声で、例の笑い声のような呻き声のような奇声を発する。青い顔をして呻きながら床に横たわる髭男、心配のあまり血の気が引いているがどうすることもできず狼狽えるボブ女、急病人の対応で駆け回る美術館のスタッフ。この地獄絵図のような状況にどのような感情を持てばいいのか分からず、私は立ち尽くすしかできなかった。奇声を発した後、黒い服の男はしばらく沈黙し、唐突に語り始めた。

「自我のない人間は、中身のある作品に相対することによってその中身に同調し、それを自我の代替とすることができます」

 髭男も、ボブ女も、美術館のスタッフも、この状況を前にして黒い服の男の言うことを聞いている余裕はない。第三者であり、ここで何もすることができない私だけが、その言葉を捉えることができる。

「自我のない人間は作品の中身に同調し、一時的な自我の代替品を得ようとするのです」

 自我がないというのはどういうことなのだろう。今ここで倒れている髭男がそうだとでも言うのか。この髭男は自我がなかったから、ここでこんな目に遭っているのか。

 いや、黒い服の男はそのようには言っていない。私がこの状況と黒い服の男の言葉を結びつけて勝手な推察をしているに過ぎない。

「それでは、自我のない人間が中身のない作品に相対した場合はどうなるでしょうか」

 黒服の男の平坦な物言いからこれが問いかけではないことが理解される。もちろん、仮にこれが問いかけだとして、この場でこれに答える余裕のある者はいないだろう。私ですらそうなのだから。

「中身のない作品の中身、すなわち、虚無、に同調するのです。自我の代替となる中身を求めて同調したその先が虚無であった場合、自我があるべきところを虚無が占めることになります」

 私は、この場で黒い服の男にひとつだけ確認しておきたいことがある。

「あの。今、ここで倒れた人は自我がなくて、それで虚無に同調してしまったというのですか」

 私は絞り出すようにして声を出した。

 案の定、黒い服の男はしばらく沈黙する。

 そして。

「ハハーン」

 とだけ反応した。


 その後の話をしよう。

 私は他の作品を見て回ったのだが、『中身のない作品の中身』の前で起こった一連の出来事の印象インパクトが強すぎてどんな作品を鑑賞したのかをよく覚えていない。どの作品もそれなりに美しかったり、技巧的であったり、コンセプトがよく練られていたりした、ような気がする。精神が何らかの作品を鑑賞する状態に戻っていなかったのだと思う。

 帰り際に美術館のスタッフに聞いたのだが、倒れて担架で運ばれていった髭男は『中身のない作品の中身』から距離を取り、事務室でしばらく安静にしていたら回復したらしい。ボブ女も安心したことだろう。髭男とボブ女がどのような人生を送っているのかは私の知ったことではないが、展示会での強烈な体験に居合わせた通行人モブとして、それぞれの行く先に幸多からんことを願ってやってもいい。

 美術館を後にした私は、ここが数年前に通っていた大学の近くであったことを思い出し、当時よく通っていたラーメン屋に寄ってから帰宅した。あの頃と変わらない醤油豚骨の濃いスープは、あの頃から変わったことと変わっていないことに思いを巡らせるのに丁度良かった。過去を振り返り、現在の体験を自分の中に位置づける作業を通して、今日のことを整理したかったのかもしれない。

 まあ、生きていれば様々な体験をするものである。今日のそれも、そうした体験のひとつであったのだろう。


 そのように消化したはずであった『中身のない作品の中身』の鑑賞体験だが、それからの私にある困った変化をもたらした。それが不可逆の変化なのか、時間の経過とともに弱まっていく一時的な反応なのか、今の私には判別がつかない。いずれにせよ、今の私が困っているという事実に相違はなかった。

 展示を見てからというもの、以前のようにさまざまな作品を楽しめなくなったのだ。何よりもまず今鑑賞している作品に中身があるのかないのかが気になって仕方がない。もし、何かの拍子にこの作品の中身が飛び出してきたらどうなるだろう。そして、もし今鑑賞しているこの作品が中身のない作品だったら!


 ――作品の中身とは!!!!!

 ――あなたがたが認識しているよりもはるかに!!!!!物理的、実体的な現象なのです!!!!!!

 ――すなわち!!!!!中身があるとは!!!!!!中身と称され得る構造が作品の内部に物理的に存在することに他ならないのです!!!!!!!!


「この作品は中身がある。よかった」

 どんな作品を鑑賞しても、まず作品の物理的構造を解体せずにはいられなくなった。

「この作品は中身がある。よかった」

 そうして、作品の内部に中身と称され得る構造が存在することを確認しては安堵することを繰り返した。

「この作品は中身がある。よかった」

 私は何らかの作品を鑑賞するたびに延々と同じことを繰り返す機械となってしまったのだ。

 一度解体してしまった作品は、二度ともとの形には戻らない。私の安堵とは対照的に、私の傍にはもとの形が分からなくなった様々な作品の無残な姿が積み重ねられていった。

 こうした行為に耽っている間、私の脳裏にはあの美術館にいた存在感の希薄な黒い服を着た男のことが浮かんでいた。存在感が希薄であったにも関わらず、なぜかいつも想起してしまう。私の記憶イメージの中の男は、作品の中身を確認している私の隣にいて、例の呻き声のような笑い声のような奇声を上げるのだ。視線は正面を見据えたまま、私の方には見向きもせずに。

 ――アハ、アハアハアハ、ウウウッ、ウオッウオッウェッ!!!オッオッオッ!!!ウォーン!!!ウッウッウオッ!!! 

 そして、私が作品に中身を見出して安堵した頃、しばらくの沈黙を置いていつもこう言って消えるのだ。


 ――ハハーン

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