第3話 崩界

激しい擦過音が鳴り響いた。

テントから出た三人が見たものは、町を囲う赤い光の壁、結界に身体を押し付け、その身を結界の霊力に焼かれながら、無理やり突き破ろうとする白蛇の姿だった。

高さ20メートル。全長はその倍もあるであろう巨大な白蛇が、何匹も同時に結界壁に体当たりを繰り返し、その牙を突き立てる。

結界全体から軋むようなひび割れた音が鳴った。

想人そうと!」

「若様!」

愛居真人まないまひと沙蛇昇司さだしょうじ。二人の静止よりはるかに速く、悠城想人ゆうきそうとが跳躍する。

一瞬で空を飛び、結界の壁を突き破った大蛇の鼻先に想人の掌が触れた。

次の瞬間、大蛇は大きく後ろに弾き飛ばされ、反動で想人の身体も跳ね飛ばされて元の場所に着地する。

「若様、ご無事で」

慌てて駆け寄る沙蛇に対し、真人の視線は想人の右腕に注がれていた。

先ほど、大蛇を弾き飛ばした右腕だ。

「あちらに傷をつけたつもりはなかったが……これではな」

視界の向こうで起き上がる大蛇の姿を見ながら、想人が右手を振る。その二の腕に、どす黒い蛇のような紋様が巻き付いていた。

毒々しいその紋様はまるで生きているかのように腕を這い上がり、想人の身体へ移ろうとしている。

「——祟られたのですか」

沙蛇の表情が引き締められる。

白蛇を傷つけるだけではなく、その行動を妨害するだけでも祟られるということだ。

紋様は想人の右肩まで這い上がり、しかし徐々にその動きを鈍らせ、手首の方から薄くなり、消えていく。

悠城想人の身体は強力な対抗呪詛、呪いへの耐性が備わっている。それは祟りにも有効だということだ。

だが——本来なら、悠城想人には呪いが通じないはずなのだ。

「想人でこれなら、俺たちはひとたまりもないな」

その様子を見ながら、愛居真人の表情は硬い。

神に逆らうことの意味を改めて思い知らされたのだ。


だが、彼らに考える時間は与えられていなかった。

轟音。

次々と大蛇の群れが障壁に体当たりを始めたのだ。

想人が吹き飛ばした大蛇も、その列に加わり、壁を押し始める。

結界障壁それ自体はそう簡単に破れはしない。

だが、それはその結界を維持する術者がいればこそだ。

想人たちの周囲で、次々とうめき声が上がった。

テントに分散して呪言を唱え、結界を維持していた術者たちだ。

彼らは、大蛇たちが壁にぶつかる度に、その身体に邪紋を刻まれ、それにむしばまれていく。

結界それ自体が、大蛇を傷つけることはない。だが、白蛇たちを遮る結界はそれそのものが神への反抗そのものだ。強引に壁を破ろうとし、神使は傷つく。

その妨害の代償は、祟りとして彼らの身に降りかかる。

「よりによってここに来るか」

「あっちにもこっちの事情が見えてんな。ここを潰せば結界が消える。そうしたら、逃げた永森のかしらを探しに行ける」

沙蛇が冷や汗を流し、真人は淡々と状況を分析していた。

「……もう保たないな」

そして悠城想人は冷ややかに、術者たちが次々に倒れる様子を眺めていた。

「永森の親族はまだ健在なのだな?」

すでにその口調に、当初の礼儀正しさは消え、怜悧そのものの言葉だけが沙蛇昇司を打つ。

「まだ、内部に結界が確認されています。生きているものがいるかと」

その言葉に、真人が想人を見上げる。

「……てーことは?」

「彼らと接触し、神を鎮める。それしかないだろう」

「——出来んの?」

「時間がない。他に手はないだろうな」

「なら、まずは乗り込まないとダメか」

冷ややかな想人の言葉に、真人は後ろに大きく伸びをした。

どんなに危険な状況でも、話が決まれば、愛居真人には、悠城想人についていく思考しかない。

「——沙蛇」

「お任せください。しばらくは持たせます」

沙蛇昇司が想人に向けて深々と頷く。

「永森の当主の確保は進めているな?」

「……一時間で済ませます。」

最初の説明からさらに短縮し、沙蛇は言い切った。

想人が踵を返し、結界に向き合う。その視界では、何体もの大蛇が障壁にぶつかり、その度毎に周囲の術者たちが苦悶の叫びをあげている。

「まずはこの場を切り抜けよう」

悠城想人は静かに宣言した。


悠城想人の身体が、再び空を飛ぶ

今度はやってきたときと異なり、愛居真人は背中におぶさっている。想人の両手が自由になるためだ。

兄弟は軽々と大蛇たちの頭上を飛び越え、町中に侵入する。

彼らには結界は何の障害にもならなかった。

その動きを追って首を巡らせた大蛇たちだが、それらの正面で結界の一部が緩み、扉のように開け放たれた。

そうなれば、大蛇=神使たちは外へ出ざるを得ない。白蛇たちの目的はあくまで逃げた永森当主を捕らえることだ。侵入者を迎え撃つことではなかった。


そうして、結界の出口から這い出た白蛇たちに、無数の黒蛇が巻き付いた。

森の木々の薄暗闇から、建物の影から、そこら中の影から次々に黒い蛇が這い出て、白蛇たちに襲い掛かる。

全長40メートルを超える白い大蛇にすら、同等の巨体を持つ黒い蛇がその行く手を阻んだ。

「——影蛇えいじゃ

黒い蛇たちの一番奥、巨大な黒蛇の頭部に立ち、沙蛇昇司は毅然として神使の群れを睨みつけた。

彼が使役するのは妖蛇。沙蛇家が蛇の妖魔の一族であるからこそ、この蛇神が引き起こす事件の対策に沙蛇昇司が選ばれたのだ。

その全身には瞬く間にどす黒い邪紋が広がりつつあった。

彼の使役する黒蛇、影蛇のものではない。

蛇神に逆らった祟りだ。

「——若様、お早く」

全身を蝕む激痛を、表情一つ変えず耐えながら、青白い顔をさらに蒼く染めて、沙蛇昇司は最後まで立ち尽くしていた。

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