第19話 メロスのバイク③
葉月の家は住宅街に並ぶクリーム色の壁の二階建てだった。バイクから降りるとしばらく平衡感覚がおかしかった。
「ありがとうございました。あの、俺以外の一年とはまだ会ってないですよね。今度、部室に来てください」
「ああ、今やっている『目隠し神保町練り歩き』が終わったらな」
「そんなことやってたんですか!」
だったら仕事して欲しい。
百恵は「じゃあな」と男らしいセリフを残して真っ赤なバイクで行ってしまった。龍平を降ろしたせいか、さっきよりも速く。
「…………」
表札を確認して、インターホンを鳴らす。
『はい』
聞こえてきたのは女性の声、葉月ではない。
「杏泉高校の柚木と申します。葉月さんはいらっしゃいますか?」
『お友達? ごめんなさいね、まだ帰ってきてないのよ』
追い越してしまったようだ。よく考えたら葉月はバスから電車に乗り換えているのだから、直線距離をバイクでかっ飛ばしてきた自分の方が速いに決まっている。
すると玄関のドアが開いて、葉月の母親が招き入れてくれた。リビングに通され、遠慮はしたがお茶まで出してもらう。
「突然で申し訳ありません」
「いえいえ。でもまさか男の子が来るだなんて。彼氏さん?」
「いえっ。違います!」
「そうなの? 葉月ったら、よく柚木くんのこと話すから。てっきり、ね」
「どうせ悪口だと思いますけど」
「ううん。柚木くんの書いた小説が早く読みたいって言ってたけど」
「……そうですか」
「あの子もねー、中学の時に小説家になるって言い出して、冗談かと思ってたら本当に書いたりしてるみたいで……。あの娘の小説、読んだことある? 家族には見せないのよ」
「あ、はい。読みました」
むしろ、龍平がここにいるのはその小説が発端である。
「面白かった?」
「…………。面白かったです」
これくらいの空気は読む。死ぬほどつまらないと、親の前で言えるものか。
「あらそうなの。才能あるのかしら」
その時、玄関の方から「ただいまー」と聞き慣れた声がした。そのまま足音が近づいてきて、見慣れた奴が顔を出す。
「お母さ……」
「よう」
「なんでいんの!?」
「葉月、こちら柚木龍平くん。あなたのお友達ですって」
「いやそりゃ知ってるけど!」
最初こそ勢いでツッコんでいたが、段々とここ数日のことを思い出してきたようで、気まずそうに視線を逸らした。そっぽを向きながら「何の用よ」と小さく言う。
「言いたいことがある。逃げ回りやがって、おかげでドントクライ先輩は重傷だ」
「ドントクライ先輩が!? ……部屋、あがって。お母さん、お茶とかいいから」
「はいはい。ごゆっくりね」
何かを勘違いしているような母親の視線を背中に感じながら、龍平は葉月の後について二階へ上がる。
「どうぞ」
「おう……」
平静を装っているが、葉月とはいえ女子の部屋。もちろん初めてのことで、どことなく落ち着かない。淡い緑のカーペットに、机とベッド。本棚には当然のようにライトノベルがずらりと並び、漫画もある。机の上には「Danger Elopement」の原稿があった。葉月はブレザーを脱いでクローゼットにしまうと、ベッドに腰かけた。
「で、何?」
「お前、文芸辞めてラ会行くんだってな」
「うん。悪い?」
「お前の意思だってならそりゃ止めねえけどさ、俺はこう思う。ラ会に行ったら、お前はライトノベル作家にはなれない」
「……どういうこと?」
葉月が眉をひそめる。
「言った通りだ。あそこで書いてても上達は見込めないってことだよ」
「はあ? 何言ってんの? あんただって見学したんだから知ってるでしょ? ちゃんと批評会をして、みんなでプロを目指してんの。昨日だって休みなのに私の小説の批評会をしてくれて、文芸と違ってみんな褒めて……」
「だからそこがダメだっつってんだよ!」
「……っ」
無意識に声が大きくなってしまった。息を飲んだ葉月に、龍平は捲し立てる。
「批評会で褒めてくれただって? おかしいだろ。お前の小説、死ぬほどつまんねえのによ。褒めるところどこにあんだよ」
「う、うるさい! 文芸部と違って、ラ会はライトノベルに慣れてるから、ちゃんと見るところを見てくれてるの。だから……」
「違う。どうして褒めてもらえたか教えてやる。……あそこの批評会が上っ面なものだからだ」
「なんでそういうこと言うの? あんたが参加したわけでもないのに」
「何度も言わせんな。本当に批評をしたら、お前の小説なんてメッコメコだっての」
見学をした時に感じた引っかかり。ラ会の批評会に覚えた違和感。その正体は、文芸部で行われた批評会と比べることで判明した。
ラ会のメンバーは妙に「褒める」ということ。絶賛される小説なんてプロが書くのだって難しい。どんなベストセラーだってマイナス評価は出る。アマチュアが書いたものなら、なおさら指摘する部分は多いはずなのだ。実際、葉月の「Danger Elopement」は文芸部の批評会で袋叩きに遭った。
しかし、ラ会では褒められたという。高城の「異世界が何とか」も、たくさん面白いと言われていたが、後で少し読ませてもらったら驚くほどつまらなかった。「リア充」や「バフ」などの意味のわからない単語が含まれた、明らかにライトノベルに慣れた人が読むことを前提にした文章にもイライラした。
下手なのにそのことを教えてもらえなければ、伸びるはずがない。
「……指摘してくれるのは秋乃先輩だけだったかも」
「どうして褒めてばっかりかわかるか? 角が立つからだ。ここで厳しい指摘をしたら、自分が批評を受ける時に何を言われるかわからない。それが怖いから、褒めてばっかりになっちまうんだ」
「そんな……」
葉月は視線を落とす。昨日の批評会を思い出しているのだろうか。
「ラ会は……慣れ合いの同好会だ。秋乃先輩には悪いけど、あそこでどれだけ批評を受けても得るものは少ない」
反論の言葉は飛んでこなかった。代わりに、葉月は机の上に置いてあった自分の原稿を手にとって、パラパラとめくった。文芸部とラ会、両方の批評を受けた原稿は、赤ペンでぎっしりと書き込まれていた。文庫一冊分あるこの原稿を、赤ペンの量だけ直すのだとしたら、由利の言った通り最初から書き直した方が早いかもしれない。
葉月は細い声で、らしくない小さな声で言った。
「だってさ……やっぱり面白いって言ってもらえたら嬉しいじゃん。私だって、これが最高傑作で、投稿したら入賞間違いないような小説だとは思ってないよ? でも、あんなに言われたら、ちょっとキツいよ……」
たとえそれが、愛の鞭だとわかっていても。
「葉月、普通のこと言うぞ。一回くらい挫折しないと、人は成長しない。小説に限ったことじゃなくな」
「わかったようなこと言うけど、あんたは挫折したことあんの?」
「ないね。挫折しないように、俺はそれ以上の努力をした。折れる前に補強した。俺はそれができる人間だ」
やっと葉月が笑った。苦笑いだったけど。
「大物になるよ」
「なんつっても、俺の『龍』は俺が生まれた時の総理大臣からとったからな」
両親は特に英才教育をしたわけでもなく、塾通いを強要したわけでもなく、いたって普通に自分や妹を育てた。平均的なお小遣い、平均的なゲーム時間の規制。それでも自分がここまで優秀に育ったのは、やはり生まれ持ったものが違うのだと認識している。ただし、文章力以外。
「じゃあ、総理大臣になれば?」
「なるよ。だからお前も小説家になれ。そしたら帯に推薦文を書いてやる。『総理もオススメ』ってな」
「いや、私は遅くても二十代でデビューするつもりだし。その頃まだあんた政治家にもなれてないでしょ」
「じゃあ俺がなるまで待ってろ」
「勝手言うな!」
いつもの葉月が戻ってきた。苦笑いではなく、声をあげて葉月は笑った。下の階にいる母親に聞こえるのではないかというほど。
「笑いすぎだろ」
「いや、ね、なんかあんたみたいな奴がいるってわかったら、落ち込んでるのが損みたいに思えてきた」
「よくわからんが失礼じゃね?」
「そうかな。別にいいじゃん。お互い嫌いどうしなんだし」
「……確かにそうだな」
そこで葉月は腰をあげ「コーヒーでいい?」と、龍平の答えを聞く前に下に降りていった。
龍平は一つ噓をついた。挫折などしたことがないと。ある。文芸部に入るきっかけとなった、「実は文章書けないことが判明した事件」だ。三題噺だったが、自分でも信じられないくらい酷い作品を生み出し、躓いたことのなかった人生に初めて土がついた。あれは落ち込んだ。具体的には体重が減った。
手持ち無沙汰になって、何気なく部屋を見渡す。まさかクローゼットを覗くわけにもいかないので、他に見るものといえば本棚だ。ライトノベルが6割、3割が漫画、残る1割がライトじゃない小説といった内訳だった。ライトノベルの隣に樋口一葉って、違和感しかないな。
しかも、かなり前に出版されたはずの「デンタル・プリンセス」あるし。ここに読者がいるよ、母さん。
仮にこの作者が自分の母だと告白した場合のことをシミュレーションしてみる。
『マジで!? サインもらってきて! 握手しに行ってもいい? っていうか、作家の子供なのに文章下手なの? ぷぷっ』
よし、絶対に言わない。
「お待たせ」
「サンキュ」
龍平が一つの決心をしたところで、葉月がコーヒーを持ってきてくれた。
「コーヒーいれながら考えたんだけどさ、どうしてあんた、ここまでしてくれるの? 家まできて説得なんてさ。やっぱ私のことが好」
「違えよバカ」
「喰い気味に!」
じゃあ何でよ、とコーヒーを雑にかき混ぜる葉月。龍平は鞄から一冊のライトノベルを取り出した。葉月が「あ」と声を漏らす。葉月に借りた最後の一冊。何故かページが濡れたようになって、厚く不格好になってしまった本だ。
「俺は、努力して、それを見せない姿勢が好きだ。だから、ここまでやった」
その本は、葉月がたくさんの書き込みをした本だった。おそらくは、気に入った文章や表現をチェックしているのだろう。所々マーカーがひいてあり、余白の部分には「自分ならこう書く」といったような文章が書かれている。そのせいで紙がよれてしまったのだ。
プロ作家の作品を添削。葉月は上達のための練習として、これを続けていたのだ。龍平に貸してしまったのは単純に間違えたのだろう。
「すっごく恥ずかしいね。それ見られるの」
葉月の頬が赤く染まっている。
「いや、お前がどれだけ本気かってのがわかってよかった。俺は、勉強でも何でも全力を尽くす主義だ。手は抜かない。だから……頑張ってる奴の応援にも全力を尽くす」
そう言ってやると、葉月は照れくさそうに頭をかいた。長いポニーテールが揺れる。
「そんな恥ずかしいセリフ、ラノベでもないよ。……すごい人と知り合っちゃった。これじゃ手が抜けないじゃん。プロになるしかないじゃん」
「だな。もしプロになってインタビューとか受けたら、ちゃんと答えるんだぞ。『プロになれたのは、ある人のおかげです』みたいな感じで」
「オッケ。約束する」
それから、葉月が練習としてやっていた既存作品の添削を見せてもらった。龍平に貸してしまった物以外にも数冊あり、どれも本が厚くなってしまうほど書き込まれていた。小説家志望が集まるインターネットのサイトでこの方法が紹介されていたらしい。ただ漠然と読むのではなく、批評家の視点で読んでみるのは確かにいい方法なのかもしれない。
「あーでも、文芸部に行ったら批評会の続きかあ。ちょいユーウツかも」
ふと葉月がそんなことを言った。「Danger Elopement」の批評は中断してしまっているので、葉月が文芸部に留まるのなら、当然続きが行われることになる。あれを発端として色々とあったが、それで批評の手を緩めるような先輩たちではない。
「お前の気持ちはわかる。そこで作戦がある。こんな物を用意してみた」
取り出したのは、龍平が書いた小説。三連休のすべてを使って書き上げた渾身の一作である。
「何それ」
「俺が書いた小説」
「マジで!? ちょっと読ませて!」
ひったくるように原稿を奪うと、葉月は黙りこくって文字を追い始めた。この時間、作者としては気まずくて仕方ない。龍平はコーヒーをちびちびとすする作業に没頭するハメになる。
短い原稿を読み終えるのに、葉月は十分とかからなかった。
「どうよ。俺が全力で書いた小説は」
「……言っていい?」
「おうよ」
「つまんない」
想定の範囲内だ。いくらプロ作家の助言を受けながら書いても、今の龍平の力には限界がある。文章も下手だし、物語も単調。もし母の力を借りていなかったら、もっと読むに耐えないものが出来上がっていたに違いない。
「だから、一緒にメッコメコにされよう。二人ならなんとか乗り切れるかもしれん」
「はあ? 作戦ってそれ? あんた頭いいんだから、もっとマシなこと考えてよ」
「うるさいな。じゃあ一人でメッコメコにされちまえよ」
「それは嫌だからあんたも道連れ」
あははと笑って、葉月は龍平の原稿を眺めた。そして「つまんないけど、一生懸命書いたっていうの、わかるよ」と、それっぽいことを言った。
「そろそろ帰る。気まずいかもしれないけど、ちゃんと部室来いよ」
「うん……」
葉月と一緒に玄関まで行くと母親が夕食を一緒にどうかと誘ってくれた。遠慮したのだが、「もう作っちゃったから」と言われたら断れない。そんな成り行きで君島家でごちそうになり、龍平が家を出るのは八時を回った頃だった。葉月の父は仕事でいつも帰るのが遅く、大学生の兄は一人暮らしをしているとのこと。いつもと違う食卓に、母親は楽しそうで、「この子をよろしく」と意味深な言葉まで貰った。
「ごちそうさま。また明日な」
玄関を出たところで龍平が言うと、葉月は視線を夜空の方に向けて呟くように小さな声で答えた。
「うん。龍平……ありがと」
「礼なんて言うなよ。気持ち悪い」
「たまには素直に受け取りなさいよ。今のは心から言ってやったんだから」
「お前……ツンデレだな」
最近覚えた言葉シリーズその1。ちなみにその2は「ツインテール」。
「違うってば! もういい。さよなら!」
「はいはい。ところで、駅どっち?」
「あっちだけど、あんた電車で来たんじゃないの?」
駅の方角を指差しながら、葉月は首を傾げる。
「いや、バイク」
「バイク!?」
翌日、放課後。文芸部室には部員が全員集まり、その中でただ一人だけ、葉月が気をつけの姿勢で立っていた。ちなみに顧問の百恵は来ていない。きっと今頃、目隠しをして神保町を歩いているのだろう。
「この度は、お騒がせして申し訳ありませんでした。これからも文芸部で活動していきますので、よろしくお願いします」
腰を九十度に曲げて一礼。それを受けて、由利は葉月の提出した退部届を破った。ついでにラ会への入会届もビリビリにする。どうやら昨日の死闘の結果、入会届を奪取することに成功していたらしい。
「よく戻ってきてくれた。お騒がせといっても、たいしたことじゃないさ。こちらの被害はドントクライが全身傷だらけになった程度だ」
「ああ。しかし問題はない。俺の体には治癒を促進するナノマシンが組み込まれている。こんなケガ、明日には治る」
見えるところはすべて包帯でぐるぐる巻きになっている宋次郎が言った。新しくナノマシンの設定が追加されたことには誰もツッコまず。だけど他の誰もケガをしていないのに、どうしてこの人だけケガだらけなのか。もしかして宋次郎、とんでもなく弱いのではないか。殺し屋なのに。
「またよろしくねえ、葉月ちゃん」
美紗子はいつもの癒しスマイル。まるで今回のことなどなかったかのようだ。
「いいねえ。今年も文芸は面白くなりそうだ」
浩史がお菓子を頬張る。面白くなりそうという意味では、浩史と由利、そして秋乃の関係の行く末もまた目が離せない。
「よかった……。私、葉月ちゃんがいなかったら寂しい……」
「大げさだよ伊吹ちゃん。転校するわけじゃないんだから」
今にも泣きだしそうな伊吹に葉月は困ったように笑う。もはや伊吹のために色々と頑張ったのではないかと思ってしまってもいいのではないか。
「ともあれ、葉月が戻ってきてくれたのも、龍平が奔走してくれたからに他ならない。さすが生徒代表、いい仕事をしたな」
「別に……特別なことをしたつもりはないですよ」
どうにも由利のシナリオ通りにことが進んだように思えて仕方ないのだが、確証もないので口には出さないでおく。葉月が戻ってきたという結果があればそれでいい。
すると由利はおもむろに携帯を操作して、そこに映っているらしい文章を読みあげた。
「こんな報告が来ている。昨日、龍平は葉月の家を訪ね、葉月の帰宅後、葉月の部屋の電気がつく。しばらくして部屋の電気が消え、約二時間後に龍平は葉月の家を出る。……さてこの二時間、暗くなった葉月の部屋で何があったのか」
「なんだそれはあああああっ!」
由利の携帯を奪おうとするが、机を挟んでいるので手が届かない。
「我が部の顧問から届いた報告だ。信憑性は高い」
あの司書兼顧問、どこかに行ったと見せかけて戻ってきていたのか。しかもしっかり監視しているし。
「違いますよ!? 部屋の電気が消えたのはリビングにいたからで、ご飯をごちそうになってたんです!」
「ほう。大胆にもリビングで葉月を食べたのか」
「大胆に違う!」
「さらに、何やらムーディーな音楽が流れてきたとか」
「それはあの人の脳内の話でしょ! 葉月、さっさと否定しろって!」
しかし当の葉月は真剣な顔で何やら考えている。
「どんなリアクションが一番面白いかな。恥じらった方がいい?」
「この場にそんな盛り上がりいらねえよ!」
息を切らせながら龍平は否定しまくって、やっとのことで由利に百恵からのメールを削除させる。みんな慌てる龍平を笑っていて、もちろん誰一人として本気にしているわけではないとはわかっていても……。
「二人とも……大人……」
「伊吹さん!?」
頬で湯が沸くほどに伊吹は真っ赤だった。
「葉月さん! どういうことですか!」
文芸部の部室なのに騒がしさはおさまらない。今度は秋乃が乱入してきた。まあ、秋乃がここに来るのはわかっていた。何せ、獲得寸前だった葉月がラ会へ行かないと言い出したのだ。
「秋乃先輩、すみませんっ。昨日電話で話した通り、私、文芸部に残ります」
「なっ……。由利! いくら渡したんですかっ!」
秋乃の怒りの矛先は由利へ。そして由利はいつものように平然と傲慢に構えている。
「金など使うか。葉月がこちらがいいと言ったのだ。おとなしく退け。家で胸でもマッサージしていろ」
「それはしますけど! ……な、ならば浩史、いい加減にこちらに来なさい。あなたなら歓迎しますわ」
またも堂々とスカウトし始めた秋乃。彼女の気持ちを知っている身としては、平静を装って浩史を誘っている姿が見ていられない。どうしても浩史と一緒に活動したいのだろう。
「誘ってくれるのは嬉しいけど、俺は文芸にいるって。まあ少なくとも、由利を好きでいるうちはな」
あ。
言っちゃった。
「……ほにゃむる」
秋乃が猫の寝言のような変な声を出しながら真っ白になって失神するまでに五秒とかからなかった。迎えにきたラ会のメンバーに抱えられて去って行く秋乃の背中に漂う哀愁が切ない。
由利はコホンと咳払い。
「さて、アホがいなくなったところで今日の活動を始めるか。もちろん、葉月の批評会の続きだ。覚悟はいいか?」
向けられた由利の挑発的な視線も、葉月は逃げずに受け止める。
「かかってこいって感じです。もう逃げません。あ、でも、その前に一ついいですか?」
葉月の目配せで、龍平は印刷しておいた原稿をみんなに配った。たった七枚の短い原稿だが、完成した一つの作品だ。
「これは葉月嬢の作品の設定資料か何かか?」
宋次郎が原稿をめくる。すぐに設定資料ではないことがわかるはずだ。
「それは俺が書いた小説です。俺のも批評してください」
部室に衝撃が走った。みたいに見えた。伊吹は小説を書いたことを知っていたので、驚いたのは先輩四人だ。
「龍平くんの? 楽しみだねー」
「へえ。連休で書いたのか。やっぱ今年の新入生は豊作だわ」
美紗子と浩史はもう読み始めている。葉月の部屋でもそうだったが、目の前で読まれるというのはどうにも恥ずかしい。
宋次郎はラムネを口に放り込み、ぼそりと言った。
「繰り返す惨劇……か」
「まだ惨劇とは決まってませんよ! 俺、作者的になんか居づらいんで外に出てます。三十分で戻りますからっ」
作者がその場にいない方が気楽に読めるし批評もできるだろうと勝手に理由をつけて、龍平は部室を出て行った。さっき全力で叫びまくったせいで喉が渇いていた。部室にお茶はあるが、時間を潰すために購買まで行くことにする。途中の芝生に何かが引きずられたような跡があるが、きっと秋乃を運んだ時のものだ。
自分も小説を提出するから、一緒に批評を受けよう。なんて、気休めにもならないことはわかっている。だけど葉月の夢を応援すると決めた以上、できることは何でもするし、もちろん応援だけではなく自分の腕を磨くために努力もする。
あーあ、と思う。
進学のことだけを考えてこの高校を選んだのに、随分と違うところに頑張ることになってしまった。まあ勉強と部活の両立ができるようでないと、人の上に立つ人間になどなれるはずもない。
きっかり三十分、龍平が部室に戻ってくると、みんなはすでに読み終えたようだった。
「さて、では始めようか。龍平の初のオリジナル小説『恋の行方』の批評を」
我らが部長、由利はボールペンを器用に回しながら言った。
「はい。よろしくお願いします」
そして。
惨劇が始まった。
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