第2話 #夢心地

格言おじさんこと園 忍は山を降りてバックパックを背負って家に向かう。もう"おじさん"に該当することはなくなったのだが。


家は荻窪近くにある。だから今、園は中央線を使っている。電車は吉祥寺を通り過ぎる。園がふと伏せていた目を車窓に向けると視線を複数感じた。園はそれに不快感は特に感じず、ただ居心地が悪くなって、黒色のベースボールキャップを被り直す。


園はスマホの電源を付けてみる。色も画面の傷もカバーも同じものだ。その時、園の脳裏には今の姿の園が何かを調べている様子がフラッシュバックする。


しかし、何を調べているかまでは分からなかった園は試しにLINEの友達欄を眺める。男だった時より友達の数自体は少なくなったものの、女友達の数は若干多くなっているぐらいだ。


最近LINEした相手は親と兄ぐらいのようだ。それは同じである。LINEの口調もあまり変わらない。


ガタン、電車が揺れる。


園はその揺れでしっかり掴んで無かったスマホを落とす。


園が手を伸ばしてスマホを取ろうとすると他の人と手が触れる。 手が触れると、園は慌てて手を引っ込め、何故か衝動的に謝った。


目の前のスーツ姿の男は園のスマホを手に取るとどうぞ、と言って渡してくる。


「ありがとうございます…。」


西荻窪駅に着く。スーツの男は乗降車する乗客の動きに合わせ、ぐいっと園に近づく。


「山登りですか?」


スーツの男は園の荷物を横目にそう言った。


「いや、キャンプです。」


園はそう答えたが、いやに話しかけくるなと感じた。車内でこんなに話しかけてくる人は小学生以来である。だからか、園はついつい正直に答えてしまう。


「へぇー、キャンプ。どこ行ってたんです?」

「山梨の方に。」


園がそう言うと、男はチャンスだと言わんばかりに僅かに目を見開いた。


「山梨ですか!山梨近くていいですよねー。私もキャンプでよく行きます。」

「そうなんですか…。」


こんなに初対面の人に話しかけてくる人がやるキャンプはワイワイガヤガヤしたBBQメインのリア充がやるようなキャンプだろうなと園は考えた。


「BBQとか楽しいですよねー。あ、お名前なんて言うんです?」


名前?車内で話しかけられて名前を聞かれたことは覚えていないが4、5歳ぐらいまでだろう。だからか、何で名乗る必要があるのかわからない園は怖くなってパッと目に付いた中吊り広告の女優から名前を頂戴した。


「戸田です。」


園が名前を答えると荻窪に着いた。パッと身を翻すとそれでは失礼しますと一言言うと降車した。


階段を下り、通路の真ん中にどんと据えられた柱の脇を通り改札を抜ける。


腕時計を確認すると、14時32分。サングラスをかける。遅めの昼食を食べようと園は考えた。


今の時間帯営業しているのはチェーン店のみ。なので駅の出口を出てすぐにある蕎麦屋で昼食をとる。ざる蕎麦を受け取ると、丸型の卓の前に座った。


蕎麦をすすりながら、園は考えた。


今の自分とかけ離れた生活は何だろうか、と。確かに体験してみたいことではある。周りから注目され、常に誰かが周りにいる生活。園にはとても想像できない。とても想像できないが楽しそうにしているのを見てどう楽しいんだろうなと思うことはある。園には友人もそんなに群れるタイプはおらず、日頃から疑問に思うことではあったしどんな気持ちで毎日を過ごしているのか疑問ではあった。


これまで私はいわゆる群れをつくる人たちに批判的だったが、毎日の人生が楽しいと言うのなら注目されたり群れたりというのをやってみたいとは思う。


とは言え、注目されるというのは難しいことではある。注目されると言えば、芸能界である。でも、夢は他にあるから辞めたい時に辞めたい。辞めたい時に辞めるのなら、ピンで活動するか大所帯で活動するかだよな、と考えたところで、自分の何時もとは違う鍛えた筋肉をまとってはいるものの華奢きゃしゃな腕を見て思う。これは夢だった、そう言えば。思い切った事をやってもいいような気がした。


と、蕎麦をズズッとすすりながら考えて、園ははたと気が付いた。あの電車の中のいやに話しかけてきたスーツ姿の男はナンパだったのだ。そう思うと、何だかんかむず痒い気持ちになった。


もちろん、男であるのでされた事など今までの人生で一度もないし、あまり新宿や渋谷といった所は行かない上、周りを気にしない性質タチの人間なのでナンパという行為自体見たこともなかった。あの会話の内情を理解すると気持ち悪いような気がするが、人生初のナンパという行為に何故か面白みと興味を掻き立てられた面もあったのだ。


園は他人事のように滑稽さを感じてニヤつきながら、七味に手を伸ばす。


格言おじさん @KAKUGEN_ojisan

Every day is a new day.

-とにかく、毎日が新しい日なんだ。


アーネスト・ヘミングウェイ


七味を手に取り、そばに振りかけていると、無造作に置かれた黒い長財布の上のスマホの画面が勝手についた。チラリと見るとメールが来たようだった。


9936。いつもなら無視するのだが、気が向いた園は画面をタップしパスワードを打ち込むとメールを見る。


それはイベントスタッフ募集のメールだった。詳しく見るためにリンクを踏む。


リンク先をスクロールしながらバイト内容を見ていると、IKB49公式ライバル誕生!行合坂女子学院メンバー募集というバナー広告があった。


アイドルか…。アイドルになれば今の自分とかけ離れた生活になるのは確かである。だが、自分があんなキャピキャピした事や媚びを売る事などが出来るかといえば出来ない。しかし、同じ世界でありながら全く違う世界を体験するには、グループアイドルはハードルが低い方に違いなかった。


園もオタクに部類される人間なので、アイドルに一家言あるというほどではないもののグループアイドルの活動がハードルは低くくとも大変なことは重々承知ではある。


しかし、これはどう考えても。自分が女性への変身願望があることは驚きであったが、所謂いわゆる夢である。


思いつきで自分に全く合わないことをやってみてもいいだろうとそのバナーを見ながら園は思った。



格言おじさん @KAKUGEN_ojisan

青春期を何もしないで過ごすよりは、青春期を浪費する方がまし。

ジョルジュ・クルトリーヌ

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