第33話 別れ
――かみ合わない考えが、これほど虚しいとは知らなかった。ばば様と呼び慕ったあの魔女が、心の中で抱えていた痛みや虚しさは、もっともっと酷かったのだろうと思うと、余計にリュンヌは泣きたくなる。
「貴方は散々悪い魔法をつかったわ。それなのに、どうしてなんの報いも受けずにいられたと思うの」
「それは……」
戸惑ったのは一瞬。すぐに魔女は誇らしげな顔になる。
「私が、とびきり優れていたからに決まっているでしょう? あの婆すらかなわないほどにね!」
「っ……馬鹿!」
思い切り、リュンヌは怒鳴った。
「ばば様が、肩代わりしてたからに決まってるでしょう! なんでばば様が、しわくちゃになったと思ってるの! 貴方に向かう報いを、全部背負い込んだせいじゃない! ――そんな事しなければよかったのに……ダメだ、いけないってわかってるのに、……それでもやっぱり、貴方が可愛いからって……!」
もしも茨の森の魔女が、肩代わりなどと言う事を考えなければ、事態はもっとはやく収束しただろう。
目の前に居る、悪い魔女の死によって。
善なる魔法使いだった、茨の森の魔女。
彼女が働いた、唯一の悪事。それは娘を失いたくないがために、きちんと罰を受けさせなかった事だ。
結果、茨の森の魔女は急激に老いて、娘の姿を見ることも出来ず、あの館で息を引き取った。
最後の最後まで、娘の身を案じ、名前を呼びながら。最期まで、己の手で娘を罰する覚悟が出来ず、すまないと泣きながら――リュンヌに頼んだ。
「どうか、あの子を止めてちょうだい。……そうやって、私にまで頼まなければいけなかった、ばば様の気持ちを、貴方は全然分かってない」
「……嘘よ。嘘よ、嘘よ、嘘よ! そうやって私を騙して、今度はどこに閉じ込める気! 出てきなさい、婆! 出てこないと、今度はこの王子様を呪ってやるわよ!」
狂ったように叫び、茫洋としているフラムに手を伸ばした魔女だったが――。
「もう終わりよ。野茨の魔女……いいえ、プリムラ」
瞬間、魔女は目を見開いた。
リュンヌが彼女の名前を口にしたからだ。
魔法使いは名を明かさない、そして精霊も。受けるべき報いをすり抜けてきた魔女も、己の名を唱えられれば逃げられない。
力ある魔法使いが真名を唱えれば、それすなわち魔法になる。
(――ばば様が、どうしても出来なかったこと。私がやるよ)
憎いからではなく、魔法使いのひとりとして魔法界の理を守るため。茨の森の魔女、最後の弟子として、師が果たせなかったけじめをつけるため。
リュンヌは、師から最期に託された名前を唱えた。
『――可愛いプリムラ、あの子をどうか』
それが、不肖の弟子がやるべき最初で最後の大仕事。
「悪い魔法を撒き散らしてきた、その罰を受けなさい《プリムラ》!」
「黙れ!……っ」
怒鳴りかけた魔女は自分の異変に気付いた。フラムに伸ばした手が、指先からどんどん干からびていく。
「な、なによ、これ……」
「……言ったでしょう。貴方が今までばば様に押しつけてきた、代償よ」
さんざんツケにしてきた報いは、若々しかった女の体をたちまちのうち干からびさせた。
「頼んでない! 私、頼んでないわ! 何で教えてくれないの! こんなのひどい、ひどいわよ! 助けて、ねぇ、助けてちょうだい……助けてお母さん!」
子供のように泣き叫ぶ声は若い女のものなのに、その体は枯れ木のようだった。
そして、今度は指先からさらさらと崩れていく。
『本当に、仕方のない姉弟子』
ため息交じりの、落ち着いた声がカボチャお化けから発された。
とたん、魔女の体の崩壊がぴたりと止まる。
「……ランたん……?」
『この手のかかる人は、口で言っても理解出来ないでしょうから……向こうの方で、お師匠様にお説教して貰うわ』
ふわり、とカボチャお化けはリュンヌの傍を離れ、座り込み泣きじゃくっている魔女の元へ寄り添う。
『いつまで泣いているの? 大好きな魔女様の元へ、私が連れて行ってあげるから、しっかりしてちょうだい』
「……っ、あ、あんた……」
顔を上げた魔女が、ランたんをみて目を丸くする。
けれど、ランたんはそれ以上言葉をかけず、リュンヌとカルケルの方を向いた。
『この人が道に迷わないよう、私が付き添うわ。……だから、私達二人を死者の国まで導いてくださいな、魔女さん?』
「え……でも……」
『今の貴方なら、出来るでしょう? ――恋を知って花開き……自分にかけた呪いを打ち破った貴方なら……』
どういう事だと首をかしげるカルケルに、ランたんは何時ものように、人間くさい仕草で肩をすくめた。
『うちに魔女さん、幼少期の体験のせいで、魔法を怖がっていたんですよ。……とどめが、貴方に生き埋めにされた事。だから……本当は魔法が使えるのに、恐怖心で自分を縛っていた。呪いは、彼女の都合の良い逃げ場だった……それが心配で心配で仕方が無かったんですけど……もう、大丈夫みたい』
語る声音は優しい。
染み入るように、どこまでも。
「……ランたん……行っちゃうの?」
『はい。そろそろ魔法も尽きそうだし……。最後に、貴方の王子様も見る事が出来ましたし、ね』
「…………」
『さぁ、魔女さん。貴方の魔法を、最期にもう一度、私に見せて下さいな』
リュンヌは、手にした杖を大きく振った。光が杖の先に灯る。今度は、円を描くようにくるくる回すと、光はリボンがほどけるようにするすると伸びていき――やがて一本の道を空へとつなげた。
果てなく続いている道へ、ランたんは魔女を導く。
おずおずと足を乗せた魔女の姿は、とたん霧散し――薄い、蝶のような羽を生やした娘の姿に変わり……光の道の先へ、溶けてゆく。
その口元がほころんで、小さく動いた。
――母さん、と。
最期を見届けたカボチャお化けは、自身もぴょんと光の道へ乗った。
『では、私も……』
「……ランたん」
『――なんて顔ですか。笑いなさい』
「――だって……」
ぐすっと涙ぐんだリュンヌを見て、ランたんは首を横に振った。
『貴方を慰めるのは、私の役目ではありませんからね。……カルケル王子、後は任せましたよ』
「もちろんだ」
『それを聞いて安心しました。――それでは。……さようなら、ね。小さな魔女さん』
あ、と小さく声を上げたのはリュンヌだった。
けれど、何か言う間もなくランたんの姿は溶けていき、描いた光の道も消えてしまう。
残っていたのは、古ぼけたカボチャお化けのぬいぐるみだった。
「……これは……たしか、君が昔持っていた……」
拾い上げたカルケルの言葉を肯定するように、リュンヌは頷く。
何か言おうと思ったが、上手く言葉に出来なかった。
「……っ……」
かわりに涙が、ぽたりと目からこぼれるおちる。
カルケルが、指先でそれを拭うが、止まらない。
子供の頃、大切に持っていたぬいぐるみ。
両親からの、贈り物。
そして――。
「魔女殿、おいで」
優しい声に促され、リュンヌはカルケルの胸に飛び込んだ。彼は泣きじゃくるリュンヌを、黙って抱きしめてくれる。
「――い、いま、私の事……小さな、魔女さんって……」
「……あぁ」
「あ、あれ……あの呼び方、私の――」
最後の最後。
ありったけの愛情を込めた別れの挨拶を聞いたカルケルは、リュンヌの言葉を最後まで聞かずとも分かっているというように、薄紅色の髪を撫でた。
「……ぁ――? ……ここ、は――」
不意に、フラムが声を漏らした。
二、三度まばたきをしたフラムは、まわりを見渡し……兄であるカルケルの姿を認めると、眉を寄せる。
その瞳の焦点はしっかりとしていたが、浮かべた表情は険しかった。
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