第30話  二人の王子、二人の魔女

カルケルが引きずられた部屋には、一組の男女が待っていた。


「連れて参りました」

「ご苦労様です。あとは、私達に任せて下さい」


 女の方が、しっとりとした声で語りかけると、カルケルを手荒に連行してきた兵士達は、ぼーっとした表情になり、一礼して出て行く。


「……フフ、素直で可愛い男達……」


 揶揄するような笑い声が耳に届いた途端、ぞわりとカルケルは全身に鳥肌が立った。


(……なんだ? なんなんだ、この奇妙な、まとわりつくような感覚は……)


 油断なく、カルケルは女の方に視線を向ける。ついで、隣の男――まだ年若い彼の名を、苦い気持ちで口にする。


「…………フラム」

「反逆者が、気安く呼ぶな」

「…………」


 兄上と無邪気に呼び慕っていた笑みはすでに無く、弟の顔には苛立ちだけが広がっていた。


「……俺は、そんなものに成り下がった覚えは無い」

「戯れ言を。――貴方は呪われた腹いせに、我が国を滅ぼすつもりなのだろう?」

「……それこぞ、戯れ言だな。一体誰がそんな事を、お前に吹き込んだ」

「今更隠し立てしても、無意味だ。……兄上、貴方が十八になるその時に、つもりつもった呪いの力で、我らを灰で生き埋めにするつもりだという事は、すでにこの魔女から聞き及んでいるんだぞ!」

 

 魔女。

 その言葉に、カルケルは反応した。

 ならば、やはりこの女がと思い、険しい視線を弟の隣にいるフードの女に険しい視線を向けた。

 ――女は被っていたフードを後ろに押しやると、剣呑な眼差しになど気付いていないかのように、優美なお辞儀をしてみせた。


「こんにちは、哀れな灰かぶり王子」


 小首をかしげた挨拶に、薄紅色の髪が揺れる。


「……馬鹿な……」


 カルケルは、あらわになった女の顔を見て、驚いた。


「……――魔女殿……?」


 目の前にいたのは、薄紅色の髪をした魔女。

 ――その面差しは、牢に残してきたカルケルの大事な少女に、よく似ていた……。


 目の前の女は、カルケルの呆然とした呟きに答えるように微笑んでみせた。

 その笑い方は、あの少女は逆立ちしてもしないだろう、なまめかしいものだ。


「あら、この姿がそんなに気に入った? ……どれだけ驚いてもかまわないわよ、灰かぶり王子。――私がいるこの場所では、灰を降らせる事が出来ないから」


 仕草や表情は、何一つ似ていない。なにより、年齢が合わない。

 ただ、血のつながりを連想させるほど、二人の顔立ちは似ていたのだ。並び立てば、大多数の人間が姉妹だと間違えるだろうほどに。


「嫌だわ、あんな無能な面汚しと間違えないでちょうだい。ふふ、あの役立たずな小娘よりも、私の方が素敵でしょう、灰かぶり王子?」

「…………貴様、なぜ彼女と似た姿をしている」

「嫌だわ怖い顔。……私が似せたんじゃないわ。あの小娘が、私に似ているの。……ねぇ、私の顔が気に入ったのは分かったけれど、そんなに熱心に見つめていていいの? 大事な話があるんじゃ無いかしら?」


 言って、女はフラムの肩へしな垂れかかる。

 しかしフラムは、無作法を咎める所か、視線一つ向けず、表情一つ動かない。

 今までのやり取りも目に入っていないようで、カルケルを睨んでいた。


「……フラム、その魔女の言う事に耳を貸すな」

「ハッ! この期に及んで、見苦しい言い訳か! ――兄上、貴方は呪いのせいで変わってしまった、この国を恨んでいるんだ、……王家の一員としての自覚を捨て、貴方は国を滅ぼす気なんだろう! 全部知っているんだ!」

「フラム、馬鹿な事を言うな。俺の話を聞け」

「聞くに値するものか! ……貴方だって、オレの言葉を無視し続けた!」


 言われて、カルケルは言葉を詰まらせた。

 呪われた兄が、弟のそばにいれば外聞が悪い。だから、弟を遠ざけた……そう言えば聞こえは良いが、本当は立派に王族の務めを果たせる弟に嫉妬しそうだから避けるようになったのだ。

 何時だって兄を慕ってくれたフラムが、避けられていると気が付いた時、物言いたげな視線を向けてきた事だって知っていて、当時のカルケルは無視をした。

 

 嫉妬しているだなんて知られたくなかった。

 惨めな兄の姿を見せたくなかった。


 ――傷ついていたカルケルは、そんな自分の行動のせいで誰かが傷つくという単純な事にも気が付かなかったのだ。

 結果が、これなのだろうか?


「……フラム、俺のせいなのか? 俺がお前を傷つけたから、お前はこの魔女に傾倒したのか?」


 そして全てを鵜呑みにして兄を排除するほど、憎んでいるのか?


 問いかけに、フラムは顔をゆがめる。

 泣き出す一歩手前のように、顔をくしゃくしゃにして頭を振った。


「オレは、王族の務めを果たす! 父上も、母上も、出来ないというのならば、オレが次代の王として貴方を討つ!」

「……お前は、王になりたいのか」

「――……っ……そうさせたのは、貴方だ!」


 たたきつけられた激情に、カルケルは目を伏せた。


「……あぁ、そうだったな……」


 フラムの言葉通りだ。

 弟が、そうならざるを得ない立場に追い込んだのは、ふがいない自分だったと。


「お前ならば、きっと良き王になるだろう。……だが、フラム。そのために、兄殺しの責を負う必要は無い」

「……兄上……?」

「俺は、呪いを解くために、城を離れたんだ」


 フラムの二つの目が、真っ直ぐに顔を上げて視線を交える兄を捕らえ……揺れた。


「……ほんとう、に? ……オレは、貴方を殺さなくても、いいんですか……?」

「まぁ、王子様。騙されてはいけませんよ。……可愛い可愛い王子様、ほら、貴方の真実は、私の語る言葉だけでしょう?」


 しな垂れかかった魔女が、蠱惑的な声で囁きかける。

 不安と、入り交じった期待に揺れていたフラムの双眸から、たちまち光が消え失せた。


「……フラム?」

「…………そう、兄上は、国を沈める…………」

「違う。俺は、この呪いを解きたいんだ!」

「国を滅ぼす、兄はいらない……かわりに、オレが……王に……」

「フラム……! ――貴様っ、弟に何をした……!」


 ぶつぶつと虚ろな言葉を繰り返すだけの木偶と化したフラムの頭を抱き寄せ、こめかみに口付けた魔女は、満足そうに唇をつり上げる。


「あぁ、貴方……怒った顔は、あの人に似ているのね」

「……なんだと……」

「貴方の姿形は、あの憎たらしくて汚らしい灰かぶりによく似ているけど、そういう顔は、……ふふ、王子様によく似ているわ。――年寄りはもういらないから、かわりに貴方を私のものにしてあげてもいいわよ? このお人形と一緒に、飽きるまで愛してあげる」


 フラムの頬を撫で、空いた手でカルケルを手招きする魔女には、欠片の罪悪感も見当たらない。


「……ふざけるな。俺を呪い、この混乱を作りだした張本人が……!」

「何を言っているの? まさか、茨の婆に、なにか吹き込まれたのかしら? ほんとう、都合の良いことばかり口にするから、困るわ、あの婆。……口だけ出して、今日は顔を出さないのかしら?」

「…………」


 誰かの姿を探すように、魔女は室内に視線を巡らせる。

 そして、目当ての物は見つけられなかったのか、不思議そうに小首をかしげた。


「こんな状況になっても手を貸さないなんて、薄情ねあの婆。……それとも、貴方は見捨てられたのかしら? ――あぁ、そうよねぇ、あんな……ちんけな小娘一人しか、味方がいないんだものね! 婆も酷いわねぇ、面汚しの弟子なんていらないからって、貴方に押しつけるなんて!」

「黙れ……! 魔女殿を侮辱するな……!」


 カルケルの激高を、魔女は白けた目で受け止めた。

 そして、つまらなそうに手をひらひらと振る。


「侮辱じゃないわ、事実よ。それより、はやくおいでなさいな。……この私が、貴方を気に入ってあげたのよ? あの忌々しい灰かぶり娘の息子である貴方を、あの娘から全て奪われてきた可哀想な私が、貴方を許してあげると言っているの」

「許す、だと? どの口が……」

「口の利き方には気をつけなさい、灰かぶり王子。……貴方には、私の寛大な計らいが理解出来ないのかしら? 許してあげると言う事は、貴方は十八を過ぎても生きていてもいいと言う事よ?」


 殺すために弟を焚き付けていた魔女が、何を言うのだろうか。

 カルケルの視線に、訝しげな色が加わった。

 しかし、魔女は気付かない――気にもとめない。そして、自らの言葉に煽られたかのように、口調に熱がこもっていく。


「私を裏切った母や、王子、見捨てて逃げた妹弟子、そして――本当なら私が得るはずだった物を全部横取りした、汚い汚い灰かぶり! あいつら全員を灰に埋めてしまえば、私が大事にしてあげると言っているの!」

「――貴様、やはりそれが狙いか……! コントドーフェ王国を滅ぼす事が、貴様の目的なのか!」

「あの薄汚れた灰かぶりを、喜んで王妃に据えた国にはお似合いよ!」

「……っ、そんな事、許すものか」


 唸るようなカルケルの声に、魔女は甲高く笑った。


「それを決められるのは、私だけだわ!」

「俺の呪いは、魔女殿が解いてくれる……! だから、野茨の魔女、貴様の企みは成就しない……!」

「あの面汚し? あの泣いているだけのお子様? ふふふ、あははははは! ――笑わせないで、灰かぶり王子。あの能なしが、私のかけた呪いを解けるわけがないじゃない。私の母だって解けない、凄い呪いなんだから」


 誇らしげに、魔女は語る。

 胸を張り、自信に満ちた笑みを浮かべ、瞳はキラキラ輝いている。

 悪意を持った魔法を使っておいて、欠片の罪の意識無く、己の力を誇っている。

 ――無邪気という言葉で片付けるにしては、あまりにも有害だった。


「ねぇ、わかる、灰かぶりの可哀想な王子。……貴方は私に降参して、この国を沈めるしかないの」


 そうすれば、あの婆もようやく私の凄さに気付くのよ。

 偉大な母を超えようと目論んでいるのか、喜悦に満ちた声で魔女は言う。


「さぁ、来なさい。この灰に塗れた汚い国を、沈めるの。そしたら、ご褒美に呪いは解いてあげる」


 けれど、カルケルは首を振った。


「――あいにくと、俺が手を取るのは魔女殿だけだ」

「あら? その小娘がどれだけ無能なのか、ご存じかしら? 私の母でも、匙を投げた無能でしょうに」

「黙れ。魔女殿は、いずれ知らぬ者はいない、すごい魔法使いになるんだからな」


 カルケルは、彼女を信じている。


「俺の呪いを解けるのは、貴様では無い。――……俺の……、世界一愛らしい魔女殿だけだ」


 あんぐりと口を開けた魔女の顔が、じょじょに赤くなっていく。羞恥からではなく、激しい怒りの衝動で染まっていく顔色は、とうとう赤黒くなった。


「どうやら、愚かなのは母親譲りらしいわね! あれがすごい魔法使いになるですって? そんな事、あるはずが無いわ!! どうせあの娘だって、私があげたガラスの靴にとり殺されて死ぬんだから!」


 カルケルの顔色が変わる。

 それを目にした魔女は、激情を治め、目を細め、猫なで声を出した。


「そう、死んじゃうのよ。――助けたい? 助けたいなら、ほら、さっさとこのいらない国を、灰の下に埋めてしまいなさい?」


 しかし、カルケルが答えを出す前に、彼の横を何かがすごい速さで通過した。

 ――風の動きを伝って、視線を動かせば……得意げだった魔女の顔に、もの凄い勢いでカボチャがぶつかっている。

 いや、ただのカボチャでは無い。

 目をこらしたカルケルは、驚嘆の声を上げた。


「ランたん……!?」


 姿を消していた、カボチャお化け。

 ならばと後ろを振り返れば――真っ直ぐな薄紅色の髪をさらりとゆらし……。


「勝手に、私の生き死にを決めないで貰いたいわね!」


 カボチャお化けを常に伴っている可愛らしい魔女が、小生意気そうな表情を作り、立っていた。




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