第27話 反逆の灰かぶり

 束の間考え事から解放され、散策してきた二人は、館に戻ってきた。

 そして、門をくぐったとき、リュンヌはあるものを目にとめた。

 それは、草陰の中で光を反射し、きらりと光った物。


 何だろうと、まじまじと確認する前に、それを持った人間が草の間だから飛び出してきた。


「反逆者め! 覚悟しろ!」


 自分が目にした光る物が、短剣だった事。

 そして、短剣は迷い無くカルケルに向けられている事。


 この二つを目にしたリュンヌの体は、自然に動いていた。


「危ないカルケル!」

「――おいっ……!」


 フードを被っているせいで、視界が狭まっているカルケルが、真横から飛び出してきた気配に気付いて動いたのは、声が響いた直後。

 リュンヌはその前に、体を投げ出していた。


「痛っ……!」


 腕に、鋭い痛みを感じた。すっと線が入るような、嫌な痛みの後には、ぐっと熱のような感覚が広がる。

 ぽたぽた、と地面に落ちたのが自分の血だと理解した時、リュンヌはすでにカルケルの腕の中にいて、短剣を向けてきた男はカルケルに殴り飛ばされていた。


「魔女殿、怪我を……」

「た、たいしたことない……」

「そんなわけがあるか! ……血が出ているじゃないか……っ、この男……!」


 ばさ、ばさ。

 灰が大量に降る気配がする。

 殴られた男は、蔑むような目をカルケルに向けた。


「忌まわしい“国沈めの呪い”め……! 国を滅ぼす、大罪人がっ……!」


 ぴたりとカルケルの動きが止まる。

 リュンヌも、男の言葉に目を丸くした。


「国沈め……?」

「……何も知らないで、この男を庇ったのか? この男は、自らの呪いを利用し、この国を沈める気なんだ! 十八の誕生日までに殺さなければ、この男が降らせる灰で、国は沈んでしまうんだぞ!」

「……黙れ……」


 カルケルの声が、震える。


「――デタラメを言うな」

「だから、早急に殺してしまえと命が出たのだ!」

「黙れ……!」


 カルケルが、叫ぶ。同時に、彼の手が動いた。

 男を殴ろうとした手は、振り上げられた直後で止まる。


「だめよ、カルケル!」

「……魔女殿……」


 我に返ったカルケルが、腕を下ろそうとした。

 しかし、男が嫌悪に満ちた声を荒らげた。


「魔女だと……? 貴様が、反逆者を庇う、薄汚い魔女か……! 恥を知れ!」


 それが、カルケルの怒りの限界だったのかもしれない。

 一度は冷静さを取り戻した双眸が、カッと見開かれた。

 今度は大声を出すことも無く、男の上に灰が降る。

 リュンヌは慌てて杖で灰を寄せようとした。しかし、カルケルが阻むように抱きしめる。


「カルケル、離して!」

「――っ」


 そこに仇でもいるような形相で、カルケルは灰の山を睨んでいた。

 こんなに怖い顔の彼なんて、初めて見た。

 ――いいえ、とリュンヌは思い直す。

 あの四人組に絡まれたときも、カルケルはこんな顔をしていなかっただろか?


「カルケル、落ち着いて! 私は大丈夫だから! カルケル……!?」


 あの時、彼は自制が効かなかったと言っていた。

 ――ならばこれも……。


(怒りで自制が効かない状態……つまり、切れちゃったって事じゃないの!)


 あの四人は、灰に埋まろうが魔法で脱する事が出来た。

 しかし、今ここにいる男は、魔法使いでは無い。どんどん積もる灰をどうにかするなんて無理に決まっているのに、カルケルの怒りは収まらない。


「カルケル、やめて!」

「この男は、君を害したばかりか、侮辱したんだぞ!」

「そんなのいいから!」

「っ! 良いわけが、あるか!」


 取り返しがつかない事になる前に、リュンヌは叫んだ。


「いいんだってば! カルケルが人を傷つけたって後悔するより、ずっとずっとマシなんだから!」

「――……なっ……」


 根が優しい王子様は、後で絶対に後悔する。

 なによりも、取り返しがつかない事態を招けば、その傷は一生癒えないだろう。


『そうですね。この子の言う通り。……カルケル王子、貴方は手を汚すべきではない』


 リュンヌの言葉を肯定する、声がした。

 同時に、積もった灰がぐんぐんと減っていく。

 開け放たれた館の扉の前。そこに浮かんでいるカボチャお化けがぱっくりと口を開け、灰を吸い込んでいた。


「ランたん……!」

『全く、手間のかかる子供達です』

 

 ペロリと灰を平らげたカボチャお化けは、ふわふわ浮いたまま近付いてきて……――。


「う、うぅ……ここは……」


 灰に埋もれ気絶していたのだろう男。目を覚ましたばかりの彼に、思い切り頭突きを食らわせた。

 当然、相手は気絶する。


「ら、ランたん……なんて事を……」

『ふん。これくらいで済んで、感謝して欲しいくらいですよ。……本当だったら、八つ裂きにしてやりたいくらいなんですから』


 つん、と澄ました返事が返ってくるが、内容が怖い。

 怯えるリュンヌに、カボチャお化けは近付いてくる。そして、毛糸で出来た手を傷口の上で振った。


「……あ」


 二度、三度と繰り返されると、血が止まり、傷口が塞がってくる。


『……ふぅ……、今の力だと、これくらいが限度ですね。……完全に治ってはいませんが、その程度ならば痕は残らないでしょう』

「…………」


 額を拭う真似をするランたんに、リュンヌは複雑な表情で視線を向けた。


「……ありがとう。……でも、本当にペラペラ喋れるのね……。それに、怪我まで治せるなんて……ランたんって、本当にただの使い魔なの?」

『…………』


 くりん、とカボチャお化けは一回転した。


「ランたん?」


 リュンヌが声をかけると、ランたんはわざとらしくカボチャ頭に毛糸の手を当てて、首をかしげる仕草をしてみせた。

 長年の付き合いから、これが「何言ってるかわからなぁ~い」という意味だと察したリュンヌは、眉をつり上げる。


「はぁ? 何でいきなり黙るの? 喋りなさいよ! ……この人のことも、気絶させちゃうし……! もう、なんなのよ、この人もランたんも!」

『待ちなさい。こんな男と同列扱いは、さすがに不愉快ですよ』


 もう話すつもりは無いという風体だったランたんが、あっさりと抗議の声を上げた。

 そして、パカッと口を開くと――気絶している男を吸い込んだ。

 明らかに容量を無視した行為だというのに、男の体は難なく飲み込まれ――突っかかりも無く、するんと消えた。


「ら、ランたんが人を食べちゃった……!」

『食べていません。しかるべき場所に、送り返して差し上げただけです』

「……しかるべき場所、だと?」


 カルケルが、初めて声を発する。 

 真っ青な、顔で。


『えぇ。賢い王子様ならば、お気づきでしょう? 今の無礼な男が、どこからの差し金か』

「……っ」

『まぁまぁ、二人とも、中にお入りなさいな。……温かいお茶でも飲みながら、お話ししましょう? なにせ、頭を悩ませていた事柄の、打開策が見つかったのですから』


 ふわり、ふわり、カボチャお化けの動きは軽い。早く来いと言い残し、さっさと館の中に消えていく。

 リュンヌは立ち尽くしているカルケルに声をかけた。


「……カルケル」

「……すまない。俺は、また……」


 ぴくりと震えるその様子は、出会ったばかりの……いや、再会したばかりの頃のようだ。


「ね、カルケル、中に入ろう?」

「……俺は……」

「カルケル?」

「……俺は、君に……こんな怪我をさせるくらいな……呪いなんて……」

 

 青ざめた顔で、まとまらない事を話す様子は、彼の混乱を物語る。

 ひどく動揺しているカルケルの手を、リュンヌはぎゅっと握りしめた。


「そんな事言わないで、カルケル」

「……だが、君に怪我を……! それに、ランたんが来てくれなければ、俺は……俺はきっと、君まで巻き添えにして……」

「カルケルは、そんなことしないわ」


 リュンヌは見ていた。

 自分の言葉で、カルケルが我に返ったことを。灰の勢いが、弱まったことを。

 ――カルケルは、人を傷つけたりしない。そんなこと、出来ない。

 

「貴方が信じられないっていうなら、私がずっと見ていてあげる。そして、最後に“ほらね、言ったとおりでしょ”って証明してあげる。だから、悲しい事は言わないで、私の王子様」

「……っ……」


 いつだって、呪いに振り回されたとき、カルケルは迷子のような目をする。

 けれど、リュンヌの言葉を聞いたとき、彼の目は迷子のそれでは無くなった。

 ようやく、帰る場所を見つけられた……――そんな、安堵が入り交じったものへと変化して……こくりと一回、頭が動く。

 声こそ発されることは無かったが、リュンヌの体に回された腕の強さが、答えを雄弁に物語っていた。

 

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