第24話 野茨の魔女

  コントドーフェ王国にその名を轟かせる、茨の森の魔女。


 リュンヌを引き取り、育ててくれた彼女には、娘がいた。


 その生まれは特殊で、精霊と人間との間に生まれた存在だった。人間とも精霊ともつかなかった娘は、独りぼっちで泣いていたところを茨の森の魔女に拾われたという。

 そして茨の森の魔女を実母のように慕い、魔女もまた半人半精の少女を、実の娘のように慈しんだ。


 そこまでは、よかった。

 誰も不幸にならず、幸せで終われた。


 娘が、精霊の気質を引き継いでいなければ、きっと良好な親子関係でいつまでも幸せに暮らせたのだ。


 気まぐれ、悪戯好き、愛されたがり――そして、それを抑える理性を持たなかった娘は、次第にあちこちに嫉妬するようになった。

 魔女の友人、そして魔女の弟子。

 数多くいた弟子は、娘の苛烈な気性に参り、残ったのは一人だけだった。

 娘は、その弟子を認め、ともに魔女の元で修行する姉妹弟子となった。

 

「その、唯一残った弟子というのが、私のお母さんなの」


 少しだけ誇らしげに、リュンヌは母のことを口にする。


「――でもね、二人が仲良くなって、それで終わりにはならなかったのよ」


 娘は自分を姉弟子と名乗った。そして、妹弟子が自分を差し置いて、母である魔女の関心をひくことを許さなかった。

 結果、妹弟子は常に姉弟子の下にいた。

 姉弟子は、あの魔女の娘ということでいろんな人にかこまれ、ちやほやされた。

 すでに、性格の苛烈さは知れ渡っていて、まともな者は近付こうとはしない。

 娘を囲むのは、いいように利用しようとしている者ばかりだったのに、娘は母の忠告も妹弟子の諫める声も聞かなくなった。

 自分の心を満たす、耳に優しい甘い言葉を選んだのだ。


「……そのうち、今度は口うるさい母親が嫌いってことで家出したそうよ」


 反抗期を迎えた子供の行動だったかもしれない。――娘が、普通の人間だったなら。

 けれど、彼女の半分は精霊であったため、本能的に人の理に縛られることへの不満があった。

 幼子のような無邪気で残酷な心に、強い力。

 人の気を惹くために、あるいは自分を無視した者への報復に、娘は自由気ままに振る舞っていたという。


「でも、とうとう茨の森の魔女に捕まって、連れ戻されたらしいの。しばらくは、家から出るなって閉じ込めたんだけど……また逃げたんだって」

「……それは……、やはり、魔法使いとしてはかなりの腕だったという事か?」

「うん、そうみたい。……でも、ばば様は今度は追いかけなかった。……引退した親友が赤ちゃんを産んでから、体調を崩しがちで、お見舞いに行っていたんだって」

「…………」

「そのお友達は、残念ながら亡くなっちゃったんだけど……。でも、赤ちゃんは元気に大きくなっていったんだよ……それが、カルケルのお母さん」

「――なんだって?」


 つまり、カルケルの母の母……実の祖母に当たる人こそ、茨の森の魔女の親友だった事になる。

 親友の忘れ形見だからこそ、茨の森の魔女はカルケルの母を見守り続け、真に愛し愛される存在の元へ導いたのだ。


「――自分が一番じゃなきゃ気が済まない野茨の魔女は、それがとっても気に食わなかった。……だから、人とは違う魔法の質を利用して、ある未亡人の体を乗っ取ったのよ。――自分よりも母の関心を惹きつけた、憎たらしい存在に、とっておきの意地悪するために」

「……嘘だろう? たかが、その程度で? そんな、普通のことに腹を立てて、いろんな人の人生をめちゃくちゃにしたって言うのか?」

「私も、初めてばば様に話を聞いたとき、そう思った。……でも、違うの。私達人間にとってはその程度で片付けられる事でも、精霊の質が混ざっている彼女には、とても理不尽な事なんだって」


 理解が出来ないと首を振るカルケルに、リュンヌは言った。


「――カルケルは、理解出来ない。……つまり、そういう事よ。彼女も、私達の考えている事が理解出来ない。到底受け入れがたい。相容れないんだって」

「だったらなぜ、人の世界に固執するんだ?」


 隠遁生活を送るでも、色々な方法があっただろうに……と呟いたカルケルだが、ハッとしたようにリュンヌを見た。


「……こういう考え方が、ないのか?」


 自分が引く、という概念が無いのだ。


「うん。……人間と精霊は違う。愛し方すら違うの。精霊は、恋した人間に思う相手がいれば、その人を呪う。そして、やめて欲しいと懇願する相手に、無理矢理愛を誓わせる。そこまでしておいて、飽きたら簡単に捨ててしまう。……精霊と人が結ばれる事なんて、滅多にないけど、文献に残っている記録を辿ると、そんなのばっかりだったわ」


 違う理で生きている存在。

 その気質を受け継いでしまった野茨の魔女は、人の世に馴染もうとはしなかった。

 もしかしたら、散々迷惑を振りまくことが、彼女の親愛表現だったのかもしれないが……そんな方法では、他者は悪意しか感じない。


「もう一つ、気に入らなかった事があるらしいの」

「なに?」

「ばば様が、貴方の両親を結びつけた事よ」

「は?」

「――二人はきっと結ばれるって、ばば様は一目見た時思ったんだって。二人の波長はぴったりだから、時が来れば必ず出会って結ばれる、運命の相手だって」


 ――母の関心、他者の関心、運命の相手という特別な響き。それは全て自分のものだという肥大した考えは、咎める者のいない場所で手が付けられないほど大きくなった。


「ばば様は、親友を亡くしてから少しの間、貴方のお母さんの成長を見守って、……それから、逃げ出した自分の娘を探す旅に出たんだって。……入れ違いで、野茨の魔女は国に戻って来た。たぶん、隙を狙っていたんだと思う」


 そして、後は誰もが知っての通り。意地悪な継母が、継子いじめに走るのだ。少なくとも、対外的にはそう見えただろう。

 けれど、咎め立てするよな良識のある人々をも、野茨の魔女は自らの力で操った。

 ――結果として、近隣住民総出で、あの家の暗部を隠蔽するような形になったのだ。

 

「人の意思を、ねじ曲げるなんて……」

「凄い魔法でしょう? でもね、悪い魔法は強力だけど、その分負担が大きくて、報いが返ってくることがあるの」

「……報い?」

「……野茨の魔女は、いろんな人の心を操った。人の体を奪い取った。……やってはいけない事ばかりなのに、罰を受けていない」


 リュンヌは、視線を落とす。

 ぎゅっと握った自分の拳を、ただ睨んでいた。


「……肩代わりさせたのよ」

「え?」

「……知ってる、カルケル? 魔法使いはね、年を取らない……っていうと大げさだけど、力の強い魔法使いほど、ゆるやかに年を取るの」

「……だが……」


 カルケルの物言いたげな視線を受け、リュンヌは続けた。


「――ばば様は……茨の森の魔女は、この国一番の魔法使いなのに、頭が真っ白のおばあちゃんでしょう?」

「……あぁ」

「それが報いよ、カルケル」

「――は? 待ってくれ……。悪事を働いているのは、娘の方だろう? なぜ……」

「……ばば様が――茨の森の魔女が、そう願ったから」


 リュンヌが覚えているのは、かさかさにひび割れた唇で、愛しげに誰かを呼ぶ魔女の姿だ。

 

「……私のお母さんが、茨の森の魔女の弟子だって、さっき言ったでしょう? ……だからもう、気付いていると思うけど……、私とばば様には、血のつながりがないの」


 周りは、私の事を“あの人”が生み捨てた子供だと思っているみたいだけれど、と呟く。


「――茨の森の魔女の娘は、あの……嫉妬に狂って不幸をまき散らしているあの人だけ。私は孫同然に扱われても、孫じゃ無い。ばば様が大事だったのは、あの迷惑な人だけ」


 自分を象徴する文字を一つあげた、野茨の魔女だけなのだ。

 リュンヌの言葉を、悲観と受け止めたのか、カルケルが憂い顔になる。


「……魔女殿……」


 痛ましげに呼びかけられたため、慌てて首を横に振って、明るい声で否定した。

「勘違いしないでね。別に、悲しいわけじゃないから。いじけているわけでもないし!」

「……だが」

「本当に、本当よ。私は、あの人にとって仮初めの家族だったけど……だけど、ばば様にはよくして貰っていたもの……だから、約束したの」


 思い出すのは、老いた魔女の姿と声だ。

 お嬢ちゃん、どうかあの子を止めておくれ。

 ひび割れたカサカサの声は、いつも決まって、最後に同じ懇願をした。


「もしなにかあれば……私が、ばば様に変わって、あの魔女を止めるって」

「…………」

「独りぼっちになった子供を引き取り、実の孫同然に育て、魔法の心得を教える。かわりに子供は、恩人の身になにかあれば、代わりに……両親を奪い自分を呪った魔女を捕まえる。……それが、私と茨の森の魔女が交わした、約束なの」

「……そうか……」


 カルケルが、目を伏せた。


「……やはり、茨の森の魔女は……――もう、この世にいないんだな」


 察していたのだろう。

 カルケルは、落ち着いた様子で受け止めた。

 だから、リュンヌも静かに頷く。


 祖母と呼んだあの人は、この館にいない。留守にしている。不在だ。

 並べた言葉は、どれも事実だ。

 ただ……もう二度と、帰ってくる事は無い。


「――……もしも自分が死んだら、あの子を捕まえるまで、絶対に死んだことを明かしてはいけないって……」


 自身の死が明るみに出て、どこぞへいる娘の耳に入れば……――完全に箍が外れ、今まで以上に暴走するだろう。……それを、茨の森の魔女は恐れていた。それくらい、茨の森の魔女は道を踏み外した娘を愛していた。


 皮肉なことに、それを一番伝えたかった存在には、届くことがなく終わったのだけれど。

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