第106話 予兆

 ツアー初日の石川県でのライブ後、SNS上にはマリッカのパフォーマンスを絶賛する声が溢れていた。


「莉子ちゃん可愛すぎ! 歌も最高」


「マシュー様マジイケメン! ギターもピアノも完璧とかこれもうほぼ神じゃない?」


「ベースの子めっちゃかっこいい! 俺は莉子ちゃんよりベースの子派かも」


「ダンボはやっぱりレジェンドだった。生きてる間にあのドラムがまた聞けて幸せ」


 とか、大体こんな具合だ。


 そこに俺たちcream eyesの入り込む余地は無く、誰もオープニングアクトのことなど覚えていないかのようだった。

 だが、2日目の長野県でのライブ後は違った。SNS上でちらほらと俺たちの話題を出してくれる人が現れ始めたのだ。


「マリッカの前に出てたバンド、なんか暗い感じでマリッカの雰囲気に合ってなくなかった?」


「いきなり出てきて『聞いて』だけとか、なんか嫌な感じ」


「マリッカに比べると地味」


「あのオープニングアクト必要?」


 秋田駅から徒歩15分ほどの場所にあるホテルのトリプルルーム(女子部屋)で、スマートホンの画面とにらめっこしながら、玲はぷるぷると震えていた。


「チックショー!」


「うわビックリしたぁ」


 どこぞの和服女装芸人ばりの声を上げる玲。エゴサーチは時に人を傷つけるものだ。わかっていても辞められないのは、現代っ子のさがだろうか。

 だが、玲が声を荒げるのも理解できる。だって、SNS上に上げられた俺たちへの感想が、否定的なものばかりだったのだから。


「うぅ。昨日の私たち、そんなに駄目だったでしょうか」


「駄目ってことは無い……はず」


「そうだよ玲ちゃん。CDだって初日の10倍も売れたんだから」


「悪名は無名に勝るって言うやん。それだけお客さんの印象に残ったっちゅーことやしな。スルーされとった初日に比べたら、えらい進歩やって」


「そういうもんでしょうか」


「そういうもんやろ。知らんけど」


 SNSの感想では確かに批判ばかりが目立つ。だが、俺たちのCDはその日160枚も売れたのだ。これは実に、来場者の約三人に一人が購入した計算になる。はっきり言って快挙と言えるだろう。

 しかし、その割に俺たちに対して肯定的な意見が見当たらないのは何故だろうか。CDを買ってくれたということは、俺たちの音楽を気に入ってくれたということだと思うのだが。


「まぁ、うだうだ考えてもわからないものはしょうがないよな。明日のライブも、俺たちは俺たちの音楽を見せつけるだけだし」


 それが正しいと信じたから、もし受け入れられないなら、それは俺たちの音楽が求められていないのだと納得できるはずだ。


「とりあえず日下部さんに連絡するわ。次も相談なしで好き勝手やったらツアー同行中止だって言われてるし」


 そこへコンビニに飲み物を買いに行っていたみはるんが戻ってきた。


「ただいま―」


「おかえりー」


「さっきさ、そこで莉子ちゃんに会ったんだけど」


「そう言えばマリッカも今日はこのホテルに泊まってるって言ってたな」


「何かすごい体調悪そうだったけど、大丈夫なのかな?」


「体調悪そう?」


「足元ふらふら~ってしてて、転びそうになったから咄嗟に支えてあげたんだけどさ。最初私だって気づかなかったみたいで、すごい驚かれちゃった。すぐにありがとって言ってくれたけど」


「みはるんは莉子ちゃんと直接絡んでないし、すぐにわからなくてもしょうがないんじゃない?」


「まぁそうかもだけど」


「ふらついてたってのは心配ですね。貧血とかでしょうか」


「マリッカにとっても初めての全国ツアーやし、移動しながら二日連続1時間以上ライブやるってのもしんどいやろからなぁ。疲れが溜まってても無理ないわ」


「日下部さんにも一応報告しときますね」


 日下部さんに電話をすると、ちょうどこれから川島さんと打ち合わせをする予定だったとのことで、俺たちはそのままホテルの最上階にあるレストランへと呼び出された。

 眺めの良いレストランだが、16時という半端な時間のためか、俺たち以外にほとんど客はいなかった。日下部さんたちを探していると、エレベーターからマリッカの面々も降りてきた。


「何見てんのよ」


「いや、別に」


 莉子の様子を見ていたら悪態をつかれた。元気そうじゃないか。


「クリームの皆さーん。こっちっすよ~」


 間の抜けた声で日下部さんが俺たちを呼ぶ。どうやら奥に座敷の個室があるらしい。それにしても、クリームの皆さんという呼び方はどうにも締まらないのでやめて欲しいのだが。


「みなさん、集まってくれてありがとうございます」


「まったくよ。今日はせっかくオフだってのに。誰かさんのおかげで私たちまで打ち合わせに呼ばれる羽目になるなんて」


「まぁそう言わずに」


 莉子は席に座るなり長い脚を組んで悪態をついたが、その「誰かさん」には琴さんも含まれていることを理解しているんだろうか。


「で、議題は明日のライブについて、ですよね。僕らではなく、cream eyesの件だと思いますけど」


「ええ。昨日のようなことが無いように、ここでしっかり確認をしておかないと」


「その件なら私たちは口を出さないわ。好きにやらせてかまわないから」


「しかし、昨日のライブでは……」


「あれれー? ミヤっちには昨日、アタシたちがcream eyesの空気に呑まれちゃったように見えたのかなぁ?」


「そういう訳ではありませんが……」


「川島さん、安心してください。僕たちはどんな状況でも、お客さんが100%満足するパフォーマンスを見せられます。むしろcream eyesには一番自信のある曲をってもらいたいですね。その方が、ライブ全体のクオリティが上がりますから」


 この感じ、マリッカは俺たちを擁護してくれているわけではない。俺たちが何をしようとも、自分たちのライブは揺るがないことを証明したいのだろう。俺たちがやりたいことを拒否するということは、「cream eyesが作り出した会場の雰囲気を覆せない」と言うのと同意だからだ。

 それを絶対に認めたくないのだ。全員プライドの高さが半端じゃない。


「SNSでは昨日のクリーム・アイスのライブに否定的な意見が多かったっすけど」


「そうですよ。お客さんの反応は初日の方がずっと良かった。ライブ全体のクオリティを上げると言うなら、なおさら昨日のようなオープニングアクトは問題なのでは?」


「そんなの、否定したがりの声が大きいだけですよ。そもそもSNSで否定の声が多いって、具体的に何件ぐらい書き込みがあったんですか? 一人が複数回ネガティブな発言をしている場合もありますし、そういう印象になっているだけでしょう。だって、cream eyesのCDは初日よりもずっと売れたんですよね。それなら、満足したお客さんは多かったってことじゃないですか」


「それはそうかもしれませんが……」


「それなら、私たちの話はこれでお終い。もう部屋に戻ってもいい? 明日に向けてしっかり身体を休めたいんで」


 莉子はそう言うと、川島さんたちの返事を待たずに立ち上がった。自分たちに自信があるのはわかるのだが、俺にはその態度がどうにも気にかかった。


「おい、いくら何でも川島さんに失礼じゃないか」


「はぁ? あんたがそれ言う? 誰のせいで私たちがこんな場所に呼ばれたと思ってんの」


「うぐ……それは」


「わかりました。マリッカの皆さんはもう戻ってもらって結構です。ご足労ありがとうございました。一ノ瀬さんも、もういいですから」


「川島さんがそう言うなら」


 あっさりと返り討ちに合い、結果的に川島さんに気を使わせてしまった。慣れないことをするものではないと痛感する。

 莉子はふんっと踵を返し、座敷を出ようとした。だが、なぜか部屋の出口で立ち止まった。


「どうしたの?」


 牡丹が声を掛けると、莉子は深呼吸をしてから靴を履いた。


「何でもない」


 そして、そのまま振り返ることも無く店を出ていった。


「それじゃあ僕らはこれで。cream eyesのみんなには、明日も自由なやり方でベストを尽くして欲しいな」


「ほな、そうさせてもらおか」


 マシューと牡丹が座敷を出ていき、最後にダンボが立ち上がってこちらに近づいてきた。また「さっきの莉子ちゃんとのやりとり、実に良かった」とでも言うのだろうか。


「君たちには期待してる。彼女を怒らせてくれてありがとう。これからもよろしく」


「……はい?」


「それじゃあまた明日」


 彼女、とはおそらく莉子のことだろうが、まさか怒らせたことに謝辞をもらうとは。俺たちが焚きつけるほど対抗心を燃やしてくるから、それがバンドにプラスになると言う意味だろうか。いつもと違う穏やかな雰囲気のダンボに、何故だかそれ以上聞けなかった。


 ふと視線を出口から戻すと、川島さんが頭を抱えていた。


「はぁ、これだから天才って人種は……」


「でも良かったっすね。マリッカが寛大で」


「日下部さんにはあれが寛大に見えましたか」


「え、違うんすか?」


「はぁ」


 何だか、川島さんに対して申し訳ない気持ちで一杯になってくる。この人、土田さんにもマリッカにも振り回されてて、日下部さんは良い人だけど天然って言うかもう馬鹿だし。間違いなく今回のツアー関係者の中で一番の苦労人だろう。


「結局、私たちはどうすればいいんでしょうか……」


「そう言えば、土田さんにも話を聞くって言ってましたよね。土田さんは何て言ってたんすか?」


「土田ですか。はぁ、そうですね。ただ一言『それで良いんだよ』と。ふふ、私が頑張ってきた事前の調整って何だったんでしょうね。うふふふふふふふ」


「これはあかん」


 琴さんの合図により、俺たちは全員立ち上がった。素面のはずなのに、川島さんが酒席のような状態になっている。これは間違いなく危険信号だ。


「そ、そう言えば、さっき俺たちのドライバーやってくれてる子が莉子がふらついてるところに出くわしたって言ってました。莉子も休みたいって言ってましたし、やっぱ疲れてたんですかね」


「そうですねぇ。最近スケジュールきつかったですし。はぁ、私も休みたいなぁ」


「それじゃあ俺たちは昨日と同じように、cream eyesの色を前面に出せる楽曲で勝負します。今度はちゃんとリハからそれでやるんで、よろしくお願いします」


「あはははははは。そうですか。頑張ってくださいねー」


「お、お疲れさまでした! 日下部さん、あとはお任せします」


「任せる?」


「それでは失礼します!」


 そそくさと座敷を後にした俺たちは、逃げるようにエレベーターに乗り込んだ。


「と、とりあえず俺たちは俺たちのやりたいようにできるってことでいいんだよね」


「ええんちゃう? マリッカも土田さんもそう言うてくれてはるし」


「それじゃあ明日に向けて準備しなきゃですね! 演奏曲は長野の時と同じで良いでしょうか?」


「そうだなぁ。それももう一回みんなで考えてみよう」


 その後、俺たちは再び女子部屋に戻って演奏する曲について、ステージ上でのパフォーマンスについて話し合った。昨日よりもより強くお客さんに印象を残すために。世界中の人々を、振り向かせるために。それぞれの考えを忌憚なくぶつけ合った。

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