第53話 ハートに火をつけないで

「マジでごめん!」


 談話室で顔を合わせるなり、京太郎は頭を下げてきた。


「当日のドタキャンは勘弁してくれよ。ライブも近いのに」


「ホントごめん! みはるんが急に体調悪くなっちゃってさ、看病しに行ってたんだ」


「彼女一人暮らしなの?」


「あぁ。だから病気の時は誰かいてあげなきゃかわいそうだろ」


「……俺より琴さんにちゃんと謝っといた方がいいぞ。だいぶご立腹だったから」


「それはわかってる。気が重いけど……」


 京太郎からおふざけなしの謝罪を受けたため、文句を言ってやろうという思いは影を潜めた。だが、モヤモヤした気持ちが完全に無くなったわけではない。

 みはるんの体調不良がどの程度だったのかはわからないが、それは事前に決まっていた練習をドタキャンするに値することなのか。そんなことを考える自分が器の小さい人間に思えて、余計にモヤモヤが募った。


 玲の言っていた通り、恋人ができることで京太郎にプラスになることもあるだろう。そのうち玲や琴さんに恋人ができたってなんの不思議も無いし、俺にだって彼女ができるかもしれない。そうなった時に、誰かが恋人を優先する機会はまた出てくるだろう。これが何度も続くようであれば問題だが、一回のドタキャンで頭ごなしに否定するのではなく、理解していくことが大切なんだ。

 そう自分に言い聞かせることにした。


 翌日、ハコでの練習に京太郎は遅刻することもなく顔を出した。


「うし。そんじゃ新曲、詰めていこうか」


 京太郎の集中力は異様なほどに高かった。新曲のギターフレーズもしっかりと仕上げて来ていて、前回のドタキャンを取り戻すかのような良い出来だった。


「よかった」


「何が?」


「いやさ、彼女ができて現を抜かしてやいないか心配だったからさ」


「みはるんにカッコ悪いところ見せられないからな。今の俺はこれまで以上にモチベ高いぜ~」


 玲の言っていた通りだ。京太郎は恋人ができたことで、バンドに対する意識がより高まっている。みはるんを大事にすることでその気持ちが高まるなら、この前のドタキャンだって必要なことだったと言えるのかもしれない。


「新曲も固まったし、一回新しいセットリスト通してみよう」


 これなら次のライブもうまくやれそうだ。


「晩飯食いに行く人~」


「はーい」


「沖楽亭? ほんなら行くわ」


 cream eyesの活動は良い波に乗れていると思うが、ただライブを重ねていくだけでは人気を高めるには不十分だ。これからどうしていくべきか、皆と話し合いがしたかった。しかし、


「俺はちょっと……」


 京太郎は申し訳なさそうに断りを入れてきた。


「何か予定あるの?」


「みはるんが晩飯作ってくれてるみたいでさ。今日は先に帰るわ」


「みはるんって料理できるんだ。なんか意外」


「なんだァ、てめぇ……」


「でもまぁ、それならしょうがないか」


「あぁ、悪いね。お疲れっした」


 エフェクターが大量に詰め込まれたアルミケースを抱えて、京太郎は駅とは逆方向へと歩き始めた。みはるんの家の方向がそちららしい。


「それじゃあ3人で行きますか」


「師匠は彼女思いなんですね」


「初めてできた彼女らしいしなぁ。熱が入るのもしゃーなしやな」


「俺だってそのうち……」


「何か言うた?」


「いえ、なんでも」


 沖楽亭に着くなり、琴さんはジョッキのビールを一気に飲み干した。


「っぷはぁ!」


「暑くなってくるとビールがうまいっすね!(ビール苦っ)」


「いいなぁ、私も早く一緒に飲めるようになりたいです」


「玲ちゃん誕生日いつなん?」


「11月21日です」


「なんや、あと3ヶ月くらいで飲めるようになるやん。楽しみやねぇ」


「いやいや、私まだ18ですから。誕生日過ぎても飲めませんよ」


「まぁまぁ、そう固いこと言わんで」


「琴さん、未成年飲酒とかバレたらバンドもサークルも終わるんで勘弁してください」


「何や朔、マジメか」


「マジメですよ。バンドに関しては」


「18歳で成人になるんやなかったっけ?」


「あ、それお酒は20歳にならないとダメらしいですよ。お父さんが言ってました。だから飲み会でもお前は飲んじゃダメだぞって」


「酒も飲めんのに責任だけ大人扱いとはえげつないなぁ」


「それを俺らに言われましても」


 何だろう、琴さんの絡み始めるタイミングがいつもより早い。普段なら一杯目からこんな風にはならないのに。


「焼肉定食、お待ちどうです」


「あ、それ私です!」


 玲はマイペースに大盛ご飯の定食にがっついていた。今頃京太郎はみはるんの手料理を食べているんだろうか。そう思うと、何故だか負けた気持ちになってくる。


「琴さん、相談良いっすか」


「金なら貸さんで」


「違います。京太郎のことなんですけど」


 俺はもつ煮込みが真っ赤になるほど七味唐辛子をぶち撒けながら、ちびちびとビールを口に運んだ。


「あいつに彼女ができて、バンドは良い方向に行くと思います?」


「何やそれ。そんなん京太郎次第やろ。ウチらがどうこう言う問題ちゃうやん」


「まぁそうなんですけど……あいつも今まで何だかんだバンドを最優先してくれてたと思うんですよ。バイトしまっくてるのも機材買うためだし。もしあいつの中の優先順位が、彼女が一番になってるんなら……」


「仮にそうやったとしたら、別れろって言うん?」


「いや、そういう訳じゃ……」


「女々しいなぁ。彼女とバンド、どっちが大事なの!? なんて、今日日きょうびラブコメのヒロインでも言わんで」


「そうなんですけど、そうなんですけどぉ! なんかモヤモヤするじゃないですか。琴さんだって何か酔いが早いし、モヤってるんじゃないんですか?」


「ぁあん?」


 やばい。と思ったが、頭を軽く叩かれるだけで事なきを得た。


「そんなら朔も彼女作ったらええやん」


「できるならそうしてますけど!?」


 琴さんはケラケラと笑っていた。悔しい。こうなったら意地でも彼女作ってやろう。


「まぁ全く心配してないって訳でもないんやけど」


「琴さんの心配って何ですか」


「京太郎より、みはるんやっけ? あの子の方の心配や」


「みはるんが? 何で」


「あの二人を見ててわからんかったか?」


「?」


 俺が首を傾げていると、玲が肉をつつきながら割って入ってきた。


「私は朔さんの気持ち少しわかる気がします」


「だよね? 何かモヤモヤするよね?」


「モヤモヤと言うか……正直言うと、私みはるんさんのことちょっと苦手で……あはは」


 玲は申し訳なさそうに笑っていた。俺の中で人懐っこさには定評のある玲が、そんなことを言うなんて意外だった。二人は挨拶をした程度の間柄なのに。


「苦手って?」


「何て言うんですかね。私、初対面の人にあんなに敵意を向けられたの初めてだったので……師匠の彼女さんですから、仲良くしたいんですけどね」


「え、そんな感じだったっけ?」


 そういえば、俺もあの時みはるんの言葉に棘があるように感じたが、言われた本人はそれ以上に何かを感じ取っていたんだろうか。


「琴さんの言う心配ってのも、それですか?」


「せやな。ウチもあのみはるんって子、かなりのニトログリセリン野郎やと思うわ」


「何すかそれ」


「取り扱い注意ってことや。ウチはどうやら無害認定されたみたいやけど。玲ちゃんはまぁ、あかんやろな」


「言ってる意味がよくわからんのですが」


「みはるんからしたら、玲ちゃんは恋敵こいがたきになるかもしれんと思われたんや」


「はぁ?」


 玲がみはるんの恋敵になる? 説明を聞いてもなお、俺には理解ができなかった。


「それってあれですか? 玲が京太郎のことを好きになるかもしれないって、みはるんは思ってるんですか?」


「そういうことや」


「あはは、ありえないんですけどね」


「ホンマになぁ。失礼な話や」


 さらっと京太郎が酷いことを言われているような気がするが、それは置いておこう。つまり、みはるんは玲に対抗心を燃やしているということなんだろうか。


「京太郎のバンドに対してのモチベーションは下がってない。むしろ前より上がっとる。今日の練習でもそれはわかったわ。まぁ前みたいなドタキャンとかはあかんけどな。せやけど、みはるんが暴走したらどうなるかはわからん」


「暴走って?」


「さっきの朔と同じや。私とバンド、いや、私と玲ちゃんのどっちが大事なの! って」


「そんなことありえます?」


「みはるんがスイーツ系の恋愛脳やったら十分ありえるで。そう言われた時、京太郎がどう答えるかはわからん」


「マジですか……」


 スイーツ系恋愛脳女子。これで雑誌の特集が組めそうな響きだ。


 人前でも堂々といちゃつく。甘ったるい呼び方を好む。初対面の相手でも、彼氏を取られまいと警戒して敵意を向ける。彼氏のために手料理を作って待っている……


 短い接触ではあるが、これまでの話を振り返るとみはるんがスイーツ系である可能性は高いように思えた。


「京太郎、大丈夫ですかね」


「まぁ、京太郎はそんなことまったく考えとらんやろうけど」


「えぇ……」


 俺は何だか恐ろしくなってきた。彼女を作るのはもう少し自分のレベルが上がってからにしよう。そう思った。


「何で彼女が作れる前提なんや」


「また心を読まれた!?」


 今はただ、みはるんの導火線に火が付かないことを祈るばかりだ。

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