第36話 戦いはすでに始まっている

 18時05分。予定の時間よりも5分ほど遅れて、一番手のWalter's Gardenがステージの上に現れた。ホールには彼らの友人であろう高校生が10人弱の他、今日の出演バンドやそのお客さんたちが既に数名来場しており、30名ほどの人がステージを見守っていた。

 ブッキングライブの場合、どの出演バンドも自分たちの出演予定時間をお客さんに伝えているため、どうしても一番手のバンドは見てもらえる人数で不利になってしまう。そう言った意味で言えば、自分たちだけで10人弱のお客さんを集めたWalter's Gardenの集客は、けっこう頑張っていると言えるだろう。


 しかし予想通りというか、逆流する頸静脈の面々はホールに姿が見えなかった。対バン相手のライブを見ないということは、ライブ全体を盛り上げようという気が無いということと同義だ。非協力的な態度を取っているバンドは、他のバンドからも見放されてしまう可能性が高い。

 それに比べて、ハーレム・キングのメイドさんたちはすごい。Walter's Gardenのお客さんと思われる高校生たちを押しのけて最前列をキープしている。ステージ前にずらりと並んだメイドさんたちの姿は中々に異様だが、出演バンドを盛り上げようという心意気が伝わってくる。こういうバンドに対しては、自分たちも盛り上げてあげたくなるものだ。


「さぁ、始めようか……」


「ひゅーひゅー!」


「待ってたよ~!」


 ボーカルが話し始めると、メイドさんたちからわかり易く黄色い声援が飛ぶ。それに後押しされるように、高校生たちも声を上げていた。

 粘度のあるボーカルの声質とコーラスを多用したギターの音色が絡み合う、ビジュアル系のテイストを持つ楽曲の演奏が始まると、メイドさんたちは手を上げたり体を揺らしたりしてリズムに乗って見せた。


 ブッキングライブの会場という空間は、サークルのライブ会場と明らかに異なる点がある。それは設備の充実度等ではなく、という点だ。周りが見知った者ばかりであったり、ワンマンライブのように同じバンド目当てで来た者ばかりであれば、観客は委縮せず盛り上がることができる。

 きっとこの場にいる高校生たちも、ここが文化祭のステージであれば、周りを気にすることなく大いにはしゃいでいたに違いない。だが、今回は違う。知らない人たちがいる場所では、どうしても周りを気にして遠慮がちになってしまうものだ。

 だがそんな中、ハーレム・キングのメイドさんたちのように、率先して盛り上がってくれる存在がいると、「自分たちも遠慮しないで良いんだ」という気持ちが芽生え、気持ちよく盛り上がることができるのだ。


「どうも……ありがとう……」


 ステージ上の4人組は、実に気持ちよさそうに演奏していた。正直、楽曲のクオリティも演奏のレベルもそれほど高いとは思わなかったが、それでも会場の雰囲気は十分すぎるほど温まっていた。


 Walter's Gardenがライブを終えてホールへとやって来ると、メイドさんたちがメンバーにハイタッチを求めていった。


「お疲れさまでーす!」


「お、お疲れ様……」


 さすがのクールキャラも、メイドさんの勢いに押されハイタッチに応じていた。顔を赤くしていて、高校生らしい初々しさが感じられる。


「あれはすごいな」


 琴さんが感心したように言った。


「最初のバンド、かっこ良かったですね」


「ちゃうちゃう。バンドやなくて、メイドさんの方や」


「メイドさんが? すごい楽しそうにしてましたけど」


 玲は彼女たちの凄さがまだ理解できていないようだった。


「最初のバンド、ウォルターズなんちゃらは、はっきり言うてパッとしないバンドやと思う。高校生にしては頑張っとるとは思うけど」


「琴さん手厳しい……」


「まぁウチの感想やけどな。せやけど、メイドさんたちはそれを全力で楽しんで見せた。あれをやられると、演奏してた側はメイドさんたちに恩義を感じるもんなんよ。何度かライブを経験しているバンドやったら、冷えっ冷えの観客の前で演奏するなんて経験もしとるはずやからね」


「なるほど」


「そうなると、あのウォルターズなんちゃらはメイドさんたちのバンドを応援せんわけにはいかんくなる。よっぽど心無いやつでない限り」


「ふむふむ……ふむ?」


「つまり、あのメイドさんたちはライブをする前からファンを獲得したってことや」


「お~! なるほど!」


 琴さんの言う通り。メイドさんたちはまず、自分たちの演奏で盛り上がってくれる4人のファンを獲得したのだ。あわよくば、Walter's Gardenが自分たちのお客さんたちにハーレム・キングのことを宣伝してくれる可能性もある。


「すごい。ライブって、演奏だけが勝負じゃないんですね」


「まぁ、あれはメイドさんたちの強烈なキャラがあってこそ成り立つ部分も大きいけどなぁ。普通はあそこまでやりきれんて」


 玲はあらためてメイド軍団のやり手っぷりに感嘆の声を上げていた。たしかに、ライブハウスでは自分たちの演奏以外の振る舞いによっても、お客さんからの評価が変わってくるものだ。


「メイドさん、俺らの時も盛り上げてくれるかな」


 京太郎は羨ましそうにWalter's Gardenの面々を眺めていた。


「だと良いけど。でもお前、応援されたらされたでテンパるんじゃないの」


「そうだな。って、ばっかお前! 超ノリノリでやってやるっての!」


「期待してるわ」


 和気藹々とした雰囲気の中、二番手の逆流する頸静脈がステージに登場した。


「あれ、あいつらのお客さん全然来てなくね?」


 京太郎が耳打ちをしてきた。確かに、ホール内にいる人数が先ほどからほとんど変わっていない。俺たちを見に来てくれたサラダのメンバーが3人増えただけのようだ。むしろ高校生の何人かは帰ってしまったようで、最初よりも人数が減っている。


「まさかの集客0人かよ……」


 ブッキングライブでは、出演バンドの集客が0人ということもそう珍しくない。アマチュアバンドの客は、大抵がメンバーの友人たちである。今回cream eyesは初めてのライブなので、サラダボウルの面々の多くが見に来てくれると言っていた。だが、それは初回ボーナスのようなもので、その友人たちだって毎回毎回見に来てくれるわけではない。ライブの回数を重ねれば、それはなおさらだ。


 それでも集客0という事態はバンドとしては絶対に避けなければならない。対バンライブの最大のメリットは、それまで自分たちと無関係だった人にも自分たちの音楽を聴いてもらえるという点にある。自分たちはそのメリットに貢献せず、他のバンドからの甘い汁だけ吸おうとするのは褒められたものではないからだ。


「メイドさんたちも、あいつらには協力する気が無いみたいやな」


 琴さんの言う通り、最初にあれだけ場を盛り上げていたメイドさんたちも皆ホールの後ろの方で静かにステージを見ていた。ホールの真ん中に、悲しいほどのスペースが出来上がっていた。

 そんな状況を気にしていないのか、慣れてしまっているのか、ステージ上の三人はやたらと大きな音量でシューゲイザー的な音楽を淡々と鳴らし始めた。俺はシューゲイザーというジャンルは結構好きなのだが、正直これはいただけない。何せ、何をやっているのか、何を歌っているのかわからない、ただただ喧しい爆音が響いているだけの演奏だったのだから。


 曲の途中で、高校生の何人かは帰り始めた。こうなるともう逆流する頸静脈の演奏を聞いているのは苦行でしかない。


「ウチらは準備しに行こか」


 琴さんは「次が出番だから」という大義名分のもと、俺たちを控室へと避難させた。


「耳がキンキンします……」


 比較的スピーカーに近い位置に立っていた玲は、やつれたような顔をしていた。メイドさんたちが最前列で盛り上げていた姿を、少しでも見習おうとした姿勢が仇になったようだ。


「玲ちゃん大丈夫?」


「あ、はい。すいません、大丈夫です」


「あれは中々に中々だったからね」


「しょうもないもん気にしてても始まらん。ウチらはウチらの演奏に集中せなあかんよ」


「そっすね。何せ初ライブですし」


「う~、緊張してきました~」


「玲って緊張とかするんだ」


「朔さんひどくないですか!?」


 玲の顔に笑顔が戻った。玲が本番に強いタイプだということはわかっているが、緊張しないなんてことは無いこともわかっている。玲は、緊張を乗り越えられる強さを持っているのだ。


 控室の中まで響いていた爆音が消えていく。どうやら、演奏が終了したようだ。


「それじゃあ行こうか」


「ほな、京太郎よろしく」


「また俺っすか?」


「あはは、この前師匠の掛け声で上手くできましたからね」


 初めてのライブの時と同じように、4人は手を重ね合わせた。


「それでは僭越ながら」


 京太郎はオホンとわざとらしく咳ばらいをする。


「やるぞー!」


「ぉおおー!」


 ウィスパーボイスではない、はっきりとした掛け声で、俺たちはステージへと向かった。

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