第30話 守りたかったもの 手放したもの

「琴さ~ん、ホウレンソウですよ。ホウレンソウ」


 談話室に戻った後、京太郎が水を得た魚のように、琴さんに詰め寄っていた。


「あぁ、鬱陶しい!」


「仲間なんだから~、隠し事は無しにしましょ? ね?」


「はぁ、あんなとこでまっさんに会うとはなぁ……」


 報告・連絡・相談。略してホウレンソウ。これが大事だと皆に言い聞かせていたのは琴さんだ。今回の件、自分のことだからと口を閉ざすことはフェアではない。ただ、京太郎の態度は確かにウザい。


「まぁ隠すつもりも無いんやけどな。まっさんはウチが前に組んでたバンドの中心メンバーで、担当はギター兼キーボードや」


 隠すつもりはない。その言葉通り、琴さんはあっけらかんと話し始めた。京太郎は、思ったより琴さんをいじれなかったことが不満だったのか、少しつまらなそうな顔をした。


「琴さんが昔組んでたバンドって、“白昼堂々”でしたっけ。メジャーとの契約寸前で解散したって聞きましたけど」


「せやな。まぁ大体その通りや」


 白昼堂々が活動していたのは、俺や京太郎が東京に来る前の話なので、その詳細は知らなかった。


「何で解散しちゃったんですか?」


「色々あったんやけど……玲ちゃんは、メジャーデビューするためにはどうしたらええか、知っとる?」


「えーっと、知らないです……」


「朔は?」


「たしか、ワンマンライブで300人以上集客する、とかでしたっけ」


「お、流石にちょっとは調べとるみたいやな。もちろん条件はそれだけやないけど、わかりやすい指標はそこや。このライブハウスをワンマンで満員に出来たらメジャーデビュー! みたいな、登竜門的なところもあるし」


「下北沢のL.Lクラブ、新宿のラウンジ、渋谷のフルムーンでしたっけ」


「せやな。どこも大体キャパが300人から500人くらいのライブハウスや」


「300人……私の通ってた中学校の生徒数が確かそのくらいでした」


 母校の全生徒をライブハウスに呼ぶと考えれば、この指標がいかに困難かは想像できるだろうか。何となくライブを繰り返しているだけでは、絶対に達成できない数字だ。


「普通のバンドやったら、簡単には到達できん目標や。でもハクチューでは割と簡単に達成できた。何でかわかる?」


「何でって、曲がめっちゃ良かったからとかじゃないんすか?」


 京太郎はチョコレートを齧りながら答える。先刻アイスクリームを食べたばかりなのに。


「考えまで甘いで、京太郎」


 琴さんは溜め息をついた。


「曲はまぁ、良かったと思っとる。そうでなきゃお客さん呼ぶ気にはならんし。でも、ハクチューがすぐにたくさんの客を呼べたんは、や」


「……なるほど。あんだけイケメンなら、女性ファンの獲得には困らなそうですね」


「いやいや、いくらまっさんが男前やからって、それだけでお客さんはすぐには集まらん。お客さんは、まっさんのブランドに魅かれて来てたんや」


「ブランド?」


「あーーーーッ!!!」


 玲が急に大声を上げた。耳元で叫ばれたものだから、鼓膜が破れるかと思った。


「ご、ごめんなさい」


「どうしたんだよ……」


「あの、私あの金髪さんのこと、ずっとどこかで会ったことあるな~って思ってたんです」


「知り合いだったってこと?」


「違います違います。琴さん、あの金髪さんって、モデルさんですよね?」


「玲ちゃん正解!」


「私がよく読むファッション誌にたまに出てるんですよ。モデルの女の子の彼氏役として」


「まっさんの本業は、今はファッションモデルやからな」


 イケメンなわけだ。つまりブランドに惹かれて来たとは、有名なモデルを見たいという、軽い気持ちで来た者のことを指しているのだろう。


「でも、それが何で解散に繋がるんですか? アドバンテージがあるなら、それを武器にするってのは全然アリだと思うんですけど」


「せやな。ウチもそこは否定せんよ。バンドで上に行こうと思っとるのに、良い曲を作りさえすれば良いなんて考えとるヤツがおるなら、それこそ阿呆や」


 琴さんは京太郎に目線をやった。


「阿呆ですんません」


「じゃあ、何で解散しちゃったんですか?」


「ウチが気に食わんかったのは、まっさんのバンドに対するスタンスや」


 琴さんは座っていた椅子の上で脚と腕を組み、眉間に皺を寄せていた。よほど不快な思いをしたということが、態度からすでに伝わってくる。


「ハクチューで全国ツアーを回ってたんやけどな。あ、全国ツアー言うても東名阪プラスアルファの6公演だけやけど。その時に、ハクチューの噂を聞いたプロダクションの人が声をかけてくれたんよ。ツアーファイナルの新宿ラウンジでのライブを満員にして、尚且つええライブをやったらメジャーデビューの後押しをしたるって」


「おぉ、めっちゃ上がる話じゃないですか。本当にあるんですね、そういうの」


 インディーズで燻っているバンドからすれば、誰もが夢に見るようなシチュエーションだ。


「せやな。ウチらも気合入って、ファイナルの会場を満員に埋めたんや。ライブも盛り上がって、これでデビューは決まったようなもんやーって思った」


 琴さんはそこで一息ついた。俺たちも、黙って話を聞いていた。


「意気揚々と楽屋に戻って、プロダクションの人と話をしたんや。で、メジャーデビューの条件を二つ提示してきよったんや。一つは学業や今の仕事よりも、バンド活動を優先すること。ウチとベースの子は学生やったし、ボーカルは社会人やったから。まっさんはちょっと特殊やったけど。まぁ、これはしゃーないかなと納得したわ」


 厳しいことを言われてるように思うが、裏を返せば、まだ実績のない白昼堂々をこれから本気で売り出すつもりだと解釈することもできる。二足の草鞋で乗り切れるほど、甘くない世界だということだろう。


「そして二つ目の条件は、ボーカルとベースを変えろ、やった。もっと言うと、プロダクションの人が欲しい人材は、スター性のあるまっさんだけやったんや。ウチが変えろと言われんかったのは、女のドラマーが珍しいっちゅーことと、見てくれが良かったからって理由やった」


 これも、よく聞く話ではある。ではあるが、実際にその話を持ち掛けられたとしたら、自分はどう思うだろう。仮に、cream eyesの誰かを入れ替えたらメジャーデビューさせてやると言われて、受け入れることができるだろうか。


「ウチはその条件を受け入れられんかった。一緒にやってきたメンバーを軽んじられたことも、ウチが女だからって理由だけで求められたことも。だけど、まっさんは違った」


「メジャーデビューを優先したってことですか……?」


「せや。プロダクションの人に対して、ボーカルならアテがある、ベースはそっちで手配できるか、って言いよった。メンバー全員の前で。ただでさえボーカルとベースの二人は戦力外通告されて凹んでんのに、身内のまっさんが追い打ちをかけよったんや。ウチはそれが許せんかった。だから、それならウチも抜ける、やるなら一人で勝手にせえって、ほんで喧嘩別れや」


「ひでぇ。あの金髪、人情ってもんが無いんすかね」


 京太郎の言葉に、琴さんは少しの沈黙を置いた。


「……プロでやるってことに対して、シビアな目を持っとるのは最初からわかっとった。でも、あそこまであっさりと、それまで一緒にやってきた仲間を切れる人だとは思わんかったわ」


 何でもお見通しだと思っていた琴さんでも、人をはかり損なうことがあるのか。いや、何でもお見通しなんてことが、そもそもあり得ない。俺が勝手にそう思っていただけだ。


「それで、ボーカルの人とベースの人はどうしたんですか?」


「二人とも意気消沈って感じやった。そらそうやろ。メジャーデビューできると思って意気込んでたのに、蓋を開けたら、お前らはいらんて言われたんやから」


 その心中は察するに余りある。自分が同じ立場だったら、立ち直れないかもしれない。


「特にボーカルは、その当時で26歳やったから、年齢的にも最後のチャンスやと思っとったんやろうな。まっさんと一緒にやってく気にはならんし、その後のライブも全部キャンセルしてもうたんよ。せやから、ツアーファイナルのライブが、そのまま白昼堂々の解散ライブになってもうた」


 おそらく、インディーズでやっていくという選択肢もあったはずだ。でも、彼らはそれを選ぶこともできないほど、その選択肢に目を向けられないほど、強く打ちひしがれたに違いない。


「結局、ウチは空回りするばっかで何も守れず、何を成し遂げることもできんかったってわけやな。情けない話やわ」


「何か話聞いてたらムカついてきましたよ。あの金髪。スカした顔して、えげつねーことやりやがって」


 京太郎は怒りを露わにしていた。何だかんだ言って、cream eyesの中で一番人情に厚いのはこの男なのかもしれない。


「それ、まっさんの前で言うたって」


「言えるわけないじゃないですか」


「ヘタレやなぁ」


「ヘタレですね」


「ヘタレ野郎」


「何で俺がディスられる流れになってんの?」


 4人は笑いあった。沈みかけていた空気が少し明るくなる。


「それにしても、けっこう複雑な理由があったんですね。白昼堂々の解散理由」


「でもなぁ、時間が経つにつれて、あの時のまっさんの決断は間違ってなかったような気もするんよ」


「琴さんまでそんな薄情なことを」


「誰が薄情や」


「痛え!」


 琴さんが京太郎の額を叩くと、パシーンと良い音が鳴った。京太郎は頭を抱えていた。


「ウチは一緒にやってきたメンバーと続けることに拘った。せやけど、それでその先に行けたかと考えると、正直厳しかったように今は思う」


 その言葉を聞いて、俺は一瞬、心臓をギュッと握られたような思いがした。


「当時のハクチューのお客さんは、ほとんどがまっさん目当ての女の子やった。ボーカルは、良くも悪くも癖の無いタイプでなぁ、フロントマンのはずなのに、影が薄かったんよ。ベースもおんなじやった。せやから、あの4人で続けていっても、あそこで頭打ちやったんやないかと思う。まぁ、時間が経った今やから、そう思えるんやろうけど」


「琴さんは、その時プロダクションと契約しなかったことを後悔してないんですか?」


 俺は思い切って聞いてみた。立場や状況は違えど、一緒にやってきたメンバーと決別したというのは、自分と重なる部分があったからだ。


「どうやろうなぁ。全く後悔が無いと言えば、嘘になるかな。あの時はウチもまだ10代で、プロでやっていく厳しさっていうもんが、理屈では分かってても受け入れられてなかったんかもしれん。せやけど、そのおかげで今こうして、新しくバンドを始めることができたんやから、悪くは無かったと思うよ」


 琴さんはそう言うと、優しい笑顔を見せた。それは俺にとって、救いのある言葉であったと同時に、責任を感じさせる言葉でもあった。


「琴さんは間違ってなかったって、cream eyesで証明しなきゃいけないですね」


「ですね! 今度は、4人で、誰一人欠けることなく!」


「俺、影薄いって言われないようにしなきゃな……」


「あっはっはっは、頼もしいねぇ。とりあえず、メジャーデビュー寸前とか言うて調子こいとる、まっさんの鼻をあかしたろ!」


 これは、琴さんのためでもあり、俺自身を肯定するための決意でもある。琴さんは、大切なものを守れなかった。俺は、大切なものを自分の意志で手放した。それぞれ事情は違うけれど、それぞれの今までが間違いじゃなかったと、証明してみせるんだ。


「ところで、あの莉子ちゃんって子は、琴さんの知り合いじゃないんですか? 向こうは琴さんのこと知ってる感じでしたけど」


 玲が問いかける。


「知らんなぁ。まっさんの新しいバンドのメンバーやって言うてたけど」


「初対面の相手を、あんな思いっきり引っぱたいたんすか……」


 京太郎は恐れおののいていた。


「しゃーないやろ。男が女に手上げたら、それこそ洒落にならんし」


 琴さんはこちらを見ながらそう言った。少なくとも、俺のことに関してはやはり全部お見通しのようだ。まったく、敵わない。

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