第五話 変わった人、変わらない人
そんなこんなで、零に俺の事情を話してしまった。自分でも理解出来ていないのだから、彼に信じろというのも無理があるが。意外にも、零は俺の話を信じることに決めたらしい。
「とりあえず、解決策が見つかるまでここに居れば? 僕、結構お金持ちだし。あ、でも家事は手伝ってね」
昔馴染みだからか、それとも気が向いたからか。零は俺の世話を快く引き受けてくれた。両親に頼れない以上、彼の申し出は有り難すぎて涙が出る程だった。
「ごめんな、何か色々と……。財布だけでもあったら、食費くらいは払えたのに」
「気にしなくて良いよ。落ち着いたら、纏めて返してくれれば良いから」
時間が経つのは早く、時刻は既に夕方。夕食の為に、近所のスーパーへ買い出しを終えた俺達は、再び零のマンションへと戻ってきていた。
古びてはいるが、清掃が行き届いたエントランスでエレベーターが来るのを零と二人で待つ。
「このマンションは結構気に入ってるんだけど、一つだけ不満なのはこのエレベーターだね。待ってる間に眠くなっちゃうよ」
ふわふわと欠伸をする零。そんな暢気さが伝染してきたのか、俺も思わず欠伸をしてしまう。何だか妙に眠い。慣れないこと、信じられないことの連続で疲れてしまったのだろうか。
目蓋が重い。薄れそうになる意識に、ガサガサとスーパーの袋を取り落としそうになる。危ない危ない。
「ていうかさ。本当に婚約者さんに連絡しなくて良いの? 電話なら貸すけど」
「良いんだ。今の状況、お前みたいにすぐに理解してくれるとは思えないし。なんていうか……美里さんと話すの、ちょっとキツイ」
美里さんに連絡を取ろうかと思ったが、何となく気が引けてしまって。結局何もしないまま今に至る。良い人なのだが、だからこそ息苦しい。
結婚はクリスマスに、挙式は来年の六月に。そんな希望を言ってくる、どこにでも居る普通の女性。彼女に俺の人間嫌いを話したことは無いが、きっと悟られてしまっていることだろう。
「……そう。ま、きみがそういうなら良いんだけど。あ、やっと来たよー」
零がやれやれと階数表示を見上げる。彼と一緒に居るのは、やはり居心地が良い。余計なことを詮索されないで済む。たまにからかわれたりするが、零はあくまでも自分が関心を持つことにしか深入りをしてこない。そして、その関心は酷く狭くて偏っている。
彼の歯に衣着せぬ物言いに避ける者が多いが、俺は彼のそんなところが好ましいと思う。
――僕が一人居なくなったところで、世界は何も変わらないよ。
「なあ、零」
「うん? 何だいケーゴ」
「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど」
エレベーターの扉が開いて、先に乗り込む零にふと思い出す。俺がトラックに撥ねられる寸前に思い出した、あの言葉。自分が居なくなっても、世界は何も変わらないな。あれは、他でもない零が言った言葉だった。
彼が死ぬ前の日。最後に会った時に、俺に言い残した言葉。今と同じように、彼は笑っていた。死ぬなんて思わなかった、零が自殺するなんて考えられなかった。今でも、やはり信じられない。
「零、お前はどうして――」
「す、すみません! 待って、乗せてください!」
零がボタンを操作して、扉を閉めようとした時だった。俺の言葉を遮るようにして、誰かが無理矢理エレベーターに乗り込んできた。
三十代前半くらいの女性だ。右手には、俺が持っているものと同じスーパーの買い物袋。娘だろうか、三歳くらいの女の子と左手を繋いでいる。
「はーい、どうぞー」
「すみません、ありがとうございます……って、あれ。鷲津くんじゃない?」
「なんだ川原さんだったんだ」
久し振りー。零がひらりと女性に手を振った。意外だ、こんなやつでも近所付き合いをするのか。
零が四階のボタンを押してやり、今度こそエレベーターの扉を閉めた。鈍い音を立てながら、四人を乗せた箱がゆっくりと上昇する。
「あれ、この人は……?」
「昔の友達さ」
「ふうん……鷲津くんが友達付き合いするなんて、珍しいね。初めまして、川原です。鷲津くんとは、中学校の時に一緒だったんですよ」
「中学校の時……?」
適当にやり過ごそうと思ったが、同じ中学校だったということは俺も知っている人物なのかもしれない。かなり濃い化粧をしているし、髪も明るい色に染められている。花柄のワンピースに、香水の匂いもキツイ。
川原……それほど珍しい苗字でもないが。こういう派手な女性は苦手だ。
「……ん?」
ふと、じっと見つめてくる幼い視線。子供は苦手だから見ないようにしていたが、その視線にどうしても引っ張られてしまう。でも、何だか妙な違和感を覚えた。
真夏だというのに、長袖のシャツとズボン。肩程まで伸びた髪はぼさぼさで、どこか覚えた表情をしている。
それに、何だろう。前髪で隠れているが、赤黒い痣のようなものが……。
「じゃ、じゃあ私はこれで」
「うん、またね。なこちゃんも、またね」
四階について、扉が開く。川原が軽く頭を下げると、娘の手を引きながらエレベーターを降りようとした。
でも、
「ちょ、ちょっとなこ!?」
「…………」
娘……名前は、なこと言うらしい。手を引かれても、その場から離れようとしない。何も喋らないまま、じっとこちらを見つめてくるだけだ。
まるで、何かを訴えてくるかのように。
「あ、あの」
「なこ!! いい加減にしてよ、アンタ! ホントに愚図な子ね! これ以上アタシに迷惑をかけないでよ!」
「ッ!?」
川原の金切り声に、なこがびくりと肩を跳ねさせた。そして引き摺るようにエレベーターから降ろされて、そのまま二人とも姿を消してしまった。
カツカツと耳障りなヒールの音だけが、いつまでも響いているよう。
「……あの、さ。今のって」
「中三の頃に一緒のクラスだった川原なずなさんだよ。覚えてる?」
「えっ、あの生徒会長!?」
正直、零と再会した時以上に驚いた。そうだ、思い出した。川原なずな。俺達が中学三年生の頃、生徒会長をしていた女子生徒だ。
とにかく真面目で、どちらかというと地味な性格で。特に協調性を持たない零のことを気にかけて……と言うより、目の敵にしていた気がする。
「……へえ、あんなに真面目な川原さんが、あんな風になるんだね」
別人のようになってしまった見た目よりも、誰にでも分け隔てなく接していた彼女が、自分の娘にあんな感じに怒鳴るなんて。人って変わるものだな。
その時は、それくらいにしか考えていなかった。零が俺のことを隠そうとしていたことを気に掛けることもなかった。
事件が起きたのは、夜になってからだった。
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