あなたと共に歩むためなら、手段は選ばない

五月雨葉月

1章 私を〈私〉として見てくれる人

第1話 天使との出会い

「ひっ……」


 月明かりの下を息を切らしながら逃げる私の腕を、短く剃り上げた髪の柄の悪い男に強く捕まれ、拒絶感と痛みによって声にならない叫び声が漏れる。何をされるかと血の気が引き、心臓も焦ったように素早く血液と酸素を全身へ送り続けている。

 こんなに乱暴にされたこと、ひいていえば父と執事以外の男性に触られたことすらもなかったのに、初めてがこれとはあまりに残酷だ。

 嫌悪に顔を歪める私の様子を、まるで愉悦を感じているかのような気持ち悪い笑みを浮かべながら見ている、仲間らしい二人の男たち。

 裏路地の隅にいる私を助けてくれる人はいない。人が通りもしないのに大声で助けを求め男を刺激するのは考えなしのすることだ。でもこの状況から脱するためには何か行動をおこさなくちゃ……。


「なぁ、みたところ良いところのお嬢ちゃんみたいだがこんな所で何してるんだ? 初めての王都で迷ったか?」

「迷ったなら道案内してやるよ。そのお礼もたっぷりして貰うけどなぁ」

「おおっと、助けを求めようったって無駄だぜ? なんせここは警備隊も通らないような裏道だからな」

「「「ふひはははは」」」

「っ……!」


 逃げたいのに、逃げなくちゃいけないのに! 喉がまるで締め付けられているように声が出ない。足ががたがたと震えて力が入らない。

 こんなことになると分かっていたら、人避けの指輪をどこに置いたか分からないまま出かけるんじゃなかった。知らない地区まで足を伸ばすんじゃなかった。

 今更後悔しても遅い。

 深呼吸をして多少気持ちを落ち着けた私は少しでも反抗の意思を見せようと相手のことをキッ……! と睨みつける。

 それでも男達は、むしろ面白がるように笑い続ける。そして私の腕をグイグイと自分たちの方に引き寄せはじめた。

 イヤ、イヤっ……誰か、誰か助けてッ……!!


「そんな目で見たって『ドバンッ!』ムdぐぉばぐごッ……!!」


 ギュッと目を瞑ったその時。突然、轟音が辺りに鳴り響き驚いて目を見開くと、気持ち悪い笑顔を浮かべながら喋っていた目の前の男が数メートル先の壁にいつの間にか叩きつけられていた。その男のいた所にはバチッと電流が流れたかのように見えたけれど、瞬きをしたら消えていた。

 そしてバタリという音と同時に私の腕を掴んでいた男が地面に倒れていた。


「おい、クズ共が可愛い女の子相手に何してるんだよ」


 何事かと驚き倒れた仲間に駆け寄っていた男達に向かって曲がり角の奥からかけられた、ちょっと高めの可愛らしい女の子の声。

 建物のガラスに太陽が反射してキラキラと美しい光を纏った長いブロンドを薄暗い裏路地にはためかせて、一人の女の子が歩いてくる。


「な、なんだテメー、何しやがる」

「おい、あれって……!」

「クッ……アイツの相手は不味い、逃げるぞ!!」


 男たちが何か言っているようだけれど、右から左へ声が抜けていく。

 二つの走り去る影と、それに引きずられた一つの影がチラリと視界の端に映っていたけれど、そんなことはどうでもいいように思えるくらい私の全ての神経が目の前の女の子に釘付けになっている。

 心臓で脈打っているのは、先程までの焦ったような鼓動ではなく、むしろ迸る熱い感情。


 ……こんな感情、はじめて。この子を見ているとなんだか頬が熱くなる。


 名前も知らない目の前の女の子がまるで天使のように見える。

 そして天使は私に手を差し伸べながら、先程のドスの効いた声ではなく、まるで天使の羽根で包み込まれそうになる優しいソプラノボイスで語りかけてきた。


「わたしが来たからにはもう大丈夫よ」


 この瞬間から私は、一日中寝ても覚めてもこの天使のことしか考えられなくなっていた。



 ***



 少し時間は戻り、今日の午前中のこと。


 ……はぁ。


 私は窓から青空をみつめて今日何度目か分からないため息をつく。


「リーゼロッテ様、いい加減になさってください。リーゼロッテ様の将来の為に講義をしているんですよ? いい加減シャルロッテ様を見習って集中して下さいませ」


 いい加減にしてほしいのはこっちよ……。いつもいつも出来の良い姉とばかり比べて。本当にうんざりする。

 目の前に座る初老の女教師からの本日何度目か分からないお小言を無視して、全くの聞く意味のない無駄な授業をあと二時間も続けなくてはならない憂鬱な時間を思いつめて再びため息をつく。


 はぁ……。こんな退屈な毎日なんて、終わってしまえばいいのに。


「リーゼロッテ様!!」


 また今日も城下に行って、くだらない馬鹿騒ぎをしているあの楽しい空気に混ざって嫌な日常を忘れよう。嫌なことは後にご褒美があれば頑張れる。女教師の言葉なんてくだらない事よりも城下の事を考えよう。


 私が生まれてしまったこの家は、ここシスタリア王国を統べる王族の直系であり、私は当代の国王である父の次女にあたる。

 普段は王城に住み王族として身に着けなくてはならないマナーや常識、政治や国民生活に関することを学ばされるのだけれど、いっつもお行儀がよくて頭もいいシャルロッテ姉様とばかり比べられて、同じレベルを求められる事が生まれたときから続いている。


 誰も私を〈リーゼロッテ〉としてなんて見ていないんだ。

 〈天才シャルロッテ様の出来の悪い妹〉としか誰も私を見ようとしない。両親もそうだ。私は〈私〉を見てほしいのに。


 ハッ、ついつい暗い思考になってしまった。

 嫌なことしかない毎日だから、数年前からかなりの頻度で私は一人で城下に遊びに出掛けて気分を紛らわせている。

 格式や伝統といったものが重要だということはもちろん分かる。でも私にとってはそんなものはむしろ、羽ばたきを邪魔する鳥かご。今の私は卵のときから鳥かごの中で育てられ、品評会に出すために毎日毛づくろいをされるマヒワだ。

 いつか鳥かごから解き放たれる時を信じて、鳥かごから見える窓の外を見続けている。

 今日も今日とて、鳥かごから解き放たれるきっかけを見つけに出かけるように城下へ足を向けるのだ。


「もう結構。本日の授業はここまでにします。……はぁ、シャルロッテ様ならばもう少し教えがいがあったと言うのに」

「……。……ありがとうございました」


 いつまでも聞く耳を持たない私に直接説教をするよりも、多少は効果がありそうなお父様やお母様にまたいつもみたく私を叱って貰うために報告へ行くのだろう。

 でも私に何を言っても全くの無駄であることを両親は知っているから、報告されても『またか……』という顔をするだけで何も言ってこないはずだ。


 この教師に教わりだしてまだ数ヶ月目だけれど、そろそろ嫌気を感じて辞めるんじゃないかしら。前任者がいつものようにひと月経たず辞めた後、シャルロッテ姉様を教えたことがあるとかなんとかで採用された名前も覚える気にもならない女教師も、私とシャルロッテ姉様相手では全く違うやり方でないと通用しないと分かっただろう。


「ん゛〜。……さてと、城下に行きますか」


 数時間座っていただけなのにストレスからかバキバキに固まった腰や体を伸ばし、外出用の目立たない格好に着替えるために自室へと戻る。

 私があまりに王族としての役目やらパーティーやらを全て無視して城下へ遊びに出かけるものだから、私の部屋のクローゼットには着飾ったドレスよりも外出用に買った良いところのお嬢様がお出かけの時に着ていそうな服の方が多い。


 マナーの教師が見たら、

『このような庶民的な服など王族が身に着けるものではありません……!』

 なんて説教を言われそうなものだけれど、生地が軽くて動きやすいし何よりいつもこんな服ばかり着ているから、むしろこっちの方がしっくりくるのだ。

 私はクローゼットの中で視線と腕を右へ左へとゆっくり移動させながら服を探す。そして空色に薄いピンクのリボンが付いた可愛いワンピースを手にとって早速着替え、軽くお化粧もしたら準備完了!


「よし、これで完璧」


 今日選んだこのワンピースは、一昨日城下にある上流市民の子女向けのお店で購入したものだ。最近の流行を取り入れた無駄を省きつつも可愛さを忘れない、メリハリの効いたいいデザイン。

 着飾るのが嫌なのとおしゃれをするのが嫌なのは違う。私だって女の子なのだから普通の可愛い洋服を着て街を歩いたりしたいもの。

 準備ができた所で隣の部屋で控えていた私付きの近衛騎士であるシルヴィに声をかける。


「シルヴィ、城下へ行くわよ」

「分かりました、リーゼロッテ様」


 いくら自由を主張してお忍びで城下へ出かけまくっている私と言えど、王族が一人で出歩くのは危ない訳で、必ず護衛の近衛騎士と行動を共にしなければならないということになっている。

 もちろん私自身も自分の命は惜しいし、何かあったら嫌だから受け入れている。でも何より幼い頃から、私の場合はもしかすると両親より長い時間を側で過ごしていると言っても過言ではない、私の行動に理解のある近衛騎士のシルヴィだから信頼できると言うことが最も大きな理由。


 近衛騎士は王族が十歳になった時にほぼ一生を尽くして身の周りの世話や護衛をするために専属で就く特別な騎士達で、騎士の中でもほんの一握りの実力と人間性から選ばれる。

 近衛騎士は王家に属してはいるものの、正確に言えば側付きの王族に一人の個人として仕えているようなもので、例え仕えている王族が国に背くような事をしたとしても本人の意思さえあれば、継続して任に付いていくことが許されている。


 一生側にいる人になる訳だから、家族同様に接する王族もかなりいる。私もどちらかと言うとそうだ。でも恋愛感情は持たない。護る立場と護られる立場、この二つが相交じることは決して無い。だから歴史を見ても王族と近衛騎士の婚姻は数少ないし、私も家族のように接しているとは言え線引きもはっきり自分の中でつけている。


「リーゼロッテ様、今日はどの地域に向かわれますか?」

「そうね、たまには趣向を変えて外れの方に行きましょう。……もちろん危ない所までは行かないから」


 シルヴィの表情を見て言葉を追加する。外れの方にある地域は、王城を中心とした城下でもあまり治安が良いとは言い難い所なのだ。

 でも王族の守護指輪とシルヴィがいれば大丈夫!




 ……そう、思っていたのだけれど。

 絶賛裏路地で柄の悪い男たちに散々追い掛け回されて走って逃げ回ったのだけれど、私の体力が長く持たず追いつかれて逃げられないように腕を掴まれてしまったのだ。


 後になってやっと落ち着いた今だから、やっと何があったか話すことが出来る。


 事件の発端はシルヴィと私が離れ離れになってしまったこと。

 向かっている途中、道の真ん中で人だかりが出来ているのを見つけた私たちは、何事かと様子を見るために人々の輪に近づいた。その人だかりの中心には今にも大喧嘩になりそうな険悪な雰囲気を纏った二人の男。

 私が許可を出してシルヴィに止めに入らせた時、私の肩掛け鞄に入っていた少なくないお金の入ったポーチをスリに盗られたのだ。シルヴィを呼び戻している時間は無いと、逃げ出した犯人を追いかけていたところ裏路地に迷い込んでしまった、と言う流れ。


 これだけで終われば不運で済んだのかもしれないが、道に迷って一人でウロウロしていた私に目を付けた男達がしつこく追いかけてくるものだから逃げ出し捕まったたところで、最初のような天使との出会いがあったのだ。助けてくれた上に大通りまで手を繋いで案内してくれたそのお方の後ろ姿が頭から離れない。


 後の調べで喧嘩しそうな男達とスリの男は仲間だったという捜査がついたらしいけれど、あのとても優しくて素敵な天使の威光の前ではどうでも良い。


 綺麗なブロンド。

 優しい微笑み。

 柔らかい手。


 何度想い返しても赤面してしまう恥ずかしい出来事。

 あの時からずっと、あの天使のことを想い浮かべる度に胸の奥がドキドキしてしまう。

 初めて経験する不思議な感情のせいで、落ち着かない日々を送っていた。


 お名前、聞いておけばよかったかな? いやいや、天使様にそんな畏れ多い事は出来ないわっ……!

 何か、お礼がしたいのだけれど……いつの間にか居なくなってしまったから連絡先分からないし。


 あぁ、天使様……あなたにお会いしてお礼が言いたいのです。それに、なぜか、あなたのことを考えると胸の鼓動が大きくなってしまうの。

 どうしてなのかしら……。




 そう思い続けて数日が過ぎたある日、奇跡が起きた。

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