第107話 ピュアフサージ

「ピポ……」


 錆びたバケツみたいな顔にカメラのレンズみたいな目が二つ。

 その顔が私の顔を上から覗き込む。


「シャペル?」


 彼の胸に向かって腕を伸ばす。

 でも、そこまで届くわけもなく、私の手は空を掴む。


「ピポ……」


 察したのだろう、シャペルが少し前かがみなる。

 すると、その胸に描かれたバーコードのような模様がよく見えるようになる。


「おお、そのまま、そのまま……」


 と、さらに腕を伸ばすと、かすかに、シャペルのその胸に指先が届くようになる。

 そして、そのバーコードのようなものを指でなぞる。

 パラパラ、と、砂埃が落ちる。


「2パターンだね……、太い線と細い線で構成されている……」


 そのバーコード、パターンを指でなぞりながら言う。


「ピポ……」

「くるぅ……」

「よし、よし……」


 姿勢を変えようとして、身をよじるクルビットの足、太ももの辺りをポンポンと軽く叩いてやる。


「これは……、2進法、バイナリーだね、シャペル?」


 そして、話を続ける。


「太い線が1、細い線が0……」

「ピポ……」


 ギーギーと音を立てて、さらに私が触りやすいように、前かがみになってくれる。


「ありがと、シャペル……」


 今度は指先ではなく、手の平を彼に胸にあてる。


「文章構成は、二つ……、右と左で別れている……」


 ひとしきり、彼の胸をなでたあと、手の平を閉じて、人差し指だけ出して、その胸を叩く格好にする。


「モールス信号、でしょ、シャペル?」


 そして、彼の顔を見て微笑む。


「じゃぁ、左から……」


 と、彼の胸を指で叩いてモールス信号を再現する。


「ツートントン、トンツー、トントンツー、ツートントン……」


 指で叩きながら、そのリズムを口ずさむ。


「ピポ……」

「正解だね、で、これなぁに?」


 当然ながら、私の知らない、配列……。


「ピポロポ……」


 彼も教えてはくれない……。


「ツートントン、トンツー、トントンツー、ツートントン……、4桁の数字だね、これ?」


 なんだろうなぁ、暗号解読みたいで楽しくなってきた。


「4桁の数字かぁ……、SFの映画やドラマだと、未知の生命体と交信するときは素数を使うよね? じゃぁ、これは、2、3、5、7?」

「ピポ……」


 違うか……。

 だよね、素数なんて馬鹿にしすぎ、もっと高度なものを使うよ、きっと……。

 でも、4桁か……。

 円周率、3.141592653……。

 ネイピア数、2.718281828……。

 どこかを切り取る……。

 どこだ……、4桁で超重要で、その意味が一発でわかる配列は……。

 821828……。

 ネイピア数のこの並び、よく目にするよね? 円周率にしてもそう、この並びがよく出る、色んな数学の問題でもそう……。

 なぜ……? 

 それは、


「完全数だから」


 自身と1を除く約数の合計が自身の数字になるものを完全数という。

 そして、4桁の完全数は、


「8128」


 のみ。

 自信を持ってシャペルの顔を見上げる。


「正解でしょ?」

「ピポ……」


 そして、なぜ、ここに完全数なんて書いてあるのかというと……。

 それは、もちろん、未知の誰かに向けたメッセージだから。

 おそらく、これは製造時に書かれたものじゃない、手書きのようにも見えるから……。

 誰かが、最後にシャペルの胸にこれを書き込んだ、そう考えると合点がいく。

 そして、素数なんて馬鹿でもわかるものではなく、完全数なんて使っているのは、最低限の知能を有する誰かに読んでほしかったから。

 そう、これは私に向けて発せられたメッセージなんだ。

 しかも、数十年前からの……。


「そうだったら、ロマンがあるよね」


 クスリと笑う。


「よし、じゃぁ、最後の解読いこっか!」


 今度は右の文字列を指でなぞる。


「ふむふむ……」


 指を立てて、シャペルの胸を叩き、モールス信号を再現する。


「トントン、ツートン、トンツー、トントン、ツーツーツー、ツートントン、ツーツー」


 同時にそれを口ずさむ。


「7文字!」


 なんだろうねぇ……。

 左の8128を手引書として解読して……。

 それを、音声言語に変換するとぉ……。


「ピュアフサージ」


 さらに、ここから、意味の通じる言葉に置換してやると……、


「ヘヴンリー・ヴァルキリア」


 と、なる、はず……。


「自信はないけどね、えへへ」


 少し笑う。


「ピポロポッポ! ピポロポッポ!」


 と、シャペルが首を伸ばしたり、顔を回転させたりして騒ぎだす。


「ど、どうしたの、シャペル!?」


 私はびっくりして上半身を起こす。

 ウィーン、という音が響き出す。


「ウィーン!?」


 な、なにっ!? 

 シャペルの胸の辺りからガシャン、ガシャンという音もし出した。

 そして、胸部、鉄板のつなぎ目が光出す、中の光が漏れているんだと思う。


「ど、ど、どうしたの、シャペル……、シャペル!?」


 なんか、変形しそうな勢い……、そして、熱を感じる、凄い熱い、火傷しそうなくらい熱い……、特に私の胸のあたりが……。

 胸のあたりが……、


「胸の、胸の……、あっ、あっ……」


 胸の辺りをまさぐる……。


「いっぎゃあぁあぁああああ!?」


 あまりの熱さに飛び上がって絶叫した。


「くるぅ!」


 クルビットもびっくりして傍に置いていたフリスビーをくわえて逃げていく。

 でも、それよりも、


「あああ、あつ、あつ、あっぎゃああああああっ!!」


 そう、あの魔法のネックレスが超熱くなっていた。

 焼けるほどに!


「ひぃい、ひぃいい、いっひいい!!」


 急いでネックレスを取り、そして、


「とりゃぁああああ!!」


 思いっきりどっかに投げ捨てる。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 びっくりした、死ぬかと思った……。

 と、胸を撫でおろし、その火傷しているだろう胸をさする。


「だ、大丈夫かな、赤くなってないかな……」


 と、ワンピースの胸元をつまんで、中を覗き込む……。


「あ、痕にならないよね……、ふーふー、ふーふー」


 ふーふーして冷やす。


「うん、大丈夫、なんともない……」


 不思議なことに火傷どころか赤くすらなってはいなかった。


「ウィーン……」


 ネックレスを投げた途端シャペルが大人しくなる。


「ウィーン……」


 やがて、音はしなくなる。


「な、なんだったの……?」


 眉間に皺を寄せる。


「まぁ、いいわ……」


 投げたネックレスを拾いにいく。


「クルビット、もう、大丈夫だから、戻っておいでぇ」


 と、言いながら、ネックレスを拾いにいく。


「クルビットー」


 そして、ネックレスを拾い……、ペンダント部分を指でちょんちょんとして、その温度を確かめる。


「クルビットー、おいでぇ……」


 あつあつだね……。


「クルビットってばぁ……」


 ネックレスは首にはしないで、そのまま手にぶら下げくるくると回転させて、その熱を冷やそうとする。


「クルビット?」


 あたりを見渡す。

 ダンスホールに彼の姿はなかった……。


「くるぅ……」


 いや、あった、声がした。


「どこ、クルビット?」


 キョロキョロと辺りを見渡す。


「くるぅ、くるぅ……」


 うん? 上から声がするぞぉ……。

 と、上を見上げると、そこには瓦礫の山、剥き出しの鉄骨の上で震えてしゃがんでいるクルビットの姿があった。


「な、なぜ、そこに……」


 呆れ気味に苦笑いしてしまった。


「降りてらっしゃぁい」

「くるぅ……」


 降りてこない、足がすくんで動けないみたい……。


「うーん……」


 幾本も重なりあった鉄骨はバランスが悪そうに見え、私が直接登っていったら崩れそうな感じがした。

 高さも相当あり、5メートルはあるだろう……、それが崩れ落ちたら大怪我では済まされない。


「うーん……」


 困った。


「クルビット、飛び降りておいでぇ、絶対受け止めるからぁ」


 と、両手を広げる。


「くるぅ……」


 飛び降りない。

 怖くて駄目みたい……。


「うーん……」


 本格的に困った。

 安全に登れる箇所、または何か足場になるようなものはないだろうか……。

 と、周囲を探すけど、そんなものはどこにもなかった……。


「ピポロポッポ、ピポロポッポ」

「うん?」

「ピポロポッポ、ピポロポッポ」


 シャペルが自分の胸に手を当て、私とクルビットを交互に見ながら、しきりにそんなことを言っている……。


「な、なんだろう……」

「ピポロポッポ、ピポロポッポ」


 シャペルが手を当てている場所は、あのバーコードみたいな模様がある辺り……。


「ピポロポッポ、ピポロポッポ」


 私の右手、左手を見て、最後に手にぶら下がっているネックレスのペンダント部分を見る……。


「さっきの、もう一回やれってこと……?」

「ピポロポッポ」


 シャペルが胸から手を下ろし、私に向き直る。


「わ、わかった……」


 と、私はネックレスを持つ手を水平にして、なるべく、そのペンダント部分を身体から遠ざけようとする。

 そして、シャペルの胸、コード部分に手を添える。


「よし……」


 深呼吸をして、覚悟を決め、


「ピュアフサージ……、ヘヴンリー・ヴァルキリア」


 と、その言葉を発する。

 ウィーン、という機械音とともに、シャペルの身体が輝き出す……。

 そして、彼が、その長い両腕を広げると、ふわっと、真っ白な翼が私の視界いっぱいに広がる。

 反射的に胸に添えた手をひっこめようとする。


「ピポ!」


 離すなと叱られる……。


「で、でも、なんなの、その翼……、まさか、飛ぶつもりなの……、ここで……?」


 あ、アホか……、翼があったって、飛べるわけないでしょ、滑走路とか、揚力とかはどうするの、風もないし……、と、常識的なことを考えてしまう、けど……。


「浮いた!」


 ふわりと、びっくりするくらい、自然に浮いた! 


「うわ、うわ、うわ……」


 身体がどんどん上昇してく! 


「ど、どうなってるの……」


 シャペルの大きな、真っ白な翼が何らかの風を受けはためいている。

 よくわからないけど、これは魔法ね、その翼、伊達でしょ? だって、シャペルの身体に触れている私の身体も一緒に浮いているのだから。


「くるぅ……」


 すぐに、クルビットがいる鉄骨の高さまで到着する。


「さっ、クルビット、おいで」


 と、片手を伸ばす。


「くるぅ!」


 彼は、足元のフリスビーをくわえて、私の腕に飛び込んでくる。

 しっかりと、片腕でクルビットを抱きかかえる。


「いいよ、シャペル、下におろして」

「ピポ……」


 ゆっくりと下降し、一切の衝撃もないまま、地面に着地する……。


「何らかの方法で衝撃を吸収しているな……」


 足元を見てそうつぶやく。


「くるぅ……」


 強く抱きしめすぎたのか、彼が苦しそうな声を上げる。


「ああ、ごめんね、クルビット……」


 と、地面におろしてあげる。


「くるぅ!」


 すぐに元気を取り戻して、私の周囲を駆け回る。


「もうあんな高いところに登っちゃだめだよ!」

「くるぅ!」

「シャペルもありがとね、助かったよ」


 シャペルにもお礼を言う。


「ピポ!」


 意味が通じたのか、顔を上げ下げして喜びを表現する。


「くるぅ!」


 今度はシャペルの周りを走る。


「ピポ!」


 シャペルも頭をくるくる回転させる。


「ふふっ……」


 微笑ましい。

 それにしても、シャペルにこんな力が隠されていただなんて……。

 いや、このネックレスの力か? 

 どっちにしても、あの飛行能力は有用……。


「ピュアフサージ、ヘヴンリー・ヴァルキリア」


 そっと、胸に刻む。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る