第70話 エンゲージメント

「ねぇ、どうして?」


 もう一度、彼を見上げて、その目を見つめながら尋ねる。


「それは……」


 東園寺が視線をそらす。


「それは?」

「それは、おまえが、そう自分で言ったからだ……」


 彼が少しに眉間にしわを寄せ、何か思い出すようかのように話す。


「わ、私が……?」


 私も少し眉間にしわを寄せて聞き返す。


「あ、ああ……、い、いや、俺の思い違いかもしれんが……、確かにそう言った気がするんだ……、いや、正確にはフィユリナと言っていたような……」


 そんなはずはない、私は言ってない。


「い、いつ……?」

「最初に、飛行機から運び出すときに」


 最初……。

 この身体での一番最初の記憶は、草原、飛行機から少し離れている場所に倒れていて、顔のすぐ横には、あの小さな鈴みたいなお花があった……。


「もしかして……、公彦が私を飛行機の中から運び出してくれたの……?」

「ああ、そうだ……、その時には意識があったようだったが……、なにしろ俺も飛行機が墜落して気が動転していてな、とにかく他の奴らも気がかりだったし、おまえを抱えて急いで機外に出る事にした、その時におまえがうわ言のようにフィユリナと言っていたような気がしたんだ」

「そうだったんだ……」


 うつむいて考え込む。

 私が自ら、私の名前はフィユリナですって、自己紹介するわけがない。

 だって、そのときには自分の名前がナビーフィユリナ・ファラウェイだって知る由もないんだから、それを知るのは、そのあと、名札を見てから。


「そっか、公彦が私を助けてくれたんだ、ありがと」


 と、彼を見上げて笑顔でお礼を言う。


「ああ、気にするな、ナビーフィユリナ……」


 照れたように、彼が視線をそらす。

 つまり、東園寺に名前を言ったのは私ではない、たぶんフィユたん、本来のこの身体の持ち主、フィユリナ・ファラウェイだろう。

 そして、それは、こっちの世界に来てから身体が入れ替わった事を意味する……。

 飛行機がこっちの世界に転移した影響で入れ替わったと思っていたけど、そうじゃなかった……、じゃぁ、原因は他にあるってことか……。


「うーん……」

「どうした、ナビーフィユリナ?」

「うん? あ、これ、正面ばっかりに気を取られてていいの?」


 と、適当に目の前の地図を指差しながら言う。

 この地図はさっきから東園寺がにらめっこしていた塹壕と石垣の見取り図。


「そうだな、敵が正面、ヘルファイア・パスから来るとは限らんな……」

「うん、といっても、ラグナロクを一周ぐるっと取り囲むわけにはいかないよね……」

「そうだ、同時にヒンデンブルク広場も守らなければならない」


 ヒンデンブルク広場の飛行船には私たちが日本に帰るために手がかりがあるからね。

 まぁ、そんなのどうでもいいわ。

 どうして、私がナビーになってしまったのか、その理由と原因の究明が先よ……。


「敵の誘導を考えているのね、公彦……?」


 彼が聞いて欲しいだろう質問を適当にしてやる。


「そうだ、よくわかったな、ナビーフィユリナ、正面からの攻勢の場合は、ここで受けて、西に流す、背面からのケースはここだ、ここで迎え撃つ、我々防衛側が圧倒的に有利だ」


 と、東園寺が少し前かがみになり、私の身体を片手で押さえながら地図を指でなぞる。


「ふーん……」


 そもそもさ、入れ替わったとしたら、元のフィユたんはどこに行ったんだろ? 

 あれか? 

 武地京哉にでもなっているのか? 

 そうだとしたら好都合。

 ハイジャック犯として始末してやる……。

 明確にハイジャック犯を排除したとなると、私が真のハイジャック犯だと疑われる事は未来永劫なくなる……。


「だが、時間もかかるな……、塹壕はまだいい、石垣がやっかいだ、もう少し簡素化したい……、ここは、効果が見込めないな……」


 彼が赤ペンでバッテンをつける。


「石垣は石垣で必要だけど、それ以外の場所は有刺鉄線を使うといいよ」


 有刺鉄線の利点は人は通さないけど矢は通すストッピングパワーにある。


「有刺鉄線か……」

「鉄は豊富にあるし、別に生活で使うものじゃないから、粗悪な溶鉱炉でも十分な剛性は得られると思う」


 そう、鉄は旅客機のやつを使えばいい。


「人見と相談してみるか……」


 それにしても、そのうちフィユたんが武地京哉の身体で登場するかもしれないのか……。

 怖いわ……。

 身長190センチ、体重100キロ……。

 あほみたいに鍛え上げている身体だよ? 

 なによりあの顔だよ? 

 女、子供に見せるな、あんな顔、みんな怯えるから……。

 私だって泣いて逃げ出すよ。

 と、武地京哉の顔を思い出してぷるぷると震える。


「どうした、ナビーフィユリナ?」

「ううん、なんでもない……」


 でも、頑張って倒さないとね、そうしないと私がハイジャック犯の武地京哉だってばれちゃう。

 うん、この身体をフィユたんに返す気なんて毛頭ない。

 この身体は脆弱だけど、ひとつもの凄い性質を持っているから。

 それは多幸感。

 なんか、ウキウキするんだよね、なんか知らないけど幸せなんだよ。

 この感覚は何ものにも代えがたい。

 あと情緒も豊かだしね、すぐに涙が出てちゃう、でも、不快な感じはしない、気持ちよく泣ける、そのあとはすっきり。

 ホント、この身体は私の宝物だよ、武地京哉の時なんて酷かったよぉ、いっつも人を憎んでいたからねぇ、妬んでいたからねぇ、蔑んでいたからねぇ、今思えば、あの感覚は苦痛、もう二度と味わいたくない、あと逆恨みもやばかった、人間不信ってやつだね、もっとみんなを信じろって説教してやりたい、みんな仲間なんだからって。

 いや、説教したって無理だね、大人になっても反抗期が直らなかったやつだから、私の言葉に反発して、さらに意固地になっていくよ。

 うん、あれはもう手遅れ。

 ああ、私は私でよかった、心底そう思う。

 よし、私は武地京哉と戦う、この身体は絶対に渡さない。

 強く決意する。


「公彦、もしさ、もし、私がいなくなったら、やっぱり、悲しい?」


 聞きたいのは、フィユリナ・ファラウェイじゃなくて、私の事なんだけどね。


「なんだ、いきなり、どうした?」

「いいから、どう、悲しい?」

「おまえは俺たちを繋ぐかすがいだ、おまえがいなくなったら、俺たちは直ちに瓦解するだろう、もっともこれは南条の言いようだけどな、で、個人的には、そうだな、悲しいかな、おまえにはずっとここに居てほしい……」

「そっか、他のみんなもそうかな?」

「だと思うぞ」

「そっか……」


 目を伏せる。

 そして、前を向いて元気よく立ち上がる。


「よし、休憩終り! ありがとね、公彦!」

「ほら、帽子、倒れるぞ」


 と、東園寺も立ち上がり、私に麦わら帽子を被らせてくれる。


「ありがと、公彦、またね!」


 私は大きく手を振りながら、その場から走り去る。


「おう、またな」


 と、彼の言葉を背に受けて走る。


「武地京哉対策も考えておかないとね」


 まっ、中身がフィユたんなら、そんなに心配する必要もないんだけどね。

 あの写真の無邪気な表情の少女を思い出す。


「ふっ、あんなのに負けるわけがない」


 両手を広げて機嫌よく中央広場を駆け抜けて、調理室の前を過ぎ、そして、さらに食料品倉庫を過ぎ、


「とおおりゃああ!!」


 と、そこから脇道に入っていく。


「無限ループってこわいよね!」


 もう一回いくよ! 

 草むらを飛び越えて進むと、墜落した旅客機が見えてくる。

 そこからぐるっと回って、居住区のとこまで全力疾走。

 そして、女子たちの洗濯物干し場、風になびくバスタオルをかき分けて進む。


「あはははっ」


 楽しい! 


「よし……」


 と、中央広場の手前で立ち止まり、そーっと、足音を殺して東園寺のうしろから忍び寄る……。


「そーっと、そーっと……」


 えい! 


「ハロハロハー!!」


 と、彼の背中に飛びつく。


「うわああああ!?」


 お? 

 これは……。

 なんか、東園寺が驚いているぞぉ? 


「びっくりした?」


 と、驚く彼の顔を覗き込みながら微笑む。


「あ、ああ……、今のは完全に予想外だった……」

「クスッ、なにやっているの、公彦、帽子も被らないで」


 と、私が被っていた麦わら帽子を笑いながら彼の頭に乗せてやる。


「もういい、まいった」


 彼も吹き出し、そして、麦わら帽子を取り私の頭に乗せる。


「ふふふ」


 これで終りだと思うでしょ? 

 甘いんだなぁ、それが! 


「今度こそじゃぁね、公彦!」


 もう一回いくよ! 

 そんな事を何度も繰り返す私であった。

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