護国学園

03-26 起きたらデキちゃってた


「……ん?」


 ごそごそと体の近くで衣擦れのような音がして目を覚ました。


 かなり寝たはずなのだが、まだ眠気は治まらない。


 ぴょこんっと、急に布団の中の胸元から、何かが飛び出してくる。

 黒い、小さな尖った耳だ。

 続けて、俺の顔面間近までもぞもぞ這い上がってきた黒の、閉じた瞼が開かれ、くりっとした瞳が俺と目を合わす。


「お兄たん。お寝坊さんなの」


 ……

 ………

 …………?


「うおっ!?」


 黒猫が喋った!?

 と思ったのも束の間。

 いつもの猫耳フードを被ったナオだった。


「お、お前どこから現れてるんだよ……」


 いくら可愛い可愛い天使のような、いや、天使なナオとはいえ、寝起きにそんな所から出てこられたら怖いわっ。


「お兄たんで暖、とってたの」

「とるなら違うところでとれ」

「ぬくぬくなの」


 そう言うと、ナオはぎゅっと俺の頭を小さな体全面で抱き抱えるようにしてしがみついてきた。


「もう、起きないかと……思ったの」

「……あー」


 涙声で震えるナオに、また俺は実妹この子を悲しませてしまったと感じた。


 寝坊と言うことからかなり長いこと寝続けていたのだろう。

 あの森林公園から戻って何日経っているのかは分からないが、以前は一週間寝ていたこともあった。

 あの時はまだ体に負担はかかっていなかったが、今回は負担も合わせて寝続けていたのかもしれない。

 同じく一週間か、長くても二週間と言ったところか?

 この世界で、二人きりの兄妹だ。俺もナオが起きなかったらとことん不安になるし、心配もするだろう。


「ごめんな。心配かけた」

「うん……」

「うぐぅ……」


 更にしがみついてくるナオの胸に圧迫されて息が出来ない。

 なんとも控えめな双胸とはいえ、膨らんだその柔らかな塊に挟まれるのは嬉しいのだが、これが実妹じゃなければもっと嬉しいと思う。


 そう、例えば……たゆんでぽよんなアレとかであれば――


「そうだ! ナオっ!」


 がばっと体を起こすと、ナオがころんと裏返るように倒れた。

 まだ頭を捕まれたままだった俺も、そのまま覆い被さるように倒れこんでしまった。


「……お兄たん。キセイジジツ、作る?」


 くしゃくしゃになった布団の上。俺の下で、潤んだ瞳で少し不安そうなナオが、そんなことを言ってきた。

 俺の頭から離した手を、胸元でぎゅっと握りしめ、その手が再度頭を抱えるように俺の頭を包むと、ナオは自分の胸元へと引き寄せていく。


「お兄たん……」


 おかしい。

 まったく力が入らない。


 成り行き任せのようにナオの胸に再度埋もれる俺。


「ナオは、お兄たんのこと、大好き」


 離れようと体に力を込めるが、さらに胸に俺の顔を押し付けるナオの、華奢な腕の力に敵わないほどに、俺の体は力が入らなかった。


 待て。

 その前に、ナオは、今……

 何を口走った?


「ナオちゃん? なんか凄い音したけ――」


 かちゃっと。

 部屋の扉がそんな声とともに開けられ。


「……」

「……」


 久しぶりに見た、ポニーテールの似合う美少女なたゆんのぽよんが、ひくっと口角を上げた。


「な、なな……なっ」

「待てっ! 話せばわかる!」

「お兄たん、ナオの魅力にろうらく」

「それ、意味分かって言ってるかおま――むぐっ!?」


 必死に力を絞り出して、巫女の登場に緩んだ腕から抜け出したのに、また引き寄せられて埋もれてしまう。


「な――」

「待てっ! 早まるな巫女っ!」

「凪君がっ! 目を覚ましてるぅぅっー!」


 思った言葉とは違った言葉が巫女から発せられた。


 それ自体はいい。

 いいのだが……声がでかい。

 しかも、何で部屋の外を向いて叫ぶように?


 どたどたと、大きな音が凄い早さで近づいてくる。


「巫女っ! 凪君が起きたってほんと!?」

「巫女さんっ! 凪様が起きたって本当ですかっ!?」

「七巳様っ! 水原様が起きたとっ!?」

「水原君が起きたってほんとかいっ!?」


 う……うるせぇ。


 一斉に階段をかけ上がってきた皆が部屋に雪崩れ込んでくる。


「ああっ……凪様……って、ナオちゃん……な、な……何を……」


 で、今の俺の状況を皆が見るわけだが、わなわなと朱が体を震わせる。

 涙を両の瞳に溜めているが、それはナオの上に覆い被さっている俺を見てなのか、それとも、俺を胸に押し付けているナオを見てなのかは分からない。


 分からないが、相変わらずの透き通るような艶やかな黒髪が、美しかった。


「お兄たん、ろうらく中」

「起きてすぐとは。お盛んですな」


 ナオの言葉に「ほほぅ」と何か勘違いして頷く火之村さん。


 あの時負った傷は完治したのか、それともまだ違和感なく着こなす執事服の下に隠れているのか分からないが、元気そうだった。

 相変わらずの、左の頬に十字傷は健在だ。


 よかった。

 火之村さんの左の頬の傷が増えてたら、もう、思いを馳せることができない。

 ……まあ、名前が火之村賢伸ひのむらまさのぶだからまだいくらでも……


「ど、道徳的にはアウトだよ? 水原君」


 なんか人を指差しながら震える橋本さん。

 キラキラと背後にいつもある煌めきが――


 うん。

 なんか、うざい。

 うざいが、なぜかその姿にほっとした。


 そして――


「な、凪君? その、お、お邪魔だった、か……な?」


 片手におたまを持った、三角巾に犬のような猫のようなよくわからない動物がプリントされたエプロン姿の、弥生。


 肩に負った傷はなく。

 何もなかったかのように傷一つない弥生が、そこにいた。


「……よかった……」

「え?」

「弥生が無事で……よかった……っ」


 思わず溢れた涙を垂れ流してしまう程に。

 ナギが、約束を守ってくれていたことに。


 俺は、周りに皆がいることを忘れ、ただただ、泣き続けた。


 言葉にならない想いが溢れ、思わずナオの体を抱きしめ、ただただ――



 ・・

 ・・・

 ・・・・



 ある程度泣き続けて腫れぼったくなった俺が、怒り心頭な朱によってナオから引き剥がされて数時間後。


「さて、説明してもらおうかしら?」


 弥生が作っていた朝食にかぶりついていると、俺が起きたことを火之村さんから聞いて、すっ飛んできた貴美子おばさんが俺に会ってすぐに言った言葉がそれだった。


「貴美子おばさん。とりあえず。飯食わせてください」

「いいわよ。ただ、しっかり話してもらいますからね」


 嬉しそうな貴美子おばさんさんではあるが、何か聞きたくてうずうずしているのがよく分かる。


 だがしかし。

 とにかく今は腹が減って仕方がない。


 貴美子おばさんが聞きたいように、俺も色々聞きたいこともあるし、弥生の傷がなくなっている理由も聞きたい。


 それに、やることも多い。


 弥生が生きてくれてよかったという、今の俺のこの体から迸る嬉しさを何かしらで表現したいし、弥生の人具も作り直さなきゃならないし、他の凪と違う道に進めたのかも知りたいし脳裏に離れないたゆんを拝みたいし、あの後どうなったのかも知りたいし、さっきのナオの口走りも説教もんだし。


「とりあえず。皆無事で何よりだ」

「無事じゃなかったけどね」


 苦笑いしながらの弥生の答えに、腹心地ついた俺は、また眠気が襲ってきて欠伸を一つ。


「凪様。おっきい欠伸ですの」


 くすっと口元を隠しながら笑う朱が妙に近い。


「あ。凪様、お口に……」


 身を乗り上げて俺の口元の食べ滓をナプキンで拭き取る朱の細く綺麗な指が俺の唇に少し触れた。


「あ、ああ、ありがとう」

「あ……」

「ん?」


 少しの躊躇いの後、俺の唇をその指が何度か触れるか触れないかのところで往復する。

 何をしているのかと朱を見ると、俺の唇をじっと見つめてぼーっとしながら、指がまた往復していく。


 ……いや、なんだこれ。


 少しだけ赤みのかかった頬に潤んだ瞳。

 その姿に色っぽさを感じて魅入ってしまい、俺もまたその指の動きに、もどかしさを感じながら、朱を見つめてしまう。


「お兄たんは、ナオが誘惑するの」


 ナオが背後から抱きついてきて、はっと我にかえる。

 朱も戻ってきて恥ずかしそうに背中を向けた。

 巫女が相変わらず、妙な単語を口走りながらトリップしていた。


「ああ……そういや、俺、何日寝てたんだ? 多分一週間くらいだと思うけど。いやぁ、流石にあれは死ぬかと思ったなぁ」


 と、気恥ずかしさを紛らわすための咳払いと話題を振ってみる。




 辺りがしーんとして。

 皆が一斉に、ため息をついた。




「もぅ、一ヶ月経ってるわよ……」

「え……?」

「もう、学校始まってるからね?」

「は……?」

「お兄たん、寝ぼすけ」

「私、凪様と早く学園に通いたいですわ」

「が、がく……?」

「そうそう。朱さんの人気が凄くて大変なのよ」

「守護人候補が傍にいなくてフリーだと思われてるみたいだからね」

「しゅ……?」


 一ヶ月、だと……?


「それは、つまり……見たい番組を四回見逃したってことか?」

「だいじょぶ。録画なんてないの」


 俺が寝ている間に。

 学園、デキちゃってました……

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