第四話 「発条王の感傷」

「ところでグロウワット、そなたは余に、何か用があって来たのではないかね?」

「ああそうでした。叔父上にお暇乞いをしに――。同盟評議会も無事終わり、諸氏は昨日さくじつのうちにお引き取りになられたことですし、私も長居は無用かと思いましてね」

「この王宮こそがそなたの生家。せっかく戻って来たのだからして、また出て行かずともよいのに……」

「ははは、王后陛下も、ご本心からそう述べて下さるのであれば居残りましょう」


 から笑いをするグロウワットに、無理難題を突き付けられてしまっては、エヴァンスランスもそれ以上の引き止めをすることができなかった。

 アンリシャンテのことである、心を入れ替えグロウワットを迎え入れるどころか、自発的に出て行ったくせに、またのこのこと出戻って来て――と、これまで以上に当たりが強くなること請け合いだ。


「グロウワット、余はそなたがいてくれて助かったと思っとるよ。侍女たちの言い分だと、そなたのおかげでヌネイルは面目を保ったそうだ。余は残念なことにこの通りだからねえ」


 秋風が吹き始めた頭を自虐的に撫でながら、エヴァンスランスは努めて明るくグロウワットに謝辞を述べた。グロウワットが引き続きシャンポー宮に居住するのは仕方が無いにしても、こうしてまた王宮を訪れ、自分と語らったり、公務や社交の集いに参加したりする機会はどうにか増やして欲しかった。


「礼には及びません。大公として責を果たしたまでです。それに……、初見の従弟に対する好奇心もございました」

「従弟?」

「ええ、デレスのアレフキース殿下」

「ああそうか。そうであったのう――」



 エヴァンスランスは、今日は何かと話題に上る、隣国デレスの王太子の丈高い姿を念頭に浮かべ頷いた。自らも文武両道で鳴らしつつ、熟年を迎えたデレス国王は、新しく同盟盟主となったデレスの力強さを誇示するために、かの素晴らしく見栄えのする王太子を、自身の名代として国際舞台に送り出したのではないかと専らの評判だった。


 アレフキースは身体の弱いデレスの王后が、命と引き換えにしかけて産んだ一粒種であり、それ故に非常に過保護に育てられ、甘やかされたわがまま王子という噂であったが、なかなかどうして、身振りも口上も堂々としたもので、なにより圧倒的な存在感という、エヴァンスランスが大きく欠きまくりの天分を持っていた。

 流されるまま玉座に押し上げられて、発条仕掛けの国王になってしまったような自分とは違って、正に人を照らす者として、生まれるべき場所に生まれた王子であるというのが、アレフキースに対するエヴァンスランスの所感である。


 そうしてその思いは、エヴァンスランスに、どうしようもない居心地の悪さと感傷も抱かせていた。このヌネイルにも、かつてはアレフキースに類するような太陽の輝きを放ち、国民から愛されていた男の子がいたのだ。


「アレフキース殿下は、どこか似ておったのう、グロウワットと。そなたの黒髪と長身は、間違いなくあちらの王家の血だろうのう」


 だがしかし、グロウワットが九死に一生を得る壮絶な経験をし、疑心暗鬼に囚われるまま変わり果ててしまった今となっては……、似ていると感じられるのはそういった外見的な面だけだ。ずっと光の中を歩んできた、アレフキースが近くに在ると、グロウワットの陰影を濃くするようだった。


「そのようですね。ご列席の方々にも、異口同音にそう言われました。アレフキース殿下ご本人によると、私はご自身というよりも、お父君のお若い頃の肖像に似ているそうですが……。

 他人が、それも同性が、あれほど眩く見えたことはありませんでした。誰に何を言われようとも、感化されることなどなかったのに、私は彼にまみえて生まれて初めて思いましたよ。世が世なら――と」

「世が世なら?」

「ええ、父上母上が御存命であられたならば」

「……ふむ」


 エヴァンスランスですら感じたことを、グロウワットが考えずにおれなかったのは当然だろう。

 もしもあの『事故』が起きていなかったならば、此度の晴れがましい国際会議の場で、これまで同盟盟主を務めてきた主催国の王太子として、アレフキースと並ぶ主役となったのは、まったき青年に育ったグロウワットであった筈だ。



*****



 それはもう、十年以上昔の話である。

 エヴァンスランスの異腹兄あにである当時の王太子は、隣国デレスの王女を妃に迎え、嫡男グロウワットを儲けて久しく、充足した毎日を過ごしていた。

 一方の第二王子エヴァンスランスは、妃を娶ったばかりの新婚時代。新妻アンリシャンテは、『わがまま可愛い』の枠に納まる愛し恋しの『白鳥姫』で、いわば幸福の絶頂であった。


 后に先立たれていた国王は、視力の衰えが顕著になり、この頃執務に支障をきたすようになっていた。さほど固執もしていない玉座から降りて、王太子に譲位しようかと国王が考え始めた矢先に、国を揺るがす変事が起こる。



 ある雷雨の夜に、落雷に驚いた馬が暴走し、王太子一家を乗せた馬車が、崖の上から転落したのである。

 不幸な『事故』――であった。



 死に際の父母に守られ、一命をとりとめたグロウワットであったが、この『事故』によって心身に深手を負った。父母の死を目の当たりにして心の均衡を崩し、満身創痍となった身体には、大きな傷痕と件の障害を残すことになったのである。


 王太子夫妻の死に慟哭し、一気に老けこんだ感のある国王もまた半病人となってしまい、途方もない喪失感と悲しみにくれながら、ヌネイルの宮廷人は悩みに悩んだ。

 正統な継承者ではあるが、壊れかけの王太子の遺児グロウワットを盛り立ててゆくか、はたまた健康体の成人であるものの、実のところは妾腹で、臣籍降下を望んでいるような第二王子エヴァンスランスに乗り換えるかで、ヌネイルの王宮は当人たちそっちのけで連日連夜紛糾した。


 流動する人々の奪い合いで、激しく揺れ動いていた両陣営の天秤だが、ある事をきっかけに一方に大きく傾くことになる。

 心痛が祟って、本当に病人となってしまった国王が、国政を完全に放り出し、エヴァンスランスの舅である、宰相リリアゴタールを頼みにしたのである。


 そうしてそれにはまた、グロウワットの最大の後ろ盾が、隣国という情勢によっては非常に厄介な存在であることも多分に作用した。現に、国葬に臨席したデレス国王からは、実姉義兄を亡くした遺族として、深い哀悼の意が表されるとともに、『事故』の真相を徹底解明し、罰するべきがあればそれに値する厳罰をとの強い申し入れがあって、両国には息の詰まるような緊張感が高まっていたのである。



 ヌネイル王太子夫妻の、暗殺の、疑い――。



 暗愚とまではゆかないが、意志薄弱な国王を、手のひらの上で転がしていた豪腕の宰相と、親政の理想を掲げていた、才気煥発な王太子の間には、以前から溝があると囁かれていた。王家が代替わりをすれば、リリアゴタールの権勢は大きく削がれてしまうだろうとも。

 ヌネイルの実権をリリアゴタールが掌握することで、一息に持ち上がったその疑惑は、『宰相派』の勢力が日に日に強くなってゆく中で、著しく濃度を高めながら、ヌネイル国内では語ることすらできなくなってゆく――。


 王太子夫妻の死は、不慮に起こった不幸な『事故』と公式文書に記録され、何ら不審な点は見つからなかったとデレスにも通知された。リリアゴタールの代筆による、署名だけが直筆のヌネイル国王からの親書を、デレス国王は、公平性と誠意に欠いていると、怒りのあまり引き裂いたと伝えられる。


 とはいえそれが、無益に潰し合うより協調をと、長年同盟を結んできた隣国からの正式な回答である。私情よりも平和を重んじるかの王は、ヌネイルから報告された『真相』を疑りながらも、国交を断絶することはしなかった。


 グロウワットの回復を待たずして、エヴァンスランスが立太子し、そうして国王崩御のために即位をしたのは、そんな状況下においてであった。


 一時は下火となっていた『大公派』が盛り返しを図るのは、恐妻家となったエヴァンスランスに『発条王』という渾名が定着し、青年期を迎えたグロウワットが、心身の不具合を克服した後のことである。


 正統な王位継承者が社会復帰を果たしたのだから、仮の王はさっさと玉座から退いてはどうか? というのが現在の『大公派』の主張であり、エヴァンスランスも至極もっともだと思ってはいるのだが……。

 エヴァンスランスには既に息子が、すなわち王太子が生れていて、それを溺愛するアンリシャンテとリリアゴタールの言い成りに、我が子の権利を守るため、『発条王』を続けているというのが現状であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る