黒幕

 ロインが叫んだそのすぐあと、僕は誰かに強く突き飛ばされた。突然なことでバランス感覚を失い、押されるがままに地面に倒れ込む。

 何事かと思って視線を上に向ければ、降り注ぐ赤。ぐらり、と、僕の前に庇うように立つドラくんの体が揺れる。瞬間、僕は察する。ドラくんが咄嗟に、僕を庇ったのだと。



「ドラくん……?!」


「っ……く、人の体は……こんなにも、脆いのか……」



 がくりと膝を折り倒れたドラくんを抱き起こせば見える傷。腹を切り裂くように真一文字につけられた傷。とめどなく溢れ出す血液は、僕の力ではどうしようもない。力なく目を閉じて荒く息をするドラくんは、僕に必死に言葉を紡いだ。



「……ウタ殿……す、まない…………。体が……」


「いいから! ……ごめん、ごめんね…………」


「お主は……悪くない」



 と、どこか暗い、闇の中から声がした。



「……なるほどなぁ。ドラゴンは高い防御力をもっているが、人になればそれは別。HPが高くても、大きなダメージは避けられないと」



 聞いたことのある、声だった。男性の、低く、人を嘲笑うかのような声。思わずそちらに目を向ける。

 ……人ではない『何か』が中に浮き、悠々と僕らを見下ろしていた。顔は、ずっと前から知っていた人。



「……ブリスさん……?」



 僕はようやく理解する。

 一歩引いて……目の前だけを見ていても分からなかったのだ。目の前の、ロインやレイナさんだけを見ていても、その存在には気づけない。いつも確実に近くにいる、しかし……干渉はしないし、してこない存在。

 ずっと僕らと一緒にいた。ずっとだ。ずっと、ブリスさんは僕らを騙していたのだ。


 なぜ、騙していたのか。なんのために、騙していたのか。……まだ理由は分からない。しかし、僕らを見下してくつくつと笑うその人が、例えば誰かに脅されたとか……そんな風にはとても感じられなかった。



「ぶ、り……す…………」



 信じられない、とでもいうようにゆっくりと首を振りながら、レイナさんがブリスさんに一歩近づく。その足元に、鋭い槍が飛んできた。



「っ……!」


「近づくなよ、人間風情が。こっちは長い長い時間かけて用意してきた『お遊び』が、ようやく完成しようとしてるんだからなぁ」



 まるで別人のようなブリスさん。……とにかく、ドラくんを助けないと!

 僕は回復薬を取り出してドラくんに飲ませようとした。しかし……すでに気を失ってしまっていた。液体である回復薬は、起きていないと飲むことができない。どうしよう……。


 ジャラッ、と、後ろから音がする。鎖が落ちた音だ。ロインはまだボロボロな体のまま、ブリスさんに詰め寄る。



「遊び……? ……どういうことなんだ。何が目的なんだ。僕らをどうしたいんだ! どうしてずっと僕らのそばに! お前は何者なんだ!」


「ロイン! ……ダメだよ、落ち着いて!」


「大丈夫だ。……落ち着いてみるんだ。誰もまだ、死んでいないぞ」



 そんなロインを見下ろすブリスさんの目は、あまりにも冷ややかだった。僕らを見てクスクスと笑い、どす黒い赤に染まった瞳でロインを見る。



「何者かって……? ははっ、お前ってのは相当バカなんだなぁ?! まぁそうか。こんなに長い間一緒にいたのに、全く気づかないんだもんなぁ」


「なにをっ……!」



 そして、僕らにも目を向ける。それだけで人を殺せそうなほどに鋭い眼差しは、僕らを簡単に貫いた。



「ま、そっちのやつらも大概だが。個性の塊'sがあれだけ警告したのにも関わらず、のこのこついてくるんだからな」


「……全部、知ってたのかよ…………」


「あぁ全部知ってるさ。なんてったって、そこのドラゴンよりも長く生きてるからな」



 ブリスさんは……それから漆黒の翼を露にし、わざとらしく恭しく、お辞儀をした。



「俺は悪魔……。300年の時を生きている、悪魔だ。しっかり覚えておくんだぞ? なんてったって、この記憶が――」



 パチン、と、悪魔が指をならす。すると、その場に火の手が上がる。火柱はみるみるうちに大きくなり、僕らを飲み込もうとしてくる。



「――お前らの、最後の記憶になるんだからなぁっ!」



 そしてさらに、先ほどよりは小さいが、ゴーレムを3体生み出す。ゴーレムは明確な殺意をもって、僕らに向かってくる。

 ドラくんは動けない……。スラちゃんは……ダメだ。こんな炎の中じゃ戦えない。アリアさんにはドラくんとロインを…………。


 ……どうする?

 答えはもう、決まっている。



「……僕がここに導いたんだ。僕が」


「ウタ兄……」


「だったら……僕には、やるべきことがあるよね」



 僕は後ろを向いて、ポロンくんとフローラに笑いかけた。



「……ゴーレム二体は、お願いしてもいいかな? あと一体とあいつは……僕がなんとかするから」


「なんとかって……ウタさん!」



 瞬間、僕は剣を抜いて飛び出した。と同時に、左手でほんの少しだけ地面をさわる。



「アースアート」



 落とし穴を作れると言われたこの土魔法。逆もありかと思って唱えてみると、何もない地面に階段のようなものが現れる。

 それを登り、ゴーレムの肩ほどの高さまで行き、大きな腕を踏み台に、胸のeの字を剣で斬り消す。


 そしてそのまま階段を伸ばし、僕は悪魔に剣を向ける。悪魔はそれを待っているように、笑っていた。

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