第47話:選択

 ジギルの手を取ればアルバスも再びランキング上位に名を連ねることができるだろう。それほどにジギルという冒険者の実力は群を抜いている。

 冒険者としてやり残したことはないのかと聞かれれば、やり残したことだらけだとアルバスは応えるだろう。そのやり残したことをやり直すことができる、もしかしたら最後のチャンスなのかもしれない。


「——断る」


 だが、アルバスは一切悩むことなく断った。それこそ清々しいほどの表情であっさりと。

 森の中で鬱々と過ごしていた頃ならば迷うことなくその手を取っていただろう。だが、今はここに——ジーエフにいる。一人森の中で暮らしていた頃とは何もかもが違っているのだ。


「悪いが、俺はここの管理人なんでな。抜けるわけにはいかないんだよ」

「こんなできたばかりのダンジョンにどんな未練があるっていうのよ! まだ何もしてないんでしょ? 冒険者として再起を誓うなら、今しかないわ!」


 ジギルの主張は正しいのだろう。アルバスも理解はしている。

 だが、理解はしていてもアルバスの心がそれを許さないのだ。


「俺はやると決めたらやる男なんでな。ここの管理人をやるって決めたからには、経営者からほっぽり出されない限り続けるつもりだ」

「だったら私が経営者に話をつけてやるわよ! ここに呼んできなさい!」


 頭を掻きながらどうしたものかと思案するアルバスだったが、このタイミングでまさか声が掛かるとは思ってもいなかっただろう。


「——ロンドくーん、アルバスさーん!」


 後方から投げ掛けられた声を聞いたアルバスは頭を掻いていた手をゆっくりと下ろして顔を覆った。


「ここってあんな小さな子供までいるの?」


 ジギルの何気ない言葉にアルバスは希望を見出した。

 廻が経営者だと気づいていない今であれば、まだごまかすことが可能だと考えたのだ。


「小僧! 小娘の相手を任せたぞ!」

「えっ? あの、アルバス様?」


 そそくさとジギルの手を取ってその場を移動しようとした時だった。


「モンスターの配置が決まりましたよー!」


 大声で、それもよく通る甲高い声で、自分が経営者だと言わんばかりに、ダンジョン経営についての言葉を口走ってしまった。

 ピタリと固まるアルバス。その首がまるでこの世界にはないだろうロボットのようにカクカクとした動きで廻の方へと振り返る。ジギルからは見えないその表情は、モンスターも逃げ出すだろう鬼のような形相をしていた。


「ロンドく——ひいっ!」


 ロンドから視線をアルバスへ向けた途端、廻は変な悲鳴を上げてしまう。

 そして振り返ったロンドも鬼の形相を目の当たりにして後退る。


「……てめえは、なんでそんなにタイミングが悪いのかねぇ?」

「タ、タイミング? そんなこと言われても……」

「アルバス様? メグル様は何も悪いことは……」

「ふーん……アルバス、あの子が経営者なの?」


 ジギルの指摘に何も言えなくなってしまうアルバス。その態度が、廻が経営者だと教えているようなものだった。

 無言のまま廻に近づいて行くジギル。


「あ、あの、えっと、冒険者の方、ですよね?」


 廻の問い掛けに何も答えないジギル。

 困惑顔でアルバスを見るが、首を横に振るだけで何がなんだか分からない。

 ロンドも廻と同じ表情をしているだろう。

 そして、目の前まで歩いてきたジギルは廻を見下ろしながら一言——


「か、可愛いじゃないの!」

「「「…………へっ?」」」

「いやーん、何この子! 私好みの可愛らしい子! えっ、何? アルバスって少女趣味があるの?」

「んなわけあるか!」


 口を開けたままポカンとしている廻と、先ほどのやり取りを見ていたロンドは何が起こったのか分からずに困惑顔を浮かべている。アルバスですら同じような表情なので、この現場の状況を理解できているのはジギル本人だけだろう。


「そっかぁ。うん、こんな子供からアルバスを奪っちゃったら、この都市は大変なことになっちゃうわね」

「えっ? アルバスさんを奪うって、どういうことですか?」

「なんでもないわよ! それよりもメグルちゃんだっけ? ここって食事できるところなんてないかなぁ。お腹空いちゃったんだよね!」

「あっ! だったら宿屋の食堂しかないんですけどいいですか?」

「もちろんよ! それじゃあみんなも行くわよー!」


 廻の手を取ったジギルはスタスタと歩き出したのだが、すぐにピタリと立ち止まりくるりと振り返った。


「……アルバス、宿屋はあれで合ってる?」

「あれは道具屋だな。宿屋はあれだ」

「そう! それじゃあ行きましょう!」

「あの、えっと、えっ?」


 いまだに状況の把握ができていない廻は、やや巻き込まれるような形で宿屋へと連行されていった。


「……あ、嵐のような人ですね」

「……その嵐はまだ去っていないからな?」


 取り残されたアルバスとロンドは、お互いに感想を口にしながら心なしか重い足取りで宿屋へと歩き出した。


 ※※※※


 宿屋の食堂に着くと、そこには食事にやって来ていたポポイの姿も見える。

 廻が見知らぬ女性と現れたこともあり、冒険者だと悟ったポポイがすかさず営業をしようとしたのだが──


「今は黙ってろよ?」


 と後から現れたアルバスに凄まれたこともあり渋々座っていた椅子に戻ってしまった。

 ニーナは普段通りの笑顔で出迎え、注文を受けると厨房へと下がり、手伝いをする為にロンドも下がっていく。

 現在、机の回りには廻、アルバス、ジギルの三人となった。


「えっと、この状況はどういうこと?」


 唯一状況把握ができていない廻の問い掛けに、アルバスが仕方ないといった口調で説明を始める。

 ジギルの目的と、アルバスの回答に相づちを打ちながら、廻が出した返答は意外なものだった。


「えっ? アルバスさんが冒険者を続けたいなら良いと思いますよ?」

「…………小娘、それでいいのか?」


 一番呆気に取られたのはアルバスだった。


「私としては当然困ります。アルバスさんもそうですけど、ロンド君だって、ニーナさんだって、ポポイさんだってそう。誰が抜けても私は困ります」

「だったら何故そんなことを言うんだ?」

「だって、私一人の我儘のせいで誰かの人生を縛ることなんてできませんから」


 当然といった感じの発言に、アルバスは廻がこんな奴だったと改めて思い出していた。

 初対面の人間を心底心配したかと思えば、自分の感情は二の次三の次で相手のことを尊重する。それが自分に不利益だと分かっていても気にしないのだ。


「お前は経営者なんだぞ? 我儘なんて言いたい放題なんだがな」

「そう思ってるならもう少し私の意見も聞いてくださいよ! さっきだってぶった切ってたくせにー!」


 アルバスとしては真面目な話をしているつもりなのだが、廻は頬を膨らませて怒ったふりをしている。


「とにかく! アルバスさんが出ていったら困りますけど、冒険者をこちらの方とやりたいなら止めません。あっ! だけど管理人の後継者はちゃんと育てた後だったら助かります! 私一人じゃあ絶対に無理なんで!」

「管理人? えっ、経営者が窓口に立ってるの?」


 そこでようやくジギルが口を開いた。二人のやり取りに固まっていたのだ。


「人が少ないんですよ。だから、アルバスさんに何かをお願いする時は私が立とうと思ってるんです。それで、えっと、名前は……」

「あ、あぁ、私はジギル・グリュッフェルよ」

「そうでしたか! 私は三葉廻みつばめぐると言います。アルバスさんを探しに来てくれてありがとうございます」


 廻が立ち上がって頭を下げると、ジギルは目を見開いて驚きを露にする。


「稀に見る経営者だろ?」

「え、えぇ、そうね。……本当に、アルバスが管理人を受けたのも納得だわ」

「そうですか?」

「そうよ」


 この後、ジギルはアルバスの勧誘を諦めたと廻に告げた。

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