次のステップ
「……地味」
ベッドに腰掛けた高槻さんは、つまらなさそうに両足を投げ出しました。
まあ、同感ですが、この人はハッキングを何だと思っているんでしょうか。映画みたいにキーボードを乱打して、薄気味悪い笑顔を浮かべながら、メガネに文字を反射させるアレをご所望でしょうか。メガネ型の高級MRデバイスをくれるなら、考えてやらんこともありませんが。
彼女は居酒屋に居座るタチの悪い客のように、さらに文句を垂れます。
「なんか、こう、バーンってできないわけ? バーンと」
「まあ、これはあくまでも監査の一環ですから、本気で業務を支障するようなことまではするべきではないんです」
と、私はどうでもいい{tracert|トレースルート}コマンドを適当に実行しながら答えました。
「だいたい、『この機会に仕返してやる』みたいな意気込みはないわけ?」
「ありますよ? きっとやったらスカッとするでしょうね。あの人事部長を退職に追いやったら、白飯十杯はいけますよ」
「……それは食べ過ぎでしょ」
「でも、それだけです。京姫ひよこファームの葛城専務、知ってますか?」
「あのひよこ好きのオッサンでしょ?」
「あなたが来る前、あの人は、京姫鉄道の取締役だったんですが、セキュリティ施策の失敗で島流しされたんです」
「知ってる。全線運休事件の時のことでしょ」
「はい。それで会社が良くなったかというと、どうですか? 結果このザマです。ハリウッド映画ならドンパチやって、殴り合って悪役を倒せば終わりですが、私はその先のことを考えないといけないと思っているんですよ。せっかく監査役という肩書きを手に入れたんですから、任期満了するまでに、どれだけこの会社を良くできるかが私のKPIです」
「はあ……、そうだった。祝園アカネAは、サボり癖があるくせに発想だけはクソ真面目で頑固なのを忘れてた」
彼女が天を仰いでいるのは、見なくても分かります。
実際の所、本気で業務に悪影響を及ぼすつもりでやれば、できることは他にもあるのですが、さすがに抜き打ちの模擬攻撃でやるにはやりすぎ感があります。例えばSQLインジェクションなんかを試してデータを破壊してしまって復旧不可となれば、さすがに監査としては行き過ぎです。
「で、どうします? 私は、とりあえずBigBrotherをアップデートしないとどれだけ危険かを証明したいと思います。それをもって、今回の監査の指摘事項とするというのをゴールにしようと思っていますが、それでいいですか?」
「お好きに」
チームの中でゴールを共有するって、大切ですね。
「ところで、BigBrotherを傀儡にするには、やはり会社のLANにアクセスする必要があると思うんです」
「でも、さっき試したときはVPNには接続できなかった、と」
「はい。VPNに接続できれば早かったのですが」
VPNを使えば、仮想的にLANに接続した状態になります。直接攻撃することができれば、BigBrotherへの攻撃が行いやすくなります。しかし、VPNに接続できないということは、別の方法を探らなければなりません。
「提案はありますか?」
「会社に物理的に侵入するとかは? 清掃業者とかを装って。制服とか掃除用具のカートとかなら用意するけど」
目をキラキラと輝かせています。ああ、こういう方向性に期待しているのですね、この人は。
「まぁ、それでもいいんですが、さすがに映画の見過ぎでは」
「社長を辞めてから暇だったから仕方ないじゃない」
「へぇ」
「何、その顔」
「いえ、何でも。ただ、『清掃業者に化けて侵入できました』ではサイバーセキュリティというよりは、単なる物理的なセキュリティの話になってしまうんですよね。私の理想は、建物に侵入しなくても済む方法が良いのです」
そこへ、アカネBが割り込んで来ました。
「それだったらさ、無線LANなんか良いと思います。ちょっと前、研修で京姫鉄道の本社に行ったとき、講師の人が社内無線LANの電波が悪いって嘆いてたから、無線LANはあるんですよね?」
「ああ、研修室はアクセスポイントケチってますからね……。まあ、ありますよ、無線LAN。でも残念ながら、無線LANの認証には、Active Directoryと連動したRADIUSサーバーを使っているので、私のアカウントが無効化されている今は難しいでしょうね。やってみる価値はありますが」
ふと私はベッドサイドのテーブルに、黒いバインダーを見つけました。その表紙には箔押し加工された『宿泊のご案内 ―INFORMATION―』の文字が金色に輝いています。中身をぺらりと流し読みして、あるアイデアを思いついたのです。
「では、部屋にこもりっきりも何ですから、ちょっと散歩しましょうか」
「どこへ?」
「京姫鉄道本社です」
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