第33話 ご飯とご褒美

 風呂から上がるとご飯の準備まで整っていた。

「良かったら一緒に食べませんか?」

 菜花なはなさんがにっこり笑うので、俺もつられて笑顔で了承してしまう。

 しかしいいのだろうか。

 理三郎りざぶろうさんはお金は取らないと言っていたけれど、見学はさておき宿泊費ぐらいは払うべきなのでは。

 ダイニングテーブルに所狭しと並べられたおかずの数々。一体何品目あるのやら。

 紗凪さなぎは皿を指さしながら菜花さんに何やら聞いている。恐らく作り方を教えてもらっているのだろう。

「メモしなくて大丈夫?」

「大丈夫。全て記憶してるから」

「えらいえらい」

 菜花さんは自分の孫を褒めるように紗凪の頭を撫でる。

 あまりに違和感のない、幸せなその風景を見て、なんとなく、紗凪はこの夫婦の元に生まれるべきだったのではないか。とそんなことを思い浮かべてしまった。

 彼女には実の父がおり、この夫婦にも実の子供がいるはずであることを考えれば、それは些か失礼な妄想ではあるのだが。

「先程は申し訳ありませんでしたね。てっきり二人はそう言う仲なのかと思ってしまって、お風呂を奨めてしまいました」

「いえいえ! そんなとんでもない。自分が軽率でした。あまりにもこの御家おうちが立派なもので、勝手に旅館か何かと勘違いしてしまって。考えても見ればいくら大きな家でも男女別のお風呂なんてないですよね」

 はははっと笑ってごまかす。

「それにしてもあれほど大きいお風呂という事は、以前は相当な大家族だったんですか?」

「家族が多いのもありましたが、この辺は林業が盛んで。昔はこの家を宿場に男衆が木を切りに森に入って行ったんですよ。ですからお風呂も大きいのですが、何せ男ばかりでしたので、仕切りというものは、当時から無かったんです」

 二人で話していると、紗凪に料理の説明をしていた菜花さんが席に着いてにっこり笑う。

 合わせて理三郎さんが合掌。三人もそれにならう。四人で揃って手を合わせて「いただきます」と挨拶をした。

 どれもこれも美味しそうな物ばかりだったが、まずお茶をすすった時点で思わず唸ってしまった。

「美味しい」

 すると、夫婦は2人して俺の顔を驚いたように見て、その後で紗凪に笑い掛けた。

「ほんと、紗凪ちゃんの言った通り」

朝薙あさなぎさんは人を見る目が有る」

 何の話だろうか。

 俺が困惑していると、菜花さんが答える。

「紗凪ちゃんは比々色ひひいろさんならお茶の味の機微きびが解るはずと言っていたんですよ。私は、若い子がお茶の味なんてわからないでしょうって言ったんですけどね。本当に解るんですから、驚いてしまって」

燈瓏ひいろう君、舌が肥えているから。いつも藍香あおかさんのご飯を食べているんだもの」

「自分が解ったんじゃなくて、お茶が解らせてくれたって言うくらい、美味しいです。これだったら、誰が飲んだって美味しいって言いますよ」

 夫婦は顔を見合わせて嬉しそうに微笑む。

「娘婿の実家が農家で、お茶を作っているんですよ。そこのお茶なんです。白川しらかわ茶と言うのですが」

「え! 白川って岐阜の? あの世界遺産のですか? あそこ、お茶も作ってたんですね」

「あー、いや、白川郷の方ではなく、白川町の方です」

 岐阜の中に白川二つもあるのか。

「一般的に売られている茶葉は量産の為に機械で刈り取るので茶葉がメタメタに切り刻まれて、渋みやエグみが多いのですが、娘婿の実家では初摘みの時だけは手摘みで収穫を行うので、エグみの少ない美味しいお茶が採れるんです。とは言っても手作業には限界があるので、親戚周りに配る分だけを採り終えたら、後は機械で刈り取ってしまうのですがね」

 その初摘みの時に手摘みで採られたお茶が、これなのか。

 後追いの感想だが、確かにエグみは無い。代わりに旨味と言うか、口の中に茶葉本来の甘みのようなものが広がる。

「さあさ、ご飯はお茶だけではないですから、たくさん召し上がってください」

 菜花さんの言葉に、箸を進めた。

 夕食を食べ終わって居間で寛いでいると、紗凪が隣に座った。

「あれ? 今まで何やってたんだ?」

「夕飯の片づけ。皿洗いとか」

「あ、しまった。タダ飯食った上に片づけもしてないとか、最低だわ、俺」

「二人とも燈瓏君の喰いっぷりを見て大層喜んでいたから、まあいいじゃない? 燈瓏君の代わりに私が働いてきたとも言えるし」

 紗凪は頭を突き出した。

「何してるんだ」

「褒めて」

 ずいっと眼前に迫る頭頂部。

 こんな露骨なおねだりが有るだろうか。

 でも、まあ、いいや。

 俺は言われるまま頭を撫でた。

 すると一瞬紗凪の体がビクッと引きるのが見て取れた。恐らく、本当に俺が撫でるとは思っていなかったのだろう。

 彼女の体は小さく震えていた。

 そのまま彼女の顔面は、胡坐あぐらをかいた俺の太腿に不時着した。

 浴衣の布が濡れたのが解った。

 理三郎さんは呑み込みが早いと言っていたが、彼女はまだ高校二年生の女子だ。しかもこれほど幼い体つきで、筋肉なんて他の子よりも少ないだろう。彼女の、俺の為に戦いたいと言う意思が不屈のものでなければ、成し得ない事をやっている。

 理三郎さんは優しい人だが、武術を教えるという事はそれ相応の厳しさで以って教えたはずだ。辛い事もあったろう。なのに出会った時にはおくびにも出さず、風呂場ではふざけてさえいた。

 俺は彼女の優しさにどこまで甘えていいのだろうか。際限なく甘えて、いつか彼女の優しさを全て吸い尽くしてしまいそうだ。あの、父親の様に。

「そう言えば」

 俺は自分が持ってきた荷物の中から本を手に取る。

「ほれ」

 紗凪は押し付けていた顔を上げ、本を見る。タイトルを見て、ガバッと半身を起こした。

「これ。でも、どうして?」

 お前の父親の募金が許せなかったから金を等価交換して、そのお金と俺のバイト代で買ったよ。とはとても言えない。

「お前が頑張ったご褒美だ」

 暫くの間、ただ、見つめられた。

 気だるげに開かれた瞼の奥の静謐せいひつな黒は、俺が発した言葉を何度も噛みしめているようだった。

 俺は自分自身の肩をちょいちょいと指した。紗凪の浴衣が肌蹴はだけて肩から落ちそうになっているのだ。胸と思しき起伏の外郭が顔を覗かせている。

 すると紗凪は気付いて肩から落ちかけている浴衣の襟を更に肌蹴させる。

「こう?」

「じゃない! 逆だ!」

 憤る俺を見て、口角を上げるだけの笑みを浮かべる紗凪。俺をタダのエロガキだと思って馬鹿にしている笑いだ。くそう。さっきは実際ドキドキしちゃったからなあ。今更、「お前の裸なんて見たって興奮しないんだよ」って言ってみても空虚だと嘲笑されるに違いない。

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