第5話 チコと魔法の国
本に埋め尽くされた、本のための部屋。
室内の湿度と温度を保つため、年中無休で魔道具が稼働し、窓は閉められカーテンも閉ざされた薄暗い部屋である。
虫除けのために焚かれたお香の爽やかな香りと、古書独特の紙とインクの匂いが混ざり合う、一種独特な雰囲気の空間だ。
高い天井まで隙間無く並べられた書架には、ぎっしりと多種多様な本がジャンルごとにきちんと別けられ、整然と並べられている。
そこから、僕とルノにより抜き出された魔法に関する本が、先人が積み重ねてきた知恵を具現化したかのように、幾本もの塔のようにして積み上げられている。
「やっぱ精霊魔法や魔術のことばかりだね」
「うん。肝心の僕らの魔法に該当しそうな本は……無いなあ」
乳児二人が、魔力の光源を操り、浮かんだ本を手も使わずめくる様は、客観的に見れば異様な光景だろう。
途中、僕らの様子を見に来た父さんは、「魔法を使うのは屋敷内でもこの部屋と自室くらいにしておきなさい」と苦笑して去って行った。
僕は本棚にもたれて座りながら、浮かべた本を魔力でぺらぺらとめくる。
斜め読みしていると、ルノが僕の傍へはいはいで来る。
「見てみて、錬金術の本に面白いのあったよ」
読んでいた本を塔の天辺へ置くと、僕の眼前の空いたスペースにルノはその本を飛ばしてきた。
ページをめくり、光球で照らしてくれる。
「ホムンクルス?」
「そう。人造生命体とかロマンでしょ。心を持たないはずのホムンクルス(美少年)が主人(イケメン紳士)との触れ合いで人の愛情を知っていき、ゆくゆくは……きゃー! みたいな」
「錬金術って僕らの魔法に関連性があるのかな」
「まるっとスルーですかそうですよね知ってました」
僕は溜め息ひとつ、
「僕らの魔法の謎を知るために、チコだって外の本を調べに行ってくれてるんだよ。なのに当の僕らがさぼるのは違うだろ」
うぐっと息を詰まらせたルノは、ばつが悪そうに目を逸らす。
「最初は別の切り口からも調べてみようと思っただけだもん……」
胸の前で左右の指をいじいじとさせていたルノは、余計に俯いてしまう。
別の切り口。
確かに一理あるなと思った。それに、
「ごめん、言いすぎたよ」
「ううん、脱線したのは事実だから」
「いや、ごめんっていうのは、どうも僕は目の前に目標があれば、回りが見えなくなるみたいだから。息抜きも必要だよなとわかっててもさ。それに巻き込んだ事に対する〝ごめん〟」
おずおずといった感じで、ルノが僕をちらりと上目遣いで見てくる。
「じゃあさ、じゃあさ! 一緒に息抜き、魔法の実験でもどうどう?」
「いいね、やろうやろう」
と僕の返事と同時に、書庫の分厚い扉が、微かな音をたてて開いた。
「あ、おかえりなさい、チコ」
「おかえり」
「ただいま戻りました」
言うなりチコは、エプロンドレスの皺を伸ばして僕らに一礼する。
けれど、チコの表情は、うかないものだった。
「やはりこの村の蔵書からは、ルノ様とノア様の魔法の正体は分りませんでした」
チコは落胆した様子で伝えてくれた。
いや、何気にチコ、すごい事言ったよね。
だって、〝この村の蔵書からは〟だよ。
カーライル家はかなりの量の本を所有しており、それらを村の皆にも開放するため、蔵書用の建物を設けているらしい。チコはそこへ調べに行ってくれていたのだけど。
「数日間でそんな大量の本を読んだの?」
僕のもっともな疑問に、チコはきょとんとしてすぐに、質問の意図を察したのか訂正してくれた。
「いえ、以前からルノ様の身体操作魔法のことを調べておりましたので。
ノア様がお越しになられる、今から三ヶ月は前です。
おそらく、お二人の魔法は同質のものであるとはおもうのですが、私にわかるのはそれくらいでして」
いやいやいや、三ヶ月でも十分に凄いと思う。
「フォーサイスに赴けば、何か分るかもしれませんが……」
そこまで言ったチコに、ルノは椅子をすすめた。
僕の目には、俗に言うアンティークチェアなのだけど、この世界では普通の高級な椅子なのだろう。細部の意匠に拘りがあるのが一目に分る、品の良い椅子だ。
スカートの裾を淀みない手付きでお尻の方から前へ送り、チコは腰かける。
それにしても。そう、フォーサイス。
母から教わった歴史と地理にあった国の名に、僕は心を引かれる。
魔法国家フォーサイス。
神託を告げる《神子》を頂点とする、一大魔法国家なのだとか。
《死者の王》と戦う《竜の子》たちを支えた魔法使いの多くが、フォーサイスの出身だったという。
フォーサイスへ行けば、何かがわかるかもしれないというチコの意見に、僕は得心がいく。
魔法に関していえば世界で一番の知識が集まる国だからだ。なにより――、母がフォーサイスの魔導学院へ留学していたと聞かされており、僕の思考は、嫌が応にもフォーサイスへの興味で一杯になった。
「確かに可能性はここより高そうだ。
あと、
「そうです。ユグドラシルはそのままフォーサイスの首都名としても使われております」
「ほほぉ。見てみたいね、行ってみたいね」
ルノがわくわくした目で言う。
反面チコは、ふっ、と少し遠い目をした。
「ここからは遠すぎます。今のお二人をお連れして赴くとなれば、おそらく半年以上は掛りましょう」
「とおっ!」
「移動手段は?」
ルノが驚き、僕が訊ねると、チコは当然という顔をして、
「陸路は徒歩です」
と言い切った。
その口ぶりに、浮かんだ疑問をぶつけてみる。
「チコはフォーサイスへ行ったことがあるの?」
「行ったことがあるというか、私の故郷です」
「へええ、どうりでいろいろ精霊魔法とか詳しいわけだ」
言いながらルノがチコの足元へ向かい、両手を伸ばす。
チコはルノの両脇を抱え上げ、膝の上に置いた。
「陸路って言ったけど、馬や馬車は駄目なのかな。あと、他の移動は?」
「ここイルディヴァース大陸から海を越えた西方、グラフィラシル大陸にフォーサイスはあります。二つの大陸は海で隔てられておりますので、その海峡だけ船での移動となります。
また、港のある街までは街道を行けば馬車も可能ですが、それだと回り道になりすぎる上、時間もお金もかかりますので、私は最短距離を徒歩で行きました」
「船に徒歩移動とか、冒険って感じだね」
相変わらず、キラキラした目でルノが言う。
チコはそんなルノを見て、微笑み、両手をルノのお腹へ回す。
「そうですね。大冒険でした」
ルノから外されたチコの視線は、宙空を漂う。
彼女が見ているのは、薄暗い天井などではないのだろう。
しばらくして、チコがはっとしたように僕を見た。
「〝
「うん?」
突然のチコの発言に、僕は疑問の声をかけ、ルノが彼女を見上げた。
「私のお師匠様の口癖が、
一人あっちの世界へ行きかけていたチコだったのだけど、一言「すみません」と目を伏せて佇まいを正す。
「一般の常識として、本来魔法とは、お二人が扱うような特殊なものではありません」
その話は僕も母から教わっていたし、生家にあった初心者用の魔法書を読んで知ってもいた。
「世間で言うところの魔法は《精霊魔法》のことを差すんだよね」
「そうです。世界に満ちるマナを体内へ取り入れることで変換され、魔力となります。その魔力を精霊へ譲渡することにより発現する現象を精霊魔法といいます」
うんうんと頷きながらルノが得意げな顔をする。
「魔法少女侍に変身したとき、色とりどりの輝きを纏ってたでしょ? あれあれ。あの色んな光は、精霊たちに魔力をあげて光ってもらってたんだよ」
「何その器用さの無駄遣い」
「器用というのは当然ですが、とてつもないレベルの高等技術ですね」
溜め息交じりに褒めるチコに、ドヤ顔をきめるルノ。
「質問」
「何かねノア君」
かけてもないメガネをくいっと上げる手付きで、顔を持ち上げたルノが偉そうに言う。
「いろんな光があったけど、精霊の種類で光が変わるの?」
「たぶん!」
「自信満々にあやふやな答えが返ってきたな……」
苦笑したチコがルノの頭に手を置く。
「基本的には、精霊の種類によって色は異なります。
火は赤、氷は藍、風は緑、土は黄、雷は紫で、水は青。光りと闇は、金銀や黒い光という変わったものになりますね。例外はありますが今は置いておきましょう」
「え、じゃあなに……」
僕はルノの変身シーンを思い出す。
あの時確か、今教えて貰った光の色、全てなかったか……?
いや、それ以上に色彩豊かだったような……。
僕の疑問をまたしても汲んだのか、チコが「そうですね」と言い、
「ルノ様は、世界でも数少ない《全属性適正》をお持ちです」
チコの膝の上。
ふんぞり返ったルノの低い鼻が、ツーンと伸びた気がした。
「本来ならば、全ての属性の魔法を覚えることは、とても困難とされております。仮に覚えたとしても、相反する属性の精霊魔法を同時に使うことは出来ませんし、相反する属性の片方は確実に極めることができなくなります。
例えば、光の高位精霊魔法を覚えれば、闇を覚えることができたとしても初級精霊魔法を使えるのが関の山です」
「でもルノは同時に使っていたよね。キラキラ演出の為だけとはいえ」
「ええ。ですからルノ様には《全属性適正》があると判断することができたのです。このまま全属性の精霊魔法を高位まで覚えることができるのであれば、世界でも一人しかいない《全属性高位適正者》の二人目になられるかもしれませんね」
「すごいな……って、ルノ、鼻が天井に刺さるよ」
「ん? 何言ってんの?」
あまりにもふんぞり返って自慢気なルノに幻視が働いたようだで「や、こっちの話」と適当に流しておいた。
「じゃあ、適正が無い人って不利だよね」
「はい。だからこその《魔術》なのです」
「そうそう。魔術って私まだよくわかってないんだよね。教えてチコせんせ!」
先生と呼ばれたことが原因なのかはわからないけど、少し驚いた風のチコが、こほんと咳払いをした。その表情はどこか嬉しそうだった。
「才能や感性で扱う精霊魔法と違い、魔術は学問です。とはいえ、魔術で得る結果は精霊魔法と同じですね。
魔力を通じ、魔法で精霊が行うプロセスを、人為的に創り出したのが《魔術》です。魔方陣などが良い例でしょう。
魔術ではまず、紙などの媒体に魔力経路を描きます。そこに魔力を通すことで効果を発現させるのです」
「その魔力経路が、精霊魔法でいう精霊と〝自分の意思〟に当たるってこと?」
ルノの言に、その通りです、とチコは頷く。
「自分の意思?」
僕の問いに、あー、とルノが言いながら、手のひらを僕に向ける。
「精霊に魔力をあげるだけじゃ、どんな魔法を発動させるのか精霊はわかんないじゃん? だから、その魔法の形を〝意思〟として精霊に伝える……というか……? 説明むずい! 感覚的にやってるんだもん!」
言いながら、ルノの手から柔らかな風が届けられる。
僕の髪が揺れ、手元に開いてあった本のページがめくれる。
「や、じゅうぶん伝わったよ。ありがと。
ようするに、魔法の形というのが、俗に言う《魔法名》とか、その意思……、イメージってことでおっけ?」
「おけ、たぶん……」
言葉尻が小さくなるルノの髪を撫でながらチコが、
「その通りです。追加するなら、イメージには具体的な魔法の威力も含まれておりますね。先程のルノ様の風魔法も、威力値を高くイメージすれば、ノア様を吹き飛ばすこともできますので。比例して消費魔力も上がりますが」
と補足してくれる。
ていうか、その怖い想像はやめて。
ルノ、何か悪そうな笑顔でこっち見るな。
「魔法と魔術の違いは、乱暴な言い方をしますと、得る結果は同じでも、その過程が異なる、ということに尽きるかと」
チコはちらりとルノを見る。
上からの視線に気が付いたルノも、?を浮かべるようにして彼女を見上げる。
「今までルノ様の魔法は、全て無詠唱でしか見たことがありません……。ですが、普通なら、魔法に詠唱は必須なのです。
そして、魔術のメリットとは、実践で詠唱の長い魔法を使うより、その詠唱を魔方陣としてあらかじめ記述しておけば、魔法よりも早く効果を得ることができます。
デメリットは、扱う術によって紙とインクが特殊になり、コストがかかることと、魔方陣や術式を書くための知識と技術、道具が必要なことでしょうか」
「なるほど。それと一つ質問」
チコの説明に納得しつつも、一つ知りたかった単語が出てきた。
そう。
母も僕の魔法をみて驚いていたことだ。
「無詠唱って? 僕はたぶんまだ精霊魔法を使ったことがないと思うんだけど、普段使ってる魔法も詠唱とかはしたことがないんだ」
「ええ。本来ならば、魔法の完成とは、魔法名を詠唱の最後に添えることで完成となります。
文字通り《無詠唱》とは、それら一連の工程を無視し、効果を得るというものです。
無詠唱を扱えるのは、世間に知られている限りでは、私のお師匠様だけですね。とはいえお師匠様も高位魔法の無詠唱は、完成されているかは分りかねます」
「うおお、高位魔法ってまだよくわかんないけど、近いうちに試してみたいかも」
「いえ、それはせめて……、外出できるようになってからにしましょう。周囲への被害を及ぼす可能性が高いので」
困ったような顔をして言うチコに、ルノは少し残念そうに「わかった」と頷いた。
「ところでさ、チコはどんな魔法や魔術が使えるの?」
何気ない質問に、チコは予想に反して、妖艶ともいえる目つきで僕を見た。
「
ルノを抱えながら脚を組み替えたチコに、どきりとした。
得も言えない怪しさを纏ったチコには、大人の色香が漂っていて、直視していられない。
たぶん僕の顔は赤くなっている。
目を合わせるのが気恥ずかしく、横目でちらりと見やると、チコに抱えられたままのルノの口がへの字になっていた。
そんな僕の反応をどう受け取ったのかは分らないけど、チコは「ですが」と続ける。
「いつか私とパーティーを組むことがあれば、お教えさせていただきます」
「ぱーてぃー!?」
への字一転。
ルノが食い付いた。
「はい。私は冒険者をしていた時期もあれまして、その時のリーダーであったネルザール様と、もうお一方にだけは私の能力の全てを開示しておりました」
「父さんが冒険者だったの?」
「知らなかった! っていうか冒険者っていう言葉の響きがロマンだよ!」
「先代様がカーライル領を治めていらっしゃる間、ネルザール様は世界を股にかける冒険者でした。フォーサイスへお越しの際、私はご主人様に命を助けられたことでご縁をもてたのです」
ルノはともかくとして、僕も少しテンションが高くなっていたのだとおもう。
チコは嬉しそうに、冒険者時代の感動した話を聞かせてくれた。
主に、景色や、その土地土地の食事のことだったのだけど、それは僕にとってすごく新鮮で、魅力的な話だった。
話題は次第に戦闘関連のことに移り変わり、
「パーティーの斥候役って、常に最前線を一人で行くの?」
「ええ、そうですね。めぼしい得物がいれば、注意を引いてメンバーの場所まで誘導したりもします」
おおー。とチコの武勇伝に感嘆の声をもらす僕ら二人。
なんだかんだ、このような冒険譚というのは、聞いているだけでも心が躍る。そのことからも、僕の中身は男の子なのだと実感できたことが嬉しい。
同じように感動しているルノは、まぁ、そういう性質なのだろうと納得しておく。
「んでんで、チコの能力を知ってたもう一人って誰だれ? 当時のお仲間さんなら、今も付き合いあるの?」
「それは……」
チコから、これまでの楽しげな雰囲気が消え去った。
敏感にそのことを察知したルノが、念話で『地雷ふんだかな……』と泣きついてきたので『ルノの特殊技能に地雷処理(起爆)ってありそうだよね』と答えておいた。
念話でむきー! と怒りの声をあげていたルノが、チコの身じろぎで黙る。
「そのもう一方とは、ティアルーシュ・レスフィーナ様……、ルノ様のお母様で……、ご存じの通りもう亡くなられました……」
ゆっくりと発せられたその言葉尻は、普段のチコからは想像もつかないくらい、頼りなく、か細いものだった。
~to be continued~
********************
るの「魔法の国出身のわんこ忍者チコとか。
いろいろ妄想はかどります」
のあ「斥候って言っただけで忍者認定」
るの「たぶん
のあ「後半つっこまないし、深淵を確かめる気もないよ」
るの「意気地無し!」
のあ「そんなことより、ルノのお母さんの話が気になる」
るの「お母様……、はっ! 続きは次回だよ次回!」
のあ「このままここでネタばらしするまである、と思ってたのに」
るの「そんな地雷ヒロインに私はなりたくない」
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