第四十話 挑戦状

 道の脇を整地し野営の準備を整えたスイール達。

 今は、数刻前に首を刎ねて倒した灰色熊グリズリーの解体が佳境を迎えている。

 解体は食料確保の意味合いもあるのだが、どちらかと言うとどのように強化されているのかを確かめる方に興味が割かれていた。


 解体してわかったのだが、頭部は眉間を中心に額を覆う様に金属板が貼られていた。それも頭蓋骨にわせる様に湾曲して、だ。その為に金属板に伝わった衝撃が直接頭蓋骨に伝わったらしく、あらゆる方向へとヒビが走っていた。

 その後のアイリーンの一撃は見事にその鉄板と頭蓋骨を貫いていたのだが。


 関節は動きを阻害されると考えたのか何もされていなかったが、太ももや脛、腕などには蛇腹状に加工された金属板が埋め込まれていた。それも、筋肉の動きを阻害せぬ様に体の前面に集中して配置してあるのだ。


「これを見ると、すでに完成されてると感じるな」

「ヴルフでもそう見えますか?彼らは何年も獣達で実験を繰り返していたのでしょうね」

「まったく、反吐が出るわい」


 獣としての体は維持されてはいたが、体中をいじくられ実験にされた獣達の事を考えると心の奥底から嫌悪感で塗り潰される、そんな気がしてくる。

 ヴルフが唾を吐くのを誰も止められないでいるのは同じ思いを抱いているのだから。


「ですが、これは何処で手に入れた技術なのでしょうかね?」

「どこぞの狂気のマッド研究者サイエンティストが広げたとは思えないがな」

「あの研究の成果を記したノートはすべて私が回収したはずですから、あれから広まっているとは考えられないのですがねぇ……」


 長く生きてきたスイールでさえ、数年前に初めて出会ったのが狂気のマッド研究者サイエンティストが作り出した化け物。それ以前でも知らないのだから、不思議だと思うしかない。


「流出先と考えれば、狂気のマッド研究者サイエンティストかアーラス神聖教国のアドネの街位なものですね。どちらか……?」

「ま、考えてても始まんねぇさ。さっさと解体してメシにしよう」

「そうですね。どうせ、目的地に着いたらわかるでしょうからね」


 スイールはヴルフと二人、金属板があらわになった腕の一本を眺めながらいつ終わるともわからぬ会話に終止符を強引に打った。

 そして、焚火の近くで解体した肉を前に、仲良く料理しているエゼルバルドとヒルダを見やる。

 二人の姿を見れば返り討ちにした灰色熊グリズリーを料理している幸せそうな夫婦としか見えないが、目的地は誰もが知らない敵地であり、死地である。それを考えると何とも不思議で場に合わぬ光景を目にしているのだと思うのだ。


 二人で幸せに過ごせる光景をいつまでも見たい、それがスイールの願いになりつつあった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「今日は多めに歩くとしましょう」

「そうだね。昨日は早く野営をしちゃったからね」


 野営に設置したテントなどを畳み、それらを仕舞ったバックパックを背負いながら昨日の出来事を思い出していた。

 西の針葉樹林の先に太陽が差し掛かる前に野営を始めてしまったのだから、予定が大幅に狂ってしまったのだから仕方がない。まだ元気なうちに距離を稼ごうと誰もがスイールの提案に頷きで返していた。


 それからすぐ、昨日と同じようにアイリーンを先頭にして目的地に向けて足を進めるのだった。


 九月に入ったがまだまだ暑い日が続き歩き始めるとすぐに汗ばみ始める。曇天模様のこの日は太陽の光を浴びる事が無いとは言え、汗ばむには変わりない。そよそよと吹く風に大河からの冷たい湿気を孕んでいるとは言え、だ。

 そんな中、周囲に注意を払いながら進むこと数時間。

 皆の腹がぐーぐーとなり始める、わずかばかり太陽が天上から傾き始めた頃になって昼食の休憩を取るのであるが……。


「ねぇねぇ、気づいてる?」


 二人を除くスイール、ヴルフ、そして、ヒルダは昨日の灰色熊グリズリーの肉を取り出し昼食を作り始めている。

 それの警戒に当たる二人が周囲に気を配り襲撃等に備えている。ブロードソードに左手を這わせているエゼルバルドへアイリーンがぼそりと呟いた。


「何となく?でいいのかな」


 エゼルバルドはそう答える。ただし、視線は右手にうっそうと林立する針葉樹林へと向いたまま。


「さすがね」

「これだけあからさまに向けられているんだから、誰でも気づくさ」

「気味悪い視線よね……。ほんと、嫌になっちゃうわよ」


 二人の視線の方向、針葉樹林のどこかから向けられている彼らを見張る視線。

 視線は感じるが人や獣の気配は全く感じられない不思議な感覚にどうするべきかと考えあぐねている。

 今のところ視線を向けられているだけで、被害を与えてくるような真似はしてこない。それが救いであるのだが、それがいつまで続くのか、気が気でない。

 気配のないまま近づかれ、寝首をかかれでもしたらひとたまりもない。


「どうする、森に入ってみるか?」

「今のところ、それも難しいのよね……。今のところはそれ以外の気配もないし、道中も快適だから現状維持でどうかしら?」


 アイリーンが告げたように、針葉樹林から視線を感じるだけでそれ以外の気配は無い。

 初日の様に灰色熊グリズリーが現れるわけでもなく、直上から鳥獣が襲い掛かってくる、そんな気配もない。

 それに、野生の獣類が全く見えないのだからこの状況を崩したくないのはアイリーンでなくてもそう思うだろう。

 襲ってくる野生の獣がいないだけでどれだけ道中が楽なのか、改めて感じていた。


 もう一つ、視線の主を見ようと森へと足を踏み込むと、踏み込んだ距離に合わせて森の奥へと移動していくのだから質が悪い。


「そうだね。現状維持でいいんじゃないかな。ここは敵の勢力圏のど真ん中って思っていれば、今の状況は好ましいと思うよ?それに下手に手を出すと返り討ちに遭うと思ってるんじゃないかな?」

「そうなのかなぁ?ま、何かあったらみんなに相談しましょ。話はこれでおしまい、っと」


 敵が派遣して来た灰色熊グリズリーをアイリーンの援護があったとは言え、バックパックを担いだヴルフ一人で完封して見せたのだから、エゼルバルドが口にしたように戦力をいたずらに消費するのを恐れたのかもしれない。その為に常時監視を行っているだけの可能性が強い。


 だから、視線だけしか感じられぬ得体の知れない相手にこれ以上、気を配っても仕方ないとエゼルバルドとアイリーンは現状維持を決め込むのだった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 目的地に向かい始めて折り返し予定の五日目に入ったのだが、その日は目を覚ましてからずっと雨が降り続いた。明け方から降り出した雨は夕方、次の野営地に到着しても降り続き、誰もがどんよりとした雰囲気を体中から滲み出していた。


 そんな気が滅入る状況にもかかわらず、敵や獣に襲われることなく不気味な一日が過ぎようとしていた。


 雨除けに設けられたタープの下、暖を取る為の焚火がぱちぱちと小さな火の粉を巻き上げる。どこか物悲しそうにも見える小さなオレンジ色の火を眺めながら見張りの順番で起きていたヒルダは近くにおいてある軽棍ライトメイスへと手を伸ばした。

 同時に左腕に愛用の円形盾ラウンドシールドを通し、ゆっくりと立ち上がる。

 外套のフードを深く被り、タープから出て雨が降りしきる真っ暗な闇へと出て行った。


 空から涙の様に零れ落ちる大きな雨粒は容赦なくヒルダの外套へと打ち付け雑音を耳に届ける。外音と隔離されたヒルダであるが、腰を落とした彼女の視線は真っ直ぐ目標へと向けられる。集中した彼女には雑音など障害にならないのだ。


 そして、円形盾ラウンドシールドへ生活魔法の灯火ライトを掛け真っ白な光を照らすと共に怒声を浴びせた。


「動くな!そこで止まれ」


 暗闇から浮かび上がった一つの人影。

 光に照らされて疲れ切った表情を見せていた。

 身に付けている物は外套すら無く全身がびしょびしょで滝の様に腕の末端から雨を流している。

 どこかから逃げて来たのかとヒルダは一瞬感じた。だが、それにしては違和感を感じざるを得ず警戒を一段引き上げる。明確な理由ではなく、彼女のカンがそう告げる。


「ま、待ってくれ!僕は逃げて来たんだ、助けてくれ……」


 こんな場所でなければ男の言葉を半分でも信じるのだが、ここはスイールの言う敵地、そして、敵の勢力圏のど真ん中。そんな場所で踏みしめられた道を無事に歩いてきた男など信じられる理由など一つもない。

 臨戦態勢に移ったヒルダは今にも飛び掛かろうと足を開き気味にして身をさらに沈める。


 そして、軽く握っていた軽棍ライトメイスをぎゅっと強く握りなおすと一足飛びに飛び掛かろうとしたのだが……。


「待って下さい!」


 ヒルダを制止する言葉が耳に後から投げかけられると、足を一歩出した所で自分の身をそこで強引に急制動を掛けるのであった。そして、男に意識を向けながら後ろから聞こえた声の主へと視線を向ける。


「スイール!気付いたからって、止めないでくれる?」


 これから”怪しげな男を血祭りにあげるところなの!邪魔しないで”と言いたげなヒルダ。再び飛び掛かろうとスイールに向けた視線を戻した。


「少し待って下さい。倒すべき敵ではあるのですが、何かを持っているかもしれません」

「伝言?」


 スイールは飛び掛かろうとしたヒルダを再び静止させる。ただ止めるのではなく、ヒルダが気にする言葉を吐き出して。

 船上で捕まえた白装束が操られて伝言を残していた事は当然聞いていた。だからスイールがわざわざ”伝言”と口に出して来た事に興味を持ち、動きを止めるのだった。


「もしかして、こいつも操られてるの?」

『ふふ、良く気付いたな』


 スイールに目の前の男も操られているのかと言葉だけを後のスイールに投げたのだが、思わぬところ、対峙している男から回答を聞くのだった。


「ヒルダも敵の勢力圏で怪我もせず無事な男が私達の目の前に現れるなど不気味でしょうし、不思議に思うでしょう」

「確かにね」

『とんだ言われようだな……』


 スイールが告げた通り、ヒルダにも雨の中から不思議に表れた男からは胡散臭さしか匂って来ずすぐに敵として排除に動き出そうとした。

 罵詈雑言を向けられれば眉を潜めるのは敵の男も同じであった。ただ、操られているので表情は固いままであるが。


「荷物も持たず、逃げて来たのならもっとぼろぼろの服装をしていても可笑しくないですし、何より……」

「何より?」

「そんな血色が良い訳がないです」


 ヒルダはどこから聞いていたのかとスイールに問いただしたい気持ちでいっぱいになった。会話の始めから起きていたのならすぐに声を掛けてくれても良かったのではないかと、ぷりぷりと頬を膨らませる。

 それに、ヒルダの円形盾ラウンドシールドに掛けられた魔法の光で照らされた敵の顔を見れば、誰よりも血色が良すぎて逆に目立っていたのは彼女でもわかっていた。

 それを改めて、自信満々に指摘されればヒルダもがっくりと肩を落とすしかなかった。


『いやいや、これは失敗したか』

「それで、伝言は?」

『そう焦らずとも良いでは無いか?』


 この現状から早く脱したいとスイールは男、--今はあかい魔石だが--に答えるように急かした。

 男は問いかけにひょうひょうと時間を引き延ばそうとしたのだが、この日のスイールにはそれは悪手であるとしか言えなかった。焦っているのか、それとも、無駄な会話をしたくないのかはスイールの胸の内にしかなかったが、多少焦っていることだけはすぐに理解できたのだ。


風の刀ウィンドカッター!」

「ちょ、ちょっと!」


 会話と会話のわずかな時間しか無かった筈なのに、スイールは魔力を集めて躊躇なく魔法を放った。

 スイールが放った真空の刃は雨が降りしきり真っ暗な空間を真っすぐ突き進み、冷たい雨を切り裂きながら男の左の二の腕に命中し、血飛沫が宙へとばらまかれる。


「引き伸ばしに付き合うほど暇ではありませんので」

『そうか……。この体もそれほど長くはないだろうから、大切なことを伝えるとしよう』


 操られた男は切り裂かれた腕の怪我など何するものぞと目もくれようとせず、言葉を紡ぎ出した。


『恐らくあと五日程で我の住まう場所まで到達するだろう』

「それはどうも」

『そこまで我は配下どもを仕掛けるのを止めることとする』

「殊勝なことで。こちらとしては助かりますがね」


 身振り手振りを交えながら男は口を動かす。まるで、学校の先生が生徒に連絡事項を告げるように。スイールはそれが気に入らないらしく鼻で笑いながらそっぽを向くように答える。


「どうせそちらの戦力を纏めておきたい、失いたくない。そんなところでしょう」

『そこまでわかっているのなら話は早い』

「では、現地で会いましょう。風の刀ウィンドカッター!」

「あっ!」


 男の、--この場合はあかい魔石の--、意図を正確に読み取っていたスイール。さもわかっていたように答えを返すとそれ以上男の口から声を聞きたくないと、すぐさま魔法を放って首を刎ねてしまった。

 傍で見ていたヒルダは自らの仕事を取られてしまったと思わず声を上げたのだが、時すでに遅しであった。しかし、ヒルダの本心はそう思っていたのは半分程。残りはスイールが起こした行動にもやもやと不安の霧で隠されてしまっていた。


 そして雨の降りしきる中、首から上と左腕をなくし、屍と化した人がドサッと倒れる音だけが虚しく響き渡るのだった。




※敵の挑戦状を受けました。

 そして、それに返す言葉もなく、ただ、首を撥ねるだけ。

 戦国時代の生きる武将の様な……。

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