第三十七話 焦る皇帝
※あれ?この話で401話だって。
トルニア王国の北部三都市が反旗を翻し、内乱に陥った。
その報告を耳にしたディスポラ帝国、皇帝ゴードン=フォルトナーは思わずほくそ笑んだ。
大陸制覇に一歩近づいた、と。
他国が混乱している隙に乗じて隣国を併呑する計画を言葉にしたのは皇帝ゴードン=フォルトナーであるが、その計画の始まりを示したのは皇帝の夢に出てきた神と称する存在の言葉だった。
その言葉を聞き、配下の者に命じて計画を実施してすでに数年。
数か月前には宰相だった彼の地位を陥れた前皇帝をも排除し、念願だった帝国を何の制限もなく動かせる地位、皇帝の座を奪った。
神と称する存在の言葉に従っていれば全てが上手く行く、そう思っていた。
その報告が手元に届くまでは。
ディスポラ帝国、皇帝ゴードン=フォルトナーは現在、帝国最東端の街のルカンヌ共和国との国境に程近い、シャールへと来ていた。
目的の一つはルカンヌ共和国を攻める自軍を鼓舞する為である。
武芸、智謀に関わらず、戦争に関する戦術眼など、全てに才能が無い皇帝ゴードン=フォルトナーが前線で出来る事と言えば、味方の兵士のやる気を引き出してやることだけ。
無事に手柄を立てれば褒美は望む物をやろう、と言うだけである。
そして、もう一つの目的は新しい皇帝が即位したと内外に示すためである。
ルカンヌ共和国へ軍を進めるにしても、ゴードン=フォルトナーが皇帝の座を奪った事は、今まで何処にも公表していない。ディスポラ帝国内に関わらずである。
それを公表するには強大な軍事力を用いて他国の征服に乗り出した今しかないと彼は思ったのだ。
公にするには本来なら帝都ディスポラスで軍事パレードを行い、他国からの目に晒されながら宣言する方が楽であり、常道であろう。
帝都であれば暗殺の危険性も格段に低くなると、警備上の利点もあるだろう。
だが、彼の描いている予定に照らし合わせると別の予定にせねばならず、仕方なしに兵力が集中し、ある程度の警備を敷く事が出来、他国の使者をすぐに招き入れられるシャールの街しかないとなったのだ。
そして、皇帝即位の式典を行うと各国へと使いを出してすでに幾日も経ち、運命のその日に進むのである……。
皇帝ゴードン=フォルトナーは上機嫌で執務机の書類に目を通していた。
配下の者達が押印をするだけの状態にした書類を運んでくるだけなので仕事としては非常に楽であった。
その上機嫌な皇帝の下へと一通の封書が届けられたのである。
差出人不明。だが、蝋で封印をしてある所を見れば、その印から他国へと出した諜報員からである事はすぐに判明する。
だが、こんな大きな封書を送ってくるとはどうしてなのだろうかと首を傾げる。
封書に記されていた日付が明らかに近すぎたのである。
出されてまだ数日しか経っていないとなれば、高速連絡鳥による通信を使ったと見るべきであろう。
本来なら、高速連絡鳥を使った連絡では、鳥の足に文書をしたためた布や紙を巻き付けて送り出すくらいしかしていない。
それが、どうだ。
連絡鳥に大きな封書を何らかの手段で運ばせているのだ。
通常の連絡できる情報量だけでは無理であり、重要な情報をもたらしたのだと、皇帝は予想したのだ。
「ふむ、何処かの王が死んだとでも言うのか?」
ペーパーナイフで封書を破り、中の手紙を取り出して広げて視線を落とした。
手紙の途中まで視線を動かしたとき、皇帝の肩が”ワナワナ”と震えだした。そして、最後の一言まで目を通したところで、皇帝はすぐに怒声を上げてしまった。
「レネ!レネはいるか!今すぐ、ここに来るように伝えろ!」
皇帝は三人の信頼する配下のうち、諜報部員の長であるレネを呼んだ。
怒声を耳にしたのか誰かが呼びに走るより早く、レネが皇帝の執務室へと足早に入って来た。
隣の部屋が控室を兼ねており、レネを始めとした側近達で時間を持て余している者達はそこに揃っていたのだ。
「皇帝陛下、お呼びでしょうか?」
跪き恭しく頭を下げて皇帝の声を待つレネ。
彼女は自らをこの地位に引き上げてくれた皇帝を心から敬愛していた。
そんな彼女ですら何故、大声を出されながら呼び出されたのか、見当がつかないでいた。
「レネ!これを見ろ」
真っ赤な顔をして執務机にふんぞり返っている皇帝は、先程まで目を通していた手紙を無造作にレネへ向けて投げ付けた。
だが、その手紙はレネに届かず、宙を舞って皇帝と彼女の中間辺りにパサリと落ちた。
「失礼します」
レネは頭を下げたまま手紙を拾い上げ、文面に目を通すと口を開いた。
「恐れながら申し上げます。これは私の部下がもたらした事に相違ありません」
「そんな事はわかっている!問題はその内容だ」
再び怒声を上げ、天井へと顔を向けながら手で目を覆った。
手紙に書かれた内容とはトルニア王国の内乱、つまりは、北部三都市が反旗を翻しミンデンを手中に収めて橋頭保を築こうとしていたあらましの全てが簡潔に記されていた。
ミンデンの街を奪還され、反旗を翻した首謀者の三人の貴族と帝国から彼等を焚き付けるために送ったレネの部下、ダンクマールがトルニア王国の手の者によって討たれた。
皇帝の言葉を聞き、配下の三人が苦労して考え出した計画の一角が崩壊したのである。
「確かに、由々しき問題でございますね。計画では北部三都市が年明け、最低でも春になるまで持ち堪えてくれる事を願っていたのですが……」
冷静に言葉を選んでいるレネであるが、内心は計画が破綻した事に怒りを内包していた。
レネは送り出した部下達に戦闘を長引かせて、他国をそちらに注意を向けさせているうちに、帝国がルカンヌ共和国を併呑して国力を倍増させるつもりだった。
いや、今も配下の一人、元帥の称号を与えているフェルテンに命じてルカンヌ共和国を屈服させようと、共和国の西の要害である城塞都市モンファルを囲み攻撃を掛けている最中である。
その、城塞都市モンファルの攻撃に参加している兵士は十五万を数え、トルニア、スフミ連合軍への睨みを効かせている五万を合わせれば、帝国全土で動員できる兵士数の四分の三にもなる。
もし、城塞都市モンファルの攻略に手間取っている間に、内乱が終わったトルニア、スフミ連合軍がこの機に乗じて攻め込んで来ようものなら、無人の野原を行くかの如く帝国奥深くまで進撃を許す事になるだろう。
実際、帝国軍がルカンヌ共和国に侵攻して城塞都市モンファルに攻撃を始めて、まだ二十日程しか経っていない。
城塞都市モンファルは街の南を大河が流れ、背面をノルエガ山岳で守られている。
街から東へは川沿いを自由商業都市ノルエガまで道が走っていて、馬を掛けさせればあっという間に到着してしまう。
とは言いながらも、二つの都市は二百八十キロも離れていて、馬車移動でも三日半は掛かるのだが。
城塞都市モンファルの常駐兵は最低でも二万、そして、緊急時に動員できる兵士の数は三万。
そして、自由商業都市ノルエガは最低でも二万の常備兵を有している。
そう、前面を大河が流れ、背面を山に守られ、馬車で三日半の距離からの援軍が期待できる城塞都市を六万から七万が守っていれば易々と抜ける訳が無かった。
もう一つ、要害と成している理由は、計略を弄して野戦に持ち込もうとしても、会戦をする程の広大な草原が前面にある訳でもない事だろう。そのためにルカンヌ共和国軍は殻を閉じた貝のように城塞都市から出て来る事無く守備に注力するのだった。
では、城塞都市を無視して直接自由商業都市ノルエガを狙ってはどうかとするが、その時こそ、城塞都市を出発した数万の兵士が後背から迫り、二進も三進も行かぬ状況を作り出されてしまうだろう。
自由商業都市ノルエガに向けて西から東に流れている大河が帝国軍の進撃を阻んでいるのである。
「兵糧は十分に余裕があります。それにトルニア王国で内乱が終結したとは言え、すぐにスフミと協力して我が帝国へと攻め込んで来るとも思えません。モンファルの攻略を急ぐべきだと考えます」
「そうか……」
レネの考えを聞きしばらく目を瞑り考えるがそれ以上の明暗も浮かばないと、仕方なしにと前線で奮闘する元帥の称号を与えてるフェルテンへ攻撃を厚くして早急に攻め落とす様にと指示を出すしかなかった。
だが、皇帝とレネの願いは届かなかった。
皇帝の夢に出て来る神と称する存在からも芳しい助言を得られなかった事もある。
「トルニアが動きやがった!何処まで朕を邪魔すれば済むのだ」
トルニア、スフミ連合軍が国境を国境を越えて帝国領土へと進撃を始めたと皇帝の耳に届いたのは、城塞都市モンファルに猛攻を仕掛けて早急に攻め落とす様にと指示を出してから二十日しか経ってなかった。
攻め込んでくるだろうと予想はしていたが、こんなにも早く動いて来るとは誰も考えていなかった。
「このままモンファルに執着していたら、トルニアが大挙してここに攻めて来ます」
「わかっている」
皇帝にそう進言したのは、宰相の位を受けているリヒャルトだ。
諜報部隊の長であるレネや元帥の称号を得ているフェルテンの陰に隠れて活動は地味だが、二人以上に世界情勢に注視している人物だ。
その宰相のリヒャルトが皇帝に危機を解いてきたのである。
皇帝は彼の進言を無下にする事など出来ず、更なる言葉を待った。
「トルニア、スフミへの睨みとして五万で国境を守らせていますが、戦上手のカルロが出張って来ていれば易々と打ち破られる可能性もあります」
”確かにそうだな”と皇帝は頷く。
「そしてもう一つの懸念ですが、我々はその五万を幾つかにわけて配備している事でしょう」
スフミ王国との国境付近にはジェモナの街が、国境まで五十キロほど帝国寄りに位置しているので。
あまり大きくない街であり、五万もの兵士を入れる余裕は無い。その規模から村に毛の生えたくらいの規模しかない。
そのためにジェモナから南西方向に百キロと少しに兵士の駐屯地を建設中で兵士の半分はその建設中の駐屯地、バードスカウの建設作業に従事させていた。
その為に、ジェモナには二万五千程の兵士が国境に睨みを掛けているのだが、トルニア王国軍のみで八万もの精鋭を送り込んで来たために、焼け石に水程度にしかなっていなかった。
トルニア王国軍のみで踏みつぶされてしまうほどにジェモナの街は堅牢ではないのだ。
「そうなるとどうなる?」
もし、東のルカンヌ共和国に注力していれば、北からトルニア、スフミ連合軍が南下して、無人の野原を進むが如く、帝国領土を蹂躙されてしまうだろう。
それを撃退したとしても、傷ついた国土を復旧させるには数年は要するだろう。
「トルニア、スフミに睨みを向けている五万の兵士をまず一つにするべきでしょう。そして、次は皇帝陛下の安全でございましょう
「朕の命か?」
「はい。皇帝陛下は玉座に収まったばかりであり、もし、皇帝陛下がお隠れになってしまえば帝国は瓦解しかねません。我らも当然ながら皇帝陛下に忠誠を誓う身となれば、皇帝陛下の御身程、重要な事はありません」
皇帝の玉座を力で奪った事で自らの命を軽く考えてた皇帝は、宰相リヒャルトから大切だと告げられ考えを改めるのであった。
そうなると、このルカンヌ共和国との国境が目と鼻の先にあるシャールに何時までもいては配下達に迷惑が掛かる、と。
「ですので、皇帝陛下にはすぐに守りの硬いバスハーケンに戻っていただくか、帝都ディスポラスまで海路を戻っていただくと宜しいかと」
「前線で兵士を鼓舞すればと思っていたが、お前からそのように言われては仕方ないな。帝都まで戻ってしまえば兵士達の指揮にかかわるだろう、新しい皇帝は兵士よりも自分の身が可愛いと言われてしまうだろう。お前の意見は一理ある、だから、バスハーケンに向かう事とする」
頭を下げ続ける宰相のリヒャルトは”ご決断感謝します”と言葉を告げる。
そしてもう一言、皇帝の怒りを買う可能性もあるが言わざるを得ないと告げる。
「もう一つ、城塞都市モンファルへの攻撃を中止し、即座に撤退を指示していただく様お願い申し上げます」
「朕に統一の夢を諦めさせるだけの理由があるのだろうな?」
皇帝ゴードン=フォルトナーは大陸統一、そして、世界統一を夢に見る。
その為にはこんな所で躓いている訳には行かなかった。
まだまだ、夢を追い求め、あがき続けなければならぬのだから。
「我が帝国にはいまだ五万程の残存兵力、徴用出来るだけの財政も食料も、そして、人的資源もあります。ですが、あと半月で兵士を集めたとしてどれだけ使い物になるかご存じでしょうか?」
それに、皇帝は首を横に振って答える。
当然、精鋭になるには厳しい訓練を潜り抜けて貰わねばならず、虎の穴に放り込んだとしても這い上がってくる可能性は低いとは皇帝でも知っている。
武器や防具も五万もの数をそろえる事は短期間には厳しいだろう。
「皇帝陛下をお守りする兵士を何処から揃えるか。答えは決まっております」
「そうか……仕方ない。朕から一つ良いか?」
「はい、なんなりと」
皇帝の表情は納得していないが、仕方ないと長い溜息を吐いた。
この不利な状況を考えれば目の前のリヒャルトの言葉は正しいだろう。
それに加えて、皇帝にも最後に確かめておかねばならぬ事があった。
「城塞都市モンファルから撤退させるとして、そこからの追撃はどう考える?」
「それは考えて御座います」
皇帝の危惧していた事とは出撃させた十五万の兵士の事だ。
攻め寄せるのであれば何も問題ないが、撤退するには敵からの追撃が心配だ。
それをリヒャルトが自信満々に答えるのである。
「全てを一度に帰す必要はございません。出来るだけ足の速い兵を先にお戻し下されば大丈夫でしょう」
「それを聞いて安心した。そのように命じる事にしよう」
皇帝はリヒャルトからの進言を聞き、安心してそれを書状にしたため前線で奮闘する元帥の称号を与えているフェルテンへと指示した。
そして、皇帝はその日のうちに百程の護衛の兵士を連れてシェールを出発し、バスハーケンを目指して出発するのであった。
※トルニア王国の内乱の裏で動いていた帝国。トルニア王国の内乱がひと段落してしまって慌てた皇帝の行動となります。
ちなみに、帝国へと侵攻するのはパトリシア王女の部隊ではなく、カルロ将軍が指揮する主力部隊とスフミ王国の連合軍となります。
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