第三十六話 解放軍の反撃、雪辱戦

 陣地を出発したグローリアとヴルフの解放軍は歩く速度で兵を進める。一時、陣へ引き返し休息を取ったと言えども、その日のうちに再度出撃するのだ、決戦を行うのに疲れさせる行為だけは絶対にしてはならないと、進撃の速度は非常にゆっくりであった。

 だが、ゆっくと歩くからと言って、気持ちまで晴れやかな気分になるかとは言えず、兵士達の顔にはれない感情が表に出ている。五人で連携してやっと一体の敵と互角に戦える相手にもう一度挑もうとしているのだ、その感情が表に出るのは当然と言えよう。

 先頭を行くグローリアとヴルフには負の感情は見て取れず、自信に満ちた顔を見せており、それだけで兵士達は安定した精神を保てている。


 グローリア達解放軍が退却し、陣中へと引き返した事が敵にどの様な印象を与えているか気になる所であったが、エゼルバルド曰く、”苦戦した相手が城内へと引き返したこの時を狙ったのであれば、再度その部隊が出てくる確率は高いだろう”と考えを露にしていた。

 この作戦はあの化け物を再び相手にする作戦であり、他の部隊が出て来る事はあってはならないのだ。もし、別の部隊が出て来た時は、今回の出撃は無駄になるが、その時は一時退却するしかないのだが。


 十中八九出て来る敵を打ち倒さなければ、救われぬ命を神の下へと旅立たせることも出来ぬとグローリアは唇を噛みしめるのであった。


「とは言え、本当に出て来るのかしらねぇ」


 アドネの街との距離も半分までこなした辺りでグローリアが疑心暗鬼に陥りそうな自分に言葉を吐いた。出来れば自らの国民を戦いに引き出し、参加させたくないと思うのである。


「まぁ、向こうさんの指揮官がどう出るかだ…な」


 街の防壁の上からは望遠鏡で解放軍が出撃した事をすでに知らせているはずであろう。午前中に一戦した兵力より数を減らしているとは言え、真正面に見える手札武器は変えてはおらず、塔盾タワーシールドを持つ部隊は中程に、クロスボウを持つ部隊も最後尾に配備してなるべく見えないようにしている。

 そのため、先程と同じように長槍ロングスピアを主武器に進み来る敵を迎え撃てば良いと思わせている。


「そろそろ、向こうさんに反応が出ても良いはずだが」


 ヴルフが””と口に出したその時である。念願だったアドネの街に反応が現れた。一時、閉ざされた跳ね橋が降ろされると頑丈にできた門が開かれ、アドネ領軍の野戦部隊が出撃を始めたのである。


「作戦の初期段階は成功したか…」


 アドネの街から姿を現したのは、いびつに長い腕と短い脚、そして大きな体に紺色の全身鎧フルプレートを身に着けた、あの手ごわい化け物であった。

 手ごわい相手であるが作戦の初期段階が成功したことに”ホッ”と胸を撫で下ろすのであった。


 このままの速度で接敵すれば、アドネの街から降り注ぐ矢の射程範囲となってしまう目安の先の戦いで放たれた矢が地面に散らばっているので、この段階で作戦を開始するのであった。

 当然であるが、アドネの街から見られている事を考慮しての作戦である。


「あと、百メートルで第一弾、発動だ」


 第一弾は味方の防御部隊と遠距離攻撃部隊の分離である。進撃速度を少しだけ緩め、接敵時間を延ばすと共に、敵の射程外へと戦場を移させようとする。移動速度を落とすのが少しなのは、アドネ領軍が使った策である目の錯覚を利用したのだ。


 そして、百メートル進んだ所で歩兵の中程で塔盾を担いだ歩兵二十をその場所へ置き、横一列に並ばせながら、盾を隙間なく構えさせた。塔盾で見えなくなった後方に弓兵百を配置し守らせたのである。


 塔盾の部隊から三十メートル進んだ所で荷物を背負った歩兵百を残し、荷物を足元へと降ろさせた。この部隊はそれほど広がらずに密集隊形を取らせ、横に十人の列となっていた。


 残るは兵士が二百八十と、出撃した兵士の半数近くに減った歩兵となってしまったが、構わずに前進を続けた。


「そろそろだ。作戦を開始するぞ」


 長槍を掲げてグローリアが掛け声を上げると、五十の歩兵と共に足を速めて左へと進路を取った。その進路は大きく逸れており、このまま直進すれば何処へ行ってしまうかと思える程であったが、狙いは大きく迂回をして敵の前へとその身をさらし、敵を陣中深くに誘い込む事であった。

 だが今は、大きく進路を取った事で敵の意識をグローリアへ向けさせる意図として活用するのだ。


 グローリアが移動を開始した動作を合図に、残った二百三十の歩兵はヴルフを中心に左右に広がり五列ほどの薄い陣形を敷いた。グローリアの部隊にしろ、ヴルフの部隊にしろ、敵を誘い込まなければこの作戦は成功しない。


かしあいは成功するかのぉ?」


 陣形を展開し、その場へ踏みとどまったヴルフは作戦の成功を祈るのであった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 アドネの街から出撃した化け物を率いる二人の指揮官は、進撃する部隊の後方で指揮を執りつつ、解放軍の行動に不気味さを感じていたが、臆することなく進撃を続けていた。


「あれって、どう思う?」

「待ち構えてるって事でしょう。何か策があるのかしら?」


 ヴェラとファニーは率いる化け物、--リザードテスターの制式採用部隊--、の能力を高く買っていた。午前中に出撃した際は合計で十五体も失っていたが、六百の敵に対してそれしか被害が無かったと自信を持ったのである。この数でも十分敵を敵を殲滅できる、と。


「だが、後ろに控えている部隊が気になる。少数の部隊をわざわざ分けるなど正気とは思えん」


 こちらは一体で十人の敵を相手に出来る程の強者つわもの揃いだと敵は知りえたはずである。それなのに寡兵をさらに寡兵に分けるなど、各個撃破してくれと提示していると思えたのだ。


「とは言え、わざわざ分割するのであれば、何か策略を考えて来たとしか思えないが……」


 進撃する速度を落とさず、進む中でヴェラが考えを”ボソッ”と口にした。危険と思えるのは、遥か後方に塔盾を構えて守備するあの部隊とその後ろの弓兵であろう事はすぐにわかるが、あんなに遠くに配置しては戦場にたどり着いた時には戦局が決定してしまった後になるだろうと予想する。

 足を止めずに突撃した際の攻撃力は一般の兵士の比ではなく、圧倒的な攻撃力で無慈悲な行為と目に映るだろう。


 最終的に突撃を仕掛けて解放軍を屠れると、内心の考えを口に出そうとした直後に、右方向へ進路を取った解放軍が、大きく迂回をしてアドネ領軍の右前面を攻撃せんと駆ける姿を捕らえた。


「ちっ、こちらに考える余裕も与えないとは!右方向から来る敵と接敵したら攻撃を開始せよ」


 ヴェラの掛け声と共に方陣のまま前進する部隊の右前の化け物、十五体程が剣を抜き放ち高く掲げる。後三秒で接敵、攻撃開始だと見えた瞬間に敵は進路をさらに右へと逸らし、解放軍の陣地へと馬首を向けた。

 一撃で仕留める、と思ったかどうかはわからないが、化け物の数体が接敵する時間を見計らい剣を振っていたが、全ては風切り音を虚しく出しながら宙を切るのみであった。


「上手い事、躱されたか」

「午前中よりも手ごわいわね。それでも、勝つのは私達よ」


 奇妙な動きはするが、怖いのは一番後ろに控えている塔盾を構える部隊である、そこまで進まなければ勝機はこちらにあるままだと考え、すべての化け物に抜刀を指示すると、解放軍に向かい前進を再び指示するのであった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「罠にかかったようだな」


 アドネ領軍の化け物が抜刀した所をヴルフははっきりと見て取ると、事が五割ほどは成ったとほくそ笑んだ。後は作戦通りに動くだけだと。


「エゼル、任せていいか?」

「馬を操るのは上手くないけど、走らせるだけだからやってみるよ」


 エゼルバルドは歩兵を三十程引き連れると左方向、グローリアが始めに進んだ方向へと馬を進ませる。ブールで狩りをした時も、騎乗するべしと習ってはいたが、馬上で剣を振るう事はあまりした事は無く、午前中の戦いの中でも苦戦をしていた。

 走らせる事だけに意識を割けば、そこまで下手では無いが、ヴルフやグローリア程に戦えるかと言えば、そこまでの活躍は出来ないと思っている。

 それはヒルダも同じであり、結婚した二人して馬上戦闘は苦手であった。


 ちなみにであるが、アイリーンは馬の扱いは上手でかなりの高速戦闘、--弓の扱いであるが--、をこなす事が出来る程である。


~~閑話休題~~


 エゼルバルドが三十ばかりの兵士を連れて出発すると入れ違いにグローリアの部隊がヴルフの目の前に到着した所であった。


「お疲れ様。予定通り後方へ下がると見せかけて、敵の後背へ回り込んでくれ」

「わかったわ、後は任せた」


 グローリアは率いる五十の兵士と共に、自陣方向へ向かうと見せかけ、敵の後背へと回り込むように指示を受けると、先ほど駆けていた半分ほどの速度で足を進め始める。

 その後、ヴルフは作戦の第二弾として、この場で待機する兵士に事前に指示した通りに準備をさせる。残った二百の兵士達のうち、中央から右へ位置する五十の兵士が腰にぶら下げた水袋一つを腰から外し手に取ったのである。


「いつでも動ける用意をしておけ」


 ヴルフが兵士達に声を掛け、次の動作の準備をさせておく。

 それは、先程兵士を引き連れて馬を駆って行ったエゼルバルドの行動を待っているのだ。

 アドネ領軍の化け物の先頭がせまり、後七十メートル程に近づくと、エゼルバルドが駆る馬を先頭にアドネ領軍と解放軍の丁度中間を左から右へと横切って行く。


 ヴルフはこれを待っていたのだ。


 先程水袋を手にした兵士達は一斉に前方へと駆け出し、アドネ領軍との距離を詰め三十メートル程となった時に、水袋をアドネ領軍に向けて投げつけた。

 当然ながら一キロほどある油の詰まった水袋を投げて三十メートル飛ばす事は容易ではない。だが、半数ほどが届けば良いとの判断で実行されたのだ。


 水袋を投げた部隊はその後左右に別れ、後ろを振り返らずに自陣方向へと駆けて行く。その姿は、一目散に逃げ出して行く、と表現した方が良いかも知れない逃げっぷりであった。

 当然ながら投げていない兵士達もヴルフと共に後方へと駆け出し、自陣方向へと下がるのである。


 水袋を投げつけられたアドネ領軍はどうなったかと言えば、まず、頭上に現れた水袋が敵からの投擲された攻撃と判断され、盾で受け地面へ転がったり、剣で切りつけ油を頭から被ったりしたのである。これが普通の兵士であれば避けるか盾で受け止めるかのどちらかであっただろう。だが、その判断をしたのは化け物達の本能から出た行動であった。


 次に、化け物達まで届かず進路上に落ちた水袋は、危険物であるとの認識がされず無造作に踏みつけられて行った。油が入った水袋とは言え、全身鎧フルプレートを身に着けた兵士が踏みつければ栓が弾け、中に詰まった油が飛び散る事になるだろう。

 水袋に入った中身は、何も無ければそのままで無視されていたはずであるが、判断力に劣る化け物達の行動により、全身に油を纏った化け物が出来上がったのである。とは言え、すべての化け物が油を被った訳では無く、油にまみれたのは二十かそこらの数で、それらは前部に配置された化け物だけであった。


 もし、この部隊を指揮する二人が前方にいたならば、化け物が被った液体は油であると見抜き後退を指示しただろうが、後方から指揮をしていた二人には、それが何かを判断する材料が無かったのである。特に地面に撒かれた油は土に染みこみ、滑る事も無かった。石畳に油が撒かれていれば、兵士の足が滑り危険だと判断されただろう。

 形は水袋であり、何かの液体を投げつけたまでは判断できたのであったが……。


 この誤った判断が、戦いの趨勢すうせいを決し、さらにアドネ領を陥落させる程の衝撃を与えるのである。


 解放軍の最後尾の部隊と共に下がり続けるヴルフ、その部隊を全力で追い掛けるアドネ領軍。それぞれが力を出し切りながら戦場を駆け回る。

 ヴルフの部隊が左右に分かれて戦場を離脱するかの動きを取るが、一転してその場で足を停めると体を反転させて後ろを向いた。


 アドネ領軍の前方の視界を遮ったまま、追わせていたのだ。そして、ヴルフの隊は絶妙なタイミングで左右に分かれると、アドネ領軍の目の前に戦闘に参加していない百の歩兵が異様な姿で待ち構えていた。

 それは大きな荷物を腰の高さにまで積み上げ、簡易的な障壁を構築していたのだ。


 アドネ領軍が発見した時にはすでに遅しであった、先程逃げていたヴルフの部隊が左右に展開しアドネ領軍を包み込むような陣形、つまりは鶴翼の陣を形成していたのだ。

 薄い陣形を敷いての包囲は悪手だとアドネ領軍はほくそ笑んだであろう。そのまま中央突破をして左右に展開する敵を各個撃破し帰還する、だけだと。



※三章十三話で馬に乗ったアイリーンが実は出てきています(最後の方に少しだけ)

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