Language of cocktail

コロモドキ

Unbalance / Cocktail

「ねぇ、マスター。いつになったら私と一緒に飲んでくれるのよ」と、アイオープナーを飲み終えた彼が、カウンター越しにほんのりと赤い顔を向けて話しかけてきた。

「いやいや、今は仕事中だからね」と、私は出来る限り冷静に返事をしようと努める。

「アルコールを入れるわけにはいかない」

「またそれ?いい加減他の断り方も探しなさいよ」

「そうは言っても仕事中なのには変わらないさ。それに私がカウンターを離れたら、誰が他のお客さんに料理やドリンクを出すんだよ」

「……もう、分かったわよ。分かりました。いいわよ、独りでも飲めるもんね。次はカシスソーダをちょうだい」

 カウンターに頬をつけ文句をいう彼を横目で見ながら、オーダーにそってシェイカーを振り、グラスに注ぐ。


 私の経営するピアノバー“クラシックラッシュ”に彼が訪れたのは今から一年前。店をオープンしてから二年が経ち、経営もそれなりに安定し始めた頃だった。

 街の中心から少し離れた路地の奥にあるため、主な客は近所に住む還暦を過ぎた紳士淑女皆さんであり、目の前の彼のような若い人が店にくることはめったにない。

 来店そうそう「あらやだ、とっても雰囲気いいバーじゃない!」と、男性があまり使わない口調で、ありていに言ってしまえば違和感を抱かせる口調で感嘆の声をあげたのをよく覚えている。

 昔馴染みの常連客も私と同じ違和感を抱いたようだが、それは彼の誰にでも話しかけるフレンドリーさによって早々に打ち払われ、今では常連客から孫のように親しまれるようになった。


 一年前のことを思い出している私に対して、彼は顔だけを起こし不満そうに声をあげる。


「あのね、マスター。こんな三が日の最終日から飲みに来てるのよ?もうちょっとおもてなしとかないわけ?」


 今日は1月3日。時刻は23時を過ぎ、長針が時計の文字盤の7を指している頃。店内の客は目の前の彼を除けば、手元のグラスが空き次第帰るといった感じで、テーブルの上に代金をおいて席を立つ人が増え始めた頃だ。


「いいのかい? 君、明日から仕事だろ」

「いいのよ、私若いもの。それに二日酔いとかしたことないし」

「それは今まであまり飲んでこなかったからだろ」

 

 と口に出しながら、目の前の彼を見る。

 確かに彼は若い。毛量はそれなりに保っているものの真っ白になった私の髪と比べ、彼の髪は黒く艶やかだ。髪を古風にもオールバックにしている私と違い、彼は男性には珍しく肩甲骨にかかる程の髪をゴムでまとめて前に流している。キメの細かい肌からは彼が十分な睡眠と栄養をとっていることも見てとれる。今でこそ酔ってカウンターに上半身を預けるようにしているが、普段は宝塚の俳優のように姿勢がいい。


「ちょっとなによ、そんなにジロジロ見られたら照れるじゃない」


 と笑って体をよじる姿も、五十代を目前に控えた私には若々しく見える。


 私と彼以外に残っていた最後の客が店から出ていった。

 閉店まであと15分といったところ。

 彼は「まだ出ていかない」ということを態度で示すかのように

「あ、マスター。次はスクリュードライバーをくださいな」

 と言った。


「スクリュードライバーって、大丈夫か? もう大分酔ってるだろ」

「いいのよ。というか、次はスクリュードライバーじゃないとダメなの」


「そうか」と短く返してから、注文されたものを作る。


 彼はその間どこか焦点の定まらないような視線を私に向けていて、グラスを受け取ってからもグラスの中の液体を静かに眺めているだけだった。

 手持ち無沙汰になった私は一年前から気になっていたことを尋ねた。


「なぁ、なんでそんな話し方なんだ?」


 彼は唐突な質問に驚いたのか少し顔をあげ、恥ずかしがるように再度頬をカウンターにつけ、


「なんでって言われると困っちゃうわね……」


 と、はにかみながら答える。


「私ね、“男”ってのが苦手なのよ」


 あまりに端的すぎる答えが返ってきて「は?」と聞き返すようになってしまう。


「だから男が苦手なのよ。幼稚園とか小学校の頃はそんなでもなかったのよ? そのときは普通に男子をやってたし」


 彼はグラスの中を満たす黄色の液体を眺めながら目を細めて続ける。


「中学に上がったくらいかしらね……ほら、思春期ってあるじゃない?『恋愛』とか『付き合う』って言葉がクラスに溢れ始めるのよその頃から、なんというか、男子の“汚さ”みたいなものが目につくようになったのよね」

 

 話を促すように「汚さ?」と聞く。


「ほら恋人ができ始めたら、次は性的な話題が出始めるじゃない。誰が誰とヤったとか、そういうの」


 『ヤった』とぼやかすような表現をされたが、それが何を意味をするのかはよく分かった。今も昔もなにも変わらず、私の学生時代もそうだったからだ。


「そうなり始めてやっと気がついたのよ。『あ、私は他の男子とちょっと違うのかな』って。だって、私には女子とどうこうしたいなんて欲求は出てこなかったんだもの」


 彼がこくりと一口だけカクテルを口に含んで飲み込む。


「なんとなく『女子とは友達でいたいなぁ』なんて思ってたのよ。……でも、私って男子じゃない? “友達として”女子に声をかけたのに『恋愛目的だ』って思われたりしたし、それ以前に『男子は男子、女子は女子』っていう雰囲気ができてたのよ」

「あぁ、やっぱりあるのか、そういうの。私の時代そうだったが」

「でも私はもうそれ以上男子のグループに居たくなかったの。皆と話しは合わないし、そのグループにいるとどうしても『どの女子が好き?』とかって聞かれてしんどいし。そこで私が考えたのがこの口調なのよ」

「でも、口調だけでなんとかなるものか?」

「……うん、そんな簡単にはいかなかった。男子からは『オカマ』なんて言われるし、男子グループから弾かれた存在が女子グループに受け入れられるわけなかったわ」


 大きなグループから弾かれたものは別のグループからも白い目で見られやすい。彼もその例外ではなかったのだろう。


「それで、どうしたんだ?」

「どうしたもこうしたもないわ。どうしようもなかったから黙ってた。中学の二年と少しの間はいわゆる『ぼっち』ってやつだったわね」


 彼は少し微笑みを浮かべた。

 聞くだけで胸が痛むような出来事を、さも懐かしむように。


「ただ黙ってた訳じゃないのよ?高校ではちゃんと女子グループに近づけるように色々勉強してたの。髪を伸ばしたし、メイクやネイルの勉強もした。いわゆる“女子力”なんてものを目指してスイート作りとか料理も始めた。一挙手一投足を女性っぽく出来るように気を付けた……十数年間慣れ親しんだ男性っぽさをなくすのには結構苦労したのよ?」


 端から見ても空元気だということが分かるくらい、彼は笑顔だった。

 簡単なことではないだろう。

 今までの“普通”を捨て去って、他の人にとっての“普通”を自分のものにすることには大きな困難があるはずだ。

 それが分かったから「それで高校ではどうなったんだ……?」と語尾が弱くなるような聞き方しかできなかった。


「高校では多少マシだったわ。始めから男子のグループから離れて、女子グループのカーストで下から2、3番目にいるようなグループに入れてもらってた」

「ふむ、努力が実ったという感じだな」

「大学はもっと楽だったわね。全体的に見て男性が少ないであろ学部を選んだし、サークルもなるべく男性に人気のないものを選んだ。なにより、この口調も動作も全部『あ、こういう人なんだ』って思ってもらえてたのがよかったわね」


 『よかった』というわりには表情が陰っている。

 それもそうだろう。『こういう人』と思われるこは決してそのグループのメンバーとして認められたということではない。

 ただ、『この人はそういう人だからそっとしといてあげよう』というだけで、攻撃ではないものの完全な“受容”ではない。

 彼が続ける。


「なんだかんだ一番辛いのは社会に出てかしらね。学生時代より男性としての振る舞いを求められたもの。“普通”であることがなにより求められたし、上司からキャバクラに同行するよう強要されたこともあった。このバーに来たのはその日だったわね。上司との接待から逃げてきたの」


 そう言って小さく笑う。

 それからカウンターに預けていた上半身を起こし、彼は私と目を合わせた。


「私ね、もう分からなくなっちゃったのよ……。自分が男なのか女なのか。なんでこんなに格好をして、なんでこんなに口調をしてるのか……その意味がもうぼやけちゃってるの」


 酔っているからか、はたまた涙を抑えようとしているのか、彼の瞳は揺らいでるように見えた。

 私には言うべき事が見つからない。

 なにかを言わなければ間がもたず、「それは……」という言葉を出そうとしたが、それを「マスターは」という彼の言葉が遮る。


「マスターはカクテルの意味って知ってる?」


 夢見心地であるかのように彼が話す。


「カクテルの意味?」


 唐突に話題が変わったように感じ、聞き返す。


「うん、カクテル言葉とか酒言葉って言うのかな。花言葉みたいにカクテルにも意味があるんだって……知ってるかしら」


 グラスの中のスクリュードライバーをちびちびと飲み、彼は私の目を見た。

 私は目を反らし「まぁ、知らないことはないが……それがどうかしたのか?」とだけ返す。


「マスターはね、私にとって初めて出会った“綺麗な男性”なのよ。……今まで見てきた“汚い男性”とは違う。とっても綺麗な人に見えたのよ」

「そう言っていただけて恐縮だよ」

 なんとなく彼の言いたいことが見えた気がした。

「マスターを見ていればちゃんとした男というものが見えるかもしれないと思ったの」


 彼の飲んだカクテルを思い出す。


「でもね、見てるだけじゃダメみたい」

 それぞれのカクテルに込められた意味も。「ねぇ、マスター……」


 彼の目が私をまっすぐ捕らえる。


「カクテルの意味、分かった?」


 あえて明言せず、こちらにすべてを悟らせるつもりらしい。


「私はただ“男”がどういうものか知りたいだけなの」


 彼の言う『男を知る』ということが何を指し示すのかは分からない。しかし、きっとそれは“そういうこと”なのだろう。

 彼は、彼自身が手に入れた“女性らしさ”をもって、私から“男性らしさ”を学ぼうとしているのだ。

 憶測かもしれない。普通に考えるなら杞憂なのだろう。

 だが、彼の表情を見てはそうも言えない。

 すべてをアルコールの影響とするには不自然なほど潤んだ目。相手が男性であることを忘れさせるような艶かしい表情を見ては。


「そんなにいいもんじゃないよ、私は。そりゃ今でもトレーニングはしてるし、髪型も気を使ってるから“綺麗”には見えるかもしれないが、君に教えられることなんてないよ」


 何も気がついていないように振る舞う。

 明確な拒絶をするべきなのだろうが、それをするには今の彼のメンタルが気にかかった。

 爪の先に乗ったヤジロベエ。それがこの瞬間における彼の精神状況を表すのにもっともしっくりくる表現だろう。

 少しの刺激も与えることはできない。できるのはただ刺激を与えないように受け流すことくらいだ。

 彼は「……はぁ、やっぱりかわされるのね」とため息をつくとグラスに残った液体を一気にあおり「私このためにしっかり勉強してきたのよ」と続ける。

 私は「そうか」としか返せなかった。

 それ以外の言葉は出てこなかった。


「ねぇ、マスター。これから私がアプリコットフィズを頼んだら、出してくれる?」


 彼はそう言いながらも半ば諦めているかのように、椅子にかけたコートを手にとり、羽織った。

 時計の針は閉店時刻である0時を大きく越えていた。


「……それはできない。もう閉店の時間だからね」


 営業時間は終わりだ。そもそもこの店では人生相談なんてやってないんだ。

 そう自分に言い聞かせる。でないと、今にも泣きそうな目をしながら笑う彼を引き留めてしまいそうだから。

 彼は「そうよね。また来るわ」と言うと、さっきまでとは別人のように真っ直ぐ立ち、カウンターにお金を置いてバーのドアへと歩いて行った。

 これで良かったんだ。

 たとえどんな悩みを抱えていても、それは自分で解決するものだ。たとえその答えが見えなくても、人に教えてもらおうなんてのは甘すぎる。それは子どもだけに許された特権だ。大人に足を踏み入れた彼がしていいことじゃない。


 私は「また来るわ」と言い放った彼の背中を眺めながら、彼に送るべきカクテルを考えるのだった。

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