第32話 美を消費するひとたち

〈登場人物〉

マイ……中学1年生の女の子。色んなことに腹を立てるお年頃。

ヒツジ……人語を解すヌイグルミ。舌鋒鋭め。

〈時〉

早春、桜のつぼみが膨らむ頃



マイ「……はあ……」


ヒツジ「何を見てるんだ? アイドルの写真集か?」


マイ「違うわよ。これ」


ヒツジ「日本の絶景スポット? ……お前がこんなもの見るなんて、どういう風の吹き回しだ?」


マイ「『かぜのふきまわし』って、どういう意味?」


ヒツジ「つまり、どっか具合でも悪いのかってことだよ。風邪引いたのかってことだ」


マイ「風邪なんて引いてないわよ。なに、わたしが綺麗な風景の写真を見ていたら、おかしいの?」


ヒツジ「いや、おかしくはない。人は変わるもんだ。それだけお前も成長したということかもしれないな」


マイ「風景写真を見るようになったことが成長の証って、わたし、これまでどんだけ子どもだと思われてたわけ?」


ヒツジ「冬空の下を、寒さをものともせずに奇声を発してかけずり回る程度だと思っていた」


マイ「そんな子どもじゃない!」


ヒツジ「そりゃよかった」


マイ「写真見よっと。あんたの顔見ているより、こっちの写真見ていた方が、100倍は価値があるわ」


ヒツジ「そりゃお互い様だろ。オレにも見せろ」


マイ「ほら、見たけりゃ見れば……ああ、いいよね。ここ、どこだろ……ええっと、只見線から見える景色なんだ……只見線っていうのは、なになに? 福島県会津若松市から新潟県魚沼市までをつなぐ鉄道路線か……ああ、いいなあ、一度乗ってみたいなあ」


ヒツジ「乗って、どうしたいんだよ?」


マイ「あんたバカなの? 乗って、この景色を実際に見たいに決まっているでしょ」


ヒツジ「もうこうやって写真で見ているからいいじゃないか」


マイ「写真と実物では違うのよ」


ヒツジ「何が違うんだ?」


マイ「なにって……違うでしょ。ただ写真で見るのと、実際に自分の目で見るのとでは。こう、何だろ……そう、感動の深さが違うのよ」


ヒツジ「感動の深さって言ったって、実物を見たとしてそのとき抱く感動が、『ああ、綺麗だな』だったら、それは、写真を見て、『ああ、綺麗だな』と思っている今の感動と別に変わりゃしないだろう。どこが深くなっているんだよ?」


マイ「そんなのは実際に目にしてみないと分からないことじゃん。実際に目にしたら、『ああ、綺麗だな』以上の感動を抱くよ、きっと」


ヒツジ「それはかなり疑わしい話だな」


マイ「なんでよ!?」


ヒツジ「ある景色の写真を見て綺麗だと思って、そこに行って実際の景色を見る。そのときの感動の仕方は、『写真と同じように綺麗だ』くらいにしかなりようがないだろ。あるいは、『写真よりも綺麗だ』、『写真ほど綺麗じゃない』になるかもしれないが、いずれにしても、写真との比較でしかない。写真と比較して感動するんだったら、この写真を見ながら、この写真よりも綺麗かもしれない、いやいや、この写真ほどじゃないかもしれないとか想像するだけでも十分だろう」


マイ「納得できないな。あんたが言っていることが本当だとしたら、写真を見てそこに行きたいと思って行った人は、もともとそこに行く必要は無かったってことになるじゃん」


ヒツジ「だから、オレはそう言っているんだよ。写真と同じ景色を求めて行くんだったら、写真を見ている分だけ二度手間だってな」


マイ「そしたら、写真があったらどこにも行かなくて済むことになるじゃん!」


ヒツジ「そういうことになるな。写真との対比でしかものを見られないヤツは、どこに行っても同じことだ」


マイ「絶対おかしい!」


ヒツジ「じゃあ、ちょっと言い方を変えてやろう。写真云々とは関係ない話として、人はどうして絶景スポットを見たがるんだ?」


マイ「どうしてって、そこが綺麗だからに決まっているでしょ?」


ヒツジ「綺麗だから見たい、なるほど、その通りだ。じゃあ、その綺麗なものというのは、その絶景スポットに行かないと見られないのか?」


マイ「どういうこと?」


ヒツジ「たとえば、この部屋からだって一歩出れば、今日はいい天気だ、青く澄んだ空が見えるだろうし、頂を白く染めた山並みも見えるだろう。道を歩けば、少しずつ膨らみ始めたつぼみを持つ木々も見えれば、群れをなして飛ぶ冬鳥の姿も見えるだろう。夜になれば、月が出て、星だって輝くじゃないか。これらは、綺麗じゃないのか?」


マイ「……それは……だって、そんなのいつも見ているじゃん」


ヒツジ「いつも見ているから、今さら綺麗だとは思えないということなのか?」


マイ「思えないってことはないけど……まあ、思いにくいってことかな」


ヒツジ「つまり、それは、綺麗さに鈍感になったということだろ」


マイ「うーん……まあ、そういう言い方をするとそうかもね」


ヒツジ「ということは、美しい景色を求めて絶景スポットを見に行く人間というのは、綺麗さに鈍感なヤツらというわけだ。日常の中にある美しさを認められなくなった感性が鈍い人間が絶景スポットを見に行くんだと、こういうことになる」


マイ「……あんた、わたしに、只見線に乗るなって言ってるの?」


ヒツジ「いや、そんなことは言ってない。ただ、美しい景色を求めてどこかに行くという心のあり方は醜いと言いたいだけだ。そうして、醜い心というのは、美しい景色を見たところで、美しくなることはない。もうすぐ花見の季節になるが、あの美しい桜のもとでどんちゃんやっているヤツら、お前、あいつらを美しいと思うか?」


マイ「……全然思わない」


ヒツジ「だったら、只見線に乗って、そこから見える景色にはしゃぐヤツらだって同じことだ」


マイ「わたしは、はしゃぎたいとか思っていないよ。自分の目でじっくりと見ないで、SNSにあげるために写真をパシャパシャやる人間なんかとは違うって、前もそんな話したじゃん」


ヒツジ「そこに行ってはしゃぐということではなく、そこに行くこと自体がもうはしゃぐというそのことなんだよ。花見で言えばだ、桜の名所に行って、どんちゃん騒ぎをしている人間を見て、『こんな美しい花の下でよく騒げるな』と思うヤツだって、現にその桜の名所に行ってるんだから、騒いでいるヤツらと同類なんだ」


マイ「やっぱ、行くなって言ってんじゃんか」


ヒツジ「いや、言っていない。行くなら、こういう構造を意識して行くようにしろ、ということだ。美しい景色を見ていっときその美しさにひたって、でも、それは長続きせず、またぞろどこかに美しい景色を求めに行く。言わば、美を消費するだけの人生だ。そういう人生を歩みたいというなら、それはお前の人生だ、別に止めはしない」


マイ「…………ちょっと、その辺を歩いてくる」


ヒツジ「まだ寒いから、コートを着て行けよ」

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