第96話 究極のブラコン……


 僕は慌てて泉の上から退いた。

 泉はゆっくりと身体を起こすと、そのまま顔も拭かずに正座をする。


 そしてそのまま美しい所作で頭を垂れた。


「お兄様……今、お兄様と呼ぶことをお許し下さい……そして、お兄ちゃんと、比べる様な事を言った事をお許し下さい」

 そう言って手をつき、さらにベットに擦り付ける様に頭を下げた。


 その美しい姿勢に一瞬見とれてしまったが、僕は直ぐに泉の肩を持って抱き起こす。


 泉の顔は僕の涙でグショグショに濡れている。


 僕は慌てて泉の顔を手で拭いた、神妙な顔つきだった泉は僕に顔を触られると再び笑顔になる。


 僕の涙はまだ止まらない……僕は泉の肩を両手で持ちながら言った。


 「ごめん……ご免なさい……悪いのは僕なんだ……泉は全然悪くないから……だからご免なさい」

 そう泉にすがり付く様に謝った。

 心の底から……僕は謝罪した。



「いいえ……お兄様は悪くありません……私が全部」


「違う! ぼ、僕が勝手に……その……泉に恋をして、勝手に諦めて、そして勝手に恨んで、勝手に焼き餅を焼いて……最後に泉を……だから僕が全部悪いんだ……僕が」

 そう言って泉の肩を持ちながら、僕は顔を伏せた。これ以上泉の笑顔を見れなかった、見る資格はないと思った。そして、手を離すとまた泉が頭を下げてしまうから……。


 すると泉は、僕の押さえている手に構わず僕ににじり寄り、僕の頭を抱くそのまま自らの胸に抱き寄せた。


「え……」


「お兄様……泣かないでください……」

 そう言って僕の頭を抱くとそっと髪をなでてくれる。

 髪を、頭をそっと撫でてくれる泉、僕は泉の匂いと泉の胸の感触に包まれる。

 

 まるでお母さんに抱き寄せられている様な、そんな甘い感覚に襲われる。

 

「だ、駄目だよ……離して……」

 ずっとこうしていたい、ずっとこうして欲しい、そんな欲望を抑え泉に離すように言った。今、僕はこんな事をして貰える立場じゃない、そんな人間じゃない……泉を襲おうとした悪人なのだから……。


「お兄様……嫌ですか?」


「……嫌じゃない、でも……僕は泉にこんな事をして貰える人間じゃない……」


「じゃあ……駄目です」

 泉はそう言うと、さらに僕の頭を強く抱き締めた。


 セーターから伝わる泉の鼓動……はるかに昔……そう、生まれる前に母親の胎内で聞いた様な気がしてくる……。


 トクントクンと泉の鼓動が少しずつ早くなる……僕はそのまま何も言えず、泉にされるがままに抱かれていた。


 そして……どれ程の時間が経ったのだろうか……泉がそっと僕の頭を離す。

 いつまでもこうしていたい……なんならこのまま死んでしまいたいとさえ思い始めた直後、僕の頭はようやく泉に解放される。

 

 少し残念な気持ちになっていると今度は泉が僕に抱きついて来た。


「……え?」

 僕の背中に手を回し僕に抱きつく泉……一体何が起きているのか?

 頭だけでもどうにかなりそうだった泉の感触、今度は泉の柔らかさが身体の前面に伝わる……。


「お兄様……嬉しい……」


「え? な、何が?」


「私を好きと言ってくれて……嬉しい……」

 いずみはそう言って僕を抱き締める……え? どういう事?

 僕は分けがわからずパニックに陥る……。


「嬉しい?」


「はい! 初めて言ってくれました……凄く嬉しい……」


 言ってなかった? まあそうだよね……だって泉の好きと僕の好きは違うのだから……。


「私も……お兄様の事……大好きです!」

 泉は僕にそう言うが……僕はそれを素直に受けとる程バカではない。そしてもう、ここに来てそれを誤魔化す程、鈍感でもない……。


「──違う……違うんだ……僕は……泉を……泉の事を……家族としてじゃなく……好きなんだ、兄妹としてじゃなく好きなんだ……兄妹になる前からずっとずっと好きだったんだ……」

 言ってしまった……遂に言ってしまった……。


 僕が泉に抱かれながら、泉の耳元でそう言うと……泉の腕の力が、僕を抱いていた力が緩む。


 そしてゆっくりと泉が離れて行く……。


 ほらね……泉は今キモいって思ったに違いない、兄妹愛ではないって宣言してしまった僕を、そんな奴と一緒に暮らしていた事を……カースト底辺の人間から毎日そんな目で見られていた事を、そんな思いで一緒に、近くにいた僕の事を……気持ち悪いって、そう思ったに違いない……。


 終わった、僕と泉のあの生活が……あの甘い生活が……終わった……終わってしまった。


 無くなるとわかる……あの生活はよかった……。


 家に帰ると誰かが居る……ご飯を一緒に食べてくれる人がいる……美味しいご飯を作ってくれる人がいる……。

 そしてそれが、僕の最も愛する人だった。


 そう……僕は泉に甘えていたんだ……泉の優しさに……甘えていた。


 そして……それはもう……。


 ゆっくりと泉は僕から離れて行く……そしてその顔は…………あれ?


 何こいつ気持ち悪い……という顔を想像していた僕は、泉の顔に、表情に、そしてその表情から出て来た言葉に……困惑した……。


「お兄様? 兄妹としてと、それ以外と、どう違うのですか?」

 泉は……首を傾げ、不思議そうな表情で僕を見てそう言った。


「……いや、兄妹で好きって、家族としてって意味だから……僕の好きとは違うって……」

 あれ? 僕……何か間違った事言ってる? 


「ええ、お兄様は最愛の人ですからそれ以上はないです……けど?」


「へ?」


「え?」

 いや、なんだ? 話が噛み合わない……えっと……じゃ、じゃあ……。


「いや、えっと……あ、じゃあ泉のお兄さん……亡くなったお兄さんと僕じゃあ愛する度合いが違うよね? だからそれと……」


「いえ、同じです、同じお兄様ですから、小さい頃からお兄ちゃんと呼んでいたので呼び方が違うだけです」

 泉はきっぱりとそう言った……へ? 同じ? いや、っていうか……。


「あの……泉って……その、好きな人って今まで……いた?」


「はい! お兄ちゃんとお兄様です!」


「……えっと……じゃあ……僕がお兄様になる前は?」


「クラスメイトですね」


「…………つまり兄妹になって好きになったって……事?」


「はい……お兄様ですから……お兄様……大好き……大好きな……お兄様……」

 泉はあの初めての食事会の時と同じ顔に、表情に、目になった……ポーーっと頬を赤らめ、うるうるとした目で僕を見つめる。


 そして僕はその泉の表情を見て、一つの言葉が頭に浮かんだ……。


 『究極の……ブラコン……』

 泉の中で兄と言うのは究極の存在……愛情も何もかもカンストしてしまう程の……。

 つまり……泉にとっての兄とは、僕がメイド様を無条件で好きになるのと同じ、いや、恐らくそれ以上の存在になるって事のようだった……。


 つまり僕は今、泉に……究極に愛されている……って事になるわけで……。

 

 これって……僕は……どう反応して良いのだろうか? 喜ぶ事なのか? それとも……。 

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