大人の遠足🎒⛰
山はきれいだと思う。
けれどもなんというか寂しさもある。
駅のあたりから日中の山を見ていてもなんだか行ったら戻るのがとても大変なような、それこそ人里離れた所へ行ったきりになるような感覚があるのだ。
だから、毎日この最寄駅から遠くに眺めていたあの高低差300mほどの山に登るにあたってこういう方法をとった。
「じゃ、行って来るね、せっちゃん」
「行ってらっしゃい。5時には戻るのよ」
「はーい」
朝6時。連休の最終日。
いつもの出勤よりちょっとだけ早い感覚でせっちゃんの店に寄り、サービスだと言って作ってくれたお弁当をリュックに詰め込む。
これならいつもどおり「ちょっと行ってきます」って感覚で寂しさはあまりない。
でも、なんか忘れてるような。
「エンリさーん!」
ボンがリュックを手に走って来る。
「ボン、ほんとに行くんだ?」
「夕べから何回も言ってたじゃないですか。起こしてくださいね、って」
「出不精のボンがまさか行くとは思わないから」
「せっかくせっちゃんがエンリさんと僕のために今日休みをくれたんですから」
「ふたりのイベントみたいに言わないでくれるかな」
まあ旅は道連れ、って言うからボンでよしとしよう。さて、どのバスかな? あ、あれか。
「エンリさん。山行きのバスなんてあったんですね」
「うん。まあ電車なんて通ってないし、バスじゃなきゃ車で行くしかないからね」
「レンタカーでもよかったですね」
「ボン、運転は?」
「教習所以来です」
まあ、車持ってなきゃそんなもんだろ。わたしにしたってほぼペーパーだ。
「ボン、これ食べる?」
「あ、やさしいですね、エンリさん」
「普通でしょ」
ポッキーをあげた。
せっかくの貸切状態のバスなので2人がけの座席をひとりずつ使い、わたしが前、ボンが後ろのシートに座る。
そして、おやつを食べる。
「うーん、大人の遠足、って感じですねえ」
「あ、ボン。うまいこという」
「へへ」
「まあアンタは子供だけどね」
そうこう言っているうちに目指す山の麓に着いた。
天気がいいのでパラパラと人がいる。
「あ、これでしょ、『トレッキング・コース』でしょ」
「まあそうだね。『トレラン・コース』ってのもあるけど」
「エンリさん。僕は歩きに来たんだ」
なんだそのより崇高な行為を目指すような物言いは。単に走りたくないってだけじゃんよ、ボンよぉ。
頭脳内でボンにクダを巻いたってしょうがない。早速コースを登り始める。
一応舗装道路も頂上まであって、途中車の通るコースに出ることもあるけれども、基本山道だ。ただし丸太の階段なんかも施されてて、まず迷ったり余程の危険があるような山ではない。その代わり・・・
「ちょ、エンリさん、『クマの目撃情報あり。注意してください』ですって」
「ふーん、ほんとだ。あ、あっちの看板はイノシシの目撃情報・注意、だよ」
「大丈夫ですかねえ」
「さあ」
なんだかんだ言って山は地続きだ。
看板のある場所でたまたま目撃されただけであって、生き物だから当然山中を移動する。まあ、注意するに越したことはない。
「エンリさん、頂上、まだですかね」
「ボン。まだ登り始めてから10分だよ。今のこの景色とか登る運動そのものを楽しんだ方が心身ともに幸せだよ?」
「疲れるものは疲れますもん」
「ほら、キャラメルどうぞ」
「わ。ありがとうございます。何円ですか?」
「はあ?」
「いえ、おやつの金額制限です」
「無制限。なぜなら・・・」
『大人の遠足だから!!』
ふたりで声を揃えてしまった。
ボンと同等の感覚で楽しんでいることはともかく、いいもんだね。
この時期でもまだオニヤンマ飛んでるし、セミもちょっとは鳴いてる。かと思うとアジサイもまだ花をつけてて葉っぱにカエルが佇んでいる。
「これって野生のアジサイですよね。すっごい茎が太い」
「まあアジサイは基本野生だと思うけど。でもボン、アジサイって繁殖力がすごくって放っとくと木みたいになっちゃうからね」
「へえ」
「実家ではわたしがノコギリで庭のアジサイを切る役だったよ」
「女の子がノコギリを」
ボンはこう言うけど田舎の生活は別に女とか男とか言ってらんないからね。
父さんは三交代の工場勤務だったから代わりに母さんが屋根に登って雪下ろししてたし、ばあちゃんなんか家の畳のところまで入ってきたヘビをわしっと掴んで家の前の用水にぽいっ、て放してたからなー。ヘビはまた鎌首あげて油の上みたいにすいすい上手に泳いでたなー。
なんか懐かしいなー。
「え、エンリさん・・・」
「ん」
おお。
コースの脇の所にカモシカがいる。
結構おっきいね。
「シカじゃん」
「と、突進してきませんかね?」
「大丈夫でしょ。そんなバカじゃないと思うよ」
「そ、そうっと行きましょう」
まあこんな感じでやたらいかめしい感じのお堂を見ては、『祟りじゃ〜』と言ってから怖くなって慌ててお辞儀してみたり、野イチゴとヘビイチゴを間違えて食べそうになるボンを慌てて止めたりとか。
珍・トレッキングもほどなく頂上到着。ドライブ客のために駐車場や売店もあって、まあ俗世的な山登りだね。
そして、頂上から下界を眺めながらおにぎりと佃煮のせっちゃんのお弁当を食べた。
「はっはっはっ、下界の愚民どもがー」
「ボン、ならわたしらはアンダー愚民てなもんよ」
そうこう言っているうちに雲行きが怪しくなってきた。
早々にお弁当を片付け、帰途に着く。
とうとうポツリポツリと降り出した。
「ボン、トレッキング・コースだとぬかるんだり小川ができたりで危なそうだから舗装道路を下ろうか」
「ですね」
ポリ袋で作った簡易なポンチョに帽子で防寒もバッチリ。わたしが前、ボンが後ろの一列縦隊で車に注意しながら歩いた。
ふたりとも今日だけで歩くのに随分慣れ、山の中腹を順調に通過。
『ん・・・?』
側溝、と言っても山の清水が流れ込む小川に近い、雨で急流となっている流れを見て、そのままやり過ごしてしまいそうになったところをもう一度見直した。
「ボ、ボン!」
わたしはボンの腕をひっつかんだ。
「なんですか、エンリさん?」
「見て、あれ見て!」
側溝の急流を、カエルが頭から突っ込むように泳いでいる。
いや。
泳ぐというよりは、滑空。
冬季オリンピックの1人乗りのソリ・・・スケルトン、だっけ?
あれと同じようにカエルが滝のような流れの水を頭から平泳ぎもせずに下り落ちている。
それも一匹や二匹じゃない。全部で20匹ぐらい。ほぼ縦隊でドップラー効果の音を放ちながらのように猛スピードで、フォン・フォン、と通り過ぎて行く。
ボンとわたしであっけにとられていると、新手が来た。
「へ、ヘビ!?」
今度は5本のヘビがやはり急流を龍がゴゴゴ、と空を切り裂いて急降下するような勢いで水の中をすっ飛んで行った。
「ボン!」
「はい!」
気がついたらわたしとボンは走り出していた。
濡れたアスファルトを、シャウッ、と走り滑るように。
慣性で足の回転の方が駆け落ちるスピードを上回る瞬間も。
「エンリさん、カエルたち逃げ切れますかね!?」
「はっ、はっ、さあね。自然の摂理にお任せでしょっ!」
カーブ続きのドライビングコースだ。
わたしは器用にコーナリングしてスピードを殺さずに走る。
おっとぉ、ボンもなかなかやるもんだ。わたしに遅れず付いて来てる。
「ボン、こういうの、なんか懐かしくない?」
「はい、木の葉っぱの急流くだりとかって、小学校の帰り道に追っかけたりとか」
「はは。これはそれのスケール・アップ版だよね!」
そう言うとボンは、ヒャッホー! なんて声あげてる。
やっぱり男の子だね。
アスファルトが直線に入った。
なんてことだ。
道に沿って直線となりスピードが極限となる側溝。
その先には鉄製の柵が水路を塞いでいる。
「ああ・・・」
思わず呻くボンとわたし。
せまりくるヘビの一団を背後に、カエルたちは最後の決断を迫られる。
絶体絶命。
リアルな生死の瞬間が迫る。
・・・・・カエルたちが体を90°倒した。
「・・・うおっ・・・!」
ボンとわたしと同時に押し殺した驚きの声を上げた時、先頭のカエルがトップスピードのまま、
『ヒュン!』
縦の鉄格子となっている柵のギリギリの隙間を、彼はすり抜けていた。そしてまた体を90°、水平に戻り、泳いで行く。
パイオニアのやり方を学んだ後続が、同じ方法を繰り返す。
『ヒュンヒュンヒュンヒュン!』
多分2秒とかからずに最後尾のカエルまで全員が柵をすり抜け、自由の水源へと到達した。
追いすがってきたヘビたちは体をくねらせて急ブレーキをかける。あやうく柵への激突を回避できた。
わたしらが居ることなどそれがどうした、という感じでヘビたちはカエルたちが到達した向こう側の水を静かに一瞥し、アスファルトをニョロニョロと横断した。
そのまま向こう側の藪にカサカサと消えて行った。
「はははは。結局走りましたね」
「ほんとね」
・・・・・・・・・・・・・
帰りのバスは下山客で混雑しててボンとわたしは並んで座席に座り、互いの頭を擦り付けあうようにして爆睡した。
せっちゃんの店に着くとアイスコーヒーを一気飲みして、
「カエルがさあ!」
「ヘビがねえ!」
と、遠足の土産話を親に聞かせる子供のようにせっちゃんにまくし立てた。
「はいはい。日本昔ばなしみたいね」
「ほんとなのにー。ねえ? ボン?」
「はい、エンリさん、ほんとですもんねー」
あれ?
そういえばボンとわたしって、ここまで仲良かったっけ?
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