シリカ

すくなしじん

(前)


アラームだ、と思ったのは、実際には軽快な通知音が続けざまに鳴り響いたからで、通知はすでに140件にのぼっていた。時刻は午前5時を回っている。

しくじった、と気づいた。

瞬間眠気は弾けとんだ。悔しさに歯噛みしながらスマホのロック画面を解除し、今もまた新規に更新されてゆくグループの投稿に目を走らせる。


『じゅんじゅん お誕生日おめでと~!

じゅんじゅんがいない世界じゃ、

もう生きていませんわ(((o( ˆoˆ )o)))』


『純也くんほんとイケメンすぐる。プリロマの誰よりも好き。早くうちを迎えに来て』


『ハッピーバースデーじゅんじゅん♡けど

来年は私が追いついちゃうよ涙 つらみ←』


本当は私が一番に祝うつもりだった。見苦しい言い訳だと知りつつ、そう思わずにはいられなかった。遅れを取り戻すべく、小さなディスプレイに素早く文面を打ち込む。


『じゅんや君のおかげで、毎日生きていよう

って思う。頑張ろうって思う。私の世界に

たくさんの色をくれてありがとう。好きっ

て言葉じゃ足りないよ。おめでとう。』


確定ボタンを押すと、グループ投稿の一番下に私のメッセージが表示された。まだだ。息つく暇なく、今度は別のアプリを立ちあげる。青地に白の小鳥マークが抜かれたアイコンが印象的な、世間でもよく知られたSNSサイト。画面上の検索欄を軽くタップすると、その時の投稿で頻繁に用いられたワードがトレンドとして上位から表示される。少し視線を落とすと、目的のそれはすぐに見つかった。

『#神崎純也生誕祭2016』

#はハッシュタグと呼ばれる。これをキーワードの頭につけることで、同じ主旨の投稿を一覧で見ることができるようになるのだ。このサイトでも、早朝から投稿はすでに盛り上がりをみせていた。

私は先程と同じ文章を打ち込み、トレンドからコピーしてきたハッシュタグを末尾に貼り付けた。それから、昨夜のうちから用意しておいた自室の写真を添付する。

「投下、と」

やがてハッシュタグで寄せ集められた投稿の最前線に、私の『呟き』も表示された。

画像に収められた自分の部屋は、実物よりいくらか雑多に見えた。壁一面にほとんど隙間なく飾られた『プリロマ』のポスターとタペストリー。据付の棚には大小入り交じったフィギュア。ヘッドボードからはぬいぐるみが溢れ出し、ベッドの4分の1を浸食している。何より写真の中央、半裸の純也くんがプリントされた抱き枕が全体の印象を際立たせていた。

画面をスクロールして、他の人の投稿にも目を通す。どれも自分なりの言葉や思いの丈が綴られており、自作のイラストやお気に入りの画像などを添えたものも多かった。気に入ったいくつかに『いいね』の評価を送りつつ、やっぱり私のが一番だ、と思う。

私が一番、純也くんを愛してる。

出遅れの屈辱を晴らしたところで、ようやく携帯端末を手放し洗面台にむかった。顔を洗い歯を磨くうちに、少しずつ寝しなの記憶が戻ってくる。

「ライブの動画見てたんだっけなあ」

別にあんなのいつでも良かったのに。そんなことで今日の一大イベントに傷をつけるなんてつくづくバカだ。

悪態とともに吐き出したミント風味の泡が、同心円を描き排水口に飲み込まれた。

まあいい。仕事が終われば久々に街の方に出て、ちょっとお洒落なケーキを買って帰る予定だった。計画は完璧だ。

帰宅したらすぐにゲームを起動して本体機をテーブルに置き、ケーキをお皿に移す。私は向かいのイスに腰掛け画面を見つめる。画面上では、純也くんの誕生日のイベントが始まるはずだ。ゲームの中の『私』は、現実の私と同じようにケーキを用意し、彼にささやかなサプライズの誕生日会を開く。

こんなことしかできなくてごめんね。『私』が伏し目がちに言うと、純也くんは「こんなことって思ってんの?俺、こんなに喜んでるのに」と子犬みたく笑う。私は頬を染めるだろう。小さな画面のから覗き込むようにして彼は『私』に、ろうそくの火を吹き消してくれと頼む。ショートケーキの中央では、小さなピンク色のろうそくのてっぺんで小ぶりな炎が躍っている。私は画面下の小型センサーに顔を近づけて、やや強めに息を吹きかける。きっと軽く目を瞑る。そして目を開ければ、彼が、私に優しいキスをしている。

何度も再生して、擦り切れて、思い出の一部みたいな妄想。攻略サイトのネタバレ記事の内容は、味噌汁の作り方よりも完璧に頭に入っている自信があった。

昨日の夕飯の残りの、すっかり冷えて脂の白く浮いた豚キムチをおかずに朝食を済ませると、床に散らかった服の中から比較的シワの目立たないシャツとスキニーパンツを選んで着替えた。

家を出る前にもう1度、自分の投稿をチェックする。52件の『いいね』と、36件のリツイート。まだまだ伸びそうだ。グループトークのアプリにも、相変わらず通知は届き続けている。

「いってきます」

誰に届けるでもない言葉はこびりついた習慣だが、しいていえば、純也くんに向けられているのかもしれなかった。

向かいのアパートの隙間からのぞく空はまだ夜の気配を残す一方、少し首を伸ばして東を見れば、朝日の侵攻がすぐそこまできているようだった。早く私に追いついてよ、なんて珍しく詩的な感傷が湧いたのは、多分今日が今日であるからだろう。

湿った風が優しく頬を撫でて、不意に化粧をしようと思いつく。

「街にも出るしね。今日くらい、素敵な日にしたいよね」

今度は自分に聞かせる言葉だった。

電車が発つまで余裕がある訳では無いが、それくらいの時間ならつくれそうだ。穴に差し込んだばかりの鍵を引き抜いて、洗面台へ駆けていった。

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