未生怨（みしょうおん）

miyabiko

　小さい時から大人の沢山いる家だった――。

　その家は北鎌倉の高台に建つ西洋館風の豪奢な建物で、日本を代表する舞台女優田中亜子が、一人息子祈之と住み込みの婆や民と3人で暮らしていたが、亜子は東京にも高層階マンションのペントハウスを所有し、そちらを拠点にしていたので、鎌倉には戻って来ることは少なかった。

　この西洋館にはいくつものゲストルームがあり、気心許した物書きなどに部屋を提供したり、スタッフ等を呼び寄せ泊まらせたりしているうちに、市民権を得た其々が勝手に出入りし宿泊を繰り返すようになっていて、いくつもあるゲストルームには常に誰かが逗留し、長い人間もいればすぐに姿を消す人間もいた。

　亜子の息子祈之にとって見知った顔もあれば、まるで知らない顔もあり、親しみの無い大人達と多くの時間を過していた。血の繋がりのある家族と呼べるのは祈之と母、亜子だけで、もはや家族と言う単位は消滅し、母の仕事関係のサロンのような家だった。

　祈之が３才の頃、それまで子守として女優見習いの少女が同居していたが、出入りするプロデューサー等に自分を売り込むことが忙しく、いろいろな噂が飛び交い亜子の不振を買い解雇され、その後正夫という三つ歳の上の子供が祈之の遊び相手として一緒に暮らすようになっていた。

　山深い村で母と二人暮しだった正夫は、母が病で長い入院を余儀なくされ、少ない親戚を渡り歩いたがどの家も貧しく、何人かの人を介して祈之の子守りとしてどうか、学校だけ行かせてやって欲しいと、話が来て祈之の遊び相手に丁度いいと亜子が軽く引き受けたのだった。

　正夫は自分の立場をよく理解していて、祈之の面倒をよく見た。

　祈之は母をいつも待ち続け、旅公演等からたまに大勢のスタッフを連れて帰って来る母に歓喜して「ママ！ママ！」と縋（すが）り付くが、亜子は「洋服が汚れるから、その手で触らないで……」とか「嫌だこの子、誰か連れて行って」とそんな祈之に冷淡であった。一方、知り合いの子がいたりすると「まあ……可愛いい、抱かせて……」と抱き締めたり、頬ずりしたりして、その美しい顔を天女のようにあどけなく輝かしたが、我が子祈之にはほとんど関心を示さずを抱き締める事は殆ど無かった。正夫は女優のその他人に見せる芝居がかった様を見つめ、女優が他人に優しいのは人気取りだなと思ったりした。

　そんな冷淡な母であったが、祈之は母がいないと恋しがって泣いた。

「ママ……ママ」と言ってなかなか寝付かない祈之に、正夫はよくベットに並んで寝ると本を読んでやった。本を読むといっても小学校に入ったばかりで、ただ字を追っていくだけであったが寝るまで手を繋いで読んで聞かせた。母の乳房を恋しがる祈之に正夫は自分の指を含ませ、祈之は正夫の指を吸いながら寝付いた。

　色白の頬を桃色に染め子供らしい寝顔に、正夫は大人がよくやるように頭を撫でて頬っぺたをくつ付けると「祈ちやん、お休み……」と灯りを消し、祈之を大事そうに抱き締めて寝た。