第26話 不吉な黒猫の次は

—1—


9月5日(水)午後2時6分


「猫?」


 物置の陰から飛び出してきたのは、黒色の猫だった。毛並みは綺麗だが、恐らく野良猫だろう。

 理由は、村で猫を飼っているのは小町の家だけだからだ。確かアメリカンショートヘアって種類だった気がする。


 トコトコとこちらに近づいてきた黒猫と目が合った瞬間、私から何かを感じ取ったのかピタリと足を止めた。ビー玉のような黄色い瞳に吸い込まれそうになる。


「そんな目で見られても何も持ってないよ」


 黒猫は、私の言葉が分かったのかプイッと顔を背けると静かに歩いて行った。猫は気紛れだから私はあまり好きじゃない。どちらかと言えば犬派だ。


「ネコー、ネコー♪」


 次はなんだ?

 軽やかな声で名前も無い猫のことを呼びながら、ざっ、ざっ、という足音を響かせてまたもや物置の陰から何かが飛び出してきた。


「あれっ? 猫が凛花になっちゃった」


 声の正体は奈緒だった。

 左腕に赤色のバンダナが結ばれている。ちなみに私も左腕に黒色のバンダナが結ばれている。

 色は違うが、巻く位置まで同じとは。ずっと一緒に居たから思考回路が似ているのかもしれない。


「黒猫はもうどこかに行っちゃったよ」

「なんだー。遊びたかったのになー」


 奈緒がそう言いながら近寄ってきたので、私は距離を詰められないように後ずさる。

 いくら親友だからと言っても今は敵同士だ。警察である奈緒に触れられてしまったら捕まったことになってしまう。


「なんで逃げるの? 大丈夫だよ、私が凛花を捕まえるはずないでしょ」

「そうだとは思うんだけど、一応念のためにこのままで話さない?」

「う、うん。いいけど」


 不満気な表情を浮かべた奈緒だったが、数メートル距離を開けたまま話すことに納得してくれた。


「警察チームはどう? さっきは、国竹さんと麻紀さんと一緒にいたみたいだけど」

「作戦とかは、全部お父さんが決めてるんだ。お父さん、頭良いし、駆け引きとか上手だから」


 奈緒の父親は早坂国竹。39歳で体系は小太りだ。

 私が国竹と会った時は、温厚で優しく、奈緒の言うように頭の良さそうなイメージだった。


 会話の要所要所に難しい単語を使っていたことを覚えている。本をたくさん読んでいる私でも理解できない言葉が少なくなかった。

 国竹が指揮を執っているのなら当然牢屋である体育館の防衛にも力を入れているはずだ。救出作戦の際に用心した方がいいだろう。


「そうなんだ。奈緒は大丈夫なの? 国竹さんと一緒じゃなくて」

「あっ、戻らないと! 猫のことを追ってたらはぐれちゃった」

「はぐれちゃったじゃないでしょ」

「えへへっ」


 自分の命が懸かった大切なゲームをしているというのに。全くもう。敵ながら心配になる。


「この後、清さんと健三さんと真登香さんを助けに来るんでしょ?」


 バンダナが巻かれた方の手で頭を掻いていた奈緒が唐突にそう訊いてきた。

 緩んでいた空気が奈緒の一言で一変した。


「なんでそれを?」


 奈緒が疑問形ではなく、あくまで確認するような口調で訊いてきたので、私は救出作戦のことを隠す意味が無いと判断した。


 どこかから情報が漏れている?

 しかし、作戦に参加するメンバーはついさっきバラバラになったばかりだ。漏れようがない。


 私の疑問に答えるように奈緒が口を開いた。


「お父さんが言ってたんだ。近い内に泥棒側が攻めて来るって。でも、そんなことさすがに私でも分かるよ。凛花たち泥棒チームは、助けに来ないっていう選択肢が無いもんね。清さんたちを助けないとドロケイで生き残ることが出来ても罰を受けちゃうから」


 奈緒の言っていることは、少し考えれば誰でも分かること。

 しかし、それが奈緒の口から出でくるとは思ってもいなかった。私の目の前にいるのは本当に奈緒?


 あの時だ。空気が変わってから、なんだか奈緒の纏っている空気まで変わったような気がする。妙に落ち着いているというか。どこか違和感を感じる。


「凛花のその顔は、違和感を覚えてるって顔かな?」

「ねぇ、本当に奈緒だよね?」


 私の声が震えていた。奈緒に言い当てられて怖くなってしまったのかもしれない。


「うん。私は凛花の知ってる奈緒だよ。毎日学校で凛花の隣の席で授業を受けて、放課後にはお互いの家を行き来して遊んで、選別ゲームが始まってからもずっと一緒だった。私は私」

「やっぱりそうだよね。あははっ、私ったら何言ってるんだろうね」


 笑って誤魔化してみたが、全然上手く笑えなかった。


「私ね、こう見えて人の顔色ばかり窺って生きてきたの。だから相手の顔を見るだけで大体何を考えてるのか分かるんだ。自然と分かるようになっちゃった」


 時より悲しげな表情を見せながら淡々と奈緒は話した。

 いつも調子が良く、明るいことが取り柄だと思っていたけれど、奈緒は奈緒で何か重いものを背負って生きてきたようだ。


 一緒に居た時間が誰よりも長いはずなのに私はそれが何なのか分からなかった。


「凛花がそんな顔をしなくてもいいんだよ。ごめんね。急に変なこと言って。でも、なんだろ? 私のことを凛花に知って欲しかったのかも」


 そう言って、奈緒がニッと笑った。いつもの奈緒の笑顔だ。


「そろそろ行かないとお父さんに怪しまれるから行くね」

「う、うん」

「最後に……凛花には生き残って欲しいから大サービス! 体育館の守りは今の所4人だよ。だけど、浩二さんが真登香さんを牢屋まで連行してるし、お父さんと麻紀さんも少し探して泥棒が見つからなかったら体育館に戻るって言ってた。行くなら早い方がいいと思う」


 奈緒は嘘をつくような人じゃない。ここまで情報を教えてくれるなんて。

 私を生かすということは、自分が脱落するということ。それが分かっているのだろうか?


 いや、分かっていてそうしているのだろう。奈緒が私にそこまでしてくれる理由とは一体なんだろう。


「ねぇ、なんで、なんでそこまでしてくれるの?」


 チーム決めのじゃんけんの後に訊いたような質問をもう1度奈緒にぶつけてみた。


「凛花には何回も助けてもらったからだって言わなかったっけ? 私はそれだけ凛花に救われたの。だから、生きている間に少しでも返さなくちゃって」

「それは私も言ったじゃん。私も奈緒に同じくらい助けてもらったって」

「違うんだよ凛花。ごめん、もう行く!」


 奈緒が学校の方へ走って行ったことにより強引に会話が終了してしまった。

 私は、奈緒が抱えているものに気付けていないのだろう。親友なんだからなんでも相談してくれればいいのに。


 私は知らなかった。奈緒が抱えている闇が想像以上に大きいものだということに。


—2―


9月5日(水)午後2時23分


「お父さん」


 凛花の元から走り去った奈緒は、体育館に戻る途中で父の国竹と合流した。

 道の真ん中で腕を組み、仁王立ちする国竹が実の娘である奈緒のことを睨む。そんな国竹の腕には血が流れたであろう跡があった。


「あれっ? 麻紀さんはどうしたの?」

「先に戻ってもらった。それよりミスをしてないよな?」

「うん、時間稼ぎはしたよ。私たちが体育館に戻るまでの時間は十分あると思う」

「そうか。なら早く戻るぞ」


 国竹が奈緒に背を向け、歩き出す。その後を奈緒が無言でついて行く。


 国竹の立てた作戦は、少々トラブルがあったが順調に進んでいた。

 泥棒を捕まえるべく村に来た国竹、麻紀、浩二、奈緒の4人はまず初めに真登香を見つけた。


 浩二は、妻の真登香を守るために抵抗したが、奈緒と麻紀の挟み撃ちにより簡単に捕まえることが出来た。

 国竹の腕の傷は、この時浩二に突き飛ばされて出来たものだ。


 今後、浩二に抵抗されては困ると思った国竹は、真登香を連行する役に浩二を指名した。

 警察側のルールには、泥棒を連行しなくてはならないとある。また、泥棒側のルールには、連行されている最中に抵抗して逃走することを禁止するとある。


 つまり、浩二が国竹の指示に逆らって真登香を放置した場合、浩二か真登香のどちらかがルールを破ったことになる。

 それを浩二も理解していたので、あまり時間をかけずに受け入れた。単純に真登香と2人きりで話をしたいというのもあったのかもしれない。


 それからは、残った3人で山に向かい、泥棒を取り逃がし、色々あって今に至る。

 清と健三を含めて3人捕まった状態にあるので、泥棒側は絶対に助けに来る。国竹は警察全員で牢屋の防衛をすることに決めたのだ。


 態勢を整える時間を稼ぐために凛花の足止めを凛花の親友である娘の奈緒に指示した。

 奈緒はそれを迷うことなく飲み込んだ。

 そう、全ては国竹の計画通りなのだ。


 先を見通す力がある国竹が立てた作戦と慎重で堅実な太郎が立てた作戦がぶつかる時は近い。


 ドロケイ終了まで残り4時間29分。

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