皇女編8話 地獄絵図



ビーー!ビーー!ビーー!


………なんの音だろう? この音って………確か………緊急警報音エマージェンシーコールだ!


「ローゼ様!すぐにお着替えください!」


護衛の女性騎士が二人、慌てた様子で手前の部屋から飛び込んできた。


目覚ましアプリなんか使わなくても眠気が吹っ飛んだボクは、慌ててベットから起きてすぐ着替える。


ボクを守る女性騎士はネグリジェの上にアーマーコートだけ羽織ったような格好だ。


よほど慌ててボクを守りに駆けつけたのだろう。


「ヘルガとパウラも早く着替えを!」


「私達は剣とコートがあれば平気です。ローゼ様、私達二人から離れないで下さい!」


そこにサビーナが飛び込んできた。


「ローゼ様、大変です!敵襲!敵襲です!」


「サビーナ、敵襲なのは分かっています。どこの誰が攻撃してきたのです?」


ヘルガがサビーナに問いただすと、サビーナは口から泡を飛ばしながら答えた。


「アスラ部隊の「人斬り」トゼンですわ!」


トゼンの名前を聞いたヘルガとパウラの顔色が青ざめる。


たぶん、ボクの顔からも血の気が引いてるだろう。


よりによって同盟最強のアスラ部隊、その中でも悪名高い4番隊が襲撃してきただなんて!


「襲撃してきたのは4番隊だけではありません!じ、実は………」


「実は? 早く言って!ローゼ様の命が懸かってるのよ!」


うつむいて口篭もるサビーナにパウラが怒鳴る。


「実は………私もよ!!」


サビーナは後ろ手に隠していたナイフを一閃し、パウラとヘルガの喉笛を切り裂いた!!


「グハッ!!き、きさ………」  「ガホッ!!………ローゼ……さ……」 


喉笛を掻き切られたヘルガとパウラは、糸の切れた操り人形のように倒れ………動かなくなった。


「サ、サビーナ!どうしてこんな酷い事を!!」


「私はおまえの敵だっていう事よ。お・ひ・め・さ・ま?」


ウソ!ウソだよね!サビーナが敵だなんて!


しっかりするの!目の前にある現実を認めてボクがすべき事は……


「私をどうする気かは知りません。でも言う事を聞きますから、ヘルガとパウラの手当をさせて!!まだ助かるかも……」


サビーナは今まで見せたことのない酷薄な表情でボクを眺め、倒れたヘルガの髪を掴んでボクの顔に押し付けてきた。


「よく見な!これが死に顔デスマスクだよ、お姫様!死体を見るのは初めてかい!」


ほんの数時間前まで笑ってた、ボクに笑顔を見せてくれてたヘルガの顔は、今は苦悶に満ちた形相を浮かべている。


ボクは恐怖のあまり、声にならない悲鳴を上げた。上げ続けた。


ボクの悲鳴を満足げに聞いていたサビーナは、今度はボクの髪を掴んで窓に押し付けた。


「ほら、ごらん? あれがアスラ部隊の人斬り先生だよ?」


中庭では血風の嵐が巻き起こっていた。


多対一をものともせず、歓喜に満ちた表情と叫声をあげながら、人蛇が戦っていた。


血潮と共に千切れ飛ぶ手足、瞬く間に積み上がる死体。………まるでゴミのように命を奪っていく悪鬼。


………人の命ってこんなに簡単に、こんなに儚く消えていくんだ。


目を背けたいのに、硝子に強く顔を押し付けられ、瞼を閉じる事さえ出来ない。


殺戮を見せつけられる瞳から涙がこぼれ、眼下の光景が歪んでいく。


「あの人でなしの前に放り込んであげようか? 剣聖や守護神が見てもアンタだって分からないような死体にされちまうんじゃないかねえ。」


ボクはその言葉に心底怯え、戦慄する。


………死………ボクはここで死ぬんだろうか?


「ま、とりあえず、だ。兄貴の身代わりに一発、私に殴られろ!!」


髪を引っ張られて振り向かされると同時に、サビーナの拳がボクのお腹にめり込んでいた。


胃液どころか内臓まで吐き出しそうな激しい痛み。そして………気が遠くなっていく。


………アシェス……クエスター……助けて………………





涙の滲んだ目で、ボクは目を覚ます。


聞こえるのはローター音、ヘリに載せられているみたいだ。


両手両足を拘束され、ボクは芋虫みたいにヘリの床に転がされていた。


「おやおや、お姫様のお目覚めだよ。」


ボクを嘲弄するサビーナの声。お姫様なんて呼んでいるのも嫌がらせに決まってる。


前方の操縦席には男が座ってヘリを操っている。おそらく共犯だろう。


………ボクは誘拐されちゃったんだ。


「何が目的なんですか?」


「あららぁ? 「ボクをおうちに帰してぇ!」じゃないのかい?」


サビーナはとことんボクを愚弄したいみたいだ。


ボクにも意地がある。絶対に弱気にならない。もう泣かない!


殺されるにしてもサビーナを満足なんかさせてやらないから!


「言いたくないなら結構よ。いえ、もう話さなくてもいい。貴方の恨みつらみなんて聞かされても、耳が汚れます。」


サビーナは副操縦席から貨物室へ移動してきて、ボクの髪を掴んで立たせ、平手打ちしてくる。


2発、3発、唇が切れて血が流れるけど、目は逸らさない!睨んでやる!


「イヤな目で私を睨むんじゃないよ!その目を見るとオマエもリングヴォルトの人間だってよく分かるわ。その………人をゴミみたいに見る目でね!」


「おい、サビーナ。あんまり手荒な真似をするな。大事な金ヅルだぞ。」


パイロットの男がサビーナに面倒くさそうに言葉をかける。


「ふん!分かってるよ、マービン。」


サビーナはボクの髪から手を離して、蹴転がす。


「じゃあ、いたぶる代わりにちょっとだけ昔話をしてあげようか。むか~しむかしある所に貧民街がありました。そこには孤児の小娘が一人、住んでおりましたとさ。」


軍服に着替えているサビーナは胸ポケットから煙草を取り出し、火を付けた。


「10年ぶりに吸う煙草は染みるねえ。………その孤児の小娘はクソ溜めみたいな貧民街から抜け出す事を、毎日毎日、夢見ておりました。ある日、王子様が現れ、小娘を貧民街から助け出してくれました。めでたしめでたし、で済んでりゃ良かったんだがねえ!」


なぜかサビーナの目には涙が浮かんでいた。


「なぜ泣くの?」


「はん、煙草の煙が目に染みただけだよ。私の兄さんは………ヨハン。ヨハン・カロリングって言えば分かるかい?」


「反逆罪で処刑されたカロリング子爵のご子息がサビーナのお兄さんなのですか!?」


「言っとくがねえ、カロリング子爵に反逆するような根性はありゃしないよ。女房が怖くて、外で作った実の娘でさえ認知出来なかったビビリに、なんで反逆なんて大それた真似が出来るんだい!」


「冤罪だったのですか?」


「多分誰かに嵌められたんだろうさ。ビビリだからって人から恨みを買わない訳じゃない。子爵様は弱い人間には強く出る、貴族にありがちな性格をしてたらしいからね。でもね、兄さんはそうじゃなかった!私は妹だって!父さんが認知しなくても僕の妹だって………言ってくれたんだ。」


「……………」


「兄さんは私を貧民街から連れだしてくれただけじゃない。両親には黙って物心両面で援助もしてくれた。市民権を買って、学校に通わせ、グレてた私に優しくしてくれたんだよ!僕が当主になったら、必ずカロリング家の娘として迎え入れるからって。」


サビーナは膝を抱え込んで座り、後頭部に両手をあてて、壁に背中を預けた。


そして遠い目をして語り続ける。


「私は………貴族の娘になりたかったんじゃない。ヨハン・カロリングの妹だって認めてもらいたかっただけなんだ。誰にはばかる事もなく、兄さんって呼びたかったんだ!それだけなんだよ!ただ………それだけ………」


サビーナの瞳からは涙が溢れていた。その瞳に憎しみの炎を宿し、ボクを睨みつける。


「それをオマエの兄貴が無茶苦茶にしたんだ!」


「アデル兄様が!? どういう事なんです!」


「カロリング子爵に濡れ衣をきせたのがオマエの兄貴なんだよ!連座させて兄さんも殺す為にな!理由がクソ笑えるぞ!兄さんの恋人に横恋慕してこっぴどく振られたからだよ!皇子の自分には女は誰でもなびくはずだ、なんてアホなオツムをしてんだよ。オマエの兄貴はな!」


サビーナは濡れ衣を着せたのが誰かを知る為に王族の世話係になったのかも知れない。


でも、今はそんなことより………


「濡れ衣ならば晴らさないと!私が父上に口添えします!そういう事情ならサビーナの行為にも情状酌量の……」


懸命に言葉を探すボクの顔を見て、サビーナは冷静さを取り戻したようだ。口調が元に戻っている。


「兄妹揃ってめでたいオツムなのかしら? もう後戻りなんか出来る訳ないでしょう。」


サビーナの言う通りだ。


事情はどうあれ、ヘルガとパウラを殺し、敵に情報を漏らしたサビーナは機構軍に戻れば銃殺刑に違いない。


「なんとかアデルに復讐したかったけれど、もう諦める事にしたわ。巨大な帝国に女一人で立ち向かったってどうにもならないもの。だったらお姫様が碌な護衛もつれずに前線に近い基地に慰問に出掛けるこの機会を活かすべきでしょ? 一応は王家への復讐にはなってる事だし。」


「私を連れて同盟軍に亡命するつもりですね。」


「そう。バカ兄貴よりは頭がいいみたいね。私の教育が良かったって自画自賛しておこうかしら?」


サビーナは煙草を吐き捨てると言葉を続ける。


「アスラ部隊の人斬り達はいい仕事をしてくれたものね。お姫様が逃げる時間を稼ぐ為に護衛の騎士共はみんなヤツに向かっていったから。人斬りが群がる騎士達を殺すのに夢中になって、肝心のお姫様の身柄の確保がお留守になったのも幸運だったわ。」


そこでパイロットのマービンが会話に割り込んできた。


「サビーナ、幸運はもう一つ必要だぜ。そろそろ魔女の森の上空に入る。視認を手伝ってくれ。」


「分かったわ。そういう事情よ、お姫様。せいぜい高く売り飛ばしてあげるから楽しみにしててね。同盟軍から貰うお金で、私は人生をやり直す事にするわ。」


「俺の取り分も忘れねえでくれよ。」


………ボクは同盟軍の人質になる運命らしい。


いや、それ以前に魔女の森を無事通過出来るかどうか………


覚悟が必要な状況だ。だったら、一つだけ聞いておきたい。


「サビーナ、一つだけ聞いていい?」


「何かしら、お姫様?」


「ボクの家庭教師を務めてくれた三年間、ボクに見せてくれたあの笑顔は………全部ウソだったの?」


「………ええ、ウソよ。私の本当の笑顔が見たいなら………」


立ち上がったサビーナはボクに背を向け、コクピットに向かう。


「見たいなら………なに?」


副操縦席に座ったサビーナは独り言のように答えを返してきた。





「………兄さんを返して。」



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