突然の来客1
『お嬢ちゃん、ご主人も連れずに
『だぁって、来てみたかったんだもん』
『だもん、じゃないんですよ。全く、これだから近頃の
『あら、ゲンさんまでそういうこと言うのね? 若者で一括りにするのは良くないと思うわ、私』
『はぁ……。あのねぇ、あっしら飼い犬ってぇのはねぇ、ご主人を困らせたり、恥をかかせたり、悲しませたりすることだけはしちゃあならねぇんです。悪いこたぁ言わねぇ。いますぐお帰んなさい』
困ったことになりました。
あっしが縁側で日向ぼっこをしていた時のことでございます。
――え?
まさかまさか。
さすがのあっしでもたった1匹で外には出られませんや。
庭で華織さんがお洗濯物を干してましてね。その間だけ、というわけでして。
いくら老いぼれの室内犬といっても、たまにはこうやって日向ぼっこするのも気持ち良いもんです。縁側には
「ゲンさん、今日はお天気が良いからもう少しここにいる?」
よろしいんですか、華織さん? いや、今日は何だか本当に心地よい天気ですからね。暑くもなし、寒くもなし。風もそよそよとこの短い毛を優しく撫でて下さいます。
では、お言葉に甘えて。
「ゲンさんのことだから、勝手に出歩くことはないと思うけど、あんまり可愛いから連れて行かれる方が心配だわ」
いや、本当にそう言って下さるのはこの
「良い、ゲンさん。怪しい人が来たら、ちゃんと吠えるのよ? 私もこれ片付けたらすぐ戻るから」
そう言って、華織さんは洗濯カゴを持って、パタパタと玄関へと走っていったのです。それと入れ替わるようにして、ぬぅ、と現れたのが、章坊ちゃんの御学友、リツカちゃんのお宅のデロリス嬢だったというわけでして。
『ていうかね、私、ゲンさんにお話があって来たのよね』
『話? あっしにですかい?』
『そうそう』
『何もいまじゃなくたって。ここ最近は章坊ちゃんとちょくちょく一緒に散歩するじゃあないですかい』
『いまが良いのよ。だって善は急げって言うじゃない』
そう言った後で、デロリス嬢は『ていうか、首輪抜けるチャンスなんてそうそうないし』と舌を出した。
デロリス嬢の話によりますと、やはりリツカちゃんは章坊ちゃんのことを好いていらっしゃるとのことでした。そして、そのことをおせっかいな友人が章坊ちゃんに教えてしまったことも御存知だというのです。
いや、正直驚きましたよ。
だってあっしも章坊ちゃんもそんなこと全然気付かなかったんですから。てっきりリツカちゃんは何も知らないんだとばかり。
『それでね、何だか最近はクラスでも冷やかされるみたいなのよね』
『まぁ……そうかもしれませんなぁ』
『だからね、リッちゃんてば、ゲンさんの飼い主さんに告白して、すっぱり諦めようとしてるみたいなのね』
『別に諦めるこたぁねぇ。章坊ちゃんがどう思ってるかは……あっしにもわかりゃしませんが……』
でもまぁ、憎からず思っているようには見えますがねぇ。
『うーん、でもねぇ。仕方ないのよ』
『仕方ない?』
デロリス嬢は何だか悲しそうに目を伏せました。一体何が仕方ないのでしょう。
『4月になったらね、私達、お引越しするのよね』
『お引っ越し……。これはまた……』
『東京ですって。一応、私も連れてってもらえるみたいだから、そこは安心だけど』
『そいつぁ良かった。家族が離れることほど悲しいこたぁねぇですから』
『そうなのよね。だからまぁ、そういうこともあって、なおさらリッちゃんはゲンさんの飼い主さんを諦めようとしてるのよ。人間って離れるとどんどん忘れちゃうんですって』
『離れると……忘れちゃう……ですかい』
ふとユミちゃんを思い出します。
そりゃあね、あっしだって1日たりとも忘れたことはないなんて偉そうなこたぁ言えませんよ。ただ……ユミちゃんの方はどうなんでしょうねぇ。
実はねぇ、章坊ちゃんとの散歩の時に、何度か見かけたりもしたんです。でも、ユミちゃんはあっしのことをちらりと見ると、とても悲しそうな顔をして走って逃げちまうんでさぁ。
でもね、ほら、パグったって、決して珍しい犬ってわけでもないですからね、もしかしたらあっしがユミちゃんの『テツ』じゃないかもしれないじゃないですか。それでもああいう態度になるってぇことは、あっしだってわかってるってことなんですかねぇ。それともパグが嫌いになったんですかねぇ。
いずれにしても、きっとユミちゃんはあっしのことを覚えておいでなんでしょう。やましい気持ちがあるのか、悔いているのか、それはわかりませんけれど。
だったらあっしだって忘れるなんて不義理なこたぁ出来ません。山海家の皆さんには本当に感謝してもしきれないくらいに思っとりますが、それでもやはりあっしの最初の飼い主さんですからね。
『それでもきっと……章坊ちゃんは、忘れないと思いますがね』
そう言うと、デロリス嬢は、『そうかしら』と首を傾げました。
「――ゲンさんお待たせ……って、あら? お客さん?」
カゴを片付けた華織さんがあっしのために水とおやつを持って来てくださいました。
「大人しいのねぇ。よしよし。こんなにきれいにお手入れされてるんだもの、野良ってことはないわね。あなた、どこから来たの? お家、帰れる?」
華織さん、お気持ちはわかりますがね、あっしら、人間の言葉は理解出来ても、しゃべるこたぁ出来ねぇんですよ。
「とりあえず、お水飲む? ゲンさんと一緒でも良いかしら」
「わう! わっふ!(私は構わないわよ?)」
「あら、お利口さんね。おやつ、もう少し持ってくるわね。もしかして女の子だったりするのかしら。ゲンさんも隅に置けないわぁ」
「わふ。わおん(すみません、華織さん。章坊ちゃんが帰って来たら、家まで送ってもらいますから)」
「わうわう~(奥さん、お構いなく~)」
「あらあら、仲良いのね~。やっぱりゲンさんの良さってわかる犬にはわかるんだわぁ。うふふ」
いや、華織さん、本当にお構いなく。
もう、本当に。
いやはや。
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