海へ散歩に2

「ゲンさん、ずーっと長生きしてね」


 ひとしきり歌い終えた後で、章坊っちゃんはぽつりとそんなことをおっしゃいました。


 もちろんですとも。あっしはねぇ、章坊っちゃんが可愛いお嫁さんをもらって、2人にそっくりなお子さんを授かるまでは何があったって、石にかじりついたって生きてやります。そう決めてるんです。


「わふ!」


 そんなやり取りをしていた時でした。


「――あれ? 章灯しょうと?」


 あっしよりも若い犬を連れたお嬢さんが章坊っちゃんに声をかけたのです。どうやらお知り合いの様子で、章坊っちゃんはあっしを抱いて立ち上がりました。


「……おぉ。小番こつがいも散歩?」

「うん。ほぉら、デロリス、ご挨拶」

「わん!」

「デロリスっていうんだ。こんにちはデロリス。ゲンさん、ゲンさんもご挨拶だよ」

「わふ!」

「あは。ゲンさん、可愛いね」


 ちょっと驚きました。

 章坊っちゃん、聞きました? あっしのこと、可愛いですって。いや、お世辞でしょうけどね。わかってます、わかってますとも。


「いつもここでお散歩なの?」

「いや、たまに来る感じ」

「そうなんだ」

「小番は? ここが散歩のコース?」

「ううん、私もね、たまーにここ。――ちょ、デロリス引っ張らないで」

「立ち話より散歩したいんだよ。ごめんなデロリス。――じゃ、小番、また学校で」


 うんうん。若いのは体力が有り余ってますからね。たくさん歩いて鍛えないと。いや、あっしもね? 若い時分は結構意識したもんです。何せあっしら身体が資本ですからね。


 章坊っちゃんは去っていく少女と毛足の長い雌犬に軽く手を振り、その場にすとんとしゃがみ込みました。


 どうしたんです、章坊っちゃん?


「ゲンさん、さっきの子さ」


 はいはい、何でしょう。


「小番律香りつかっていうんだけど」


 リツカちゃんとおっしゃるんですな。ふむ。


「俺のこと、好きなんだって」


 おや!

 章坊っちゃんに春ですかな! それはそれはおめでたい! 結納はいつになりますかな? 式はやはり和装でしょうなぁ。


「参ったなぁ。俺、そういうの全然わかんねぇや」


 む?

 ちょっと先走りすぎましたな。あいや失敬失敬。


「可愛いか可愛くないかって言われたら、たぶん可愛いんだろうけど、それも良くわかんないし」


 そうですねぇ。

 あっしも人間の美醜ってのはいまいちわかりませんねぇ。いや、かといってね? さっきのデロリス嬢も犬種が違いすぎてどうにも……。まぁ丁寧にブラッシングされてたみたいですからね、美しい毛並みではありましたがね。あっしはどうも……その……シェルティ? でしたっけ? ああいう顔立ちはあまり……。やはりフレンチブルドッグとかの方が親近感もあって好きですねぇ。

 いやはや、あっしの好みなんてどうだって良いんですよ。


「でさ、女子は何かこう……集まってさ、盛り上がるんだよな。何かキャーキャー言いながら調理実習で作ったクッキーとか持って来てさぁ。いや、食べたけどさ」


 そういえばやけにクッキーを持って帰って来た日がありましたなぁ。てっきりあっしのかと思って喜んでしまいましたけど。人間が食べるやつは駄目だよって言われてしまいましたっけ。

 

「小番はそういうのに加わらないから、俺、小番はそういうのないんだと思ってさ。そっちの方が良かったっていうか。男友達と同じみたいでさ」


 ふむふむ。

 まだ章坊っちゃんには恋というものは早いのですかなぁ。


「でもさ、何か他の女子がさ、教えてきたんだよ。小番が俺のこと好きだってさ」


 成る程。

 では本人からは聞いていないってことですか。


「余計なことするよなぁ。そんなこと言われたら何かギクシャクしちゃうじゃんか」


 そういうもんなんですねぇ。

 あっしにはちょっと難しいようでございます。


「小番は知ってるのかな」


 知ってる? 何がですか?


「俺が小番の気持ちを知ってるってこと」


 さぁ、どうでしょうね。

 あっしが見た限りでは特に恥ずかしそうには見えませんでしたけど。


「……はぁ。せっかくちょっとすっきりしたのに、またもやもやしちゃった」


 そんなことを言いながら、章坊っちゃんはラジカセのボタンを押します。すると、ラジカセから、キュルキュルキュル、と奇妙な音がするのです。あっしはこの音が何なのかよくわかりません。ただ、この音が鳴り終わるといつも、章坊っちゃんはまたあのきれいな声でとっても上手に歌って下さるもんですから、何だかちょっとわくわくしてしまうのでした。


 それからまた章坊っちゃんは何曲か歌い、あっしはお水とおやつを少々いただきました。


「ゲンさん、そろそろ帰ろうか」


 荷物を片付け、再びあっしは章坊っちゃんに抱きあげてもらいました。

 さくさくと砂原を歩き、まるで壊れ物を扱うかのようにあっしをカゴの中に入れ、行きよりも幾分か速いスピードでペダルをこぐのです。


 ちらり、と章坊っちゃんを見ますと、やはりちょっとだけ険しいお顔をなさっておりました。けれど、章坊っちゃんは、あっしを見てニコッと笑って下さいます。


「ゲンさん、お腹空いただろ。ごめんな、付き合わせちゃって。急いで帰ろ」


 いえいえ、あっしはおやつをいただきましたからね。でも、章坊っちゃんは何も食べていないじゃありませんか。小さいうちはたくさん食べるのも仕事のひとつと言います。たくさん食べて大きくなって下さいねぇ。ご両親だけじゃなく、あっしも章坊ちゃんの成長を楽しみにしてるんですから。




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