第263話 サーバールーム

 大聖堂の奥にある祭具室は、普段は閉鎖されている。

 ここには月の涙を始めとした教会が所有する貴重な祭具が貯蔵されているためだ。

 その持ち出しには、枢機卿以上の地位にある者二人以上の同意が必要である。

 だが、入って閲覧するだけならば、教皇様一人の許可でいいらしい。

 リリィ様、イーリェ、私の三人は教皇様に連れられて、祭具室に入った。


「ここです」


 教皇様は祭具室の奥の壁を指さした。

 一件、何もない壁のように見えるが、教皇様が手をかざすと横にスライドして入り口が顔を出した。

 中を覗くと、下へと続く階段が見える。


「代々の教皇にしか知らされていない出入り口です。この先がメインフレームがあるサーバールームになっています」


 そう言うと、教皇様は先だって階段を降り始めた。

 私たちも後に続く。


「ここから先はタイムの領域です。先ほども申し上げたとおり、ここには防衛システムがあります」

「上手く行くでしょうか」

「分かりません。魔王の提案に賭けてみましょう」


 最後尾のリリィ様が階段を降り始めると、後ろで扉が閉まった。

 一瞬、辺りが真っ暗闇になるが、すぐに灯りがついた。

 魔法の灯りではなく科学的な照明のようで、私はなんだか懐かしい気持ちになった。


「侵入者発見。侵入者発見。強制排除ヲ開始シマス」


 独特の機械音声とアラート音が鳴り響いた。

 左右の壁から銃のようなものがせり出し、私たちへと狙いを定めてくる。

 私たちは身構えたが、その銃口は何かに迷うように発砲を躊躇っている。


「システムヘノ疑義ノ発議ガナサレマシタ。議決マデシステムノ管理者権限ヲ停止シマス」

「システムヘノ疑義ニ対シテ、否決ノ発議ガナサレマシタ。管理者権限ノ回復マデ後三十分」

「否決ノ発議ニ異議申シ立テガアリマシタ。管理者権限ハ更ニ停止ヲ延長サレマス」


 内容は詳しく分からないが、どうやら防衛システムは正常に働いていないようだった。


『システムに対して、異議申し立てを利用した牛歩戦術を採ります』


 このサーバールームに入る前、サンドリーヌさんの身体を借りた魔王はそんなことを提案してきた。


 その内容は魔王や私、教皇様、そしてイーリェたちシステム端末の同位存在による、システムへの干渉だった。

 私たちはタイムに対してその管理者権限の正当性に疑義を投げつけたのだ。


 魔王は私たちとの戦いの後タイムに捕縛され、今はシステムの中のゴミ箱のような場所に放り込まれているらしい。

 だが、彼女は管理者権限を保持していた時に、タイムから独立したバックドアをシステムの中に作り出していた。

 魔王はタイムの謀反に多かれ少なかれ勘づいていたのだ。

 そして、私たちは魔王の協力を得て、システムに割り込んでいる。


 ループシステムは複数のユニットによる合議制を採用しているため、いくらタイムとはいえこれを無視することは出来ない。

 無論、これで完全にタイムから管理者権限を奪取できるわけではないが、一時的に彼女のそれを停止させることは出来る。

 元々、タイムが管理者権限を保有している現状自体が、管理者の不在を利用したイレギュラーだからこそ出来た、ウルトラCである。


 どうして私に協力してくれるのかと尋ねた私に対して、魔王は、


『あなたに協力するのではありません。クレア様をお救いするためにやむを得ないからです』


 と気難しい顔をした。

 実に私らしい答えだと思った。


「急ぎましょう。タイムがいつ管理者権限を回復するとも限りません」

「はい」


 私たちはそのまま駆け足で階段を下って行く。

 足の遅い教皇様は、私が担いで行った。

 らせん状になった階段をしばらく下りていくと、やがて大きな部屋のようなものが見えてきた。


「ここが……」

「はい。サーバールームです」


 頷いて、教皇様が先ほどと同じように壁に手をかざした。

 指紋認証にでもなっているのだろうか。

 とにかく、壁がスライドして室内が見渡せるようになった。


「……」


 サーバールームと聞いていたので、私は二十一世紀の日本で目にしたようなそれを思い浮かべていたが、そこにあったのは巨大な一つの建築物と言ってもいい箱状の物体だった。

 黒色をした金属状のパーツで構成されており、表面を光が静脈のように這っている。

 明滅を繰り返すそれは、コンピューターというよりも、それ自体が呼吸する何かの生き物であるような印象を受けた。


「これが……?」

「はい、ループシステムの根幹、タイムの本体、世界中に散らばったナノマシンの根幹――メインフレームです」


 気が遠くなるほどの時間、人類の歴史を維持し続けて来たというその存在を前にして、私は畏怖にも似た感情を覚えた。

 それはもうただの機械というよりも、一種の神秘を前にしたような、そんな感覚だ。


「やれやれ……本当に往生際の悪い方たちですね、あなた方は」


 鈴が鳴るような声と供に、私たちの前に一人の少女が現れた。

 銀髪に赤い瞳――この世界ではよく見かける髪と瞳の色だが、彼女の美しさは群を抜いていた。

 人にあらざる者なればこその、非現実的な愛らしさを持ったそれは――。


「タイム……」

「ご機嫌よう、レイ=テイラーこの姿でお目に掛かるのは初めてですね」


 タイムはそう言うと、薄く笑った。

 かすかに表情をほころばせただけなのに、それが驚くほど魅力的なことに私は戦慄した。

 この存在は危険だ、と本能が告げている。


「クレア様を返して下さい!」


 私は湧き上がる恐怖を押し殺して、叫んだ。

 タイムはそれに対して首を振ると、


「それは出来ない相談です。彼女には眠っていて頂かないと。人類が永遠に存続するために」

「そんな勝手なことはさせませんよ。いざとなったらこのサーバールームを破壊してでも――」

「そんなことを、クレア=フランソワが望むと思いますか?」

「え?」


 こちらの言葉を遮るように言われたタイムのセリフに、私は思わず口を止めてしまう。


「あなたは少し勘違いをしているようですね、レイ=テイラー。私が無理矢理クレア=フランソワを眠らせていると思っているのでしょう?」

「どこが勘違いなんですか」

「大いに間違っています。クレア=フランソワは望んでシステムに身を捧げてくれているのですよ」


 そう言って、タイムは慈愛すら感じる微笑みを浮かべた。


「嘘です!」

「嘘ではありません。疑うなら、ご自身で確かめますか?」

「え?」

「今、クレア=フランソワは量子体となってシステムの中にいます。あなたもそこへ連れて行って差し上げましょう」


 私は戸惑った。

 こんなに簡単に、クレア様に……会える……?


「いけません、レイ=テイラー。これは罠です」


 心が揺れかけた私を、教皇様が制止した。


「量子の世界は心の世界。システムの中へダイブすれば、今ここにあるあなたの身体は無防備になってしまいます。それをタイムがどうかしないとは限りません」

「人聞きの悪いことを言わないで下さいますか、クラリス=レペテ三世。ご心配なら約束しましょう。私はレイ=テイラーの身体に指一本触れないと」

「タイム、あなたは嘘はつかないが事実全てを語らない。レイ=テイラーの心も、システムの中に取り込まないとどうして言えますか?」

「……」


 今度は、タイムは否定しなかった。

 つまり、タイムは私の心をシステムの中に捕らえてしまおうと考えているのだ。


「タイム、私がクレア様を説得して、クレア様がこちらの世界に帰ってくることを望んだら、彼女を解放してくれますか?」

「いいでしょう」

「レイ=テイラー!」

「れ、レイさん!」

「それはやめた方がいいんじゃないかなあ」



 私の提案にタイムはノータイムで頷き、教皇様たちは慌てて制止した。


「そ、そんなことをしなくても、この機械? とやらを壊してしまえば、クレア様は救えますよ!」

「そうです。そもそも、クレア=フランソワがシステムに取り込まれることを望んだという話からして怪しい。クレア=フランソワはそんな方ではありません」

「二人の言うことはもっともなんですが……絶対、気に病むと思うんですよね」

「だ、誰がです?」

「クレア様が」


 私はリリィ様たちに向き直った。


「クレア様が望んでシステムに取り込まれたとは、私も思いません。ですが、クレア様の性格からして、人類の存続に必要不可欠なこのシステムを私的な理由で壊したりしたら、自分は助かっても死ぬまで気に病むと思うんです」

「そ、それは……」

「……ありえるかも、しれません」


 イーリェを除く三人はクレア様をよく知る人だ。

 私の危惧をすぐに理解してくれた。


「でもさ、それもこれも、命あっての物種じゃない? 気に病む病まない以前に、そのシステムなんちゃらから解放されなきゃどうしようもないんじゃないの?」

「一つ、ことわっておきましょう」


 イーリェの言葉に応じて、タイムが口を開いた。


「このサーバールームを破壊すれば、そこに取り込まれた量子データも破壊されます。それはすなわち、クレア=フランソワの魂も、永久に失われることを意味します」

「つまり、どちらにしても、私が行って説得するしかないってことですね?」

「そういうことです」


 選択の余地は、始めからないようだ。


「ま、待って下さい、レイさん。もう少し考えてから――」

「時間があまりありません。もたもたしていれば、タイムの管理者権限が回復してしまいます。そうなれば私たちは袋のネズミです」

「で、でも……」

「信じて、待っていて下さい、リリィ様」

「……ずるいですね、レイさんは」


 リリィ様は涙目になりながら頷いてくれた。

 本当に、彼女には罪悪感が募る。


「では、タイム。お願いします」

「いいでしょう。では、レイ=テイラー。よき旅を」


 タイムが私の額に手をかざすと、私は徐々に意識が遠くなり――。


 やがてぷつりと意識を失った。

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