第258話 永遠
「クレア様!!」
崩れ落ちるクレア様を、魔王が呆然と見下ろしている。
床に倒れたクレア様の身体から、真っ赤な血が流れ出した。
魔王の脇腹からも血が流れ落ちているが、魔王はそれを全く意に介さずに、倒れ伏したクレア様を呆然と見ている。
「邪魔です! どいて下さい!」
私は魔王の脅威など全て忘れて、クレア様の元に駆け寄った。
魔王を突き飛ばして容態を見る。
出血が酷い。
「あ……あああ……」
魔王はこの世で最も恐ろしいものを見たかのように後ずさると、膝をついて頭を抱えた。
「ああああああ……っっっ……!!」
どんなに絶望してもこれほどではないだろう、という絶叫を私は聞いた。
でも、今はそれどころではない。
「マナリア様、リリィ様、手伝って下さい!」
状況まだ飲み込めていないのか、呆然とした様子の二人に呼びかけた。
我に返ったのか、二人は慌てて駆け寄ってきて、私と同じように治癒魔法を施した。
「レイ、特効ポーションも飲ませるんだ!」
「ダメです、クレア様の意識がありません!」
「口移しでもなんでもいい! とにかく飲ませろ!」
言われたとおり、ポーションを口に含んでクレア様に飲ませようとした。
クレア様の唇は、ぞっとするほど冷たかった。
どうして私たちのキス思い出は、辛いものばかり印象に残るんだろう。
私たちは考えられる限りの治療を行った。
それでも、クレア様の身体はどんどん冷たくなっていく。
「クレア様、嘘ですよね……。約束しましたよね!? 皆で帰るって!!」
こみ上げる涙を拭いながら、それでも治療の手は止めない。
クレア様は約束してくれた。
なら、彼女が自害なんて道を選ぶはずがないのだ。
「魔王!」
マナリア様が鋭い声を上げた。
魔王がびくりと肩を震わせながら顔を上げた。
「こっちに来て、治療するんだ! このままクレアを死なせて、キミは本当にそれでいいのか!」
マナリア様の問いに、魔王は顔を歪ませた。
それは葛藤という言葉をこれ以上なく表した表情だった。
ずっと望んでいたはずの結末に、それでも耐えられないでいる、憐れな
永遠によって摩耗していた喪失への恐怖が、今、彼女に牙を剥いている。
「迷ってる場合じゃありません! このままだと、本当にクレア様が死んじゃいます! お願いです、クレア様を助けて!!」
私は恥も外聞もなく、魔王に助けを求めた。
クレアを救えるとしたら、それは彼女だけだ。
「る、ループシステムを使えば――」
「させませんよ、零」
「タイム……!」
リリィ様の口調が一変した。
タイムが乗り移っているらしい。
「ループシステムの適用は拒否します」
「そんなもの、管理者の権限を使えば――」
「ええ、いずれはシステムも回復するでしょう。でも、議決が下りる頃には、クレア=フランソワは死んでいるでしょうね」
「そんな……!」
魔王の顔がまた歪んだ。
その表情を見返しながら、タイムは冷厳に告げる。
「魔王、選びなさい。永遠に失うか、永遠に続けるか」
「ううっ……ぐっ……ぐうううっっっ……!」
魔王は葛藤を抱えたまま、よろよろとこちらにやってきた。
私は慌てて道を空けた。
魔王はクレア様の側に膝を突くと、
「私は……私は……もうイヤなんです。……永遠の繰り返しをひとりぼっちで過ごすのも……あなたへの思いが指の間からこぼれ落ちていくのも……」
「魔王、早く!」
「レイ!」
「レイさん!」
「もう終わりしたい……もういいんです……でも……それでも……」
私たちが見守る中、その一言は数十億年の重みを持って響いた。
「私は……それでもあなたを……諦められない……!」
クレア様を中心に真っ白な光が迸った。
教皇様のエリアヒールにも似た――いや、それ以上の治癒の光。
「これは……」
「傷が回復していく……」
「す、凄いです……」
クレア様のお腹の傷はもちろんのこと、私やマナリア様、リリィ様の傷すらもが塞がっていく。
「ん……う……」
「クレア様!?」
「レ……イ……?」
クレア様が目を開けた。
先ほどまで血の気を失って青ざめていた顔が、今は赤みが差している。
クレア様は少しぼんやりした表情をしていたが、隣に蹲る魔王の姿を認めると、ふっと小さく笑って、
「そう……やっぱり、あなたはレイですわね」
と、そう呼びかけた。
どうやら、全ては計算通りとでも言いたいらしい。
「クレアのバカ!」
気がつくと、私はクレアの頬を引っぱたいていた。
クレアが驚いた様な顔でこちらを見ている。
私も自分の行動に驚いた。
でも、言葉は止まらなかった。
「何て無茶なことするんですか! たまたま助かったからいいようなものの、あのまま魔王がクレアを見捨てたらどうするつもりだったんですか!」
「れ、レイ、ちょっと落ち着いて……?」
「これが落ち着いていられますか! 約束は守るって言っておいて、何してくれちゃってるんですか! もう少しで私……あなたを……!」
そこからはもう言葉にならなかった。
私は両手で駄々っ子のようにクレアの胸をぽすぽす叩きながら、わんわん泣いた。
「バカぁ……バカぁぁぁ……あーぁぁぁ……!」
「ごめんなさい……ごめんなさい、レイ。怖い思いをさせましたわね。本当にごめんなさい……」
クレアは赤ん坊でもあやすように、私をそっと抱きしめて、何度も謝ってくれた。
でも、今度の今度こそ、私は許すつもりはなかった。
なかったのだが、
「でも、レイ。わたくし、勝算はありましたのよ? 教皇様が近くにいらっしゃるの、気付いてませんでしたの?」
「……え……?」
クレア様が私の背後を指さしているので、そちらの方にぎぎぎと視線を向けると、そこにはいつもの無表情でたたずむ教皇様の姿が。
「あ、やっぱりレイは気付いてなかったんだね。ボクは気付いてたんだよ。だから、随分迫真の芝居だなあと思ったんだけど」
マナリア様が苦笑している。
じゃあ、あの時呆然としているように見えたのは、そうじゃなくて、成り行きを見守っていたからなのか。
「リリィ=リリウムも気付いていましたよ。彼女の場合、気付いていても気が気ではなかったようですが」
タイムも苦笑している。
そんな……じゃあ……死ぬほど動揺したのは、魔王と私だけ……?
「……死にたい」
「ですから、ごめんなさいって言ってますでしょ。魔王を引っかけようとすれば、近しい存在であるあなたも引っかかる可能性があることを失念していましたわ」
まだぐすぐす鼻を鳴らしている私を、クレア様はまたいっそう強く抱きしめてくれた。
「クレア様、後で絶対お仕置きですからね」
「はいはい、分かりましたわよ。甘んじて受けますわ。それよりも――魔王?」
「……」
クレア様が呼びかけると、魔王は億劫そうに顔を上げた。
「あなたは言いましたわね? この世界を呪われた輪廻から解放する、と」
「……ええ」
「もしかしたら、それも一つの正解かもしれません。ですが、そのループだって世界の一部ではなくて? いつか不要となる時が来るならば、あなた個人の感情ではなく、この世界に生きる人々すべての意思で超えていくべきもののはずです」
「……」
「そもそも、わたくしたちは多くの人々の犠牲と尽力の元に生きながらえて来ました。わたくしの命もわたくしだけのものではないのです。大切な人々の総意が自決であれば喜んで従いもしましょう。ですが――」
「「「断固としてノー!!」」」
リリィ様、マナリア様と一緒に、私は即答した。
「そう言うことですわ」
「……」
「それとわたくし、先ほど一つ嘘をつきましたわ。人は永遠に恋できるようには出来ていない……って」
「あれは……嘘なのですか……?」
「ええ、正確にはね」
クレア様は魔王も抱き寄せると、私と一緒に胸に抱いた。
そして言う。
「魔王、あなたが望んだような永遠には、人は耐えられないでしょう。でもね、わたくし思うんですのよ。一瞬一秒……今この時が、もしかしたら永遠になるんじゃないかって」
「意味が分かりません」
魔王は首を横に振っている。
クレア様は微笑んで続けた。
「今この時の思いが、悠久の時間の流れに劣ると誰が決めたんですの? 永遠がいつかを決めるのは、わたくしたち自身ではなくて?」
クレア様はこんなたとえ話をしてくれた。
不治の病で一ヶ月しか供にいられなかった恋人たちは、一生添い遂げた恋人たちに絶対に及ばないのか。
そうではないでしょう、と。
永遠の思いというのは、恐らく時間の長さではない。
「相手をどれだけ深く愛したか。そのひどく主観的な思いこそが、永遠に足るかどうかの唯一の条件なのではなくて?」
例え短い時間しか一緒にいられなくても、その思いが真に相手を愛するものならば、それは永遠だとクレア様は言う。
「永遠かどうかは、二人で決めますのよ。あなたはそれに客観性を求めてしまった。それが迷走の元ですわ」
「迷走……ですか……」
「ええ、迷走ですわ」
クレア様の断言に、魔王がうなだれた。
「いつまでクレア様に抱きついてるんですか、魔王。クレア様は私のものですよ、離れなさい」
「だって……」
「だってじゃありません。自害しろなんて言っておいて、今さらどんな顔してここにいるんですか。恥を知りなさい、恥を」
「こら、レイ。あんまりレイを虐めるんじゃありませんわよ」
「ややこしくなるんで、あっちは魔王って言って貰えませんかね!?」
などとふざけつつ、私は魔王への警戒を怠っていなかった。
またいつこいつがとち狂ったことを言い出すか、分かったものではなかったからだ。
「その心配はいりませんよ、レイ=テイラー」
「またナチュラルに心を読むの、やめてくれませんかね」
「おっと失礼」
私の懸念を杞憂だと言ったのは、もちろんタイムだ。
「で、どうして心配いらないんですか?」
「魔王はもう管理者権限を持っていません。彼女は権限を放棄しました」
先ほどのタイムの問いに対する魔王の答えが、それだったらしい。
「なら、今は誰が管理者なんですか?」
「権限譲渡の手続き中ですが、次の管理者は副管理者であるクレア=フランソワになる予定です」
「わ、わたくしですの!?」
クレア様がびっくりしたような声を上げた。
そりゃあ、驚きもするだろう。
自分が人類史を左右する立場になるかもしれない、などと言われれば。
「申し訳ありませんけれど、わたくしは辞退させて頂きますわ。とても務まりそうにありませんもの」
「辞退は結構ですが、それには一旦、あなたが管理者になることが必要です」
「面倒なんですわね」
クレア様が肩をすくめて嘆息した。
「ええ、面倒です。……ですので、面倒ごとの種はここで摘んでおこうかと」
「!?」
次の瞬間、辺りが真っ暗になった。
「これは!?」
「タイム、あなた、何をするつもりですか!?」
クレア様の動揺と、魔王の詰問の声が響く。
「私の目的はただ一つ。人類史の存続です。それを任せるにはあなた方人類は、いささかばかり脆弱に過ぎるようです」
その言葉を最後に、私の意識はブラックアウトした。
◆◇◆◇◆
次に目が覚めた時、最初に見たのは見知らぬ天井だった。
上体を起こして辺りを見回すと、清潔に保たれた部屋の中だということが分かった。
恐らく、精霊教会の治療院だろう。
誰かを呼ぼうと声を出しかけて、膝にもたれかかって眠る人影に気がついた。
「マナリア……様……?」
「ん……レイ……? ……レイ!」
私が声を掛けると、マナリア様も目を覚ました。
私の姿を認識すると、全力で抱きついてきた。
痛い痛い!
「ちょっと、マナリア様! 痛いです!」
「ああ、ごめんよ。あまりにも嬉しくて。もう目を覚まさないんじゃないかと思っていたから。どこか痛いところはないかい?」
身体を起こして、私の顔をのぞき込んでくる。
「どこも……。強いて言えば、マナリア様に抱きしめられた所ですが」
「あはは、それだけ言えれば大丈夫そうだね。キミは魔族との戦いからずっと眠り続けていたんだ。もう一ヶ月になる」
「一ヶ月!?」
なるほど、それならマナリア様のこの反応も頷けるというものだ。
「それはご心配掛けました。私はもう大丈夫です。ところで――」
「身体は治癒魔法で維持していたから、筋力の衰えなどはないはずだよ。本当によかった」
「ああ、はい、ありがとうございます。ところで、クレア様はどこですか?」
私は一番聞きたかったことを聞いた。
心配掛けたことは申し訳ないが、マナリア様の立ち位置にいるべきは、やっぱりクレア様だろう。
そのクレア様がここにいないとなると、心配になってくる。
「クレア?」
「ええ。クレア様も一緒にここに運んできてくれたんでしょう? 彼女は? もしかして怪我が酷いんですか?」
まさかと思うが、クレア様だけ死んでしまったなんていうオチはないだろうね。
「レイ、ひとついいかい?」
「え、ええ」
マナリア様は、不思議そうな表情を浮かべながら、思いも掛けない言葉を放った。
「クレアって誰だい?」
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