第255話 親と子

 ※ドル=フランソワ視点のお話です。


「では、ドル。後は任せる」

「御意に」


 セイン陛下を見送り、私は深々と腰を折った。


「む……」

「どうかしました、ドルお義父サン?」


 バウアーの王城にある私の執務室で、決戦部隊への補給計画を手伝ってくれているラナが声を掛けてきた。

 室内は書類で埋め尽くされている。

 今は猫の手も借りたいほど忙しい。

 その知らせが届いたのはそんな時だった。


 ラナは軽薄な見かけによらず、仕事は出来るので非常に助かっている。

 だが、その呼び方は捨て置けない。


「冗談はよし給え。私はキミの義父にはなれない」

「あーん、お堅ーい。そこが好きー。レイセンセみたーい」

「やれやれ……」


 何度注意しても一向に堪える様子がないラナに、私は溜め息をつくしかなかった。


 バウアーに戻った私は魔王との決戦に備えるべく、レーネとともに決戦部隊の補給計画を立案した。

 前線の近くではレーネが、後方のバウアーでは私がそれぞれを分担して遂行している。


 今部屋を出て行ったセイン陛下も、帰国後は精力的に部隊への支援をしてくれている。

 まだ国内が安定していないバウアーだけではまかないきれないと見て、スースやアパラチアの首脳陣にも掛け合ってくれているらしい。

 経験は浅い王だが、セイン陛下は有能だ。

 ゆくゆくは、賢王と讃えられたロセイユ陛下に並ぶかも知れない。


「それで? 一体どうしたんですか、険しい顔をして」

「メイとアレアに仕掛けておいた、私の魔法が発動したらしくてね」

「え? ドル様も魔法使えるんですか?」


 ラナが驚いたように目を見開いた。


「あまり実戦向けの魔法ではないのだがね。精神に作用する設置型の魔法で、名を夢幻魔法という」

「かっこいいじゃん!」


 ラナが目を輝かせた。

 私の中適性土属性魔法である夢幻魔法は、相手を永遠の夢の中に引きずり込む罠のような魔法だ。

 設置場所は心の中。

 通常は術者である私の中に設置するが、これは他の人間の心にも設置することが出来る。

 私はそれを、レイたちに仕掛けておいた。

 その内のメイとアレアに仕掛けたものが作動したのだ。


 夢幻魔法の効果は強力なのだが、発動条件が非常に厳しい。

 特定人物の特定の魔法に対してしか効果を発揮しない。

 つまり、発動の対象人物と、キーとなる対象魔法を細かく厳密に設定する必要があるのだ。

 同時設置の人数制限もある。


 サーラスの暗示に対してこれを仕掛けるには、暗示というヤツの魔法について詳しく知る必要があった。

 だが、サーラスはその内容を秘匿していた。

 リリィ元枢機卿の協力で解析は進んでいたが、完全な解読に至ったのはラナが提供してくれたカチューシャの魔道具を解析してからだった。


 サーラスのことは、ラナにとって決していい思い出ではないはずなのだが、彼女は快く協力に応じてくれた。

 私はラナが帝都を離れる前にサーラスの暗示を解析させて貰い、それをズルックを立つ前に家族の何人かに仕掛けてきた。


 そして今、その罠が発動した。


「どうやら、サーラスが私の術中にハマったらしい」

「……それって……?」

「サーラスの悪行も、ここまでということだ」


 私が言うと、ラナは一瞬顔を強ばらせたあと、無理矢理のような笑顔を浮かべた。


「そっか……。パパ、終わったんだね」

「……うむ」


 私にとっては敵でしかないサーラスだが、ラナに取っては父親代わりだったこともある相手だ。

 心中は複雑だろう。

 私がラナを見守っていると、彼女はしばらく沈黙した後に口を開いてこう言った。


「親子って、何なんだろうね?」


 それはとても素朴で、だが容易に答えられない質問だった。

 私が答えあぐねていると、ラナは言葉を続けた。


「アタシとパパは赤の他人だけど、リリィとパパは血の繋がった親子だった。でも、パパはアタシとリリィのどっちも、自分の道具としか思ってなかった」


 独白のような、考えをまとめているような、そんな話し方だった。


「でも、レイセンセたちとメイちゃんたちは血の繋がりはなくても、本当の親子以上の絆で結ばれているように思える」


 娘たちと孫のことを思い浮かべれば、ラナの言うことがその通りであると頷くしかない。


「結局、血のつながりって何なんだろ。親子って何なんだろうね?」


 ラナの問いは、私の胸に深く突き刺さった。

 私はゆっくりと言葉を探した。


「……私が元貴族だということは知っているね?」

「うん。財務大臣だったんでしょ? 凄いよね」

「まあ、それはいいんだが、貴族であった以上、血統というものは非常に重い意味を持っていた」

「……」


 ラナは何も言わず、目で続きを促してきた。


「今だから告白するが、私は最初、クレアとレイが交際することに反対だったんだよ」

「え!?」


 意外だったのだろう。

 ラナは目を丸くした。


「で、でも、ドル様。アタシ、レイセンセに聞いたよ? ドル様は二人の関係に、一度も文句を言ったことがないって」

「ああ、その通りだ」

「……どういうことなの?」


 問われて、私はこれまでずっと内に秘めていたことを口にしようと思った。


「あの二人の関係性を見るまで、私はずっとこう思ってきた。家族とは血縁であり、親子とは血を受け継いでいくことだ、と」

「まあ、普通はそうなんじゃないの?」

「うむ」


 私はそのように教育され、そのことに疑問を持つことはなかった。

 あの娘――レイ=テイラーに出会うまでは。


「レイに出会って、クレアは変わった。よく笑い、よく怒るようになった」

「クレアセンセって昔から傍若無人だったって聞いてるけど?」

「それは事実だ。だが、その頃のクレアの感情はどれも、現状への不満の裏返しだったのだよ」


 母を失い、貴族社会という閉鎖空間に押し込められ、親の敷いたレールに沿って型にはまった人生を送る――それが彼女の生活の全てだった。


「だが、今のクレアは違う。娘は心の底から笑い、心の底から怒る。今のクレアは素直に思ったままを表現している」


 バウアーという国のために、一度は供に散ることを強いようとした娘が、今はあんなにも自由だ。

 クレアがあんな風に笑えるのは他でもない、レイとそしてメイやアレアのお陰なのだ。


「私はクレアに幸せになって貰いたい。そして今のクレアは幸せそうだ。そんな彼女たちには絶対に言えんよ。婿を迎えて子をなせなどとは」

「ドル様は、未だにクレアセンセに世継ぎを残して欲しいと思ってるの?」


 ラナの問いに私は少し考えた後、首を横に振った。


「私はね、ラナ。自分が一体、クレアに何を継がせたかったのかと考えたのだよ。それは本当に血だったのか。ただ血統さえ残せれば、それで良かったのかと。答えはノーだ」

「……」


 ラナは黙って聞いている。

 私は続けた。


「私が継いで欲しいのは、私の価値観であり、思想であり、志だ。それらはクレアに確実に受け継がれている。血縁などなくても、メイやアレアにもきっと伝わる。時代と供に少しずつ形を変えながら」


 私はそれでいい。

 いや、それ以上望むことなどあろうか。


「これが私の考える親だ。キミの問いに果たして答えられたかどうかは、分からないが」

「……いえ、ドル様。よく分かりました。でも――」

「でも?」

「でも、アタシはパパのそういう部分は受け継げそうにない……ううん、受け継ぎたくないな」


 ラナは力なく笑った。

 無理もない。

 あんな人間の思想を受け継ぐなど、百害あって一利なしだ。


「それは当然だとも。キミは親ではなく、子なのだから」

「え?」

「紛らわしい言い方をして済まなかったね。先ほど私は親子ではなく、親について話していたんだ。子はまた別だよ」

「どういうこと?」


 ラナが顔に疑問符を貼り付けている。


「親は子に色々なものを継がせたがる。だが、子はそれを拒否していいのだよ」

「拒否……」

「そうだ。子には子の価値観があり、思想があり、志がある。親に出来るのは自分のそれを継いでくれと願うことだけであって、強制することは出来ない」

「アタシには……アタシの……?」

「ラナはラナの生き方をすればいい。親というものは、時として負の手本にもなるものだ。ああはなりたくない、とね」

「……」


 ラナは考え込んでいるようだった。

 思考の邪魔をしたくないので、しばらく自分の仕事を進めていると、


「ドル様、アタシ難しいことはやっぱり分かんない」

「……そうか」

「けど……けどね!」


 ラナの声は震えていた。

 まるで溢れる思いを何とかまとめるようにしてから、こう言った。


「けどアタシも、幸せに……なっていいかなあ……!」


 ああ、この子もか、と私は思った。

 多くの死者が出た戦争で生き残ってしまった者は、時として生き残ってしまったことに罪悪感を抱くという。

 ラナもまた、それを感じているのだろう。


「ああ、もちろんだとも。ラナは多くの同胞の仇を取った。贖罪はもう、十分だろう」


 サーラスの実験の犠牲となった者たちは、残念ながら帰って来ない

 だがそれでも、こうして生き残りであるラナの協力でヤツを討つことが出来たのなら、少しは手向けになるだろうか。


 私は涙を流すことすら出来ずにいるラナをそっと抱きしめながら、そんなことを考えたのだった。

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