第十三章 帝国籠絡編

第174話 赤い記憶

「帝国は、このままじゃいけないと思うんです」


 フィリーネとの確執に一段落がついてから数日後の昼休み。

 珍しいことに教室にはクレア様、フィリーネ、私、他数人の学生しかいない。

 私たちは三人で一緒にお弁当を食べながら歓談していたのだが、ふいにフィリーネがそんなことを切り出してきた。


「どういうことですの?」


 クレア様が先を促すように言いながら、チラリとこちらに目配せした。

 そう。

 これは……チャンスかもしれない。


「帝国はバウアーだけでなく色々な国に対して侵略外交を仕掛けて来ました。このままでは、帝国は行き詰まってしまうと思うんです」


 それはフィリーネがずっと一人で抱えてきた問題意識だった。

 お飾りの皇女と言われながらも、皇族の一員として彼女なりにこの国のことを一生懸命に考えた末の結論である。


「確かに……帝国は敵を作りすぎましたわね。今でこそその大きな武力と国力で何とかなっていますが、今の方針がこれから先も上手く行くとは限りませんもの」

「ええ。特にもし代替わりが起きたら……お母様の身にもしもがあれば、帝国はあっという間に屋台骨を失うことになると思うんです」


 そうなる前に何か手を打たないと、とフィリーネは言う。


「では、どうするのがいいとフィリーネ様は思っていらっしゃいまして?」


 これは多分相談を持ちかけられているのだと思うのだが、クレア様はまずフィリーネの考えを尊重した。

 水を向けられたフィリーネは少し考えてから口を開いた。


「今の侵略外交の方針を融和外交に転換するしかないと思います」


 よし、と私は思った。

 帝国の現状はどうあれ、まずフィリーネがこの認識を持っていることを確認出来たのは大きい。


「融和外交ですか……。でも、現状からその方針に変えるのは、少し難しそうですよね。いくつか解決しなければならない問題があるような」

「ええ、それはそうなんです」

「フィリーネ様から見て、融和外交への転換に立ち塞がる問題は何があると思いまして?」


 クレア様に問われ、フィリーネはまた少し考えると、


「何よりも、お母様が現状の方針にあまり問題を感じていらっしゃらないようなのが大きいと思います。言い換えれば、お母様さえ説得出来れば、すぐにでも方針は変えられるとも思います」

「そうですわね。帝国は良くも悪くもドロテーア陛下の影響力が強い国ですもの。外交方針も陛下の胸三寸ですわ」

「でも、あのドロテーア陛下がそう簡単に心変わりするとも思えませんね」


 何しろあの性格だし。

 それに、謁見の時に少しちらつかせて来たが、彼女は彼女なりに考えて今の方針をとっているようではあった。


「説得するには材料が必要ですが、現状はまだなんとかなってしまっているので、それも少し難しいです。せめて私の意見に同調してくれる人が他にもいればいいのですが……」


 こうして他国から来た私たちに話を持ちかけるくらいだ。

 フィリーネにはまだ仲間が少ないのだろう。


「全然いないわけじゃないんです。例えば、お母様のお付きでもある爺やは、どちらかというと私寄りの考えを持っています」


 ああ、あの苦労人の爺やさんか。

 確かヨーゼフさんと言ったっけ。


「でも、爺やは立場上、表だってお母様に反対することは出来ません。折に触れ諭してくれてはいるみたいなのですけれど、それが限界です」


 じいやさんはレボリリではフィリーネの味方になってくれる心強い人なんだけど、現状はそこまでの関係は築けていないらしい。

 現状では敵ではないが、完全な味方にもなってくれない、というわけだ。


「あとは……味方というか、ちょっと人気者みたいな扱いをされてる場所もあるにはあります」

「え、凄くいいじゃないですか。どこです?」

「……軍です」

「軍!?」


 待て待て。

 既に軍にパイプがあるなら、もう話はついたようなものなんじゃないの?


「あ、すいません。軍といっても、下士官や兵の一部だけなんです」

「びっくりしました」

「フィリーネ様はどうしてその方たちから慕われているんですの?」


 クレア様が問うと、フィリーネは恥ずかしげに説明してくれた。


「以前、公務で軍部の視察に出かけたとき、下士官の人が教官にずいぶんしごかれていて……。軍ではこれが当たり前ですって説明されたんですけれど、私見ていられなくて」


 彼女はその場で割って入ったらしい。

 軍が兵士に対して過酷な訓練を課すのはどの国でも当たり前に見られる光景だが、この時はフィリーネの行動がたまたま正解だったのだという。

 その時訓練を行っていた教官は、度の過ぎたシゴキを行っていたらしく、彼は後に軍紀により処分されたのだとか。

 そんなことがあって以来、軍の下士官や兵の一部から、フィリーネはちょっとした人気者扱いされているらしい。


「フィリーネ様にそんな人望があったなんて」

「意外そうな声色で言わないで下さい! 自覚があるんですから傷つきます!」


 フィリーネの抗議は右から左に聞き流すとして、これは何かに活かせないだろうか。


「……正直、難しいかもしれません。軍はお母様の影響が最も強い部署ですから」


 これが士官レベルだったら話は別だったかも知れませんけれどね、とフィリーネは力なく笑った。

 彼女はそう言うけれど、私はこれが何かに繋がるような気がして、記憶の片隅に大切に仕舞っておくことにした。


「ヒルダはどうですの? 彼女は確か帝国の魔法技術部門と太いパイプがあったと思うのですけれど」

「ええ、確かに。ヒルダの持つバックボーンはとても魅力的です。帝国は魔法で発展した国。魔法技術部門は帝国でもお母様に次ぐ発言力を持っていますし、ヒルダ自身にも政治力があります。ですが――」

「ですが?」

「どうも私、フラれちゃったみたいなんですよね」


 フィリーネが儚く笑った。

 舞踏会の一件のことを言っているのだろう。


「ヒルダは今、レイを目に掛けているみたいです。もし彼女の力を借りるなら、私よりもレイの方がきっと――」

「それは違います、フィリーネ様」


 遮るように言った私の言葉に、フィリーネがきょとんとした顔をした。


「ヒルダはよっぽどのことがない限り、特定の人間に熱を上げたりしません。彼女の目的は立身出世です。そのために誰の味方をするのがいいのかをずっとしたたかに見極めているんですよ」

「……随分、ヒルダのことをよくご存知なんですね?」

「ジェラってる場合ですか」

「じぇ、ジェラ……?」

「こちらの話です。とにかく、ヒルダを相手にするなら受け身に回ってはダメです。利用価値があるということを、こちらから示さないと」


 そういう意味では、ヒルダは割と分かりやすい相手だと思うのだ。

 利のある方へつく――至ってシンプルだ。

 彼女を味方に引き入れるなら、価値を示せばいい。


「後は、帝国内の反政府勢力も味方につけたいですわね」

「え……ええっ!?」


 思いも寄らない言葉を聞いたとばかりに、フィリーネが瞠目する。


「は、反政府勢力ですか?」

「いないと思いまして? 帝国が従えた国の中には宗教国家もありましたのよ? そういった国はたとえ武力で破れようと、精神的にはずっと折れることはありませんわ」


 ドロテーアは帝国内で信仰・布教の自由を認めている。

 それはただの綺麗事ではなく、宗派同士で勢力を食い合わせようというしたたかな狙いもあるようだ。

 だが、彼女は信仰の持つ力を少し侮っている。


「とある人物を中心に、帝国内に反政府勢力が密かに出来上がっているという噂を、わたくし掴んでおりますの」

「そんなことが……。なら、その人物に接触すれば、協力を得られるでしょうか?」

「その前に、フィリーネ様。覚悟はよろしくて?」

「覚悟……ですか?」


 ええ、とクレア様は頷いて続けた。


「ヒルダと協力体制を築くのは同じ帝国内の話ですからまだいいでしょう。しかし、反政府勢力となれば話は別ですわ。明確に帝国に……ひいてはドロテーア陛下に弓引くことになります」

「それは……」


 フィリーネの瞳が揺れる。

 帝国の未来を憂いていても、そこまでの覚悟はまだなかったのだろうか。


「帝国を変えたいと本気で思っていらっしゃるならば、陛下との対決は避けられません。その覚悟はおありでして?」

「……」


 フィリーネはしばらく沈黙した後、ぽつぽつとこぼすように言葉を紡いだ。


「昔、お母様に連れられて、ある場所に行きました」

「? 何を――」

「クレア様」


 怪訝な顔をしたクレア様を押しとどめ、私はフィリーネに先を促した。


「続きをおうかがいします」

「お母様が私に構って下さることは珍しかったので、私はどこへ連れて行ってくれるのだろう、と無邪気に喜んでいました」


 フィリーネは顔を伏せてゆっくりと語った。

 フィリーネが語っているのは、彼女にとってとても重要な過去。

 帝国に疑問を覚えるきっかけとなった、その始まりの記憶だ。


「でも、お母様が連れて行って下さったのは――処刑場でした」


 そして、フィリーネの心に刻まれた、深い傷でもある。


「帝国に刃向かった咎で処刑されることになった思想犯でした。当時の私には難しいことは何も分かりませんでしたが、彼は帝国の現状に最期の最期まで異を唱え続けていました」


 そして、その男はフィリーネの目の前で首をはねられた。

 フィリーネはその時見た赤く染まった光景が忘れられないのだという。


「私は怯えてお母様にすがりつきました。でも返って来たのは恐ろしく冷たい声でした」


 ――余に逆らう者は皆ああなる。怖いか?


「私は答えることが出来ませんでした。正直、怖くて怖くて仕方がなかった。でも、本当に怖かったのは処刑場のあの光景ではなかったんです。私が怖かったのは……お母様です」


 それ以来、フィリーネは母親との距離を測りかねているのだという。


「お母様は圧倒的なカリスマをお持ちです。でも、一方でそれは恐怖にも支えられています。帝国も同じです。帝国に刃向かえば殺されてしまうから、だから多くの国から恐れられる。そんなことはもう、やめにしなければなりません」


 一度言葉を句切ると、フィリーネは顔を上げて私たちを見た。

 しっかりとした、力強い目で。


「誰かがお母様を止めなければならないのです。そして私は、その誰かになりたい」


 毅然と言い切るフィリーネの目に、もう迷いはなかった。


「お願いします。お母様を止めるために、二人の力を貸して下さい」


 切実な訴えに、クレア様が深く頷いた。


「ええ、もちろんですわ。レイもですわよね?」

「はい。微力を尽くします」

「ありがとう」


 ◆◇◆◇◆


「いよいよ、という感じですわね」

「そうですね」


 その日の夜、クレア様と私は寝室で同じベッドに入りながら話をしていた。


「メイやアレアのためにも、頑張りますわよ」

「私も、精一杯支えます」


 だいぶ遠回りになってしまったが、これでいよいよ帝国に来た本来の目的を果たせる。

 すなわち、帝国籠絡作戦である。

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