第十章 帝国国学館編入編

第127話 帝都ルーム

 ナー帝国という国は、バウアー王国の東に位置する。

 これまでに私たちと関わり合いのあった国々の位置関係を列挙すると、バウアーの西隣がアパラチア、南隣がスース、ロロはアパラチアのさらに西の砂漠地帯を越えたところにある。

 この位置関係からも分かるとおり、計画されていた連合軍の中で、帝国に一番近いのがバウアーなのだ。

 畢竟、リスクや負担が一番大きいのもバウアーということになる。


 連合軍の提案者はマナリア様だというから、バウアーだけに負担を強いることはないと思うが、外交というものは基本的に個人の感情など考慮するに値しない弱肉強食の世界である。

 マナリア様個人はどうあれ、国としてのスースがどう考えているかは分からない。

 もちろんそれはバウアーも同じことで、義理人情だけならバウアーは帝国の和平交渉を突っぱねて、三カ国連合軍をもって帝国と全面対決という選択肢もあった。

 しかし、バウアーの今の国力を鑑みれば、それはあまり賢い選択肢とは言えない。

 ひとまずの形でも、和平に応じる姿勢を見せるしかなかったのは、やむを得ざることだった。

 その辺り、三カ国連合の中で一番弱い所をついてきた帝国の外交は、非常に老獪だったと言うしかない。


 とまあ、バウアーにとって目の上のたんこぶである帝国なのだが、実際どんな国なのかというと、バウアー王国の国民は大体勘違いをしている。

 恐らく、民衆を搾取し軍備にだけ金を使うような、独裁国家をイメージしている人が多いのではないだろうか。


「……なんだか、イメージと違いますわね」


 ナー帝国帝都ルームへとやってきた私たちは、そこで馬車を降り、徒歩で帝城へと向かう途中だった。

 上のセリフは、道すがら帝都の町並みを見たクレア様の一言である。


「街には活気がありますし、軍人の姿はほとんど見えませんわね」

「まあ、ここは中央市場がある通りですからね。ここに活気がなければ、帝国は外国侵略なんてする余力はとてもないでしょう」


 呼び込みをする人も買い物をする客も表情は明るく、街は活気に満ち満ちている。

 立ち並ぶ店々では、様々なものが売られていて、帝都近隣の物産だけではなく、併合された国々の特産品も多く見受けられた。


「それに、行き交う人々の人種の多さに驚きましたわ。王国ではまず見ないような髪や肌の色の方もたくさんいますわね。しかも、特別酷使されているとか、隷属させられているような様子もありませんわ。他の市民たちと区別なく扱われているように見えます」


 これは黒目黒髪が基本の日本で育った私にも、少し目に新しい光景だった。

 もちろん、私にとってはバウアーも最初は異国情緒溢れる感じだったのだが、それを踏まえても帝国は行き交う人種が多様である。

 これには、帝国の政治における基本方針が大きく関係している。


「クレア様、帝国の政治方針の原則がなんだったか覚えていらっしゃいますか?」

「能力主義でしょう? 故ロセイユ陛下の政策と同じですわ」


 さすがは教養抜群のクレア様。

 近隣諸国の政治にも通じている。

 でも、それは間違ってはいないが、十分な正解とも言えない。


「帝国の能力主義は、バウアーのそれよりも徹底しているんです」

「というと?」

「帝国が様々な国を侵略・併合していることはご存知ですよね?」

「ええ」

「帝国は併合された国を属国化しますが、能力のある者は国籍を問わずに採用するんです」


 この方針は属国化された国の支配者層には蛇蝎のごとく嫌われているが、被支配層には意外に好意的に受け止められている。

 能力はあるのに日の目を見られなかった優秀な人材にとって、祖国の帝国への恭順はむしろ福音であることすらあるのだ。


「今の帝国の外務大臣も、元は属国化された北のラシャという国の出身だったはずです」

「外交を本国人出身者以外の者に任せていると言うんですの!?」

「はい。昔からこうだったわけではありません。ここまで徹底されたのは現皇帝の代になってから、ここ十数年の話です」


 元々、帝国は攻撃的な外交をする国ではあったのだが、そこにある種の合理性、統一性がもたらされたのは、現皇帝ドロテーアの代になってからのことである。


 ドロテーア=ナーは先代皇帝の第二皇女として生まれた。

 そう、現皇帝は女帝なのである。

 ナー帝国は代々嫡男がその帝位を継いできたが、ドロテーアは自らの才覚と暴力的なまでの政治手腕、そしてストイックなまでの合理性によって帝位を父から簒奪した。

 父を亡き者にした際、ドロテーアはこう言い放ったと言う。


 ――これが一番、手っ取り早かった。


 当時まだ七歳の発言である。

 もちろん、当時は後ろ盾となった大人がいたのだろうが、ただの神輿にしてはその後彼女が帝国に与えた影響が大きすぎる。


「恐ろしい話ですわね」

「でも、その能力は折り紙付きです。ドロテーアは政治的な手腕だけでなく、武人としての能力も抜きん出ています。ロッド様から聞いたでしょう? 彼女のいくつかある二つ名の一つは剣神です」

「スースの一個大隊を単独で敗走させたのでしたっけ。それは――」

「何一つ話を盛っていません。ただの事実です」


 ドロテーアはいわゆるカリスマなのだ。

 帝国は独裁国家ではあるが、君主であるドロテーアが有能なために、その形が揺らがない。

 聞いたことがないだろうか。

 無能な主権者による民主国家よりも、有能な君主の独裁国家の方が強い、という話を。

 私はこの説には反対だが、一部耳を傾けるべき部分があるとも思っている。


「ドロテーア様はそれほど怖い方ではありませんよ」


 私たちを案内してくれている帝国の男性が、苦笑しながら言った。

 その口調に咎める色はなく、よくある勘違いですよ、と諭し慣れている感じだった。


「確かにドロテーア様には物騒な逸話がたくさんあります。でも、直に話したことがある者は皆、ドロテーア様を好きになります。とても魅力的な方ですよ。みなさんもお会いになればきっと分かります」


 男性の口調には、親しみすらこもっていた。

 彼はドロテーアに謁見したことがあるのだろう。

 まるで友人のことを紹介するような気安さで、彼はそう言った。


「私もかつては帝国に反発していました。私は南のシシという国の出身です。帝国がシシを属国化した時は、デモや反対運動に身を投じましたが、すぐにそうした動きは消えました。シシの貴族たちよりも、ドロテーア様の治世の方が遙かに暮らしやすかったからです」

「だから恨んではいない、と?」


 クレア様は慎重に尋ねた。

 男性は笑って、


「ええ。むしろ感謝しています」


 と、そう言うのだった。


「そろそろ帝城が見えてきますよ」


 男性が指さす方を見ると、巨大な建物が姿を現した。


「あれが……帝城……」


 皇帝ドロテーアの居城――それはバウアーの王宮とは違い、それは城というよりも要塞のように見えた。

 権威を誇るよりも外敵に備えているような、そんな堅牢で遊びのない建物である。

 その威容は、まだ見ぬ皇帝の人となりを暗示しているかのようだった。


「言い忘れていましたね」


 男性は足を止めてこちらに向き直ると、こう言った。


「ようこそ、ナー帝国へ」

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