第114話 新米ママ

 これは一ヶ月ほど前――革命が起こってから一年と少しが経過した頃の話である。


「クレア様、忘れ物ないですか?」


 朝、玄関先で靴を履いているクレア様にそう言うと、じとっとした目を向けられた。

 はい、そんな視線も素敵です。


「レイ、あなたねぇ……わたくしを何歳だと思っていますの」

「もうすぐ十七歳ですね」


 クレア様の年齢を忘れるなんてことがあろうか、いやない。

 今から誕生日に何をするかをあれこれ妄想しているくらいである。


「そうですわ、十七歳。もう二人も子どもを育てている大人ですのよ?」

「知ってます。それはそれとして、ハンカチ持ちました?」


 老婆心ながら問うと、クレア様は面倒くさそうに答えてくれた。


「持ってますわ」

「ちり紙は?」

「持ってますわ」

「お弁当は?」

「持ってますわ」

「イケナイ薬入りですからね?」

「盛ってますわ!? 何してますの!?」


 ぎゃーっとクレア様がキレた。

 うん、今日も元気で大変結構なことです。


「冗談に決まってるじゃないですか。やだなあ」

「レイが言うと冗談に聞こえませんのよ……」


 クレア様がどっと疲れたような顔をする。


「クレア様、元気ありませんね? 朝からそんなことじゃダメですよ?」

「誰のせいだと思っていますの!?」


 私のせいです。

 わざとです。

 くふふ。


「あれー? クレアおかあさま、まだおしごといってなかったのー?」

「はやくしないとちこくしますわー?」


 玄関先でクレア様をいじっていたら、食事を終えたらしきメイとアレアが見送りにやって来た。


「二人とも、食器は片付けまして?」

「うん」

「はいですわー」

「よろしい。じゃあ、わたくしは行ってきますわね。レイ、二人をよろしく」

「かしこまりました。行ってらっしゃい」

「「いってらっしゃーい」」


 双子と一緒に揺れるくるくるカールを見送る。

 こういうことも、もう随分慣れた。


 クレア様と私は今は王立学院の教員をしている。

 二人して家を空けることも多いが、こうして片方だけ留守番になることも少なくない。

 今日はクレア様が出勤、私が留守番の日なのである。


「じゃあ、二人とも、歯磨きしよっか」

「うん!」

「はいですわ」


 私の言葉に、素直に頷いてくれるメイとアレア。

 今日はご機嫌がいいらしい。

 基本的には素直な子たちなのだが、最近わがままを覚えたらしく、クレア様と私を翻弄してくれる。

 もっとも、二人の生い立ちを考えれば、少しくらいわがままを言ってくれるようになったのは、むしろ喜ばしいことだと思う。

 そろって歯ブラシを動かすメイとアレアを見ながら、私はなんだか微笑ましい気持ちになった。


「レイおかあさま、しあげをおねがいしますわー」

「メイもメイもー!」

「はいはい。順番にね」


 カーペットの上に腰を下ろすと、まずアレアが飛び込んできた。

 顔を上にして笑いながら口を大きく開けた。

 綺麗に並んだ可愛い乳歯が見える。

 私は丁寧にそれを磨いていく。


「はい、アレアはおしまい。次はメイね」

「ありがとうございますわ」

「アレア、はやくどいてよー!」


 ほとんど押しのけるようにして、メイが膝にやってきた。

 メイはアレアよりも甘えん坊なのである。

 メイの歯も、丁寧に丁寧に磨いていく。


「はい、メイもおしまい。口をゆすいでおいで」

「うん!」


 メイも洗面所に駆けていく。

 とててて、という足音ですら愛おしく思える。

 基本的に手の掛からない子たちなので、至らない親としては非常に助かっている。

 恐らく、世の大半の親という人たちは、もっと大変な思いをしているはずだ。

 前世の話になるが、結婚して子どもが出来た友人たちは、口を揃えて毎日が戦争だと言っていた。

 今のところ、クレア様も私もそこまでの目には遭っていない。

 時々泣き叫んでこちらの言うことを何一つ聞いてくれなくなる、なんてこともあるが、そんなのは恐らく戦争の内には入らない。

 ただの日常だ。


「それとも、これからなのかな?」


 メイとアレアを家族に迎えてそろそろ一年になる。

 最初の頃の、光のない瞳をしたお人形のような二人からは想像も付かない程に元気になってくれた二人だが、まだまだこれからなのかもしれない。


「あ、メイってばー。レイおかあさまー、メイがおみずをこぼしましたわー」

「アレア、なんでいうの! メイ、じぶんでふけるもん! いじわるー!」


 と、そんなことを思っていた側から、ちょっとしたトラブル発生のようだ。

 私は雑巾を二枚掴むと、洗面所に向かった。

 見ると、床が少し濡れているのを、メイが手拭きで拭こうとしていた。

 私と目が合うと、少しばつが悪そうにしている。


「メイ、ちゃんと後始末が出来て偉いね」

「うん!」

「でも、床を拭く時は、手拭きじゃなくて雑巾を使おうね」

「う……ごめんなさい」

「ううん、これから覚えていけばいいことだよ。ほら、一緒に拭こう?」


 片方の雑巾をメイに手渡すと、メイは一生懸命床を拭きだした。


「メイばっかりほめられて、ずるいですわー」

「じゃあ、アレアも拭いてみる? もう一枚あるよ」

「やりますわ! メイ、きょうそうですわよー!」

「まけないもん!」


 何やら張り合いだした二人の様子にまた笑いがこみ上げてくる。

 アレアはクレア様に似て気が強く、事あるごとにメイと張り合っている。

 血の繋がりがなくとも、親と子は似通ってくるらしい。


「きれいになりましたわー」

「なったー!」

「うん。ぴかぴかだね。二人とも、よく出来ました」


 二人の柔らかな髪を撫でる。

 メイもアレアも嬉しそうに目を細めた。

 めでたしめでたし……で、終わるかと思いきや、


「どっちがじょうずにふけましたのー?」

「どっちー?」

「えええ……」


 ジャッジを迫られた。

 冗談かと思いきや、二人は真剣である。


「二人とも上手に拭けました、でいいじゃない」

「いやですわー! どっちがじょうずだったかきめてくださいなー!」

「どっちー!?」

「えええ……」


 困った。

 子どもの感性は、時々よく分からない。

 しかも、こういう時に子どもだからといって適当なことを言うと、後々痛い目を見ることが多い。

 まだ長いとは言えない子育て経験の中で、私はそれを知った。


「うーんとね、雑巾のかけ方ってどういう基準で上手・下手になるか知ってる?」

「しりませんわー」

「しらなーい」


 単純に返事をせず、少し目先を変えてみる。

 私は続けた。


「まずは丁寧さ。どれだけ綺麗に拭けたか、が一つのポイントだね」

「「……」」

「そういう意味だと、今回はアレアの方が綺麗に拭けてる」

「じゃあ、わたくしのかちですわね!」

「えー!」


 アレアの顔がぱっと輝き、メイは唇を尖らせて不満を露わにした。


「でも、どれだけ広くの範囲を拭けたかっていうポイントもあるの。そっちの意味では、メイの方がたくさん拭けてる」

「やったー!」

「えええ……」


 今度はメイが喜び、アレアがぶーたれた。


「だから、一対一で引き分け」

「「えー!」」


 今度は二人からブーイング。

 やれやれ。


「不満?」

「ふまんですわー」

「なっとくいかなーい!」

「じゃあ、私がいい加減に勝ち負け決めちゃっていいの?」

「……それはいやですわ」

「いやー!」

「でしょう? だから、引き分け。二人ともよく頑張りました」


 もう一度、二人の頭を撫でる。

 二人はまだ難しい顔をしている。


「さ、お庭で遊んでおいで。私はお掃除しちゃうから。レレアー?」


 私が呼ぶと、廊下の奥から半透明な不定形の生物がのそのそとやってくる。

 ウォータースライムの従魔であるレレアも、だんだん大きくなって来た。

 今はもう標準形態で大型犬くらいの大きさがある。

 ポーチに入れて餌をやっていた頃が懐かしい。


「レレア、せなかにのせてくださいなー」


 アレアがそう言うと、レレアが腕(?)を伸ばして彼女を自分の上に乗せた。


「メイものりませんことー?」


 アレアがメイを誘った。

 まだ少しさっきのことを引きずっている様子だが、仲直りのつもりなのかもしれない。


「のる! レレア、おねがい!」


 メイも素直に頷いた。

 レレアはメイも軽々と持ち上げて、自分の上に乗せた。

 そのまま、玄関から庭へと出て行く。


「レレア、もっとはやくですわー」

「みぎよ、みぎ!」


 レレアはメイとアレアの一番の友達である。

 近所の同年代くらいの子ともよく遊んでいるが、それよりもレレアといる時間の方が長い。

 これはいいのか悪いのか、まだ私には判断がつかない。

 そのうち、クレア様と相談した方がいいのかもしれない。


「ま、なるようになるでしょ」


 子育ては常に手探りだ。

 ある程度の諦めも必要だと私は思う。

 完璧な親には、誰もなれない。


「子どもの頃は、こんなこと思いもしなかったけどね」


 子どもを育ててみて、初めて分かることもある。

 この世界に来たことを後悔したことはない。

 でも、本当の両親に育ててくれたことのお礼を言えないのは、少し残念だな、と私は思った。


「うわーん!」

「レイおかあさまー! アレアがころんじゃったー!」

「はいはい、今行くよー」


 やれやれ、センチメンタルに浸る暇もない。

 でも、そんな今の忙しさが、私は結構気に入っているのだった。

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