番外編3.甘いお酒

※エピローグ後のお話です。


「ふう……」

「お疲れ様ですわ、レイ。二人はもう寝た?」

「ええ、ぐっすり」


 時間は夜の二十一時を回ったところ。

 メイとアレアを寝かしつけてから、私はリビングへと戻ってきた。

 リビングのテーブルでは、お風呂を終えて寝間着に着替えたクレア様が、一人で飲み物らしきものを飲んでいた。

 一リットルくらい入りそうなボトルに入った、金茶色の液体である。


「クレア様、それは? ジュースの類いは切らしていたと思うのですが」


 明日、市場に買いに行こうと思っていたのだが。


「これですの? お酒ですけれど」

「!?」


 さらっと言ったクレア様に、私は仰天した。

 お酒?

 お酒って言った、今?


「ちょっとクレア様。お酒なんて飲んじゃダメですよ!」

「どうしてですの?」

「どうしてって……。私たちまだ二十歳前じゃないですか」

「? そうですけれど、それがどうかしまして?」


 顔に疑問符を貼り付けたクレア様の様子を見て、私は思い出した。

 そう言えば、この国では十五歳から飲酒が可能だった。

 ということは、クレア様も私もお酒を飲んでも法的には問題はない。

 それどころか、アルコールは種類によっては水よりも安い。

 クレア様が飲んでいるお酒は、そこそこ上等そうだが。


「ランバートが日頃のお礼にとくれましたのよ。飲みやすくてなかなかいいお酒ですわ」

「はあ……。でも、あんまり飲み過ぎないで下さいよ? 健康にはあまりよくありませんから」

「節度は弁えていますわ」


 恐らくだが、クレア様は貴族同士の付き合いやパーティーで、法的年齢よりも早くからお酒を嗜んでいたに違いない。

 今世の私なんかよりはきっと、加減は分かっているだろう。


「おつまみでも作りましょうか?」

「そんなことはいいから、レイも一緒に飲みましょう」


 クレア様がそう言うので、私もグラスを取り出してきて一緒に座る。

 お酒は蜂蜜酒のようだった。

 クレア様が手ずからグラスに注いでくれる。


「乾杯ですわ」

「乾杯」


 グラスを合わせてから、私も恐る恐る口にする。

 蜂蜜酒といっても、別に甘いわけではない。

 発酵の過程で糖分は分解されてしまうからだ。

 味としてはビールが一番近いだろうか。

 フレーバーが甘いので、純粋なビールとはまたちょっと感じが違うのだが。

 しかも、この蜂蜜酒にはどうやら香辛料が入れられているようだった。

 味わいと香りからするにシナモン辺りだろう。

 クレア様が言っていたように、非常に飲みやすい。

 シンプルに美味しいお酒と言えた。


「どうですの?」

「美味しいですね。確かに飲みやすいです」

「そうでしょう? 貴族時代に贔屓にしていた酒蔵のものを、レーネが覚えていてランバートに渡してくれたそうですの」

「なるほど」


 さすがレーネ。

 メイドという立場ではなくなっても、彼女は一生、クレア様を主人と仰ぐに違いない。

 彼女の心遣いに感謝しつつ、そのまましばし杯を重ねる。


「ねえ、レイ。……幸せですわね」

「クレア様?」


 夢見るような口調で、クレア様が言った。

 突然どうしたのかと私がクレア様を見ると、クレア様は満面の笑顔で笑っていた。


「メイがいてアレアがいて、そしてレイがいて……。毎日が本当に夢のようですわ」

「夢じゃありません。クレア様が勝ち取った今です」

「みんなで、ですわよ。そこをはき違えてはいけませんわ」


 お酒が回っても、クレア様は聡明なままだ。

 今のこの幸せを、自分一人のものだとは思っていない。


「教師の仕事は、どうですか?」

「やりがいがありますわね。子どもたちの、まあ言うことを聞かないこと聞かないこと」


 言っている内容とは裏腹に、クレア様の口調は楽しげだった。

 今、クレア様と私は、王立学院で教師をしている。

 生徒は貴族の子女層から、一般市民から選ばれたエリートに変わったので、王立学院も様変わりをしている。

 教える内容も、教養や作法偏重から魔法の比重が大きくなった。


「口にすれば何もかもが思い通りになっていた貴族時代とは大違いですわ。でも、そこが面白いと思いますの」

「そうですか。良かったです」


 クレア様の場合、プライドが邪魔をして上手く行かないかもしれない、と密かに私は危惧していたのだが、そんなことはなかったようだ。

 クレア様はクレア様なりに、今の仕事にやりがいを感じているらしかった。

 それはとても喜ばしいことだと思う。


「レイはどうですの? 今の生活に満足していまして?」

「クレア様がいらっしゃるのですから、これ以上なんて望めませんよ。メイとアレアもよく懐いてくれるようになりましたし」


 いっときは死別を覚悟したほどなのだから、クレア様が生きてこうして一緒にいてくれること以上に望むことは何もない。

 最初はなかなか懐いてくれなかったメイとクレアも、今はすっかり打ち解けている。

 クレア様の言うとおり、今は本当に幸せだ。


「よかった。でもわたくし、一点だけ不満がありますの」

「おや。なんですか?」


 私が尋ねると、クレア様はグラスを置いて、拗ねるような顔をした。


「レイってば、最近わたくしに対して積極的じゃないんですもの」

「ぶほ」


 むせた。

 クレア様が何を言ったのか、耳では聞き取れたつもりだったが頭の理解が追いつかなかった。

 今、クレア様はなんと言った?


「失礼ですが、もう一度聞かせて頂けますか?」

「だーかーら! レイが最近、わたくしを構ってくれないのが寂しいと言っていますの!」


 今度こそきちんと聞き取って理解もしたが、クレア様の言葉とは思えなかった。

 気位の高いあのクレア様が……構って欲しい?


「クレア様……ひょっとして酔ってらっしゃいます?」

「酔ってなんかいないですわよ!」


 私の疑念をクレア様は否定したが、顔は真っ赤だし何より言動がもう怪しい。

 そもそも、酔っ払いほど自分は酔ってないと言うものだ。


「クレア様、何杯飲みました?」

「ボトル半本くらいですわよ。これくらいじゃ酔ったりしませんわ」


 私はボトルを確かめると、既にほぼ空だった。

 私は二、三杯しか飲んでいないので、八割方クレア様が開けたことになる。

 クレア様は現状認識すら危うくなっている。


「クレア様、お酒はここまでにして、もうやすみましょう」

「やーですわ。もっとレイとお喋りします」


 グラスを取り上げようとした私の手をかわして、クレア様はまた一口蜂蜜酒をあおると、拗ねたようにそう言った。


「クレア様……」

「学院時代のレイはもっと積極的でしたわ。わたくしにまとわりついて、クレア様クレア様って本当にかわいかったのに」


 なにやら言い出した。

 これ、今のうちに私が止めないと、あとでクレア様が羞恥で死ぬやつではないだろうか。


「ねぇ、レイ。わたくしのこと、好き?」

「好きですよ」

「本当に?」

「嘘偽りなく本当です」

「ふふ……そう?」


 クレア様はとろけるように笑った。

 やばい。

 いつもの勝ち気な笑みも大好きだが、たまにしか見せてくれないそういう表情は反則だ。

 私は自制心を必死に保った。


「ほら、クレア様。ベッドに行きましょう」

「やーですわ。もっとレイといちゃいちゃしますの」

「……」


 なんだこの可愛い生き物。

 いや、クレア様は普段からお可愛らしいが、今日のクレア様はちょっとどうかと思うほど可愛いすぎる。

 私だってお酒を飲んでいる。

 いつもよりも理性のたがが緩んでいるのだから、このままだと間違いが起きかねない。

 クレア様とはとっくに深い仲だが、酒に酔った勢いでいたしてしまうというのはなんだか躊躇われた。


「レーイ?」

「はい」


 鼻に掛かった甘ったるい声で私を呼ぶクレア様。

 私はだんだん自分を抑えるのが難しくなってきた。

 もう、可愛いなあ。


「ねえ、キスして下さる?」

「……クレア様、そこまでです。これ以上誘惑されると、耐えられる自信がありません」

「どうして耐える必要がありますの? レイはわたくしのもの、わたくしはレイのものでしょう?」


 かくり、と首を傾げるそんな仕草まで小悪魔的で。

 そろそろ理性が限界である。


「クレア様、いいですか。私はクレア様が大好きなんですよ?」

「ふふ、嬉しいですわ。わたくしも大好きよ」

「だから……。そういう可愛いことばっかり言ってると、私の理性が危ういんですってば」

「うふふ、そうなの? 嬉しいわ」


 艶然と笑うクレア様。

 もう知らない。

 私は悪くない。

 クレア様が可愛すぎるのが悪い。

 私は席を立つとクレア様のそばにひざまずいて手を取った。


「クレア様、抱いてもいいですか?」

「ふふ、やっとその気になって下さったのね。ええ、喜んで」


 そういうと、クレア様の方から口づけてきた。

 私はそれに応えながら、魔力で腕力をブーストすると、クレア様の華奢な身体を抱え上げた。


「ベッドに行きますよ」

「……ええ」


 後はもうピンクな時間を思うさま過ごすだけ。

 そう思っていたのだが、


「あ」

「あ」

「……」

「どうしましたの、レイ? 早くわたくしを連れて行っ……!?」


 子ども部屋からこちらを覗く、二組の視線と目が合った。


「みつかっちゃったよー、アレア」

「みつかってしまいましたわねー、メイ」


 メイとアレアは悪びれもせずにそう言った。


「二人とも……。寝てなかったの?」

「だって、レイおかあさまとクレアおかあさまの、たのしそうなこえがきこえたんだものー」

「おふたりがなかよしなさっていたので、ふたりでみまもってさしあげていましたのー」

「……! ……!」


 しれっと答えたメイとアレアの言葉を聞いたときの、私の心境は察して欲しい。

 クレア様などもう、悲鳴が言葉になっていない。


「それでレイおかあさま、つぎはなにをするのー?」

「しんしつであそぶんですのー?」


 欲望に支配されかかっていた頭が、急速に冷えていく。

 おそらく、クレア様の酔いも一発で醒めたことだろう。


「何もしないよ。一緒におやすみって言って寝るだけ」

「そうなのー?」

「つまらないですわー」

「ほら、だから二人もお休み。夜更かしすると、明日たくさん遊べなくなるよ?」

「それはいやー」

「わたくしたちはいいこですので、ちゃんとねますわー」


 そう言うと、二人は大人しく布団に潜り込んでくれた。

 ほっと一安心したいところだが、私にはまだやることがある。


「クレア様……」

「~~~!」


 腕の中で頭を抱えているクレア様のフォローである。


「酔いは醒めましたね?」

「……ぇぇ」


 消え入るような声が聞こえた。

 本当に穴があったら入りたい、私も。


「クレア様、一つルールを新しく決めましょう」

「同意致しますわ」


 私たちの家にはいくつかルールがある。

 日々の生活を送るための何気ない決まり事だ。

 今夜、そこに新たな一行が付け加えられた。


 すなわち――お酒はほどほどに。

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