第54話 物語でなくとも
「ちょーっと待った!」
私が式場に着くと、マナリア様が今まさにクレア様にキスをしようとしているところだった。
慌ててストップをかけたが本当に間一髪だった。
みなの視線が私に集まる。
その表情が一様に驚きに変わった。
それもそうだろう。
私は全身ズタボロだったからだ。
「遅いわよ、レイ」
「いや、ちょっと手間取っちゃってさ」
はらはらした、と言わんばかりのミシャに軽く謝ってから、クレア様とマナリア様の間に割って入る。
「逃げ出したわけじゃなかったんだね。そこだけは認めよう」
マナリア様が不満そうな顔をして言う。
「だーれが逃げますか。絶対に負けないって言ったでしょう?」
べーっと舌を出して威嚇しつつ、クレア様の手を引いて二人を離す。
クレア様は複雑そうな顔で私を見ていた。
「あなた……」
「クレア様、安心して下さい。クレア様は渡しませんから」
鼻息も荒くクレア様に宣言する。
「そう言われても、もう勝負はついてるよ。キミがどんな供物を持ってきたか知らないけど、ボクの供物はフロースの花だ。これ以上の供物はないんだろう?」
そう言って、マナリア様は光を放つ花を掲げた。
「例えキミがフロースの花を持ってきたとしても、それなら早い者勝ちだ。勝者はボクで動かな――」
「私の供物はこれです」
マナリア様を遮って、私はカバンから「それ」を取り出した。
「なんですのそれは……枝?」
クレア様が呟いた通り、私の供物は木の枝だった。
一見、なんの変哲もない枝である。
「そんなものしか手に入らなかったのかい?」
「いいえ、これをずっと探していたんです」
マナリア様をはじめ皆が不審がる中、私は自信たっぷりに言った。
「捧げてみれば分かりますよ」
さあ、と私はマナリア様を促した。
クレア様が心配げな様子でこちらを見ているが、私は大丈夫ですよと力強く頷く。
「いいとも。なら捧げてみようじゃないか」
そう言うと、マナリア様は恋の天秤の前に進み出た。
恋の天秤は古めかしい木製だが、作りはしっかりとしている。
華美ではなく優美と言える装飾が施されたそれは、まさに神が遣わしたと伝えられる神器に相応しい貫禄を備えていた。
「では、ボクから。我が心の内を、神の裁きの下に」
少し芝居がかった仕草でアモルの詩の一節をそらんじてから、マナリア様はフロースの花をうやうやしく天秤に捧げた。
天秤に捧げられた花は一層まばゆい光を放った。
伝説に謳われるに相応しい供物である。
天秤が大きく傾く。
「次は私ですね。捧げます」
特に伝説にある台詞を謳うこともなく、私は枝を天秤に捧げた。
天秤は微動だにする気配がない。
「やっぱり、ボクの勝――」
と、マナリア様が言いかけたその時、辺りに地鳴りが響き渡った。
「地震!?」
辺りは騒然となったが、地面は揺れていない。
揺れているのは、恋の天秤だった。
「なんだ?」
誰かが怪訝な声を上げた。
見ると、枝から新芽が芽生えていた。
それだけではない。
次々に根が生え、枝はみるみる生長し、瞬く間に大樹となった。
天秤が大きくこちら側に傾く。
「フロースの花が負けた……? この枝は……一体……?」
呆然と呟くマナリア様に、私は言った。
「連理の枝、と言います」
白居易の長恨歌にあるそれとは若干異なる。
連理の枝は、この式場がある森の奥深くに生息する連理の木という強力なモンスターが落とすレアドロップアイテムである。
連理の木は魔法が効きにくい非常に強いモンスターなのだが、実は弱点がある。
スライムの溶解液で腐食するのだ。
私は従魔であるレレアに手伝って貰って、連理の木をひたすら狩り続けていたのだ。
枝をドロップしたのは、本当につい先ほどのことだったのだが。
「フロースの花が最上の供物じゃなかったのか……?」
「今まで知られていたものの中では、確かにフロースの花が一番です。でも、私はそれよりも良い供物を探していたんですよ」
みなさんすでにお気づきのことと思うが、これはゲームの知識のたまものである。
Revolutionでも、この恋の天秤のエピソードがある。
基本的にフロースの花を入手出来ればそれでOKなのだが、連理の枝を捧げると特殊スチルを見ることが出来る。
つまり、連理の枝は隠しアイテムなのだ。
ゲームの知識を利用して勝ったことに、反感を覚える人はいるだろうか。
おそらくいるだろう。
私だって、最初はこの連理の枝の知識を使うつもりはなかった。
転生という特異な事情で知っていることを、恋愛に持ち込むのはなにか卑怯な気がしたのだ。
それはたとえ憎きマナリア様が相手であってもだ。
でも、私は気づいた。
いや、気づかされたというべきか。
そんな綺麗事を言っていたら、恋には勝てない。
恋は戦争と歌った曲が前世にあったが、まさにそれだ。
恋は問答無用なのだ。
本当にクレア様を手に入れたいなら、なりふり構っていてはダメなのだ。
だから私は、自分自身に課した禁忌をあえて犯した。
私はどうしてもクレア様に想いを示したかった。
「クレア様」
「……?」
私はまだ呆然としているクレア様に呼びかけた。
姿勢を正し、その瞳をひたと見つめて言う。
「ホントはこんな勝負どうだっていいんです」
「え……?」
クレア様の瞳が不安そうに揺れた。
でも違う。
私が言いたいのはそういうことじゃない。
「私には物語のような恋は出来ません。ご存じの通り、茶化さないと大事なことすら言えなかったりします」
でも、と私は続けた。
「たとえ神様の天秤に認められなくても、それでもあなたを愛します。誰に負けようとも、それでもずっとあなただけを愛し続けます。だから――」
私はクレア様の前に跪いて、その手を取ると――。
「メイドではなく、私をあなたのパートナーにして下さいませんか?」
物語の一節ではなく自分の言葉で、私は初めてクレア様から愛されることを望んだ。
「……あなたって人は……」
クレア様の目に涙が浮かんだ。
それがどんな種類の涙なのかは分からない。
でも――。
クレア様は微笑んでいた。
「あっはっは! いやー、負けた負けた!」
いい雰囲気になりかけた所に、マナリア様の陽気な笑い声が響き渡った。
「マナリア様。今、いいところなんですから空気読んで下さいよ」
「やだ。やっぱりボク、キミがいい。最高だよ」
マナリア様はそう言うと私にハグをした。
「ちょっ、マナリア様」
「やー、いいないいなとは思ってたけど、まさかこれほどまでとはね。うんうん、キミこそボクの伴侶に相応しい」
何か言い出したぞ、この人。
「お、お姉様、それはどういうことですの……?」
「やー、ごめんね、クレア。ボクの目的は最初っからレイだったんだよ。レイの反応が楽しくて、ついクレアをつついていじめちゃった」
てへ、とマナリア様は舌を出して笑った。
そういえば、と私は今頃になって設定資料集の内容を思い出した。
ゲームのマナリア様は、主人公に懸想しているということだった。
マナリア様が主人公の味方をしてくれる理由はそういうことだったのだ。
この世界のマナリア様はあんまりにも私に感じが悪いので、すっかり忘れていた。
「ちょっと、マナリア様。離して下さい」
「やだ。このままスースに連れて帰る」
「お断りです!」
「うんうん、嫌がるところがまた一段と可愛らしいね。そんなキミが好きだよ」
そう言うとマナリア様は、そのまま唇を寄せてくるという暴挙に出た。
「ちょ、やめ――」
マナリア様が今まさに私の唇を奪おうとするその時だった。
「ダメーーー!!!」
悲鳴のような大きな叫び声が、人混みを割って式場に大きく響き渡った。
「レイはわたくしのものよ! わたくしのものを取らないで!」
その声に誰より驚いたのは、他ならぬ私だった。
声の主はなんとクレア様だったのだ。
一同、唖然。
「ク、クレア様……?」
私がおずおずと声をかけると、クレア様は今更ながらに自分が口走ったことの意味を理解したようだった。
「ち、違いますわ! 今のはそういう意味じゃなくて――!」
「クレア様ー!!!」
私はこみ上げてくるものを抑えきれず、思わずクレア様を抱きしめていた。
「ちょっと、お離しなさい!」
「嫌です! 愛してます、クレア様!」
私は嬉しくて嬉しくて、クレア様を抱きしめて離さなかった。
「私は嫌いですわよ! はーなーしーなーさい!」
「わたくしのものって言ったじゃないですか!」
「うるさいですわ! 忘れなさい!」
ぎゃーぎゃーと言いたいことを言い合う。
こういうのも久しぶりだ。
「マナリア様、失礼ですけれど、勝負あったと思いますよ?」
「うーん、そうみたいだねー」
ミシャとマナリア様が、私たちのじゃれ合いを見てそんなことを言った。
「同性との恋は茨の道。レイとクレアには、もっと幸せな恋をして貰いたいとこなんだけど――」
「けど?」
ミシャが続きを促す。
「けど、まあいいさ。あの二人は後悔のある恋なんてしそうにないからね」
そう言って、マナリア様はなにか吹っ切れたように破顔した。
「はーなーしーなーさい!」
「いーやーでーす!」
クレア様と私は、マナリア様とミシャの会話などてんで耳に入っておらず、久しぶりに存分にじゃれ合った。
でも、私の心は今までになく満たされていたことは言うまでもない。
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