第四章 恋の天秤編
第45話 アモルの詩
「ちょっとあなた。私に日焼けをさせるつもりですの? 日傘がずれていますわよ?」
初夏の夕方。
かげってはきたもののまだまだ強い日差しの中、すぐ隣を歩くクレア様が不機嫌そうにそんなことを言った。
今は学院騎士団の仕事を終え、寮に戻る最中である。
「あ、申し訳ありません、クレア様。ちょっとクレア様をガン見しすぎて、手元が狂いました」
私は慌てて日傘の位置を修正した。
クレア様の玉のお肌にシミでもついたら大変である。
この世界にはチョコラ○Bもないわけだし。
「そのがんみとやらが何か知りませんけれど、仕事はきちんとして頂けるかしら」
「申し訳ありません」
「……ふん」
ぷいっとそっぽを向くクレア様。
はい、ふくれっ面もとっても愛らしいです。
とはいえ、普段ならばもう一言二言お小言が飛んできてもおかしくないのだが、最近のクレア様はちょっと元気がない。
やはり、長年そばに仕えてきたレーネがいなくなってしまったことは、確実にクレア様の心に影を落としている。
私としては、クレア様に元気になって欲しいのだが、どうやったらそれが実現出来るかを考えあぐねている。
「クレア様」
「なんですの?」
「学院が終わったら、何か甘い物でも作りましょうか」
「なんですの急に。別にいりませんわよ」
「クレア様の大好きなクリームブリュレでも?」
「……あれはレーネに上げたレシピでしょう」
沈んだ声で言うクレア様。
私としたことが、励ますつもりでやぶ蛇になってしまった。
これはいけない。
「クレア様」
「なんですの」
「元気出して行きましょう」
「わたくしは別に元気ですわよ」
そう言って再びぷいっと顔を背けるクレア様だが、明らかに強がりである。
これはどうしたものかと思案するものの、何も名案が思い浮かばない。
「クレア様」
「なんですの」
「ハグしていいですか?」
「はあ!?」
しまった。
あまりにも何も思い浮かばなさすぎて、単なる煩悩が口をついて出てしまった。
「いいわけないでしょう。主人にハグを求める従者がどこにいますの」
「え? ここに?」
「だから不思議そうな顔するんじゃありませんわよ!?」
でも、不幸中の幸いというか何というか、ぷりぷり怒るクレア様はつい先ほどよりは幾分元気が出てきたように見えた。
よし、この流れなら言える。
「クレア様」
「なんですの。……って、このやりとり三回目ですわよ?」
「好きです」
「はいはい。わたくしは嫌いですわよ」
おざなりにあしらわれてしまった。
「おかしいですね。今の流れならいけると思ったのですが」
「どこをどうしたらそんな発想になりますの!? 大体、いけるってなんですのいけるって!」
「え、それを言わせるんですか? やだクレア様。いやらしい」
「あなたが言い出したんですのよ!?」
うんうん。
調子が出てきた出てきた。
そんな風にクレア様を叱咤激励(?)している内に、何事もなく寮へついた。
いや、平民運動事件の時のようなことが、そうそうあって貰ってはたまらないが。
寮のクレア様の部屋までご一緒し、鍵を開けて中に入る。
荷物を下ろして片付けを済ませていると、私はふとドアに取り付けられた手紙受けに何かが入っているのを見つけた。
郵便物のあらためや選別も従者の仕事である。
封蝋の紋章には見覚えがあった。
もちろん、この世界では初めて見る紋章なのだが、Revolutionマニアの私には差し出し人はおろか、手紙の内容すら見当がつく。
「あの人」が来る。
「クレア様、お手紙が届いております」
「差出人は?」
「マナリア=スース様です」
「! お姉様から!?」
クレア様はつかつかと私に歩み寄ると、奪い取るように封筒を受け取り差出人をあらためた。
「開けてちょうだい」
「かしこまりました」
差し出された封筒を銀のペーパーナイフで丁寧に開封する。
中には一枚の便箋が入っていた。
そのままクレア様に手渡す。
「……」
便箋を見つめるクレア様のまあ嬉しそうなこと。
「お姉様」という呼称からお察しのことと思うが、手紙の差出人であるマナリア様という方を、クレア様はいたく慕っているのである。
マナリア様がどんな方なのかは、近いうちにご本人が登場するはずなのでその時におわかり頂けることと思う。
「クレア様、食堂に移動しませんと」
「先に行きなさいな。わたくしはこの手紙を読んでからにします」
「でしたら、私も待ちます」
「……」
クレア様は手紙を夢中で読んでいる。
さながら想い人からの恋文でも読んでいるかのようだ。
私は胸の奥からなにやら不穏なものが頭をもたげるのを感じていた。
「お姉様が……学院にいらしているのですね」
やがて読み終えたのか、クレア様は熱っぽい口調でそんなことを呟いた。
黙っているのも不自然なので、私は口を開く。
「お姉様とは、そのマナリア様という方のことですか?」
「そうですわ。スース王国の第一王女様ですのよ。わたくしの憧れの女性ですわ」
「はあ」
「バウアー王国への留学ということで、学院にいらっしゃってるそうですの。お手紙は連絡が遅くなったことのお詫びでしたのよ」
「へー、そうですか」
「今、なにか棒読みというか、不満そうな声を出してませんでしたこと?」
「気のせいです、クレア様」
私はクレア様の幸せを第一に願っている。
別にクレア様が誰に想いを寄せようと構わないのだ。
……と、頭では分かっているものの、気持ちはやはり穏やかではない訳で。
「そろそろ食堂に参りましょう、クレア様」
「そうですわね。ああでも、胸が一杯であまり食べられないかも知れませんわ」
「あ、そうですか。早く行きましょう」
「あなた、やっぱり何か不満そうですわね?」
「いーえ? 別にー?」
全然気にしてませんよーだ。
つーん。
「ひょっとして妬いてるんですの?」
「はい」
「即答!?」
だってねぇ。
「私はクレア様をお慕いしていると申し上げたではありませんか」
「その冗談でしたら聞き飽きましたのよ?」
「どうしたら本気だと分かって頂けるのですか?」
「どうしたって無理ですわよ……。ああでも――」
クレア様はそこで一旦言葉を切ると意味ありげに笑って、
「フロースの花を天秤に捧げて下さる? その時、あなたの想いの真実は示されるでしょう」
らしくない乙女のような口調で、謳うようにそう言った。
「アモルの詩ですか」
「あら、知っていたんですのね」
アモルの詩とは、バウアー王国に古くから伝わる伝説のことである。
伝説の内容はこうだ。
ある背の高い男と背の低い男が一人の巫女に恋をした。
男たちはいずれも国の有力者で、互いに自分の方が女を想っていると競い合った。
男たちが恋にうつつを抜かしている内に、国の政治が乱れた。
男たちが争いをやめるように巫女が神に祈ると、神は一つの天秤を授けこう告げた。
「天秤に供物を捧げよ。天秤が指し示す者が、お前の夫となる者である」
神が示した天秤の采配により、背の低い男が巫女の夫となり、恋に破れた背の高い男は優れた王になったという。
クレア様がそらんじたセリフは、巫女が神の天秤を示して男たちに言った言葉である。
「クレア様もああいう物語を好まれるのですか?」
「嫌いではありませんわよ? ロマンチックじゃありませんの」
マナリア様がいらしたという良い知らせの余韻か、クレア様はどこか浮かれたように言った。
「私も恋物語は嫌いじゃないですけど、アモルの詩はあまり好きじゃありませんね」
「あら、どうしてですの?」
首をかしげるクレア様。
可愛いなあ。
「だって、巫女が最初から選べばいいだけの話じゃないですか。それを男たちに競わせるなんて、悪女ですよ悪女」
「それは違いますわよ」
分かってないなあとでも言いたげな表情で、クレア様は続けた。
「巫女はきっと選べなかったんですわ。本当の恋に落ちたら、誰がどのくらい好きかなんて、簡単に割り切れるものではきっとないんですわ」
夢見がちな少女のようなセリフだった。
「自分が誰をどれくらい好きかなんて分からない。出来ることなら誰かに教えて欲しい。恋する者の切なる思いが、この詩には込められているに違いありませんの」
クレア様が突然詩人になってしまった。
いや、クレア様はもともと詩学にも長けていらっしゃるけども。
「クレア様」
「なんですの……って、今日何度目ですのよ、このやりとり」
うんざりした様子で、それでも律儀に反応してくれるクレア様に、私は――。
「お腹がすきました」
と忌憚ない感想を述べた。
「あ・な・た・と・い・う・人・はー……!」
瞬間湯沸かし器のように顔を真っ赤にしたクレア様だったが、すぐにがっくりと肩を落とすと、
「まあ、あなたのように恋心を冗談めかす人には分からない機微ですわね」
と言って、部屋のドアをくぐって行ってしまった。
「冗談じゃないんですけれどねー」
その後を追いかけながら、私は独りごちた。
今日も私の思いは、クレア様に届かない。
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