エピローグ 想定外の事態

 カドがガグの黄泉路に着いた頃、冒険者と自警団の集団は撤退を始めていた。


「おっと、あれは……?」

「ふん。冒険者たちの分隊――」

「はいはい、それはともかくこれでも被ってください」

「くわっ!?」


 第二層に向かった冒険者と自警団はその半分がこの境界で罠にはめられ、残りは情報に踊らされた形だ。心穏やかではないだろう。

 彼らにもハルアジスの姿を見られれば面倒が起こりかねないので、カドは自分のローブを無理やりに被せて近づいていく。


 この境界をユスティーナと共に守ったカドの姿を見れば、彼らも付き添いが一人いるくらいでは不審がることもなかった。


「どうも。こちらの戦闘は終わったんですか?」

「き、君か。ああ。戦闘自体は終わった。結局、我々は何もできなかったな」

「まあ、そういうこともありますよ。相手の出方を伺いきれなかったわけですしね。ところで、ドラゴンさんとリリエさんはどこですか?」

「天使なら境界の入り口で君を待つと言っていた。すぐにわかるだろう」

「はい、どうも」


 やはりこちらの戦闘は終わっていたらしい。

 ならば、エワズは大蝦蟇を誘導して辺境遠くへ移動。境界を跨いでいることもあって連絡不能だった――そんなところだろうか。いずれ、連絡可能な限界範囲も調べて損はなさそうだ。


 ひとまず必要な情報は得た。

 彼らも早く拠点へ戻りたいであろうからカドは早めに話を切り上げる。


 負傷した仲間に肩を貸してとぼとぼと歩く彼らを見送ったあと、カドはハルアジスに目を向けた。


「そういえばハルジジイさん」

「貴様、子供じみた挑発をしおって……!」

「すみません、なんとなく慣れ親しみにくくって」


 これでも恨みがあるといえば違いないので、お互いに憎まれ口を叩き合うくらいがむしろ心地良い。

 眉間に皺を寄せて睨まれるものの、カドはすんなりと受け流して続ける。


「こちらではアジトのダミーを置いたのと、境界にレイス召喚や毒ガスの罠を仕掛けたんですよね? あと、大蝦蟇に対しては何をしたんですか?」

「ふん、知れたことよ。不治の呪詛と同種の痛みを与え続ける呪いを与えた。あれはあくまでクラスⅡの幻想種。己の魔力を媒介に継続される呪いには弱い」

「なるほど、そういうものでしたか」


 単に幻の痛みを与える魔術ならカドも習得しているために納得だ。わけも分からない激痛に苛まれるが故に暴れ続けるという算段だったらしい。

 確かにギルドや管理局は境界を死守するだろうからそれで最高戦力を抑えられる確率は高い。こちらはハルアジスの術中にまんまとハメられたわけだ。勝ち誇った顔が少々癪だが、してやられたのは事実なので仕方がない。

 二人は境界を跨いで第二層に踏み入る。


 スロープ状の道を歩いて上がらなくてもわかる。高台の岩にリリエが座って待っていた。


「おおーい、リリエさーん」


 手を振ってみると彼女はこちらに気付いた。

 大して負傷もない様子で一安心である。

 すぐに岩を蹴ってこちらまで一足飛びでやってきた。けれど、どうしたことだろう。彼女の表情は浮かない。


 そんなことに疑問を抱いていた矢先、彼女は同行しているハルアジスの存在に気付いたらしい。フードを目深に被っているものの、覗き込まれてしまえばバレないはずはない。

 顔を背けようとするハルアジスのフードを引っ掴んだリリエは強引に顔を拝む。


「……」


 天使として人の感情を読み取る特性や魔素の質を見抜く目。それらを総動員しての観察だろう。

 じっくり数秒にもなる観察後、こちらに向けられる渋い顔が彼女の見分結果だ。


「カド君。あなたって子は本当に……」


 顔を押さえてひたすらに深い溜め息を吐かれる。

 ムラメントでのいざこざからしても大層なやらかしだという自覚はあるのだ。けれど、必要なことには違いないので悔いはない。


「はい。褒められたことではないのはわかっています」

「洗脳まで疑うレベルよ、これ……」


 こちらのこともじっと見つめられたので、すでに見分済みではあるのだろう。リリエは再び重く溜め息を吐いた。

 そして、思い出したかのように表情を曇らせる。


「あのね、カド君。君には伝えなきゃいけないことがあるわ」

「改まって何ですか?」


 はてと首を傾げ、続く言葉を待つ。

 彼女はちらとハルアジスに視線を移した。


「伝えるためにも実際に現場を見てもらった方がいいと思うの。ただ、それは……君一人の方がいいわ」


 妙な雲行きだ。何かがあったのなら、言葉で伝えてもらった方が早いだろう。

 それにこのハルアジスから目を離すというのは無理がある。


「すみません。このハルアジスさんとはまだ対価契約を結んでないんです。僕も随分消耗していて、複雑な魔術は休憩を挟まないと無理なので連れまわして見張りを絶やさない方がいいです」

「くっ……」


 このハルアジスとて、暢気についてきているわけではない。不可抗力でなら協力する気もあろうが、宿敵なのだ。逃げられるものなら逃げて再起を図るに決まっている。

 説明をしてみるとリリエは息を吐いた。


「ええ、そうよね。……わかったわ。じゃあ行きましょう」


 彼女はそれだけ零すとばさりと翼を広げた。

 カドに関しては手を握り、ハルアジスに関しては後ろ襟を掴んで半分首吊り状態と扱いに差が出たまま数分飛行をすることとなった。


 〈剥片〉と乾季の影響もあって乾いた大地を進むと、どんどん戦闘痕が増えていく。この辺りはリリエとエワズが大蝦蟇と戦った場所だろう。

 彼女はひときわ巨大なクレーターがある場所に降り立つ。

 その中心には血痕と、何かしらの肉塊があった。


「……!?」


 こうして見せる意味からして、嫌なものを感じた。

 カドは即座に注視し、魔素を確かめる。

 その肉塊が漂わせるのは自分と同じクラスⅤの魔素だ。そんなものをこの領域で放つものはエワズくらいだろう。


 リリエの手を振り解いて着地し、現場に駆け寄る。

 間違いない。肉や骨からは判別できなくとも、強固な鱗は竜の証だ。


「え……、これって……?」


 いくら大蝦蟇が強大な存在とはいえ、こんな想像はしていなかった。現実が嘘をついているとしか思えない。

 カドは真実を求めるつもりでリリエに目を向ける。

 近くに着地した彼女は、答えにくそうに顔を背けた。それが答えという事だろう。


 カドはもう一度、この肉塊と向かい合う。

 これがつまりエワズの亡骸という事だろうか?

 地面が崩壊しているくらいなので肉の量は足りない。だが、そもそも高位の存在は肉体を占める魔素の割合が増えるため、死後に肉体は残りにくいのだ。あのイフリートも死んだ後は干物のような残骸になっていたことが思い出される。


「い、いや、そんな……。だってエワズはっ……!」


 相棒を故郷に弔うことを考え、何百年も一人で頑張り続けた存在だ。五大祖などの権力者と対立しても、一部の冒険者を地道に支援していつか望みを果たそうとしていた。

 そんな彼が、こんな場であっけなく死ぬだろうか。


 酷く動揺して考えがまとまらない。

 そんな時、この場に近づいてきたハルアジスはこの亡骸を見るなり、ふんと鼻で笑った。


「不出来な死体よな」

「――っ!」


 こういうものを堪忍袋の緒が切れるというのだろう。

 ああ、そうだ。そもそもハルアジスさえいなければエワズが死ぬ事態にもならなかったはずではないか。

 カドは脳裏を支配した感情に任せ、ハルアジスを叩き殺そうと拳を振りかぶる。


「戯けがっ! この死体をよく見よ!」


 その一喝は老成したエワズの口調とよく似ていた。

 そんな一瞬の思いが拳を止める。あと僅かでも遅ければハルアジスの顔面に食い込んでいたことだろう。

 けれどもハルアジスは瞬き一つせずにこちらを睨んでいた。


「嘆かわしい。貴様には心底呆れる。それでも死霊術師の才を持つ人間か? よく見よ、この不出来な死体を! あの忌々しい竜が死んだとするなら、ほんの数時間も現世に縋りつかんで消えると思うたか?」

「それは……」


 言われてみて、カドはこの肉塊に再度注目する。

 魔素は確かにクラスⅤのものであるが、残留思念と呼べるものは一切感じない。巨大樹の森の亡骸や、エルタンハスの人々からは感じたが、ここには何も感じなかった。


「儂は確かに大蝦蟇を使えばそこな天使を食い止められようと考えた。竜も誘い込めれば儲け。そしてできる限り多くの人間を殺して未練を集め、貴様を出し抜ける力にしようと考えていた。大蝦蟇如きの力で殺せるものだとは思うておらん! 理解したか、小僧!? そこへ直れ!」

「……はい」

「何か言うことがあろう!?」

「……ごめんなさい」


 まくしたてる勢いの説教で完全に頭が冷えたカドは言われるがままに正座をする。

 ハルアジスは自分に降りかかりそうだった火の粉に未だお冠だ。額に青筋を浮かせたまま、今度はリリエを睨む。

 彼女はそろりそろりと逃げ出そうとしていた。


「天使! 貴様にも問うべきことがあるぞ!? 逃げるならば儂は思うところをこの小僧に吹き込むがよいな!?」

「うぐっ……」


 その叱責でようやくリリエらしい表情が垣間見えた。

 何かをやらかしてしまった顔は見慣れたもの。彼女はずかずかと歩み寄るハルアジスに対し、苦しげな顔を向けている。


「答えてみよ、あれは竜の死骸とでも言うつもりか?」


 問われるとどうだ。彼女は眉間の皺を深くして押し黙る。

 首を縦に振ることも、うんとひと声出すこともない。


「答えられぬよな。天使は真実しか口に出来ぬ。沈黙はすなわち、貴様らの嘘だ。あのようにさも後ろめたいものがありそうな態度で騙しとおせると思うたか!?」


 この言葉で論破された。

 リリエは先程以上に大きなため息を吐いた後、項垂れたまま近くの岩塊に近づくと八つ当たりとして殴りつける。その威力は恐ろしい。等身大の岩が粉砕された。


「だあああっ、仕方ないでしょう!? 天使は嘘を吐けない種族だもの! それっぽい雰囲気を出すのも苦手よ!? というかそもそもお友達ならともかく、なんで倒すはずの元凶がいるのよ。押し通せる限度を超えているわよ……!」


 カドは正座させられ、ハルアジスは憤慨し、リリエは逆ギレをする。

 場は大層混迷を極めているのだった。

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