決別の道 Ⅱ

 その言葉が、現実だった。

 自分の目的と、他人の感情。どうすれば折り合いをつけられるだろうかと考えてきた。

 ハルアジスによって人としての記憶や感性を削ぎ落されたことで上手く思いつくことができないだけ――そう思おうとしていたが、この言葉でようやく捉えることができた。


「いいえ。無理なんでしょうね」


 なんとなく悲しく思いながら呟く。

 親兄弟を皆殺しにされた人間までいるのだ。詐欺師や精神科医でも、きっと説き伏せるのは難しいだろう。


 そう。難しいし、悩ましい。

 人々の先頭に立つ英雄というのはこうして多くの命を左右する状況で、多くの価値観と板挟みになるのだろうか。それは酷く窮屈そうだ。


「君は確かに災禍の一因ではあっただろうが、多くの場面で助けになってくれた。私とて一度は死んだ身だが、周囲で倒れている者と同じく助けられた。感謝しているし、他の者もきっと理解する。だが、それとこれとは話は別だ。穏便にとはいかないだろう」


 散々、贔屓目に見てくれたフリーデグントだ。今だって猛獣じみて身をよじる石鼬を押さえてくれているのだから、きっとできる範囲で世話してくれるつもりで口にしたのだろう。

 彼らの味方をして、問題を順に片付けていくのは実に正道だと思える。


 ……心に整理がついた。カドは小さく息を吐く。


「はい、よくわかりました。じゃあ、皆さん。最後に一つだけいいですか?」


 すっくと立ちあがり、周囲を見回す。

 状況は好転しているとはいえ、今も防壁周囲では戦いが続いている最中だ。こちらに気を取られているのは良い事とは言えない。

 状況は手短に切り上げるに限る。


「この先、いろいろな困難があると思います。そしてその場その場で、僕はできる限りのことをすると思います。でも、そんな時に力不足で諦めざるを得ないことがあったら、きっと後悔します。無難なやり口では足りないこともあるかもしれません。だから――」


 話の流れがどういう方向に向かっているのか、周囲は察し始める。

 それに合わせてカドは残った魔力を体内の使い魔に与え、励起させた。力を込めるように腿から膝、ふくらはぎへと力が満ちていく。


 フリーデグントは前で見ていながらも身構えもしなかった。

 きっと次に口にする言葉も察しているのだろう。けれども彼は仕方ないなとでも言うように保護者じみた表情を浮かべるだけだ。

 こちらのことを理解してくれることには感謝し、口元を緩める。


「ごめんなさい、逃げます! よいしょっと!」

「ぬあっ!?」


 ハルアジスの首根っこを掴まえたカドは跳躍した。倒壊した壁を足場に三角跳びの要領で屋根に飛び移り、さらには防壁の上に逃げる。

 身体能力に秀でたクラスⅢであれば何とか追ってこられる動きだろうか。

 しかしながら多くが負傷している上にこの状況だ。深追いをしてくる者はいない。


 ああ、もう何ということだろう。

 人の輪から離れ、因縁ある老人と逃げなければならないなんて何とも華がない選択肢だ。

 普通、こうしてどこかを救ったのなら、紆余曲折あれど仲間が出来ていくものではなかろうか。それが憎たらしい爺を小脇に抱えるだけなんて悲しくなる。


 エワズと合流したところで、竜と爺と自分の三人だ。絵面が酷い。


「貴様、どういうことかわかっておるのか!?」


 さらには難を逃れたハルアジスが叱責じみたものをぶつけてくるのだから堪らない。カドは防壁から飛び降りながらも眉間にしわを寄せる。


「十分わかっていますよ。この街の人には嫌われかねないですね」


 防壁から街の外へ降りると、溢れかえる魔物がこちらに気付いた。

 取り囲まれると流石に無事では済まなさそうなので、さっさと逃げるに限る。目指すはガグの黄泉路――第二層への境界だ。

 そこへ向けて疾駆しながら、抱えたハルアジスに問いかける。


「でもそれならどうします? あなたの二番手三番手の弟子からも十分に学べそうなら、やっぱ身柄を引き渡してもいいかなって思うんですけど」

「あり得ぬ! 弟子如きが儂に比肩するだと? あれらは我が血筋の遺産に縋っておるだけだ!」

「ほらぁー、自分でも言っているじゃないですかー」


 ハルアジスの場合、自分に匹敵するほどの実力者がいれば自分の立場を考えて蹴落としにかかりそうだ。

 冒険者や自警団の望む通りにし、そのまま管理局の庇護下に入ってユスティーナや死霊術師の残党と共に力をつける手も考えたのだが、それで一体どれほど学べることだろう。


 ならば今回の事件に関わった人間には嫌われてもハルアジスを取った方が希少なものを学べるはずである。

 今回逃げたのはそういうことだ。


「あなたもあなたでどうなんです? 僕の〈血命の盃〉がどこまでの性能かはわかりませんが、仮に僕自身や使い魔のように成長できるとしたら人生をやり直せるんですよ?」

「グヌッ……」

「それに僕とあなたでは微妙に天啓が違います。派閥としては、こういう様々な才能を混成冒険者としてコピーしつつ、新たな系統を開発していくのが勢力増大の一手ですよね? できれば仲良くしたいなーとか思わないんですか?」


 カドの言葉を聞いた途端、ハルアジスは反論の声を鎮めた。

 例えば剣の派閥であれば軽戦士、重戦士などと剣を主体にしていても系統が多彩だ。数があるからこそ、混成冒険者となる上で素質が適合しやすく、一派の数が増える。

 死霊術師の場合は適合者が少ない上、系統がハルアジスの家系一本のために衰退の一途だったのだ。プライドさえ捨てるならば願ってもない話だろう。


 しわくちゃの顔で考えを巡らせていたハルアジスは、ぽつりと切り出してくる。


「……カドよ。貴様の望みは――いや、すでに聞かされておったか」

「ええ。僕はドラゴンさんの望みを叶えるために強くなりたいだけです。それ以外にハルアジスさんに興味はないので、ノウハウを教えてもらったら好きにしてください」

「して、その次はどうなのだ? 貴様はそれが叶った末に何を望む?」

「なーんにも考えてません。そもそもこの世界は縁も所縁もないですし、思い入れなんて全然ないんですもん」


 故郷もない上に、生存欲求その他諸々、人間らしいところはハルアジスその人の手によっていくらか削られている。エワズの望みを叶える以外には何もない。

 率直に返すと、ハルアジスは顔をしかめた。

 怒りや不満など、よく見る形ではない。自分の非を認め、居心地悪そうにする――そんな気配が若干感じられる顔だ。


「ん? 今、少しは反省しました?」

「うっ、五月蝿い! 貴様とて、儂の地位も名誉も、命まで奪ったではないかっ!」

「あはっ、それは確かに! つまり、ようやくお互い様になったってことですね?」

「くっ……!?」


 ハルアジスが顔を歪めたちょうどその時、魔物の包囲が厳しくなってきたのでカドは足を止めた。

 〈死者の手〉で払いのけ、少し怯ませたところで創作術式の〈大感染〉を用いる。

 掌の上に致死性のウイルスでも作ったイメージで吹き広げると、低位の魔物から次々に血を流して死んでいった。

 それで溢れる魔素を少しでも回収しつつ、ハルアジスに目を向ける。


「仲良くしようだなんて言いません。でも、互いの目的のために精々利用し合いましょう。そういうことで、しばらくどうですか?」

「……っ!」


 和解のためにも、手を差し出す。

 ハルアジスはその手を睨んだまま、息を詰めていた。


 誰かを利用することはあっても、対等に手を組むことなど彼の性格と状況ではなかったことだろう。老けるほど長い年月を生きていたはずの彼は、差し出される手一つを掴むことを躊躇っていた。

 これが積年の疑心暗鬼らしい。


「し、仕方――」

「おっと、敵さんが。もっかい走ります!」

「おのっ……おのれ貴様ぁっ!」


 ハルアジスが手を取りかけたその時、そっぽを向いたカドは再び彼の後ろ襟を掴んで走り出した。

 避ける際の負荷で多少ぶん回している影響で言葉を発しにくくしているものの、その程度はご愛敬だろう。

 カドとハルアジスはそうして平原を突破していくのだった。

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